第21話 夫婦円満の秘訣を教えて!

 小さな座卓にお茶とお煎餅の袋を並べると、クマと祈里さんと僕、三人そろって腰を下ろした。


 一人部屋ってこともあって、そこに三人も入ると流石に狭く感じる。

 祈里さんも同じことを思ってるみたいで、体育座りして縮こまり、少し気まずそうにソワソワしながら部屋の周りにちらちら目線をやっている。

 その様子を見て、首を傾げながらクマが言った。


「祈里ちゃん、緊張してるの?」

「だ、男子の部屋に入るの初めてなんだよ。緊張するに決まってんじゃん」


 やっぱり男子の部屋に呼ばれたのはこれが初めてだったらしい。ファーストキスを奪ったクマとは別の意味で、祈里さんの「初めて」を奪っちゃったのか、僕……


 なんだか妙に罪悪感を感じてしまいながら、机に置かれた煎餅をかじる。


「クマとか、いつも部屋で何してるの? ユッキーが学校の間、ここでずっと待つの退屈じゃない?」

「ううん。今日の朝はベッドに寝転がって天井のシミを数えてたし、昼は窓を開けて電信柱にとまったカラスと睨めっこしてた。夕方はユキトが帰って来るから、ずっと玄関で足音を聞いてたの」


 クマの答えに、「いや暇潰しの仕方が独特過ぎるだろ!」とすかさず祈里さんの鋭いツッコミが飛んできた。

 僕は苦笑いしつつ、祈里さんに最近のクマとの生活や現状について話した。


「祈里さんに服を買ってもらってからは、クマに一人で外出してもいいよって言ってるんだ。ずっとこんな狭い部屋に閉じ込めておくのも可哀想だし。あまり遠くへは行かないようにって釘を刺してもいるけど……」

「一昨日は、ユキトの行きつけのスーパーまでクマ一人で歩いて行けたの。新記録」

「へぇ、凄いじゃん。私の家にももう一人で来れるんじゃない?」

「うん。今度、祈里ちゃんの家に遊びに行ってもいい?」

「えっ、別に良いけど、できれば事前に連絡してほしいな。こっちも色々準備とかあるし」


 最初、僕の部屋に入った時は少しぎこちない様子だった祈里さん。でも、僕やクマと会話を重ねるうちに、この雰囲気にも徐々に慣れてきたようで、僕らと会話しながら時折笑顔を見せてくれるようになった。


「――あ、お茶がもう無くなったね。まだお代わりあったっけ?」

「冷蔵庫に開いてないジュースがあった」

「お、マジで? じゃあそれ開けよっか。ええと、どこだ……」

「真ん中の段。奥の方に無い?」

「あ、これだ。ありがとう。お菓子も少なくなってるから補充しないとね」

「電子レンジ横のかごの中にポテチの袋が入ってた。持ってくる」


 座卓から立ち上がり、キッチンへ向かうクマ。

 その様子を傍からじーっと眺めていた祈里さんが、ボソッと呟くように言う。


「……なんか二人とも、結婚してもう随分になる夫婦みたいだよね」

「はい?」


 突然そんなこと言われて、僕は素っ頓狂な声を上げてしまう。


「いや、二人とも同棲生活に慣れきってるっていうか、普通男女が一緒に暮らしていれば気まずい感じになったりするじゃん? それが全くないっていうか……」


 祈里さんの言葉に、そうなのか? と心の中で首をかしげる。

 すると、クマが僕の方に擦り寄りながらこう言った。


「クマはユキトがまだ赤ちゃんだった頃からずっと一緒に居るの。だから、ユキトと過ごしていて夫婦みたいに見えるのは当たり前」


 クマはカップルがやるように、僕の腕に自分の腕を絡めてくる。

 祈里さんはクマの言葉に少し驚いたようだったけれど、やがて表情を和らげて笑った。


「あははっ、確かに。クマはユッキーがまだ小さかった頃からずっと縫いぐるみとして傍に居てくれていたもんね。じゃあもう一緒に生活して十五年以上になるってことじゃん。熟年夫婦かよ」

「や、やめてよ祈里さん……」


 僕は恥ずかしくなって照れ隠しのように言葉を返すが、そこでクマがすかさず――


「ユキトは四歳の頃、自分の将来の夢について発表するとき、みんなの前で『将来、僕はクマと結婚する!』って言ってくれたの。だからもう、クマとユキトは夫婦も同然」

「え、マジで? ユッキー子どもの頃そんなこと言ってたんだ。ちょっとウケるwww」

「ガチャガチャを引いて当てた二つの玩具の指輪を、一つはユキトの左手薬指に、もう一つはクマの左耳にはめてくれたこともあった」

「クマ止めて? まだ僕が無垢な子どもだった頃の黒歴史を勝手に掘り起こさないで」


 自分が墓まで持って行こうと思っていた黒歴史をこうも易々と暴露されてしまい、僕は暫くの間、襲い来る羞恥心に一人もだえ苦しんでいた。



 ……それから、僕ら三人は取るに足らない他愛もない会話をして楽しい時間を過ごしていた。

 のだけれど――


 ブーッ、ブーッ、ブーッ……


 突然ポケットに入れていた僕のスマホが鳴り出して、慌てて着信先を確認する。


(げっ……お母さんからだ……)


 僕は着信画面に表示された「広江縫衣子ひろえぬいこ」の表記を見て、顔からサッと血の気が引いていくのが分かった。


 前にも説明したかと思うけれど、僕が今一人暮らしをしているのは、両親は仕事の都合によるものだ。そんな母親からの連絡ということは、まさか――


「……ユキト、電話?」

「誰からなの?」


 そう尋ねてくるクマと祈里さんに向かって、僕は咄嗟に人差し指を口元に立て、「静かにしてて。音を立てちゃ駄目だよ」と二人に伝える。

 きょとんとしている二人を部屋に残し、玄関の方に退避した僕は、恐る恐る通話ボタンを押してスマホを耳に当てる。


「……も、もしもし?」

「あら、もしもしユウ君? 声に元気が無いわね、風邪でも引いたの? ちゃんとご飯食べてる?」


 いきなり畳みかけるように母親の声が飛んできて、その勢いに気後れしてしまう。


「い、いや、別に平気だけど――」

「あらそう? なら良かったわ。今日はママの仕事が早く終わってね。これから久々にユウ君の家に顔を出そうかと思って」

「へ? ……いや、久々って、この前お母さんが僕の家に来たの二週間前じゃん」

「もうそんなこと言って。ユウ君に会えない二週間はママにとって二ヶ月くらい長く感じるのよ。母親は毎日でも愛しい息子の顔を見ていたいものなの。世界中のママだってきっとそう」


 まるでそれが世界のことわりであるかのように語り出すお母さん。その奇妙な自信は一体どこから来るのだろう?


「という訳で、今もう電車から降りてそっちに向かってるから。あと五分もかからないと思うわ。また後でね」

「は? え、もうそんなとこまで来てるの? こっちはまだ部屋の片付けとか何もできてな――」


 プツン――


 話終わるより前に、お母さんは通話を切ってしまっていた。

 僕は硬直したまま、通話の切れたスマホを耳から降ろす。


 ……あと数分でお母さんがここに来る。

 そして今、僕の部屋には幼馴染と、あちらからすれば何の面識もない女の子が一人居る。


 祈里さんはまだしも、知らない女の子を家に連れ込んでいることまでお母さんにバレたら、広江家の重大事件として家族会議が開かれることになりかねない。


「いくら何でもタイミング悪過ぎだろ……」


 僕はこれから起こるかもしれないハプニングを想像してしまい、背筋を凍らせた。

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