第10話 英語教師
今日もその生徒は英語準備室へやってきた。
「昼飯は食べたか?」
「はい。ちゃんと食べました。」
いつもの定型文のような会話である。そうして少年はまっすぐギターケースの元に向かう。
ふと思い出したので、部屋を仕切る板越しに顔も合わせないまま、ギターを取り出しチューニングを始めている少年に尋ねてみることにした。
「そういえば柳ぃ。先週の金曜日に話していた楽器屋には行ってみたのか?」
「あ、はい。行って来ました。一番街のソウルシャインの話ですよね?」
「ああそうか。店の名前が変わったんだったな。それでどうだった?」
「入る時は緊張したんですけど、ギターがいっぱい売ってて。それで見てたら楽器屋さんの店員さんから話しかけてくれて。」
「それで?」
「弾いても良いって言ってくれたんですけど、僕まだ全然弾けないからって言って、色々説明だけ聞いてきました。」
「そうか。それで欲しいギターとかは見つかったか?」
準備室の扉が開き、静かに羽田先生が入ってきた。羽田先生は私たちの会話を途切れさせないように気配を消している。
「欲しいギターって言うか、これいいなって言うのは見つかったんです。それにそのお店の楽器の在庫が見れるホームページを教えてもらって。今はスマホでそれを見てます。」
「そうか。」
「それに店員さんも親切にしてくれて、行って良かったです。教えてくれてありがとうございました。」
「それは良かったな。それで値段はどうだった?お小遣い貯めて買えそうか?」
「はい。値段は3万円くらいからあったんで、なんとかなりそうです。でも店員さんにお薦めてしてもらって、良いなって思ったのはもうちょっと高かったですけど。」
「そうか。それで親御さんには話したのか?」
「はい、一応。やっぱりギター欲しいからお小遣い貯めて自分で買うのはいいよね?って確認だけ。」
「それで納得してくれたのか?」
「自分でお金貯めて買うんだったらお母さんもお父さんも文句は言わないって。」
「それは良かったな。」
「はい、ありがとうございます。それでなんですけど、僕。昼休憩ここでギター弾かせてもらってても大丈夫なんですか?」
「ん?」
「ここに昼休憩、毎日ずっと通っても良いのかなって。」
「ああ別に構わないぞ。前にも言ったけれど、先生が誰もいない時に来ないのと、友達を連れてきて溜まり場にさえしなければな。」
「はい、こんな風に一人で静かにギターを練習する分には構いませんよ。」
ずっと話を聞いていた羽田先生がここで話に入ってきた。
「あ、羽田先生、こんにちは。ありがとうございます!」
少年の声が弾む。会話を終えた少年は再び拙いギター演奏に戻った。
この英語準備室にアコースティックギターがあるのには歴史がある。
それはある英語教師がこの学校にいた頃の話だ。当時、家庭の事情など色々なことが絡まって生活が荒みドロップアウト寸前の一人の生徒が、唯一興味を持っていたのがギターであった。しかしその唯一のやりたいこともその生徒の荒んだ家庭ではままならず、周囲に愚痴をこぼすように話していたその話を知った生活指導兼英語教師のその先生は、独自の判断で自身のアコースティックギターを学校に持ち込み、「ちゃんと学校に来てサボらず授業を受けてたら昼休憩に俺がギターを教えてやる」という交換条件で中学3年の卒業までその生徒を、ドロップアウトさせることなく無事送り出すことが出来た。そしてその生徒は高校も無事に卒業し、目標を持って大学に入ることが出来たのだった。
その功績が認められたおかげと言うか、この英語準備室という部屋のみ特例としてアコースティックギターを弾くことが認められたのである。それからその文化は英語教員が入れ替わっても脈々と続き、今では特に問題を抱えていなくとも希望する生徒には、英語準備室内に限りギターを弾いても良いこととなっている。そして数年に一度、このような生徒がギターを弾きにやってくるのである。
それからも柳は毎日、昼休憩に英語準備室にギターを弾きにやってきた。そして毎日顔を合わせるたびに我々英語教員とも、次第に打ち解けるようになっていった。
そんなある日、柳が質問をしてきた。
「先生、変なこと聞いても良いですか?」
「ん?なんの話だ?」
「その、英語の先生ってみんなギターが弾けるんですか?」
「みんなって?」
「岩谷先生と羽田先生。どっちもギター弾けるでしょ?なんでなのかなぁって。」
「ああ、そう言うことか。」
「それで英語の先生ってみんな弾けるのかなって、ちょっと気になって。」
「んー、英語教師全員がって、そんなことはないだろうけどな。」
「でも…、そうですね。確かに多いかもしれませんよね?英語の先生がギターや楽器が弾けるというのは。」
「えっ、そうなんですか?」
羽田先生の発言に私が驚いてしまった。
「岩谷先生も私も、多分自分から英語に触れた最初のきっかけは英語の曲だったんじゃないですか?」
「ああ、確かにそうですね。」
今まで羽田先生とはそんな話をしたことは無いが、そう言われると確かにそうかもしれない。
「へえ。じゃあ、もう一人の女の先生も弾けるんですか?」
「それはどうでしょう。…長野先生がギターを弾けるって言う話は聞かないですよね?」
「はい。聞きませんね。」
ここ英語準備室は基本的に我々2人が住み着いている状況になっている。女性の長野先生は基本的に職員室にいて必要な時にここに寄るという感じである。特にトラブルがあったわけでは無いが女性一人では息苦しいのか、いつの頃からそうなっているのだ。なのでそんな話は聞いたことはない。そう言われれば長野先生も楽器は出来るのだろうか?
「じゃあ先生はどうして英語の先生になったんですか?って、聞いても良いですか?」
「はい、いいですよ。うーん、そうですねえ。私の場合、大好きだった英語の曲の歌詞の内容が気になって、自分で調べるうちに英語にのめり込んで行ってという流れなんですけどね。岩谷先生はどうですか?」
「私もそうですねぇ…。私の場合、曲を弾き語りするようになって、英語の発音とかを気にしているうちにって感じですかね。」
「先生、歌も歌えるんですか?」
「一応な。上手いか下手かは知らんぞ。それにもう何十年もそんなことしてないから今はもう無理だ。」
「なるほど、それでバックパッカーの話に繋がるんですか?」
「羽田先生!」
「あ、これはすみません。つい。」
「バックパッカー?」
変な方向に流れがいってしまった。羽田先生には軽くそういう話をしたことがあるが、そこと話が結びついてしまったか。とは言え、別に隠す話でも無いのだが。
「ああ、先生はな。昔バックパッカーだったんだよ。柳はバックパッカーって知ってるか?」
「分かんないです。」
「じゃあバックパックは分かるか?」
「バックパック?」
「簡単に言えばリュックだな。」
「リュックってかばんのリュックサックですか?」
「そうだ。」
「呼び方の違いだけで全く同じ意味ですが、ドイツ語由来がリュックで、英語由来がバックパックですね。英語圏ではリュックよりもバックパックといった方が通じるのですよ。」
「そうなんですか。」
「それでそのバックパックを担いで身軽な状態で旅、…うーん、放浪と言った方がいいのかな。そういう安旅をする人のことをバックパッカーって言うんだ。」
「へえ。じゃあ先生がそのバックパッカーで旅をしてたんですか?」
「まあなぁ。学生の頃の話だ。大昔だよ。」
「学生?」
「ああ、大学生だな。大学在籍中に2年掛けてな。」
「?」
「留年してってことですよね?」
「あんまり大きな声では言えないんですけどね。」
「先生、大学を留年してんたんですか?」
「留年って、…まぁそうだな、一応休学ではあるんだけどな。先生の通ってた大学は2年間まで休学が出来たんだ。それで大学に入ってある程度英語を話せるようになったら、卒業までの間に海外に留学しようと入学前から決めてたんだよ。それで結局、その休学制度ってのをフルに使って半年しっかりバイトで金を稼いでから留学という名目で放浪旅に出たんだ。」
「へええ。」
「もちろんそれで失うものも沢山あったんだけどな。入学当初の同級生は2つも上の学年になってしまったし、その同級生の友達とも途中で自然消滅のような仲になってしまったしな。でも俺は休学してでも海外へ行って良かったと今でも思ってるよ。」
「へえ…、あの、なんでとか聞いても良いですか?」
「なんでとは?」
「なんでそんなに海外の旅に行きたかったのかって。それに海外ってどこに行ってたんですか?」
「うーん、そうだなぁ。」
なぜこんな話になっているのかが良く分からないが、柳はもちろん羽田先生も私に関心を向けて話を聞く体勢になっている。しかしこんな昔話をここでする羽目になるとは。
「きっかけかどうかは微妙なところだが、高校の時に数ヶ月だけ外国の先生が居たんだよ。今思えばALTのバイトだったのかもしれんがな。高校の時には俺はもうギターを弾くようになっててな。自分で言うのもなんだが、ギターはそこそこ上手で音楽も結構詳しかったんだ。それでその外国人の英語の先生、名前をなんて言ったかなぁ。…そうだ。確かエリックって言ったと思うんだが、そのエリックが英語の授業の自己紹介で趣味が音楽でギターも弾くって話をしてな。それで授業の後に自分から話しかけに行ったんだよ。どんな音楽が好きなのかとか、英語圏のギター弾きがどう言う音楽を聞いてるのかってのを知りたくてな。」
「へええ。」
「それで、なんとかってバンドとか曲とか好きなアルバムとかってのをきちんと教えてくれたはずなんだけどな。でも俺はそれが理解出来なかったんだよ。俺の英語がちゃんと伝わってなかったのか、そのエリックの英語が訛ってたのか、それともそのバンド名だかアーティスト名だかが難しかったのか、単純に俺の耳では聞き取れなかったのか。今となっては何にも分からないけどな。ただ会話が噛み合わず、聞き取れなかったという後味だけが残ったんだ。」
「それは悔しい思いされたでしょう。」
「そうですね。それにそのエリックともなんとなく気まずくなってしまって。って、それはこっちの一方的な感覚なのかもしれませんけど。」
「なるほど。」
「それでそれからエリックとは話す機会も無く、気がついたらその外国人の先生は学校に来なくなって。」
「まぁALTの先生なら赴任期間が短かったのかもしれませんしね。」
「はい。」
「それで先生は、それがきっかけで英語を勉強しようって思ったんですか?」
「ん?ま、まぁな。それにその頃すでに自分で弾き語りをやり始めてたんだよ。もちろん当時の俺は英語を話せないから、耳で拾った英語の歌詞を全部カタカナで書き出してな。今思えば子供の遊びだな。」
「私もそれやりました。」
「洋楽好きは一度は通る儀式みたいなものですよね。」
「ははは。」
「それである日、ふと思ったんだよ。これって誰に通じる言葉なんだろうって。俺は英語のつもりだけど多分英語を話す人には伝わらないだろうなって。あのエリックの時のようにな。」
「誰に通じるか?」
「そう。俺が歌ってるのは英語のようで英語じゃないわけだ。言ってみればカタカナで書き出した呪文のようなものだからな。発音もイントネーションも違うだろうし。」
「それに歌詞には意味ってのも大事ですからね。」
「そうなんです。英語詞に限らず歌詞ってのは意味があるわけで。もちろん意味のない歌詞ってのもあるかもですが、それには意味はないって意味がある訳です。分かるか柳?」
「はい、なんとなく。」
「だから俺は日本語でも英語でも無く、自分でも歌詞の意味が分からないものを歌っていた訳だ。それで、それって誰に伝えるための音楽なのだろうってな。」
「確かに。」
「別に音楽で食っていく気は無かったのだが、それでも俺はちゃんと伝えられる英語のうたを唄うようにはなりたいって思ってな。それでさっきの話に戻るんだが、俺にもっと英語力があってきちんと話が出来てたら、エリックはなんて言ってたのかとか、俺の知らない音楽の話とか聞けたのかなって。それで英語に興味を持って英語の勉強が出来る大学を選んだって訳だ。」
「それで英語の先生になったんですか?」
「ああ。でもそれは結果的にだがな。」
「へえ。…じゃあバックパッカーは?」
「バックパッカーはなぁ、海外旅行もしたい程度に漠然とはイメージしてたんだが、きちんとした夢になったのはその大学に入ってからだな。大学の事務局にポスターが貼ってあったワーキングホリデーだの留学だのって話を身の回りでも聞くようになって、なんだか面白そうってところからだけどな。でも語学留学したとこで結局は日本人同士で固まって半分は日本語喋ってたみたいな話も同時に聞いていてな。だったら全く日本語が通じない環境で生活してみたいなぁって考えるようになったんだ。それに海外まで行くなら、日本人同士で群れてないでどうせなら一人で旅をしてみたいってな。そういえば、確か羽田先生もワーホリに行かれてましたよね?」
「はい。私は1年も居れなかったですけど一応。」
「ニュージーランドでしたっけ?」
「ははは。よく覚えてますね。」
「はい。」
「私の場合は教員になってからなんで、岩谷先生とはちょっと違うかもですけどね。一度夏休みを使って2週間ほど短期で留学して、それで1年間、先生をお休みしてしっかりって感じですね。」
「え?先生って一年もお休み出来るんですか?」
「ははは、言い方悪かったですね。無職ですよ、当然ながらその期間は。人生のお休み期間ってことです。ははは。私もやはり生きた英語を学ばないとって、先生になってから気付きまして。」
「えええ。」
「それでもまぁ、運良くこうして今も教員をさせてもらってるので。それはそれですね。」
「そうなんですね。それで岩谷先生ってどこの国へ行ってたんですか?」
「俺はカナダのトロントってところにワーホリで入って半年間、語学学校に通ったんだ。そしてその後、カナダ国内を移動しながらワーホリの期限の一年間を過ごした後に、アメリカにビジターで入って完全にバックパッカーだな。」
「ビジター?」
「ただの観光者だよ。アメリカは3ヶ月の期限付きの。大学も休学してたから4月には戻ってこないといけなかったし。だから全部で…1年3ヶ月か。」
「そうなんですね。」
「それで英語話せるようになったんですか?」
「まあな。一応大学でそれなりに勉強をしてたのもあるしな。まぁそれでも一番英語力が伸びたと感じたのはバックパッカー時代だけどな。カナダに入ってすぐのトロントに居た頃は、なんだかんだと日本語を話す機会も多かったしな。」
「やっぱりそうですよね。私もニュージーランドで英語だけって生活は出来なかったですから。」
「まぁそうですよね。それでもカナダ時代の後半に語学学校を卒業して、トロントからもっと田舎の方に移ってからはなんとか日本語から離れた環境で過ごせてたんですけどね。」
「それはラッキーでしたね。」
「はい。」
「外国なのに日本語なんですね。」
「まぁな。そこに日本人がいればやはり日本語で話さざるを得ないからな。一般的にも現地人だけの中に日本人が混ざれるのはかなりラッキーなことだと思うぞ。」
「そうなんですね。」
「先生はそのバックパッカーの期間って、最初から計算されて行かれてたんですか?」
「はい。一応、それに合わせてワーホリの出発日も決めましたから。」
「へえ。」
「やっぱり僕はバックパッカーをしたかったんです。初志貫徹じゃないですけど、全然知らない人々がいる環境で放浪旅をしながらの生活をしてみたかったんで。」
「へえ、そうなんですか。」
「はい。」
「その期間ってどんな生活だったんですか?ずっとホテルですか?」
「それは流石にお金続かないだろ。ははは。そうだなぁ。柳、ウーフって知ってるか?」
「ウーフ?」
「農場とか牧場で住み込みで働く短期のバイトみたいなシステムだ。ただし貰えるのは金銭じゃなく労働力の対価としての寝床と飯だな。金銭の発生するバイトじゃあ無いからウーフに関しては観光ビザでも問題無いんだ。1週間とか短期でウーフしに行って、期限が過ぎればそこで知り合った人がいたら車で次の街まで乗せてもらったり、知り合った仲間と一緒に旅を一緒にしたり、一人の場合はもちろん長距離バスに乗ったりな。そうしてまたウーフの仕事をして宿と飯代と移動代を浮かせながらカナダとアメリカを転々として旅行をしたんだよ。」
「へえ。」
「一応ワーホリのトロントの学校を卒業したタイミングで荷物だけを一式、日本に送ってな。持って行ってた90Lのバックパックに最低限の身の回り品と、最悪野宿が出来るようにってテントと寝袋とを持って…。あ、そうだ。それに現地で買ったやっすいトラベルギターも担いでな、本当に身軽な状態で出発したんだ。」
「へええ。」
「それで日本に帰ってきて、次の年から復学してな。それでなんとか卒業して、今、こうやって先生をやってるって訳だな。」
「そうなんですね。」
「現地での英語はどうでしたか?やっぱり訛りの問題には当たりましたか?」
「そうですね。田舎の方ばかりを選んで移動してたってのもあるのかもですけど、カナダでもアメリカでも訛りのきつい地域もやはりありましたね。」
「訛り?」
「方言だよ。日本でも何々弁ってあるだろ?あんな感じだ。」
「英語にもあるんですか?」
「そりゃあるだろ?日本語にもあるんだから。」
「…そっか。」
「たまにほんとに何言ってるか分からん人もいてな。その人だけかと思ったがその人と現地の人とでは通じてるんだ。それでこれは訛りだって気付いてな。でもまぁ何言ってるか分からん英語の現地人とでも、何となくだが言いたいことは伝わるもんだ。一応会話にはなってたと思う。」
「そうなんですか?」
「ああ。やっぱり人と人だからな。言いたいことをきちんと伝えて話を聞こうとさえすれば、お互い伝わるもんだよ。その為に英語を勉強したってのもあるからな。」
「へええ。」
「それで先生、持って行かれたギターは役に立ちましたか?」
「そうですね。ギターは万能でしたね。退屈な時に一人で爪弾くのも気分転換になりますし、私がギター持ってるの見つけてちょっと弾かせてくれって言う人もいてそこから話のきっかけになることもありましたし、もちろん一緒に知ってるうたを弾いて歌うこともありましたし。ギターに関しては楽しい思い出しかないですね。」
「それは良かったですね。」
「はい。中でもカナダの田舎の方にウーフに行った時に、夜中、麦わらの山にベッドのシートを引いて、満点の星空を見ながら寝っ転がってギターを爪弾いてってのが今でも鮮明に記憶に残ってます。あれは狙ってできる体験ではなかったですから。」
「へえ。」
「柳、言葉やギターってのはな。人と人を繋げるツールでもあるってことだ。それらは自分一人だけで完結するだけじゃないんだ。現にこうやって、柳と授業だけでは話さないことを話してるだろ?これもそうだっていえば、そうじゃないか?」
「確かに。」
「これは英語に限らずだがな、言葉を知るってことは色んな人と知り合いになれるチャンスが広がるってことだ。ここ四名でずっと暮らすなら必要ないかもだがな。要はどう言う風にお前の人生を生きたいかってことでもある。ってちょっと難しいか?」
「だから先生は宿題出さないんですか?」
「ん?」
「英語の宿題、いつも先生出さないでしょ?」
「ははは。まぁそうだな。それに宿題出したところでテストの点稼ぎの意味しかみんな持たないだろ?それに受験のためだったりのテストの勉強のためならわざわざ俺が宿題出さないくても必死にやるだろ?」
「それはそうですけど。」
「だからそれで良いんだよ。それに昔の俺みたいに英語に興味を持つ奴は、自分で勝手に勉強を始めるからな。だから授業だけちゃんと聞いてりゃそれで大丈夫なんだよ。」
「私はちゃんと宿題出しますけどね。」
「ははは。」
「まぁでも、岩谷先生。ありがとうございました。とても楽しいお話でした。」
「いえいえ、そんな。」
「あ、ありがとうございました。」
羽田先生につられてか、少年も会釈の延長のように座ったまま頭を下げた。
その日からだろうか、目に見えて柳が真剣に私の英語の授業を聞くようになったのは。
次の休日。私は一番街にいた。出かけたついでではあるが、柳に当てられてか久々に楽器屋を覗いてみたくなったのだ。以前にこの楽器屋を訪れたのは随分前だった気がする。名前が変われどこうして同じ場所に楽器屋さんが建っているというのはやはりありがたいことだと思う。
店に入ると奥で楽器の修理作業をしている中年の男性と若い女性の店員が2人、こちらに「いらっしゃいませ」と声をかけて来た。この男性店員がここの店長だろう。あの雑誌で見た顔である。こちらも会釈をしながら私は何を買うで無く、ただ楽器を見て楽しむ。女性の店員の一人が、「気になる楽器があれば、ぜひ音を出してみてください。」と声をかけてくるが、私は「ありがとうございます。」と返事をし、引き続き楽器を見て楽しんでいた。
柳が言う通り、安いギターはチューナーなどの初心者セット込みで三万円くらいから売っていた。柳が欲しいと言っていたもう少し上の値段も見てみるが、やはり私の時代より全体的に楽器の値段が下がっている気がする。それにパッと見た感じでは安いギターでさえ品質も良くなっているようである。
「あの、…変こと聞きますけど、岩谷先生ですよね?」
先ほど私に声をかけて来た女性の店員が私の名前を呼んだ。
「はい、そうですが。」
「あの、もう何年前か分かんないですけど、多分中1の時、私、先生の生徒でした。永瀬ももです。覚えてらっしゃいますか?」
「永瀬さん?…ああ、永瀬さんですか!随分とお久しぶりですね。」
私の記憶の中の学生服を着た少女の面影から、年相応の女性に成長していたので一目では分からなかったが、確かに教え子の永瀬さんである。具体的に永瀬さんの何を覚えているかといえば微妙ではあるが、一度、担任を受け持った生徒の名前と顔くらいは今だに覚えている。
「お久しぶりです、先生。先生って、楽器弾かれるんですか?」
「昔からギターをね。永瀬さんも楽器を弾かれるんですか?」
「私、高校1年の時におばあちゃんにここでアコギを買ってもらって。それからなんです。」
「それでここで働いてらっしゃるんですね。」
「はい、短大を出て、この…はい、今年からです。」
「そうですか。それはそれは。」
そうしてしばらくお互いの近況などの話をした。
「先生、是非また遊びに来てください。私はここにいますので。」
「はい。また顔を出させていただきます。では私はこれで。お仕事、頑張ってくださいね。」
「はい、ありがとうございました。」
教え子に見送ってもらい、何を買う訳でも無い客とも呼べない私は、足取りを軽くして楽器屋を後にした。
その後私は、当初の目的であった墓参りへ向かう。
いつものように墓地の入り口でバケツに汲んだ水をひしゃくで墓石に掛けて持ってきた花を挿し、線香をあげてそこにしゃがむと手を合わせて心の中で話しかける。
この墓に眠る恩師はもう聞き飽きただろうが、あの時、私を見捨てないでいてくれたことへの感謝と、また新しい生徒が英語準備室を訪れたという報告である。
ソウルシャイン たきたたき @Tacki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ソウルシャインの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます