第8話 たぬきときつね

「明日、お店に行ってもいいですか?」

 例のあの子たちからメッセージが届いた。前回のカレーの日に来てくれてからきっちりと1週間。ようやく明日、お店に来てくれるらしい。

「明日楽器屋ガールズが来るってよ」とコンちゃんにメッセージをする。きっと彼女たちはコンちゃんにも同じようにメッセージを送っているだろうけれど一応だ。

 そこで私は明日のメニューを考える。せっかくだし明日はあの子らのために献立を考えてもいいだろう。彼女たちは若いし前回のあの感じであればしっかり食べてくれるであろうことは容易に想像がつく。なのでサイドメニューではなく、この間のカレーのようなメインディッシュを今日の一品にするのが良さそうだ。しかし選択肢は無限なだけに選びきれない。

「明日のメニュー何がいいと思う?あの子らのための今日の一品にしようかなって思ってるんやけど」と、コンちゃんにメッセージを打ってみた。

「本人に聞いてみたら?」

「天才!」

 そうだ。せっかくなら本人に聞いてみよう。コンちゃんの言う通りだ。


 いつもより少し早く家を出て仕入れの品を店の冷蔵庫に突っ込んでから、歩いて一番街の交差点の楽器屋に向かう。以前このお店に三郎さんを訪ねて何度か来たことはあったが、今のお店になってからは初めてである。お店の前まで来て、何か差し入れでも持ってくれば良かったと気付いたけれど、まぁいっかとそのまま店内に入る。

「いらっしゃいませ。あ、こんにちはぁ!」

「あれ?ポン子さん?」

「こんにちはぁ。」

 ももちゃんと奥のブースの中で仕事をしている咲ちゃんだ。

「今日はどうされたんですか?」

「いやねえ、明日来てくれるっていうから、なんか食べたいもん無いかなって散歩がてら聞きにきてん。」

「えええ?」

「それにこのお店、新しなってから来たことがなかったからねえ。咲ちゃんとももちゃんがどんな風に働いてんのかなって、ちょっと覗きたなってんなぁ。」

「そうなんですね。是非ゆっくりして行ってください。」

「うん。ちょっと見せてもらうわぁ。自分らは明日の一品、何が良いか考えといてな。」

「はい!」

 楽器に無縁な生活を送ってきた私が楽器屋に行っても特にすることが無いのだけれど、こうして新しく出来た知り合いが働いているお店である。時間を潰しがてら色々と興味深く店内を見せてもらうことにした。

 にしても楽器は高い。ギター1本、万超えは当たり前だ。こういうお店ってどれくらいのペースで楽器が売れるものなんだろうか、どれだけ売れれば黒字になるんだろうかと一瞬考えた。

「今日新垣さんは?」

「先生は昨日から東京にライブのお手伝いに行ってます。明日には帰ってくるって聞いてますけど。」

「ああ、竹之内さんのライブ?。」

「はいそうです。ポン子さんって竹之内さんの音楽って聞くんですか?」

「ヒット曲くらいなら知ってるで。」

「そうなんですね。」

 竹之内元基と言えば誰もが知っている国民的有名歌手である。さすがに音楽に疎くても昔のヒット曲くらいはカラオケで歌える程度には知っている。私は歌わないけど。

「じゃあ今日は2人でお留守番なんだ?」

「はい。」

 ブースの奥で仕事している咲ちゃんは真剣な顔をして黙々とギターを触っていて、あれは修理をしているのだろうか?しかしこうして見ると、若いのにしっかり一端の職人なんだなと感心する。

「にしても、ももちゃんも先生って言うんやね?」

「あ、店長のことですか?」

「うん。でもももちゃんは生徒さんやないんやろ?」

「あーでも、上の階の教室の先生もみんな店長のこと先生って呼んでるし、あだ名みたいなもんなんですかね?」

「そうなん?」

「はい。私がここに来た時からみなさん、店長のこと先生って呼んでたので私も何となく。」

「そうなんやね。ほな私も今度会うたら先生って呼んでみよ。」

「いいですね!」

 一通り楽器を見てから壁にかかっている装飾なんかを順に見ていると、見知った顔が映った写真が飾られていた。

「三郎さんの写真やねえ。」

「はい。これシャインの最後の日の写真みたいで、先生はずっとここに飾って置くって言ってました。」

「そっかあ。この写真、なんか良いねぇ。」

 すごく良い写真である。店の玄関をバックに先生と咲ちゃんに挟まれ満遍の笑みを湛えた三郎さんは、写真の中でとても充実した顔をしていた。

「そういや、ももちゃんって三郎さんと面識あるん?ここには映ってないけど。あ、ギターを三郎さんから買ったんやっけ?」

「はい、高校の時に。でも私がここに入った時にはもう三郎さんはいらっしゃらなかったので、どんな人だったのかは話に聞いてます。」

「そっか。そんで咲ちゃんは一緒に働いてたんやな。」

「今年の4月いっぱいでしたっけ。咲さんは三郎さんから仕事教えてもらったっていってました。」

「そうなんやぁ。」

 全然知らなかった。私が最後に三郎さんにお会いしたのは、確か三郎さんから店に挨拶に来てくれた時だっただろうか。

「三郎さん、今でもたまに遊びに来たりもせえへんの?」

「私が入ってからはお見かけしたことはないですね。」

「そっかぁ。そりゃあ…、そっかぁ。」

 確かに三郎さんらしいっちゃあ三郎さんらしいかもしれない。寡黙だれど温かい人だからきっと今の店のことを思って、飛ぶ鳥跡を濁さずを地で行かれてるのかもしれない。それに今頃はお家で優しいおじいちゃんをされていることだろう。

「これは誰のサイン?」

 次にその写真の隣にある『ソウルシャインさんへ』と書かれた色紙が目についた。

「これ竹之内さんのです。」

「へえ、こっちに来てたんや?」

「いえ、これこの間、色紙だけ先生が貰ってきたんです。店に飾っといてって渡されたって。」

「なにそれ。」

 有名人の色紙というのは、確かに好きな人は好きなんだろうなと思う。でも残念ながら私は興味が無い。

「そんで何食べたいか決まった?」

 少し大きな声でブースの咲ちゃんにも届くように声を掛けてみた。

「私、肉食べたいかもです。」

「肉?」

「あー私もお肉が食べたいです。」

 店内で肉を食べたいと叫ぶ女性店員がいる楽器屋もどうなのかと思うが、そうさせたのは私である。

「最近お肉をしっかり食べたっての記憶に無いんで。」

「良いですね。お肉。」

「そっかぁお肉かぁ。分かった、じゃあ明日はお肉にしよか。しっかりお腹空かしとくんやで。」

「はい!」

「ほなまた明日ね。お邪魔しました。」

「いえ、ありがとうございました。」

「ありがとうございましたー!」

 結局、咲ちゃんはブースから出て来れずだったけれど、店主のいないお店はそれなりに忙しいのだろう。しかしブース内から肉!と叫ぶあれは面白かった。


「肉やってさ。」

「www」

 楽器屋を出てすぐにコンちゃんにメッセージをすると草だけが返ってきた。

 店に戻りながら明日の献立を改めて考える。肉かぁ。でも普通にローストしてもなぁ、お酒の当てとしては良いかもだけどあの子らの言う、「肉をしっかり食べたい」と言うのとは違う気がする。ステーキは値段的に厳しいし、かと言ってユッケだカルビだと焼肉屋のメニューっぽいのもなぁと考える。それに私のイメージする肉料理はどうしても八百円以上になってしまうし、それだと中々採算を合わせるのは難しいかもしれないしで、安くて美味いがモットーのたぬき食堂の「今日の一品」のイメージとは少し外れるかもしれない。

 時間的にまだ少し早いのでと道を変更し、つい1時間ほど前にも立ち寄った商店街の外れにある肉屋に戻ってきた。ここは私が四名でお店を出してから、ずっとお世話になっている個人経営の肉屋さんだ。

「こんにちは。二度目ましてぇ。」

「あれ?ポン子ちゃん、なんか買い忘れ?」

「ううん、そうやないんやけどね。明日の今日の一品を肉料理にしようと思ってるんやけど、どうも採算が取れん料理しか思い浮かばんでね。とりあえずお肉の値段を見に来さしてもろてん。」

「そうなの?それで、どんなの作りたいとかってイメージはあるの?」

「最近知り合った若い子らが明日来るってことでね。せっかくやしその子らの食べたいもんにしようって直接何食べたい?って聞いたら、肉!って。」

「若いって学生さん?」

「一応二十歳は回ってる社会人の女の子なんやけどね。こないだ来てくれた時はご飯だけやけどしっかり食べてくれて、明日も出来たらサイドメニューやなく主食の方がいいかなって思うんやけどなぁ。」

「なるほどなぁ。んー、女の子ってのが気になるけど丼物とかどうかな?」

「あーどんぶりもんかぁ。」

 確かに丼物ならご飯を装ってその上から肉を乗せればいいのか。なるほど。

「それいいかも。」

「それでその子ら、何の肉がいいってのはあるのかい?」

「うーん、何にも言うてなかったけど、何の肉がいいんかねぇ?」

「そうだねえ。本当に何を食べたいかによるけどねえ。」

「うーん。」

「そうだねえ。うーん。」

 二人して考え込んでしまった。

「なんか変わったメニューとか知ってますう?」

 話が進まないので、ふわっとした質問をしてみた。

「変わったメニューかぁ。そうだねえ、うーん。…あ、そうだ。前に少年野球のコーチとかって人が山ほど豚バラ肉を買ってくれてね。それで何を作るのかって聞いたら肉丼作るって。」

「肉丼?」

「うん。丼に山盛りに米装って、上から豚バラの炒めた肉を山盛りに乗せるんだって。それでその上から焼肉のタレかけて食べるって言ってたなぁ。」

「あーなるほど。それやったら簡単やし子供は無限に食べれるやつやねえ。」

「そうだね。それにそこまで子供向けじゃなくてもさ、ちょっと一手間手を加えた肉丼ってのはどう?」

「なるほど、肉丼かぁ。」

 確かに美味しそうだ。それに豚バラ肉なら食事はちょっとってお客さんにも、丼に乗せない単品の肉料理として提供できるかもしれない。

「ほな、それにしよっかな。値段も安く出せそうやし、明日は豚バラいただくね。」

「あいよ。じゃあこっちも準備しとくね。」

「うん。おおきにやで。」

 メニューも決まったし、とりあえずは今日の仕事をこなそうと足早に店に戻ることにした。


 翌日。買ってきた豚バラで肉丼を作る。生姜とネギをたっぷりの水を大鍋に入れ豚バラ肉をさっと下茹でしてから、店にあった業務用の焼肉のタレでニラと青ネギと一緒に炒めてライスの上にキャベツの千切りを敷いた丼に乗せ、トッピングで生卵とお新香の盛り合わせを付けるということにした。もちろん豚バラ肉は単体でも提供することにし、そちらは「豚バラ肉の焼き肉のタレソテー」という名前になった。

「おー、肉やってんねえ。」

 夕飯時のお客様のラッシュが終わった頃、残業終わりのコンちゃんが店にやってきた。今日もしっかり疲れた顔をしている。

「それでお客さんの反響は?」

「上々やね。肉丼食べてから、豚バラ肉だけ追加で出たりもしてるし。」

「そっか。それは良かったね。」

「うん。それでコンちゃんも肉丼、食べるよね?」

「うーん。どうしよっかなぁって考えながら来たんだよね。胃もたれしそうでさぁ。」

「年寄り臭いこと言わんといてえや。」

「仕方無いじゃん。うーん。じゃあさ、半分とかって注文してもいい?丸々は多分食べきれないや。」

「おっけえい。トッピングで生卵もつけられるけど?」

「あー卵はいらないかな。」

「じゃあお新香は?」

「お新香はもらう。」

「じゃあ生とハーフの肉丼にお新香の盛り合わせね?」

「うん。とりあえずそれで。」

 コンちゃんはいつもの定位置であるカウンター席に座ると、おしぼりで手を拭ってから豪快にビールを飲んだ。彼女の生ビールの最初の一口目の飲み方は見ていて気持ちがいい。このままビールのCMでも使えそうだ。

 私は先にお新香を出してから、ハーフ肉丼をコンちゃんに出した。

「はい、どうぞ。」

「じゃあいただきます。」

 コンちゃんは美味しそうにハーフ肉丼を食べ始めた。

「どう?」

「うん美味しい。でもあれだね。普通にこれ、焼肉のタレでしょ?」

「バレた?」

「うん。バレバレやけど、肉は下処理してるよね?」

「うん。一応、生姜とネギで下茹でしてから焼いてる。」

「そっか。それでこんなに美味しいのかぁ。流石だね。」

「へへへ。おだてても何も出えへんで。」

 コンちゃんはいつもまっすぐに意見を言ってくれる。コンちゃん自身は料理は素人だといつも言ってるけれど、私はコンちゃんが言うには一目置いているので、すっとその言葉は入ってくるのだ。

 実際この肉丼は大成功だと思う。お客さんはみんな「これ焼肉のタレでしょ?」と突っ込みながらも美味しいと言ってくれている。これはまた作っても良いかもしれない。


 8時過ぎ、楽器屋ガールズがやってきた。

「こんばんはぁ。」

「お腹空きましたぁ。」

 顔を合わせるのは3度目のはずなのだけれど、すっかり打ち解けてくれて嬉しいと感じる。

「お疲れさん。お席にどうぞ。」

「はい、失礼します!」

 彼女たちはまっすぐコンちゃんの元に向かい「こんばんは」と挨拶をすると、当たり前のようにコンちゃんの隣のカウンター席に座った。

「カウンター席でええの?」

「え?ダメなんですか?」

「別にええけどさ。普通若い子って、あんまり自分からカウンター席に座れへんで。」

「そうなんですか?」

「私、カウンター席の方が好きですけどね。」

 そう答えたのはももちゃんだ。

「早速食べるよね?」

「はい。それに私、生ビール、ジョッキで。」

「私もジョッキで。」

「今日は飲むの?」

「はい。今日は二人とも電車です。」

「でも、ももちゃんお酒飲めないんじゃなかった?」

「ビール1杯くらいは大丈夫です。それにお腹も空かしてきたんで。」

「そっか。じゃあそのビール、一杯分は私につけといて。」

「えええ!」

「良いんですか?」

「一杯だけだからね。」

「ほら、ありがとって言うとき。」

「あ、ありがとうございます。」

「ありがとうございます。いただきます!」

 2人にビールを出すと、コンちゃんが音頭を取り始めた。

「はい、じゃあ今日もお疲れ様でした。乾杯!」

「乾杯!いただきます!」

「いただきます!」

 すでにチビチビモードのコンちゃんをよそに、楽器屋ガールズは2人して豪快に喉を鳴らしながらごくごく飲み始めた。

「うーわ。うっまあぁ。」

「くうう。」

 そのリアクションは完全におっさんである。

「そんなに美味しかった?」

「はい、すごく。それに今日、咲さんにビールの飲み方を聞いてたんです。」

「どういうこと?」

「どうしたら一番美味しいって感じるのかって。」

「へえ。」

「なんて教わったん?」

「最初っから喉をからっからにしとけば、嫌でも美味いって思うって。」

「あははは。」

「成功した?」

「はい。すっごい美味しいです。キンキンに冷えててちょっと頭痛いくらいです。」

「あははは。」

「なにそれ。」

 愉快な子たちで何よりだ。

「それで肉丼食べるよね?」

「はい。いただきます!」

「はい。」

 一応、2人には肉丼を作るとメッセージを送っている。それに夕方に投稿したSNSの今日の一品の写真付きのポストにも反応してくれてたのを知っている。

「大盛りにも出来るけどどうする?」

「大盛りって、あの…。」

「どのくらい大盛りなんですか?」

「そうやねえ。普通に大盛りやけど。うーん…大盛りやね。」

「…私、大盛りにします!」

「えええ、どうしよっかな。」

 躊躇してるのはももちゃんだ。

「無理せんでええんやで。普通盛りでも十分お腹いっぱいになると思うし。」

「うん。2人とも自分のペースでね。」

「じゃあ普通でお願いします。」

「おっけえい。トッピングで生卵はつける?」

「はい、お願いします。」

「あのー、私、別でだし巻き卵でもいいですか?」

「あーそれ美味しそう。私もそれにしよっかな。だし巻き卵2つで。」

「はいよ。ほな先に肉丼から出しちゃうね。」

「はい!」


 調理中にも私は2人とコンちゃんの会話に耳を合わせる。店内は客足が落ち着いている時間帯なので、ホールはバイトの子たちに任せておけば大丈夫だろう。

「あの、四名タウンさんのオフィスってこの辺なんですか?」

「どうして?」

「前に先生と会ったことあるってポン子さん言ってた時に、確かコンちゃんさんも一緒だったって。だから商店街の中にあるのかなって。」

「先生?」

「あ、うちの店長です。未だに先生って呼んじゃってて。」

「ははは、先生かぁ。良いんじゃない?先生って咲ちゃんしか呼べない特権みたいなもんだし。」

「そうなんですかね?みんな呼んじゃってますけど…。」

「え?そうなの?」

「はい。うちのビルの人はみんな。」

「わ、私も…。」

「そ、そうなんだ。まあそれはそれで…。それで会社の場所だっけ?」

「はい。」

「うちの会社はね。二番街って分かる?」

「二番街?」

「えっ?四名に二番街ってあるんですか?」

「うんそうよ。ここが一番街でしょ?それに大橋に続く向こうの大通りを挟んで西っ側に二番街ってのがあったのよ。戦後すぐに区画整理が入って、大道から東に一番街、西に二番街ってね。でも昭和の後期になると商業区が一番街に集中しちゃって、二番街の方は結局オフィス街になってね。それで市役所が今の場所に移ってきてからは、本格的に通称だった二番街って名前すら呼ばれなくなって、今はこうして一番街だけが残ったのね。」

「そうなんですか。」

「うん。私らの上の世代の人までは二番街って言っても伝わってたんだけど、今の若い人は全く誰も呼ばなくなっちゃったんだよね。」

「そうなんですね。全然知らなかったです。お母さんとかに聞いたら知ってるのかな?」

「どうだろうね。おばあちゃんの世代なら知ってると思うけどね。」

「そっかぁ。」

「コンちゃんさんは物知りなんですね。私も全然知らなかったです。」

「まぁ一応ね。仕事柄ってのもあるし、自分の会社の場所のことだし。」

「あっそうですね。」

「あの…コンちゃんさんって、どうして雑誌の編集者さんになったんですか?」

 ももちゃんがいきなりそんなことを聞いている。

「何、急に?」

「あ、なんか聞いちゃダメなことでした?」

「ううん。そんなことないけど、急に話振られてびっくりしちゃった。」

「すみません。」

「いや、全然ダメな話じゃ無いんだけど…。」

 と、こちらにコンちゃんの目線が来たタイミングで私が話の間に入った。

「はいお待たせぇ、今日の一品の肉丼です。おまけでお新香も付けとくねぇ。」

「あ、ありがとうございます!」

「やったぁ。」

「じゃあ、ゆっくりお上り。」

「はい。いただきます!」

「いただきまーす!」

 話も途中に楽器屋ガールズは肉丼を食べ始めた。

「うわあ、おいしっ!」

「すっごい肉ですね。」

「美味いやろ?」

「はい。すっごい美味しいです。」

 文字通りにモリモリ食べている。確かにお腹を空かした若者にはこれ以上無い食事なのかもしれない。

「ポン子さん、肉丼2つ追加で。」

 その食べっぷりを見た別のお客さんから注文が入ったようだ。確かにお腹を空かせている時にあれを見せられたら注文せざるを得ないだろう。ふと、この子らを店の前に置いて肉丼を食わせておけば、お腹を空かせたお客さんがどんどん入ってくるんじゃないだろうかと無責任な想像をしてしまった。

「あー美味しかった。」

「ごちそうさまでした。」

 2人はあっという間に完食してしまった。

「ごめんね。だし巻き卵、間に合わなくて。」

「全然大丈夫です。ビールのつまみにしますので。」

「あの、追加で注文いいですか?」

「はい、どうぞ。」

「えーっと、枝豆と、うーん…野菜も食べたいなぁ。」

「キノコのサラダもお願いします。」

「あ、いいですね。じゃあそのサラダに…軟骨の唐揚げをお願いします。」

「ももちゃん、お水出そか?ビールだけってしんどく無い?」

「あ、ありがとうございます。じゃあ烏龍茶で。」

「はいよ。」

 綺麗に平らげた丼を下げ、烏龍茶と取り皿を先に配ると、私は引き続き料理に取り掛かる。そしてコンちゃんと楽器屋ガールズとの会話の続きが始まる。


「それでどうして今の仕事についたかだっけ?」

「はい。あの実は私、高校の時の夢の一つが雑誌の編集者さんになることだったんです。」

「そうなの?具体的に何の雑誌って聞いても良い?」

「はい、私はファッションだったんですけど、短大に入ると完全に忘れちゃってて。でもこの間、ここでコンちゃんさんから四名タウンの人って話でふと思い出して。それからずっと気になってたんです。」

「そうだったんだね。」

「はい。だからお話聞きたいなぁって思って。やっぱり子供の頃から本が好きだったのかなって。」

「そっかぁ、そうだねえ。うーん…そうだなぁ。2人は市役所の裏に市営の図書館があるのって知ってる?」

「あ、ありますね。行ったことないですけど。」

「はい。」

「私、あそこが大好きだったのよ。小さい頃に週に一回、お母さんと一緒に本を借りに行ってね。それで3冊だけ借りてじっくり読んで一週間後に返しに行ってまた借りてってね。それで中学になっても学校の図書室と市営の図書館で本を借りる生活が続いててね。本の虫ってやつだね。」

「へえ。」

「そうなんですね。」

「それで高校生になってどんな仕事がしたいかってなった時に、最初、図書館で働く人になりたいって思ってたんだよね。」

「何て言うんですっけ。そう言う人。」

「しょし?」

「えー?しょしだっけ?なんか違うくない?」

「惜しい、司書さんだね。」

「そうでした。へへへ。」

「それでとりあえずは文系の大学に行こうって思って、そっちに進んでね。」

「文系の大学ですか。」

「うん。それとは別に大学生の時に趣味で小説を書くようになってね。まぁ今見たら顔から火が出るようなタイプのあれだよね。でもそれでいくつかコンクールにも出したんだけど全く才能なかったみたい。」

「へええ。」

「まぁでもそこで文字を書く経験もして、読むだけじゃなく書くっていうか、文章を組み立てるのも面白いって思ってね。」

「そうなんですね。」

「でもコンちゃん、国語の教員免許持ってたよね?」

 だし巻き卵を出すついでに、思わず口を挟んでしまった。

「え?そうなんですか?」

「うん。一応ね。」

「小学校ですか?」

「ううん、中学校だね。でも教育実習に行ってやめとこって思っちゃったんだ。私、子供の相手するのは無理だって。」

「そうなんですね。」

「うん。それで一応免許は取ったんだけど、教師への道は諦めて。…その時、どんなこと考えてたんだっけなぁ。司書はもうその頃には頭に無かったし。」

「そうなんですか?」

「うん。なんでだろね。多分既に候補には無かったと思うなぁ。うーん、求人が無かったからかなぁ。…そん時の私、何の仕事をしたいって思ってたんだろ。全然思い出せないや。あっでも東京の大手の出版社も新聞社も受けたっけ。どれもすぐ落ちたけどね。ああそうだ、本屋さんも受けたわ。」

「就活、結構大変だったんですか?」

「うん、悲惨なくらい結構落ちたからね。もちろん普通に一般事務職とかも受けてたし。」

「やっぱりみんなそうなんですね。」

「ね。それで結局、家にあった四名タウンに『編集者募集』って記事が隅っこに載ってたのを見つけて、学校経由じゃなく直接電話してダメ元で面接に行ったんだよね。なんだかんだずっと読んでた雑誌だったし。それでたまたま受かっちゃったって感じかな。」

「へええ。」

「それもご縁なんですかね?」

「ね、ご縁なのかもね。」

「四名タウン、うちもおばあちゃんが大好きで毎月買って読んでます。あ、私もちゃんと読んでますよ。」

「私んとこも居間のテーブルに必ずありますし。私も毎月読んでます。」

「そっか。それはどうもありがとうございます。」

 その四名タウンが月刊から季刊になるか、デジタル版になるかもしれないという話をコンちゃんから聞いている。今の時代のせいもあるのだろうが、街の本屋が潰れるのと同じように、若者の紙媒体離れが一番の問題なのだそうだ。そして発行部数が減れば広告を出す地元の企業も減るという悪循環が随分前から始まっているらしく、コンちゃんはそのことでここ最近ずっと思い悩んでいる。長く細く続いてる彼氏とのこともあるし、ここ最近のコンちゃんは結構参っていたのだ。


「でも一番街の商店街の寄り合いに、コンちゃんさんもいらっしゃるんですね。」

「うん。でも私は商店街の復興計画プロジェクトの一員ってスタンスなんだけどね。」

「って、私が無理やり引き込んだんやけどね。」

「そうなんですか?」

「うん。」

「三郎さんには悪いんやけどね、商店街の寄り合いに来る人ってさ、圧倒的に長年商売してる年寄りばっかりでなぁ。しゃあないっちゃあしゃあないんやけどね。どこもかしこも高齢化やろし。でもなぁ、復興しようって看板でやってても全然話進まんのやったら第三者の目線で意見言える人が必要と違うんかなってずっと思っとってな。そんで私がコンちゃんを引き入れようって三郎さんに進言したんやわ。四名タウンの人やし視野も広いやろからアドバイザー的な意見貰えるんちゃうかって。そしたら三郎さんが商店街組合やのうてプロジェクトの方に推薦してくれてね。」

「そんな経緯があったんですね。」

「でも最初はいい迷惑って思ったんだよ。私がいないところで話進んでたし、そもそも私全然関係無いじゃんって。」

「それでも寄り合いに出てるんですか?」

「寄り合いはまぁ話の流れってやつ?もちろん皆勤賞じゃないし、行ける時だけだけど。」

「でもおもろいやろ?」

「…まぁね。」

「そういや三郎さんが引退されて、今商店街の会長さんって誰になったんですか?」

「あれ、聞いてないの?」

「?」

「聞いて無いです。」

「ポン子よ、今の会長は。」

「うん、私。」

「三郎さんのご指名。」

「えええ?」


 その後も一頻ひとしきり年の離れた友人たちと楽しい時間を過ごした。この若いパワーに当てられてか、こんなに楽しそうに笑って話すコンちゃんを久々に見た気がする。そして楽器屋ガールズは「お酒飲みにはたまにかもしれませんけど、ご飯はまた来させていただきます。」と今の子っぽいセリフと共に10時半には帰って行った。

「あの子ら台風みたいやったな。喋り倒して帰って行ったわ。」

「ねー。若いって凄いね。正直、羨ましい。」

「そんな年寄り臭いこと言いなやぁ。」

「ははは。そうだね。」

「ちょっとは吹っ切れた?」

「ん?」

「今日のコンちゃん、えらい楽しそうやなって。」

「そうねえ。…私も、もうちょっと頑張ってみよっかなぁ。」

「そうね、いいんやない?」

「うん。それに私…。」

「どしたん?」

「ううん、ちょっとねぇ。あの子らと話しててさぁ色々思い出したのよ。今の仕事もご縁があって好きで始めたんだったなって。…それに久々に図書館に行ってみよっかなぁって思っただけ。」

「何それ?」

「会社と図書館、あんなに近いのに仕事以外でもう何年も行ってないなぁって思ってさ。子供の時はあんなに楽しみにしてたのにねぇ。」

「そっか。」

「うん。また本の虫に戻るかなぁ。」

「それもいいんやない?」

「ねえ、ポン子?」

「何?」

「色々ありがとね。」

「どうしたん、コンちゃん?」

「何でもない。」

「何よぉ?」

「何でもないって。」

「なんやねんなぁ。もう一回『ありがとう』って言うてくれてもええんやで。」

「うるさいなぁ。すぐそうやって茶化すんだから。」

「えへへへ。」

 ふとコンちゃんが時計に目をやった。10時40分過ぎ。いつものコンちゃんならもう帰っている時間だ。

「コンちゃんも帰る?もうそろそろ良い時間やけど。」

「うーん…まぁいいや。もう一杯だけおかわり貰おっかな。」

「あいよ。」

 コンちゃんとはなんだかんだで腐れ縁なのだ。

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