第9話 中学生
僕は絶望していた。
僕が中学に入ると周りのクラスメイトは音楽や動画サイトの話をしていた。ほんの数ヶ月前までゲームだったりアニメの話を普通にしていたのに、学生服を着た同級生の話題は急に変わってしまった。そしてその話題に遅れないようにと、みんなの口から出たキーワードを中学入学の時に買ってもらったスマホで調べてみた中で、とりわけ僕の注意を引いたのはエレキギターだった。
「ギター弾いてみたいんだけど。」
「だからダメです。この前もマンガ買ってぇゲームを買ってぇってあれもこれも。どうせギターだって長続きしないんだから、そんな高いもの、だーめ!」
「ちゃんと弾くから。」
「だーめ。あんたしつこいよ!どうせすぐに弾かなくなるんだからギターなんて高いものは買えません。」
「お母さんがダメだって言うんだ。うー、どうしたらいいんだろう…。」
「優太んとこのお母さんって教育ママだっけ?」
「違うよ。別に勉強しろってうるさくは言わないし。」
「お前、頭良いもんな。」
「そんなことないよ。」
「そんなことあるって。お前勉強出来んじゃん。」
「だからそんなことないって。」
「でも優太さぁ、ギター欲しいって、そもそもなんでギターなの?」
「だってかっこいいじゃん。」
「かっこいいかぁ?ギターってエレキギターだろ?バンドすんのか?」
「バンドとか分かんないけど、弾いてみたいんだよね。」
「なんか難しそうだし、すぐ弾けるようになんのか?」
「だからやってみたいんだよ。弾けるようになるのかも含めて。」
「でもさぁ、優太のお母さんの言うことも何となく分かる気はするなぁ。流石にいきなりギター買っては難しくね?」
「そうかなぁ。」
「それにギターって高いんだろ?楽器だし。」
「そりゃ、安くはないけどさぁ。」
「いくらだよ。」
「分かんないけど絶対高いって。」
「分かんないって、お前…。」
「ちゃんと調べてないのか?」
「うん。まだ調べてない。」
「まだってなんだよ。」
「じゃあさ、お前んとこ、お小遣いってどうなってんの?」
「ん、なに?」
「自分で、小遣い貯めて買えないのかってこと。」
「あー。」
今、この瞬間までその可能性を全く考えていなかった。そうだ自分でお金を貯めて買えば良いんだ。その手があったか。
「おこづかいは毎週千円貰ってる。」
「それでいっつもパン買ってるよな?お昼に。」
「うん。お弁当だけじゃ足りないし。」
「でもそれ我慢したらお金貯まんじゃね?」
「うーん。」
「じゃあさ、弁当のご飯を増やしてもらったらパン買わなくて済むんじゃね?まずはその千円で、弁当箱おっきいのに変えてさぁ。」
「あー。」
「それでコツコツ貯めてけばさ、何とかならねーの?」
「1年って何週あるんだ?」
「分かんない。」
「さっきから分かんない分かんないってお前、ちょっとは自分で考えろよ。」
「うーん、4週で12ヶ月。で良いのかな?」
「まぁそれで計算しようか。48?かな?4の10で、4掛ける2で8。48?」
「4万8千円か。」
「足んないね。」
「足んないの?って、お前いくらのギター買おうとしてんの?」
「分かんない。」
「さっきから分かんないって、そもそもなんでお前、先に値段を調べてねーの?」
「なんでって…。」
「お前…。」
「まずはそれからじゃね?そりゃ値段も分かんないもの買ってって言われたら、誰だって断るだろ?」
「そっかなぁ。」
「そりゃそうだろ。」
「だな。」
「そっかぁ。でもどうやって調べたら良いか分かんないし。」
「スマホで調べろよ。」
「そっかスマホかぁ。…うん。じゃあ家帰ったら調べてみる。」
「でもギターってどこで買うんだろな?」
「楽器屋さん?」
「楽器屋かぁ。」
「楽器なんだから楽器屋なんだろうけど、…知ってる?」
「知らね。行ったことないし。」
「じゃあさ、誰かギターに詳しいやつって知らないの?」
「僕は分かんない。」
「うーん。そういやぁ、小森が確かなんか言ってた気がするなぁ。小森の担任だっけかなぁ、ギター弾くの。」
「小森って、2組の小森?かずっちかぁ?」
「うん。」
「かずっちがその話してたの?」
「前になんかそんなこと聞いた気もするなぁ。多分だけど。」
「でも先生かよ、よりにもよって。」
「僕、かずっちに話を聞いてみたい。」
「そっか、じゃあとりあえず聞きに行くか。」
「かずっちのとこ?」
「うん。」
「でももう昼休憩終わるぞ。」
「うーん、…じゃあ次の休憩!」
「OK。」
クラスメイトのサットンと龍ちゃんに相談してみたら、意外なことに色々と案が出た。そして僕は授業中、龍ちゃんが言った自分でお金を貯めるという方法をずっと考えていた。さっきは変な計算をしたけれど1年365日を1週間の7で割れば年に何週あるか分かることを思いついた。1年で約52週で約5万2千円。それにお年玉と親と交渉次第で誕生日を合わせると1年後にはもしかしたらエレキギターが買えるかもしれない。そう思うと嬉しくて授業中にも関わらず、その計算が間違ってないかと何度も何度も計算を繰り返した。
「お前、机で何やってたの?なんかずっとノートに落書きしてただろ?」
「バレてた?」
「うん。ずっと必死になんか買いてたし。あれ先生にも多分バレてたぞ。」
「えええ!そうなの?」
「うん。あの先生何にも言わなかったけどさぁ。」
「そっか。」
「何をそんなに必死に書いてたんだ?」
「さっき龍ちゃんが言ってた計算をしてた。」
「ああ、あのお小遣い作戦か。」
「うん。」
「それで?」
「やっぱり1年だね。でも誕生日とお年玉も入れたらもうちょっと何とかなるかも。」
「1年?」
「1年かぁ。結構長いなぁ。」
「うん。それに僕、バイトしよっかなって。」
「バイトぉ!?」
「うん、夏休みに。僕部活してないし、バイトしたらそれでなんとかならないかなって。」
「バイトって中1で出来んの?」
「だよなぁ。俺も聞いたことないぞ。」
「だって、言っても買ってくれないんだから仕方ないじゃん。」
「だからってさぁ。」
「親に内緒でするつもり?」
「ううん、ちゃんと言う。ギター欲しいから自分でバイトしてお金稼ぐって。」
「それどうなの?」
「それこそダメって言われると思うけどなぁ。」
「でもまぁ、なんにしてもさ、まずはギターの値段知らないと。」
「そうだな。とりあえず小森に聞いてみようぜ。」
「うん。」
僕たちは2組に向かう。同じ小学校だったかずっちの2組は僕たちの4組とは階が違うので微妙に遠く、入学以来この2組ら辺にはあまり来たことがない。
「おーい、かずっちぃ。」
「おー、優太に龍ちゃんじゃん。ここまでくるの珍しくね?」
「俺はスルーかよ?」
「サットンはよく来るし別に珍しくねえだろ。それでなんか用?」
「小森さあ、前に誰かギター弾くって話してなかったか?そんな話、部活ん時してたよな?」
「あーうちの担任の話だろ?」
「やっぱりだよな?」
「担任って、英語の岩谷先生?」
「うん。前にサットンにその話したのは覚えてる。それでそれがどうかしたの?」
「優太がさぁ、ギター欲しいんだって。それで誰かギター弾く人いないかって話してて。」
「ギター?」
「うん。」
「それでわざわざここまで来たのか?」
「そうだよ。」
「ねえ、岩谷先生ってギター弾くの?エレキ?アコギ?」
「知らね、そこまでちゃんと聞いてないし。入学すぐの後のホームルームの最初の挨拶でギター弾くって話をしてたって、なんかの流れで前にサットンに話をしたんだよな、確か。」
「うん、それを覚えててその話を優太に話したの。」
「そっか。それで優太ぁ。お前はどっち?エレキ?アコギ?」
「ん?」
「優太はどっちが欲しいんだって聞いてるの。エレキかアコギかって。」
「僕はエレキが欲しい。」
「そっか。それで?」
「それでって?」
「ギターを譲ってもらうって話なの?」
「何の話?」
「ギター弾く人探してるんだろ?それでいらないのあったら譲ってくれって言うのかって思ったからさ。」
「違うよ。…多分。」
「多分って何だよ。」
譲ってもらうって案は無かった。でもギターを要らないからって譲ってくれる人なんているのだろうか。
「だったら直接先生に聞きに行ったら?」
「直接?」
「うん。」
「まぁそっちの方が早いだろうな。」
「それとも他にギター弾いてるやつがいないかって、まだ探すか?」
「うーん。」
「お前さあ、ほんとにギター欲しいの?」
「欲しいよ。ずっと言ってんじゃん。どうして?」
「うーん、さっきからなんか真剣さを感じないんだよなぁ。ほんとに欲しいんだったら普通もっと自分からガツガツ行かね?」
「そっかなぁ。」
「そっかなぁってお前…。」
「そういうとこだぞ。そういうとこ。」
僕は龍ちゃんとは違って何でも積極的に行けるタイプじゃない。でもそれは言い訳なのでここで反論はしないことにする。
「分かった。じゃあ放課後に岩谷先生に聞きに行ってみる。」
「放課後ってお前、今すぐにじゃねえのかよ。」
「だってもう休憩終わるし…」
「まぁまぁ、じゃあ頑張れよ。俺、次体育だから俺もう着替えないと。」
「うん、ごめんね。ありがとう。」
「小森ありがとな。」
「ああ。」
「じゃあね。」
「おーす。」
僕たちはクラスに戻り午後の授業を受ける。僕はその間もずっとソワソワしていた。
放課後、僕は一人で職員室に向かった。龍ちゃんはサッカー部、サットンとかずっちは陸上部の練習だ。しかし職員室はいつ来ても緊張するのは何故なのだろうか。
「失礼しまーす。」
職員室は先生や生徒でごった返しており、僕の「失礼します」はとっくにかき消されている。
正直、岩谷先生は少し苦手である。岩谷先生はなんというかちょっと変なのだ。宿題は一切出さないし、どこが変と言われればなんともだけど、なんか他の先生とは雰囲気が違うのだ。
「柳、どうした?」
僕を見つけた担任の植野先生が僕に声をかけてきた。
「岩谷先生に用があって。」
「岩谷先生?岩谷先生ならそこに…。」
「あっ、ありがとうございます。」
担任に礼を言うとまっすぐ岩谷先生のところへ向かった。下手に時間をかけてギターのことをあれこれ担任に話すのは面倒になると思ったからだ。
「あの。岩谷先生。」
「ん?柳か、どうした?」
「ちょっと話を聞きたくて。」
「ん?急ぎか?」
「え、あ、えーっと。」
「先生、今日はちょっと急ぎで学校出ないといけないんだわ。明日でもいいか?」
「え、あ。」
「じゃあ、何の話かだけ聞こうか?」
「えっとその…。」
「悪いが本当に急いでるんでな、急ぎじゃないんなら、もう行くぞ。」
「え、あの。ギターの話を聞きたいんです!」
「ギター?」
「はい。」
「ギターか。えーっとじゃあ明日の昼休憩に英語準備室に来てくれるか?」
「あ、はい。昼休憩に英語準備室ですね。」
「ああ。弁当食ってからで良いからな。先生、昼休憩の間はそこにいるから、そこならゆっくり話聞けるだろう。いいな?」
「はい、分かりました。」
「じゃあな。」
「あ、はい。さようなら。」
「はい、さようなら。お前も部活頑張れよ。」
上着と鞄を持って岩谷先生は急ぎ職員室を出て行った。先生は部活を頑張れと言ったが僕は帰宅部なので、そのまま下駄箱へ向かい一人で帰った。
翌日、朝からソワソワして落ち着かない。
「優太、おはよう。」
「あ、龍ちゃんおはよう。」
「それで昨日あれからどうなったんだ?」
「昨日、放課後に岩谷先生に会いに職員室行ったんだけど、明日の昼休憩にしてって。…今日の昼休憩なんだけど。」
「今日の昼休憩に呼び出し?」
「英語準備室にいるって。」
「英語準備室かぁ。」
英語準備室は場所は知ってるものの今まで中には入ったことは無い。多分龍ちゃんも入ったことは無いんじゃないだろうか。
「それで値段は分かったのか?ギターは?」
「うん。スマホで調べた。安いのだと1万円くらいからあるみたい。」
「えー?そうなの?1万円だったらすぐ買えんじゃね?」
「うーん。そうなんだけどね。」
「何?」
「安すぎるのもどうなのかなって。」
「何?どうなのかなって?どう言うこと?」
「龍ちゃんはサッカー部でしょ?スパイクって値段どうなの?」
「スパイク?値段どうって、どういうことよ?」
「僕、スパイクの値段って分かんないけどさ、100円で新品売ってたら買う?」
「100円の新品かあぁ。多分買わないかな。安いの買ってそれで怪我したら嫌だし。」
「でしょ?試合じゃなくて普通に使うだけでもさ、ある程度の値段って大事何じゃ無いのかなって思うんだよね。」
「品質ってことか?でもそれとこれとは別なんじゃ無いの?」
「うーん。それも含めて岩谷先生に聞いてみようって。」
「そっか。そうだな、それが良いかもな。」
「うん。」
昼休憩、僕は急いでご飯を食べ、一人で英語準備室に向かう。勿論今日からお小遣いを貯めるために昼休憩のパンを買うのは無しだ。
英語準備室に着いた。この辺は実習室とか音楽室とかそういう部屋ばかりなので昼休憩というのにひっそりとしていて、他の教室の辺りより廊下が少し肌寒い気がする。僕は気持ちを整えて入り口をノックした。
「失礼しまーす。1年4組の柳です。岩谷先生いらっしゃいますか。」
「おー柳かぁ、入れー!」
「失礼します。」
初めて英語準備室に入る。準備室の中には岩谷先生の他に、2年か3年生の英語の先生もいた。
「まぁそこ座れ。昼飯は食べたか?」
「はい、ちゃんと食べました。」
先生に促されて、手前の椅子に座った。
「それでギターのことだったよな。で、何の話だ?」
「あの、先生ってギター弾くんですか?」
「何の話だ、いきなり?」
「僕、ギターが弾きたいんです。それでギター弾く人に色々と話聞きたくて、探してたら先生がギター弾くって話を聞いて、それで。」
「ほお、ギターねえ。それで柳が弾きたいのはエレキかアコギかどっちだ?」
「僕エレキが弾きたいんです。」
「そうか、残念。この部屋にはアコギしかないなぁ。」
「えっ、ギターあるんですか!?」
「ああ、あるよ。弾いてみるかい?」
「え、でも…」
「ギター弾きたいんじゃないのか?」
「はい、でも…」
「でも?」
「学校でギター弾いても良いんですか?」
「ははは、そうか。それもそうだな。まぁでもこの部屋だけなら俺の管轄権限で良しとしよう。」
「は、はい。」
先生は「ちょっと待っとけ」と言い、別の仕切りの部屋からギターケースらしい小さくて黒いケースを持ってきた。
「それギターなんですか?」
「ああ、トラベルギターって言ってな、こんなでもちょこっと弾くには十分なもんだ。」
「トラベルギター?」
「外に持ち出すのを前提に作られてるタイプのギターだな。音の鳴りだったりは普通の形の方が良いのかもしれないが、利便性を優先させてるのかな?ちょっとチューニングだけしてやるからちょっと待っとけ。」
そう言うと先生は隣の簡易的に仕切られた部屋に僕を誘導して座らせると、ケースから長細いアコギのようなギターを取り出し肩から布のベルトのようなものをつけて音を鳴らし始めた。一つ音を鳴らすとギターの先っぽの方にあるノブを回して音程を変えている。これがチューニングなんだろうか。
「お前、チューニングは分かるか?」
「分かんないです。」
「チューニングってのはな、音の基本値を決めるってことだな。お前、ピアノは弾くか?」
「弾かないです。」
「そっか。でも楽器、小学校の時になんか習っただろ?」
「鍵盤ハーモニカとリコーダーはやりましたけど。」
「そっか。じゃあリコーダー。リコーダーでドの運指で吹くとドの音がなるだろ?」
「はい。」
「ギターってのはな、弦の張り具合で音程が変わるんだ。だから基本の音を決めないとドの運指でドを弾いた時にドの音が鳴らなかったり、コードを弾いた時に変な音になったりする。って分かりにくいか。そうだな。」
そう言うとさっきまで慎重に回していたノブを、先生はめちゃくちゃに回し始めた。
「今全部のチューニングを崩した状態だ。これでコードを弾いてみる。」
そう言って先生が楽器を握って音を鳴らすと変な汚い音が鳴った。
「それでこれをきちんとチューニングして。って、面倒だからチューナー使うか…。」
先生はギターのケースから別の道具を取り出して楽器に引っ付けるとそれの電源を入れてチューニングをし始めた。
「こんなもんか。これでさっきと同じ左手の形で鳴らしてみると…。」
今度はちゃんと音楽っぽい音がした。
「これがC、ドから始まるコードだ。これだと音楽っぽく聞こえるだろ?こうやってきちんと6本の弦をチューニングするのが第一歩だな。とりあえずお前、弾いてみろ。」
先生はチューナーをギターから外すとそのまま僕にギターを手渡した。ギターは担いだことはないけれど、見様見真似で肩からベルトをかけて持ってみる。そして手渡されたギターを弾くピックと呼ばれるやつを右手に持ち音を鳴らしてみる。ボロロロンと音が鳴ったものの音楽っぽくは無かった。
「まぁちょっと頑張って弾いてみい。先生、向こうで仕事してるから。」
「は、はい。」
そういうと先生は仕切りの部屋から出ていき、僕がギターと共に取り残された。
僕はそのままギターを弾いてみる。ボロロロン。今度はさっきの先生みたいに左手を押さえて弾いてみる。パラララ。綺麗に音が出ない。でも左手の指を押さえる場所で音が変わると言う理屈は分かった。それからもギターを弾いてみたが、押さえている弦と右手で弾く弦が一致しなかったり、一致しても綺麗に音が伸びなかったり、左手の指先がものすごく痛くなったりで、これは難しいなと思う。でも僕はギターを鳴らすことを止められなかった。
「おや、ギターを弾いてますね。ギター弾くのは今日が初めてかな?」
そう言いながら僕の様子を見にきたのは、何とかって言う2年か3年生の担当のおじさんの英語の先生だ。
「はい。今初めてギター弾いてます。」
「そうか。どう?面白いでしょ?」
「はい。指が痛いですけど、面白いです。」
「指が痛いのは慣れですぐ痛く無くなるから心配しないで良いよ。」
「そうなんですか?」
「うん。鉄の弦を無理やり押さえてるんだから、そりゃ最初は痛いよね。ははは。でもね、毎日弾いてると指先の皮が厚くなってきて痛く無くなるからね。」
「そうなんですか?」
「うん。」
「えっと、先生ってギター弾けるんですか?」
「僕?うん、弾きますよ。」
「曲っぽいの弾いてみてもらっても良いですか?間近で誰かが弾いてるの見たことないんです。」
「そうなの?じゃあちょっとだけ。」
僕はギターを手渡すと先生は右手の弾くやつは受け取らず、指でものすごく器用に音楽を演奏し始めた。
「ははは。こんな感じでどうかな?」
「すっごい上手いです。すごいです。」
「ありがとう。でもギターはね、岩谷先生の方が上手だからね。」
「羽田先生、何を言ってるんですか。」
知らない内に岩谷先生が後ろに立っていた。
「それでどうだ、柳?ギターを弾いてみて。」
「全然上手に弾けないですけど、面白いです。」
「そうか。」
「柳くんはギターが弾きたいのかい?」
その羽田先生に名前を呼ばれてドキッとした。
「は、はい。その…」
「なんだ?」
「あの、エレキギター弾きたいんですけど、お母さんがダメって。」
「なんで?」
「どうせ直ぐに弾かなくなるからそんな高いもの買えないって言われて。」
「ははは、確かにそうかもしれないね。」
「それで友達に相談したら、とりあえずギター弾く人に話聞いてみたらって。色々知りたいこともあるしって。」
「それで俺んところに来たのか?」
「はい。岩谷先生がギター弾くって噂を聞いて、それで。」
「そう。それで諦めるの?ギター。」
「諦めたくはないんでお小遣い貯めて買おうと思ってます。それにバイトも。」
「バイト?」
「あっ。…中学生ってバイトしちゃダメなんですか?」
「バイトかぁ。」
「バイトはね。特別な許可がいるかなぁ。中学生のうちはね。」
「特別な許可?」
「うん。学校の規則もだけど一応、国の法律でね。高校生以上なら問題無いんだけどね。」
「そうなんですか…。」
「どんなギターが欲しいとかってあるのか?」
「うーん。あんまりちゃんと分かってないないんです。でもエレキギターです。」
「そっかぁ。じゃあとりあえず楽器屋に見に行ってみるのが早いのかもな。」
「そうですねえ。」
「楽器屋?」
「ああ。楽器買うなら楽器屋だ。」
確かにそうかもしれない。やっぱり楽器屋に行くのが早いのだろう。
「柳は四名の楽器屋の場所は知ってるか?」
「分かんないです。」
「二箇所かな?市内でエレキギター置いてるところは。」
「そうですね。一番街のシャインと川向こうの黒川ミュージックですね。」
「柳はその2つ、聞いたことないか?」
「うーん。分かんないです。」
「そうかぁ。」
「楽器屋さんは本当に用がないと行かないもんね。」
「そうかもですね。」
「でもまぁ川向こうはちょっと遠いだろうし、だったらシャインに行ってみたらどうだ?一番街だしそんなに遠くないだろ。」
「一番街ですか。」
一番街は分かるけれど、親と一緒以外では行ったことはない。楽器屋さんがあるなら行ってみようかと思うけれど、校区外だし自転車だとどのくらいかかるだろう。
「そういや、先月の四名タウンに載ってたの見てないか?」
「ああはい、特集で載ってましたね。」
「四名タウン?」
多分、先生たちが言っているのは四名の情報に特化した地方タウン紙のことだろう。コンビニとかで買えるローカルの雑紙だ。
「ああ、雑誌は知ってるだろ?」
「はい。お母さんが買ってるので家にあるのは知ってるんですけど。」
「そっか。じゃあそれ見て今度の土日にでも行ってみたらどうだ?」
「楽器屋さんっていきなり行っても大丈夫なんですか?」
「どういうことだ?」
「ギター弾けないのに迷惑にならないかなって。」
「ぷははは!」
先生方は盛大に笑い出した。
「何を言ってるんだ、柳。これからギター始めるってやつが、すでにギター弾けると思うか?それは矛盾というもんだろう?」
「気にしなくても大丈夫ですよ。店員さんにちゃんと話せば良くしてくれるはずです。」
「そうなんですね。」
笑われたのが恥ずかしい。でも確かにこれから始めるのに初心者じゃないと言うのは矛盾した文章かもしれない。
「それで、ギターどうだ?楽しいか?」
「はい。楽しいです。全然弾けないですけど、なんか面白いです。」
「そっか。じゃあ昼休憩だけ、ここでなら弾いていいぞ。」
「いいんですか?」
「ああ、ただし先生がいる時だけな。誰もいない部屋に入って勝手に引くのは禁止。分かるな?」
「はい。」
「それにぞろぞろと見学者も連れてくるなよ。友達にどこ行くんだ?って聞かれて答えるのはいいけれど、出来るだけ内緒にな。ここを溜まり場にされるのもな。」
「分かりました。」
「じゃあ適当に弾いてろ。」
「岩谷先生、教本ってどっかにありませんでしたっけ。確か見かけた気がするんですけど。」
「ああ、確かにですね。うーん。」
先生方が狭い英語準備室にある本棚の中を探している。
「あったあった。これもアコギ用だけど無いよりマシだろ。これ使っていいぞ。ただしこれは備品だから持って帰るなよ?使い終わったらケースのポケットにでも入れといてくれ。」
「は、はい。」
「じゃあ休み時間いっぱいなら弾いてていいから。」
「頑張ってくださいね。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言って2人の先生は応接間のような仕切りの部屋から出て行くと、再び僕は一人になった。早速僕は肩からギターをかけたまま机に置かれた先生が残してくれた教本を開いてみる。最初のページにギターの各部位の名前の説明が書かれていた。さっき先生がチューニングと言って回してたノブはペグというらしい。そんな感じの部位紹介がありチューニングの解説のページを経て、やっと楽譜のページに届いたところで昼休憩終わりのチャイムが鳴った。
「おーい、チャイムが鳴ったぞ。ギター片付けて教室に戻れ。」
「ギターそのままそのケースに入れて、その角にでも立てかけておいてください。教本もそのケースのポケットに。ということで、また明日ですね。」
「はい。ありがとうございます。」
僕は言われるがまま片付けて、お礼を言って英語準備室を出た。
教室に戻りながらなんだか胸がドキドキして止まらなかった。なんと言えば良いのか分からないけれど、アコギとは言え実際にギターを弾いたという経験と、英語準備室と言うこの学校の重大な秘密を知ってしまったようでドキドキが止まらないのだ。結局、その日の午後の授業中、僕はずっとドキドキしていた。
放課後、僕は急いで家に帰ると、お母さんが帰ってくるのを待った。夕方、お母さんが仕事から帰ってくると先月号の四名タウンがまだあるのかと確認する。お母さんはゴミに出すために纏めた古紙の紙袋のどっかにあるはずと言い、僕はその古紙の山の中から四名タウンの先月号を探し出すと、部屋に戻りそのページを探した。
目当てのページは巻末のニューオープンのお店紹介で、1ページ丸ごとその楽器屋さんのことが書いてあった。読んでみると元々東京の楽器を作る学校の先生だった人が新しく店長になったという話であった。それにお店の場所はなんとなく分かったので、一応とスマホの地図で検索をしてピンを指した。やっぱり一番街通りの交差点のとこだ。僕んちからあそこまで行くには電車とバスを乗り継ぐか、自転車である。うーん。自転車の方がいいかもなとなんと無く思う。一応、次の土曜か日曜に一番街に行くとお母さんに伝えた。
翌日の金曜日。龍ちゃんとサットンには昨日のことを話してあるが、それが内緒だというのも伝えてあるので、お昼ご飯を食べると僕は一人で英語準備室に向かった。
「お邪魔します。」
「お、来たな。昼飯はちゃんと食べたか?」
「はい。いっぱい食べました。」
「そうか。ギターは勝手に使っていいからな。先生にいちいち手をかけられるのも面倒くさいだろ?」
「あ、はい。じゃあ失礼します。」
「あいよ。」
僕は応接室のような仕切られた部屋に入ると、昨日僕が立てかけたままのギターケースを開けてギターと教本を取り出し昨日の続きを始めた。今日は教本のタブ譜の読み方ってところからだ。楽譜に数字が書かれたそれは楽譜というよりは図形という方が正しい表現かもしれない物だった。ギターの弦の細い方から1弦2弦と数えて一番太い弦が6弦である。タブ譜の横棒はそれに連動し、一番上の横棒が1弦で一番下の横棒が6弦と連動している。それでその横線上に書かれている数字がネックの一番遠いヘッドよりから数えて何番目の所を押さえる、というのがタブ譜の仕組みである。これはそのまんまその図の通りに弾けば良いので、音楽の授業のように難しく楽譜を読むという感覚ではなかった。
次のページの最初のお題はカエルの歌だった。5弦3フレットのドの音から順に弾いていくのだが、フレット数とどの弦を押さえて、右手でその弦を弾くというのが噛み合わず、歌い出しのかえるのかの最初のドを弾くのにもやっとだ。押さえる場所があっていて弦をピックで弾くことが出来てもきちんと押さえられていなかったりで、一恩鳴らすのにも必死である。次は4限の0フレット。0フレットというのは左手ではどこも押さえないということであるのだが、それも4弦を右手で弾くというのが何気に難しい。
「おい、先にチューニングしろよ?音狂ってるぞ。」
遠くから岩谷先生の声が飛んでくる。そうかチューニングか。
「先生、このチューナーの使い方教えてください。」
僕はギターとギターケースのポケットに入っていたチューナーを持って行って使い方を聞いた。
「チューナーは電源入れて、ヘッドに挟むだけで弦の振動を感知してくれるから。電源は裏にパワーって書いてるボタンだ。他は一切触らんでいい。」
「ありがとうございます。」
仕事中なのか一切こっちに視線をくれずに言葉だけで指示が飛んできた。僕は部屋に戻りその言葉のまま電源を入れ、昨日岩谷先生がやっていたようにチューナークリップをヘッドに装着する。とりあえず6弦をどこも押さえずに一回鳴らしてみると、それに反応して光ったチューナーの画面にEという文字が出ている。下の揺れているメーターみたいなのは音の工程を測っているのだろう。僕は教本のチューニングのページを開くと急いでチューニングを始めた。チューナーの仕組みは分かったけれど、やっぱり狙った弦を弾くのが難しく思いの外時間がかかってしまった。
「チューニングは大事だからな。面倒かもしれないけれど、毎回ちゃんとするんだぞ。チューニングすらちゃんと出来んやつは絶対ギターは上手くならんからな。」
「はい。」
その日も夢中でギターを弾いた。何がと言われればギターを弾いていることがとしか答えられないけれど、物凄く面白い。そしてチャイムが鳴り昼休憩が終わると、僕は胸が高鳴ったままクラスに戻り普通に授業を受ける。早く次の日になればいいのにと思うが、明日は土曜日である。そう明日は楽器屋さんに行く日だ。
結局僕は一人で一番街に向かうことになった。サットンも龍ちゃんも土曜は部活だし、帰宅部の僕とは忙しさが違うのだ。
僕は自転車に乗って昼過ぎに家を出た。一番街の楽器屋ソウルシャインへの道はなんとなく分かるけれど、初めて行く校区外はちょっとした冒険である。胸がドキドキしながら僕は一心不乱に自転車を漕いだ。
そう、これは僕が初めて自分自身で何かをしたいと思ったエレキギターをゲットするための第一歩なのだ。
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