第4話 あの頃は良かったよなぁ……

 それから走って学校に向かった僕は、どうにかホームルーム前までに教室に飛び込み、遅刻せずに済んだ。


 けれども授業中、部屋に一人置いてきたクマのことがどうしても頭から離れずに、悶々もんもんとして授業どころではなかった。


(……あいつ、本当に外に出たりしてないだろうな?)


 もしあんなパーカー一枚だけの格好で出歩かれでもしたら、マジで露出狂と間違えられて警察沙汰になりかねない。

 あ〜あ、もう少しまともな服を着せておけば良かったかなと、今更ながらに反省する。


 そして、結局どの授業も集中できないまま昼休みを迎えて……


「あぁ、もう昼休みか……」


 色々と心配事を巡らせ過ぎて頭が重い。早く放課後にならないかなー。などと考えていると――


之斗ゆきと、どうしたの? なんか顔色悪そうだけど」


 とある生徒に話しかけられ、僕は重い頭を上げる。


 そこには、長い黒髪を伸ばしたスタイルの良い女子が立っていて、怪訝けげんな表情でこちらを見ていた。


「あ、上崎さん……」


 彼女は上崎祈里かみさきいのり。僕と同じクラスの生徒であり、僕が幼稚園の頃からの幼馴染。

 格好は制服のブレザーの下に紺のセーターを着込み、足には黒タイツという落ち着いた見た目で、目元がキリッとしていてまつ毛が長く、紫の瞳が清楚でクールな印象を周りに与えている。


 実際に言動も落ち着いていて口数も少なく、勉強できるしスタイル良いし顔も良いしで、男子生徒たちからも密かに人気がある。

 けれど、クールな見た目ゆえにどこか近寄り難い雰囲気があるみたいで、噂は立てども実際にアタックした男子は誰一人居ないのだとか。


「それに、今日午前中ずっとボーッと上の空だったし……何かあったの?」


 そう上崎さんに問い詰められ、慌てて「ううん、何でもない」と答える。


「そう? ならいいんだけど……ほら、購買行くなら早くしないと、パン売り切れちゃうよ」

「あ、やべ。そうだった」


 僕は急いでポケットに小銭を突っ込んで教室を出る。


 上崎さんとは家が近所ということもあり、幼稚園から小学校低学年の頃くらいまで、よく一緒に遊んでいた。

 ほかの男子がサッカーや鬼ごっこをしている中、彼らの中に馴染めなかった僕が一人隅っこでクマと遊んでいたら、彼女の方から声をかけてきたのだ。


「ねぇ、縫いぐるみと遊ぶの、好きなの? 私も持ってるから、一緒に遊ぼ」


 これが上崎さんとの初めての出会いだった。縫いぐるみがきっかけで、仲良くなったのだ。

 だから言い換えれば、上崎さんは友達の中で唯一、僕のクマを知っている人物でもある。


 幼稚園の頃は、よく二人で縫いぐるみを使ったおままごとごっこをしたり、ちょっとした人形劇っぽいことをやったり、ゲームをしたり、一緒に近所の森を冒険したりした。


 でも年級が上がるにつれ、次第に上崎さんとは遊ばなくなっていった。

 多分、成長するにしたがって徐々に男女の壁を意識し始めたのではないかと思う。


 そうして中学生になり、僕が密かに学校へクマを持ち込んでいることがバレてしまったことがあった。

 その時、上崎さんは呆れたように溜め息を吐いてこう言った。


「あのさぁ……もう中学生なんだから、そろそろクマは手放した方がいいんじゃない?」


 小さい頃はよくクマと一緒に遊んでくれた友達からそんなことを言われて、酷くショックだったことを今でも覚えている。


 それ以来、僕と上崎さんは、あまり会って話すこともなくなった。僕が上崎さんを下の名前で呼ぶこともなくなり、上崎さんが僕のことを「ユッキー」と渾名で呼ぶこともなくなった。

 かつての仲の良かった関係は夢のように薄れていき……


 そうして、現在に至る。


 もし、上崎さんに人間になった今のクマの姿を見せたら、何と言うだろう?

 いや、多分今のクマと会わせたところで、あんな美少女がクマであることをきっと信じないだろう。そもそも、縫いぐるみが人間に変身すること自体、有り得ないことなのだから。


(人は成長すると、こうも変わってしまうものなのかな……)


 大人になるためにどうしても避けられない運命的なものを感じ、しみじみと感傷に浸ってしまうことが、高校生になった今でもよくある。


 ……また昔みたいに、男女の壁とか、成長する中で生まれる微妙な軋轢あつれきとか、そんなことを気にせず二人で気軽に話をしてみたい。


「はぁ、あの頃は良かったよなぁ……」


 そんな独り言を溢しながら、僕は購買へ向かった。

 けれど、着いた頃にはもう既に全部のパンが売り切れてしまっていた。

 昼ご飯を確保できなかった僕は、少し課金して学食で食べることもできたけれど、少しでも食費を節約したい気持ちが優って、結局その日の昼は何も食べなかった。


 なにせ、ただでさえ金欠だというのに、同居人が一人増えて食費が更に増えてしまうのだから。

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