第10話 先日は大変お世話になりました、あの時のクマです

 次の日、僕はクマを初めて外へ連れ出した。


 クマにはとりあえず上下ジャージを着させてサンダルを履かせている。ある程度まともな格好にしているつもりだけれど、この格好でタバコ咥えてコンビニ前に便所座りさせたら、完全にヤンキーである。


 おまけに、こんな綺麗な美少女が、しかも白銀の髪を伸ばした子なんて普段あまり見かけないものだから、通りかかる人は皆、一度立ち止まってクマの方を振り返らずには居られないようだった。


(やっぱり目立ってるよなぁ……)


 道ゆく人から集まる視線をひしひしと感じながら、僕らは歩く。


 一方のクマはというと、人間になって初めて体験する外の世界に驚いてばかりのご様子。

 無垢な瞳をキラキラ輝かせながら、電信柱やガードレールに触れたり、道脇に生えた雑草の花の匂いを嗅いだり、両腕を広げて吹く風の音を聞いたり肌に感じたりしていた。


「どう? 人間の体になって初めて外を歩いた感想は」

「うん……初めて感じることが多過ぎて、ちょっと混乱……」

「あはは……だよね……」


 僕は、フラフラしながら歩いているクマを見て苦笑いする。


 僕からすれば、いつもの見慣れた近所の通路だけれど、クマにとっては、まるで月面を歩いているような気分なのだろう。

 ちょっとした些細な発見にも感動を隠せないクマを、僕は一歩下がって見守っていた。


 すると、僕らの前を一匹の三毛猫が走っていった。

 毛並みの綺麗なその猫は、僕らを見つけると道の隅に立ち止まり、こちらをじっと見つめる。


「あ、ユキト、猫さんが居る」


 クマはその場にしゃがみ込み、興味深い目で動かない猫と睨めっこしていた。

 すると、クマと猫の間で何か通じ合うものがあったのか、猫はクマのところへ駆け寄って来て、膝元に体を擦り付けた。


「うん……よしよし、いい子」


 クマは黙ったまま猫の体をそっと撫でると、猫は嬉しそうに尻尾を立ててニャーと鳴いた。

 まさかお前……生き物に触れると自分の考えを伝えられる能力でも持ってるのか?


 そう思えてしまうほどに、クマと猫は意思疎通しているように見えた。




 と、その時――


「………あ、之斗じゃん」


 聞き慣れた声が、すぐ近くから聞こえてきて、僕はフリーズする。


 ――振り返ると、そこには私服姿の上崎さんが立っていた。


 ベージュのタートルネックシャツに、黒のイージーパンツ。足にはスニーカーを履いて、肩にはトートバッグ下げている。


 おぉ、私服姿の上崎さん、ここ最近ずっと見ていなかったような気がする。

 ……って、今はそれどころじゃない!


 ヤバい、よりによって一番出会ってはいけない人物に見つかってしまった。


「か、上崎さん……ど、どうしてここに……」

「私は買い物の帰り。之斗は何か用事?」


 そう尋ねながら、上崎さんの視線が僕の隣でしゃがみ込むクマの方へ移る。


「――その子は、之斗の知り合い? 凄く綺麗な髪色してるけど……」


 きっと上崎さんに「クマが美少女になりました」なんて言ったところで信じてもらえるはずがない。混乱を避けるためにも、どうにか上手く誤魔化さなきゃ――


 けれどすぐに上手い口実が見つかるはずもなく、返事に詰まっていると……


 顔を上げたクマが驚いたように目を見開いて、髪の中に隠れていた丸い耳をぴょこんと立てた。


「………もしかして、祈里ちゃん?」

「えっ、どうして私の名前を……」


 初対面の子にいきなり名前で呼ばれ、混乱して後退る神崎さん。

 ――すると次の瞬間、


 クマはいきなり駆け出してぴょんと飛び跳ねると、彼女に思い切り抱き付いた。


「………は?」


 突然ハグされて、言葉を失う上崎さん。


「ちょ、は? えっ、えっ? えぇっ!?」


 がっしりホールドされて動けない上崎さんは、顔を真っ赤にして肩に掛けていたトートバックを地面に落としてしまう。


「すんすん……やっぱり祈里ちゃんのにおい。間違いない」

「いやっ……ちょっと何を――」


 上崎さんの胸元に顔を埋めてにおいを嗅ぎ、紛れもない本人であることを確認したクマは、頭を上げて彼女の顔面に近付き――


 チュ~~~~~~~~~~〜〜〜~ッ


「んむぅううううううううううううううっ!?!?」


 思いっきりチューしていた。


 いや初対面の人にいきなりなんてことしてくれてんのぉ⁉︎


 僕は慌てて抱き付いたクマを離そうと駆け寄る。が、凄い力で抱き付いているせいで引き剥がせない。

 一方、そんな僕のことなど蚊帳の外で、クマは脱力してだらりと腕を下げた上崎さんからようやく唇を離すと、


「祈里ちゃん、随分見ないうちにもうこんなに大きくなったのね……こうしてまた会えて、クマ凄く嬉しい」


 久々に近所に住む娘を見てテンション上がったおばさんみたいなことを言いながら、もう一度唇を重ねていた。


 ちょ、クマスト―――――ップ! もういいから! もう十分だから離してあげて! ほら、上崎さん息できなくて白目剝いちゃってるから!


 久々の友人との再会に舞い上がってしまっているクマを必死に説得し、どうにか上崎さんが酸欠になる前にクマを引き離すことに成功したのだった。

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