第7話 お風呂は命の洗濯よ!

 僕はお風呂の準備に取り掛かった。

 お湯張りの温度と湯量を設定し、蛇口をひねる。後は待つだけ。


 そう思っていると――


 いつの間にか背後に立っていたクマが、僕の目の前でいきなりパーカーを脱ぎ始めていた。ジッパーを下ろした途端、ぼよよんと飛び出す巨大なマシュマロ。

 わーお、大胆……じゃなくて!


「ま、まだ脱がなくていいからね!」

「……? 洗濯するんでしょ」

「はい?」


 イマイチ会話が嚙み合わない。一体何を考えているんだコイツは?


 すると、クマは脱いだパーカーを洗濯機に入れた。

 あぁ、パーカーを洗濯に出してくれたのね。でも、別に今出さなくてもいいのに……


――と思っていたのも束の間、クマが今度は洗濯機の中に自分の頭を突っ込み始めた。


「ちょちょちょ、何やってんの!?」

「? クマのこと、洗濯するんでしょ?」

「人間は洗濯機には入れないよ! ほら、もう少しでお風呂沸くから、それまで待とう! ね!?」


 すっぽんぽん姿で洗濯機に体をねじ込もうとするクマを、慌てて引き剝がす。

 あぁビックリしたぁ……なんだか寿命が数年縮んだような気がする。


「洗濯機って、中はもっと広いと思ってたけど……意外と狭かった」


 一方のクマは、こちらの心労もそっちのけでそんなことを呟いている。

 そりゃ、縫いぐるみの時は体長18センチしかなかったから広く感じたと思うけど、今はその体だからね? 自分の体の大きさを自覚しようね?


 ピーピーピー


 そうこうしているうちにお風呂が沸いて、僕が先に入ろうと風呂場へ行こうとした。が……


「あの、何で付いて来るの?」

「一緒に入る」


 さもそれが当然と言うように答えるクマ。

 ……いや、入らないよ。そんなことしたら、多分鼻血で風呂を真っ赤に染め上げる自信があるから。

 流石にそれだけはマズいと思い、部屋で待ってるように言って、僕は一人で風呂に入った。


 そして次にクマの番。なのだけれど、風呂も初めてであるクマに一人で入れと言うのも酷なので、仕方なく付き添いで傍に居てあげることにした。

 もちろん浴室には入らず、扉の向こう側に居て、必要な時はそこから指示を飛ばした。


「シャワーで体を洗ったら、次にボディソープを手に取って泡立てて、体をゴシゴシ擦る。ボディソープは緑のボトルに入ってるから」

「擦り終わったらシャワーで泡を洗い流して、次にシャンプーで髪を洗う。髪を洗い終わったらのお湯の中に体を浸からせる。のぼせないように、ある程度時間が経ったら上がってね」


 そう説明してあげると、クマはきちんと言う通りに出来たみたいで、最後はちゃぷん、と湯船に浸かる音が浴室から聞こえた。


「……人間の洗濯って、意外と面倒なのね」

「でも、気持ちいいでしょ? お風呂。初めて入った感想はどう?」

「うん……体がポカポカして、気持ちいい」


 クマは溜め息交じりにそう答える。風呂の気持ち良さを分かってもらえたみたいで、良かった。疲れた後に入る風呂は嗜好だから。


「でも、お風呂に入ること自体は初めてじゃないわ」

「えっ? そうなの?」

「うん。ユキトがまだ小さい時、『クマと一緒にお風呂入る!』って、よくクマを持ったまま浴槽に飛び込んでいたもの」


 あ……そういえばそんなこともあったっけ? 小さい頃の僕は色々と無茶苦茶やってたからなぁ。


「でも、結局その後洗濯に出されて、夜一緒に眠れないのは寂しいからって、クマを持ってお風呂に入るのは止めたの」

「へぇ、そうだったんだ。全然覚えてないや……よく覚えてるね、クマは」


 そう言葉を返すと、クマは答える。


「ユキトと一緒だった時のことは、一秒だって忘れたりしないわ」


 「だって、私はユキトのクマだから」と付け加えられ、そんなこと言われた僕は急に恥ずかしくなって、浴室を背に体育座りして縮こまっていた。



 お風呂から上がったクマには、とりあえず僕の用意したシャツとトランクス、そしてジャージの上下を着てもらうことにした。

 けれど、案の定というか、胸に飼っている怪物のせいでシャツが入らず、結局上を覆うのはジャージだけという格好になってしまった。

 ううむ……辛うじてジャージ内に収まっている脂肪の化物が恨めしい。


「服、キツイとかない?」

「ううん、平気。……ユキトのにおいがする」


 クマはそう言って、着ているジャージの裾に鼻を近付けてすんすんしてくる。


「こら、変なことしない。あと、髪をちゃんと乾かさないと風邪ひくって」

「じゃあユキトが乾かして」

「なっ……わ、分かったよ……」


 ドライヤーなんて無かったので、仕方なくタオルを持ってきてクマの白銀の髪をしっかり綺麗に拭いてやり、櫛で髪を溶かしてやった。


 それから、僕は部屋にある座卓を隅に片して、床に布団をもう一枚敷く。

 いくらやましい事は無いとはいえ、女子と一緒の部屋で寝るっていうのは、やっぱり気を遣ってしまう。

 縫いぐるみだった時なら、こんな気持ちになんてならずに一緒に寝れたのに……


「さ、布団も敷いたし、これで寝られるよ。クマは下よりもベッドの方が良かったりする?」

「私は、別にどっちでもいい」

「じゃ、僕がベッドで寝るね。おやすみ」


 僕は部屋の明かりを消して、ベッドに入る。まだ少し時間が早いけれど、クマと二人だけで少し気まずいから、今日はもう寝てしまおう。後はまた明日考えれば良いことだ。


(はぁ……なんか今日一日色々なことがあって、いつもよりかなり疲れた気がするな)


 僕の持っていたクマが人間、それも目も見張るような美少女になってしまうなんて、絶対におかしなことだ。未だに夢の続きなんじゃないかと思う時もある。


(……でも、非日常的なモノが自分の近くにあったところで、意外と普通に日常生活を送れるものなんだなぁ)


 普通、こんな非日常的なことが一度起これば、そこから次々と不可解な事件が連鎖して、知らない敵とかも出てきたりして世界が大ピンチ! みたいな流れになるのかと思っていたのだけれど……SF漫画やラノベの読み過ぎかもしれない。


 でも、こうしてクマが人間になっても、相変わらず世界は平和だし、何も起こることなく地球は回り続けている。


(ま、結局何も起きないのが一番だけどね)


 そう自分の中で結論付け、ふぅと溜め息を吐いて眠りに就こうとするも……



 ゴソゴソゴソ………


 むにゅっ


 僕の寝ているベッドで物音がして、背中に柔らかいものが当てられた。


「…………」


 僕は恐る恐る寝返りを打って振り返る。

 そこには、目を閉じているクマの顔が目と鼻の先にあった。

 クマが、いつの間にかベッドで寝ている僕の横に添い寝していた。


 ――前言撤回。やっぱりこの状況、どう考えても日常的じゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る