第16話 クマの「好き」を受け取って

 自分の部屋、自分のベッド。

 そこに私が押し倒され、銀髪美少女(クマ)が上から伸し掛かってきている。

 ――ヤバい、状況把握が追いつかない。


(ちょ……この状況って……まさか……)


「祈里ちゃんがやりたいって言うのなら、いいよ。今日一日、クマはユキトじゃなくて祈里ちゃんだけのモノだから」


 そう言って、クマは私の手に指を絡めてくる。

 暖かな体温を指と指の間に感じてくすぐったい。


 クマは表情を変えないまま、恋人繋ぎした手をぎゅっと握りしめ、更に顔を近付けてくる。


 こ、こんなのおかしい……どうしてこんなに積極的になれるの? 普通少しは恥ずかしがるはずでしょ? 羞恥の心とか無いのかお前はっ⁉︎


 ……でも、よく考えればコイツは元々が普通じゃない。ひょっとして、前世は縫いぐるみだったから、人間の感情が分からないの? だから、あの時も平然と私にキ、キスを……


 もしそうなら、このままじゃ私はコイツのされるがままにされて……あんなことやこんなことまで――


「そんなのダメっ!」


 そこまで想像したところでとうとう耐えられなくなり、私はクマを突き放していた。


「……ごめん、嫌だった?」

「いっ……べ、別に嫌な訳じゃ――」


 あぁもうどっちなんだよ、と思わず自分でツッコんでしまう。自分の思い通りにならない感情に腹が立って仕方がない。


「祈里〜〜っ! ご飯できたわよ! 折角だからお友達も連れて来なさいな」


 するとその時、一階からお母さんの声が聞こえてきた。母親の声が、それまで部屋を満たしていた緊迫した空気を破る。


「ほっ、ほら、夕ご飯の準備出来たっぽいし、クマも一緒に来なよ」

「えっ? いいの?」

「お母さんには夕飯を一人分多く作ってもらうよう予め言ってあるから大丈夫。うちの両親はお客をもてなすの好きだし、クマにも親身に接してくれるはずだから」

「……そう。なら、お言葉に甘えて」


 私は、クマを連れて階段を降りる。


 危なかった……あれ以上されていたらどうなっていたか分からない。

 之斗のクマ、恐るべし……百合漫画の真似とはいえ、あそこまで大胆に迫ってくるなんて……次はあんなふうに襲われないよう注意しないと。

 そう自分に言い聞かせた。



 夕食時、私の両親は初めてクマを見てとても驚いていた。綺麗な白銀の髪を伸ばした子なんてそうそう見かけるものではない。私は適当に「外国人とのハーフだから」と理由付けしておいたけれど、そのおかげなのか、クマの箸の持ち方が下手でも、「外国じゃ箸なんか持たないもんねぇ」とお母さんがすぐにフォークを用意してくれた。


 之斗から忠告された通り、クマは箸の持ち方が超絶に下手だった。



 夕飯が終わってから、交代でお風呂に入る。


 クマが風呂に行っている間、私は自分の部屋の床にクマの寝床を整えてやった。

 これまで誰も入れなかった自分の部屋に初めて他人を呼び込んで、しかもお泊まりまでさせてしまうなんて。これまで秘密主義を貫いていた私のポリシーが音を立てて崩れていくように思えた。


 ……っていうか、もうクマには秘密バレちゃっているんだから、部屋に泊まらせても結局は同じことか。


「お風呂、上がった」


 すると、部屋の扉が開いて、クマが入ってくる。


「お帰り。用意した服はどう? 胸周りキツくない?」

「うん、平気。ありがとう」


 クマは私の貸したピンク色のパジャマを着ていた。之斗の忠告通り、胸周りの大きなサイズを用意したつもりなのだけれど。

 でも着慣れていないせいか、服の裾はまくれてへそ丸出しだし、ボタン掛け違えているし、腰紐が結べていないせいで下もずり落ちてしまっている。


「はぁ……ったく、なんてだらしない着方してんの」

「ごめんなさい、まだ着る動作に慣れなくて」

「もう、幼稚園児じゃないんだから……ほら、直してあげる」


 私はクマに近付き、乱れた服装を整えてやる。

 すると、クマが唐突に私の手を掴んだ。

 そしてその手を、自分の頬に押し当ててくる。


「ちょ……何してんの」

「祈里ちゃんの肌、気持ちいい。それに凄くあったかい」

「そりゃ、風呂上がったばっかだし……」


 無表情のまま、私の手に頬擦りしてくるクマ。

 その仕草が猫みたいでなんか可愛くて、私は思わず顔をそむけた。


「………クマってさ、どうして積極的にそう……肌を重ねたり、触れ合ったりしようとするの? そんなことされたら、勘違いしちゃう人だって居るかもしれないのに」


 私はこの時、ふと感じた疑問をクマに向かって口にした。

 するとクマは、私の手を頬から離して「それ、之斗からもよく言われる」と答えた。いや持ち主からも指摘されてたのかい。


「……でも私、こうしないと伝えられないの。好きって気持ちを」

「は? えちょっ――」


 不意を突かれ、私はまたクマに抱き付かれてしまう。


「まだ縫いぐるみだった時、ユキトからいつもこうして抱き付かれている時が、一番ユキトの愛情を感じたし、一番幸せだった。……だからこうして抱き合って、お互いの肌の感触や体温を確かめ合って、それで初めて相手のことを好きになれるんじゃないかって。だから、こうすれば相手にも私の好きの気持ちが伝わるんじゃないかって、思って」


 クマの言葉を聞いて、私の胸がじんわり熱くなってゆくのを感じた。


 ……そうか。最初に押し倒されてヤバいことされそうになった時、てっきり縫いぐるみだから――人間の感情が無いから、そんなことができるんだって思っていたけれど……


 でも、本当は違った。抱き合ったりキスしたり、クマにとって互いの肌を重ねることは、クマなりの愛情表現だったんだ。

 いつも無表情で、リアクションも少なくて、正直何を考えているかさっぱり分からない子だなと思っていたけど、こうして私に精一杯「好き」の気持ちを伝えようとしてくれていた。


 そう考えると、なんだか嬉しくなって、抱き付かれる感触も悪くないな、なんて思えてしまう。


「……そっか。そんなに私のこと好きって思ってくれていたんだ。……ありがと。私も好きだよ、クマのこと」


 そう答えると、クマは私に抱き付いたまま顔を上げて、まん丸な瞳で私を見上げていた。


(………ハッ‼︎)


 ここで私はようやく、自分の放った言葉が問題アリなことに気付き、慌てて訂正する。


「べっ、別に好きっていうのは、その……恋愛としての好きって訳じゃなくて、友達って意味での好きであって! だから――」

「うん……ありがとう。祈里ちゃんも小さい時からずっとクマのこと好きで居てくれて、嬉しい」


 クマは無表情のまま私の方に体を傾け、体重を預けてくる。


 ……あぁ、なんか、マジで自分が百合漫画の世界に居るみたい。これまでのクマとの会話も、全部吹き出しが付いたら完全に百合漫画のそれだし、この先の展開も容易に予測できてしまいそうで、軽く頭が麻痺してしまう。

 ボーッと夢見心地な私は、クマの体重を支えられずに、抱き付かれたままベッドに倒れ込む。


「クマ、今日は祈里ちゃんと一緒に寝たい」

「はぁっ⁉︎ いや、二人だとこのベッド狭いし、私寝相悪いから蹴飛ばしたりするかもだし……」

「平気。今日一日、クマは祈里ちゃんのものなんだから、普通にクマのこと縫いぐるみだと思って抱き付いてくれて構わない」

「いや流石に無理があるでしょ!」


 けれどクマはベッドから降りることなく私の横に寄り添い、両手を握ってくる。

 あぁ、そんなまた積極的に来られたら……私……


「はい、じゃあおやすみのチュー、しよ」

「うぅ………い、一回だけだからな」


 この時、どうしてクマにキスを許してしまったのか、自分でもよく分からなかった。

 多分、半分まだ夢見心地だったのと、クマの私に対する思いが理解できた嬉しさが後押ししてしまったからだと思う。

 クマが私を好いてくれてる。互いに好きだと思い合う中でなら、こんなことしても許されるはず……


 それに、縫いぐるみ交換お泊り会でクマは今日一日私だけのモノなんだから、私の好きにしても構わない、よね……?


 色々と理由をこじ付けて気を大きくした私は、クマにゆっくりと顔を近付けていき……


 ――そして、唇を重ねた。


 唇一杯に広がる柔らかな感触。

 初めての体験に高鳴る心臓の鼓動。

 百合漫画でしか見れなかった世界が、今ここにある。そう考えただけで、胸がときめいた。


 同時に、頭の中で私の本能がうずく。

 もっと……もっとクマと繋がりたい……一つになりたい!


 気付けば、私は唇を開いて、伸ばした舌先をクマの唇にノックしていた。


 ピクリ、とクマの肩が震える。


(この子、震えてる………ヤバい、超カワイイ……)


 クマは最初、舌を出してきた私の行為の意図がよく分からず、躊躇うように唇を固く閉じていた。

 けれど、やがて自然に受け入れてゆくように薄く唇を開き、差し出すように自分の舌を私の上に重ねていた。


 ねっとりと絡み合う舌の感触に、脳が溶けてしまいそうになる。


 私はこの時、唇を重ねているほんの僅かな間だけかもしれないけれど、クマと友達以上の関係になれたような、そんな気がした。




「ん………ぷはっ……」


 暫くして、私は唇を離した。つぅと伸びた唾液の吊り橋が途切れる。

 クマは相変わらず無表情のままだったけれど、少し驚いたように頬を赤らめ、丸くした目で私を見ていた。


(…………ハッ!)


 この時、オーバーヒートしていた私の脳内に理性という名の冷却水がなだれ込み、思わず反射的にクマに背中を向けてしまう。


(さっ、ささ……流石にやり過ぎたぁ~~~~~~~~~~~っ!!)


 なんか雰囲気それっぽい感じだったし、その場の勢いに任せてやっちゃった! あぁ〜〜これ絶対ヤバい奴って思われてる〜〜〜っ!


 体をさなぎのように縮めて悶える私。込み上げる羞恥心が汗になって全身から吹き出す。

 同時に、背中に視線を感じて背筋が凍った。


「あっ……えと、い、今のは、その――」

「祈里ちゃん………今のチュー、凄かった」

「へっ?」


 思わず振り返ると、クマはベッドから半身を起こし、私の方を見て目をキラキラ輝かせていた。


「祈里ちゃんの好きって気持ち、これでもかってくらいたくさん伝わってきた。こんなの初めて。……勉強になった。ありがとう」

「え? べ、勉強? あぁ……うん。こ、こちらこそ?」


 そして、何故かクマに感謝されていた。

 ……ど、どうして?


 クマは私のやったことが嫌じゃなかったってこと?

 クマもその気だった、ってこと……なの?


 考えれば考えるほど分からなくなり、結局その晩、私は寝るまでクマと一度も顔を合わせることができなかった。



〜おまけ①〜


(一方その頃、之斗の家では―― ※之斗視点)


「………………静かだ」


 真っ暗な部屋、横になったベッドの上で、僕は一人呟いた。

 カチ、カチ、カチ、と時計の秒を刻む音だけが、やけに大きく聞こえてくる。

 クマは今、上崎さんの家にお邪魔させてもらっており、ここには居ない。部屋には僕一人だけだ。


 高校に入って一人暮らしを始めてから数ヶ月。もうすっかり一人で居ることに慣れてしまった、はずだったのに……


 それなのに、突然押しかけてきた(というか既に居た)同居人と少しの間共に過ごして、たった一日居なくなっただけで、こんなにも人肌が恋しくなってしまうとは……


「あぁクマ! クマに会いたい! また寝る前に抱き付かれてチューされたい! クマを思いっきり吸いたい(?)! あのにおいを嗅がないと落ち着かないよ〜〜っ!」


 僕は、安心毛布を取り上げられて泣き叫ぶ赤ちゃんよろしく、クマが居ないことによる禁断症状に一人悶えながら夜を過ごしていたのだった。

 ……うん、側から見たら完全にただの変態だな、これ!

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