第7話 きつねとたぬき

 それがまるで定時かのようにいつもと同じ時間に残業を終え、今日も私はいつもの場所に向かう。

 夕方に「今日はカレーやで」とチャットで連絡が来たからと言うのもあるが、まっすぐ自宅に帰ったところで考えることがありすぎて、家でお酒を煽ったとてどうせ眠れないのは分かっている。だからこそこうして家に帰る前のワンクッションを置く必要があるのだ。

 会社から歩いて約15分、寂れた商店街の中に目的の店が見えると同時に強烈なスパイスの匂いがしてきた。ポン子の言う通りこれはカレーの匂いである。

 この店の外壁一面に描かれた馬鹿デカいたぬきの顔のイラストは私とポン子による力作である。明らかに商店街に馴染まない外装ではあるが、たぬきを大きく書きすぎて一見してそれがたぬきだと分からないというのが、私たちの中ではポイントが高い。


「こんばんは。」

「いらっしゃいませ。」

「お、やっと来たなぁ。」

「今日はカレーって?」

「せやで。」

「随分遠くから匂いしてたよ。」

「あははは。そっか、まぁ座りぃや。」

 この関西弁の女がここの店主であるポン子だ。私はずっしりと重い鞄を肩から外すと、いつもの定位置であるカウンター席に座った。

「とりあえずビールでいい?」

「うん。とりあえず生で。」

 その会話をしながらもポン子の手には既に冷蔵庫から出されてすぐの冷えたジョッキが握られており、私の返事を聞き終わると同時にビールが注がれ、流れるように私の目の前に出された。私はおしぼりで手を拭ってから、ジョッキを手に取り一口飲むとキンキンに冷えたビールが体に沁みた。私はこの瞬間に今日の仕事から解放されたのだ。

「はぁ、おいしい。」

「あはは。コンちゃんはいっつもうまそーに飲むよね。」

「そうかなぁ。」

「そうやでえ。で、カレー食べるやろ?それともなんか作る?」

「カレーをいただくよ。でもどうしてカレーなの?」

「こないだ微塵切りする機械、中古やけど良かったらぁってお客さんにもろてん。それでやね。」

「微塵切り機のこと?」

「うん、電動のやつなぁ。それがめっちゃ便利なんよ。そんで玉ねぎ微塵切りにしてたら面白なって止まらんくなってやぁ。それで。」

「それでカレー?」

「うん。別にシチューでもよかってんけど、ついこないだシチューの日ぃしたし、それやったらカレーの方がええかなって。」

「そっか。それで味はどうなの?」

「私が作ってん、美味しいに決まってるやろ。なに言うてんねんな。」

 そう言いながら大きなお皿にご飯を盛り、大きな寸胴鍋に入ったカレールーをご飯の上に掛けると大きなスプーンと共に私の目の前に並んだ。

「このルーは手作り?」

「市販なわけないやろ?」

「そう言うことじゃなくてさ。」

「ああ。せやで、香辛料から選んで作ってる。一応はネパールカレーっぽい味付けにはしてるんよ。あっでも、ぽいのは香辛料だけやからね。具は普通の日本のカレーやし。」

「なにそれ。」

「だってうち、無国籍料理の店やもん。」

 この店は『無国籍風料理居酒屋 たぬき食堂』と言うのが正式名称である。なのでそれでその疑問は解決してしまうのだ。

「そっかぁ。じゃあいただきまーす。」

 私はスプーンに一口分のカレーを載せ口に運ぶ。私に汗をかかせる鼻に抜ける香辛料のそれは、確かにネパールカレー風のなのだが、ポン子の言うように具と食感は完全に日本のカレーである。ゴツゴツとしたジャガイモが一口大に切られており、微塵切り機でカットされたであろう玉葱と人参などが、本来とろみの無いであろう香辛料タイプのカレーにとろみをつけ不思議な味わいとなっている。

「どう?美味しいやろ?」

「うん。美味しい。でも辛いねえ。」

「へへへ。せやろぉ?美味しいやろぉ?」

「具は何が入ってるの?ジャガイモに微塵切りした人参と玉葱は分かったけど。」

「他はトマトと茄子やろぉ、それに林檎も入ってる。あとはぁ…内緒。」

「トマトと茄子に林檎?」

「うん。でも全部微塵切りにしたから分からんやろ?」

「微塵切り…、そんなに面白かったの?」

「うん!」

 ポン子が嬉しそうに微塵切り機というおもちゃに夢中になっていたのが容易に想像できる。それでもちゃんと美味しいのは流石である。


「ごちそうさまぁ。お会計お願いします。」とスーツ姿のグループがカウンターの中のポン子を呼んだ。ポン子とバイトの子たちの3人で回すそんなに大きくはないこの店は、今日もなんだかんだで繁盛をしている。

「さつきさん、ご注文お伺いしましょうか?」

 ホールに立つバイトのキエちゃんが声をかけてくれた。私はカウンター席に置かれたメニューをこの日初めて開き、大根のシャキシャキサラダと枝豆とししゃもを注文した。

 それからはポン子もバイトの子たちも良い意味で私に構わないでおいてくれる。私はカウンター席の片隅で何をするでなく、ぼーっとくつろぎながらビールを飲みただ時間を過ごす。このゆったりとした時間が今の私の癒しですらある。


「あのぉ、ご飯だけなんですけど、いいですか?」

 暖簾を潜った若い女性の2人組が、カウンターにいるポン子に声をかけている。

「はい大丈夫ですよ。中へどうぞ。」

 そうして2人組は中へ入り席を探しているのかと思うと、何故かこちらに向かって来た。それをぼーっと眺めていた私は、急に他人事ではなくなったので思わず身構える。

「あの、この間はありがとうございました。」

「えーっと。」

 声をかけてきた方の若い女性は確かに見たことのある顔ではあるのだが、どこで見たのかが思い出せない。

「あ、あの、楽器屋の。えっと、交差点のとこのソウルシャインです。リニューアルオープンの記事でお世話になった。」

「あ、あああ…」

 以前、私が取材で訪れた楽器屋である。そういえばそうだ。

「こちらこそこの間はお世話になりました。」と、私はスムーズに営業トークに切り替えた。

「いえいえ、こちらこそありがとうございました。あの記事見て店に来てくれた人もいて、ほんとにありがとうございます。」

 とはいえ私の取材対象はあくまで店主だったので、この楽器屋の店員と話をしたのは挨拶だけのはずである。それだけでよく私の顔を覚えていたものだ。

「あの記事反響良くて、あの号だけ売上が良かったんですよ。」

「えっ、そうなんですか?」

「はい。なので、こちらこそ本当にありがとうございました。」

 嘘はない。実際、あの号だけ頭一つ抜けて売り上げが良かった。編集部の中でも「あんなに反響あるんだったら見開きにすれば良かった」という声が冗談でも出たくらいである。あの竹之内元基がその楽器屋のために四名テレビにメッセージを送ったという話題性もあって、私たちには直接関係が無いのに会う人会う人にその話題を振られるくらいには反響があった。

「あのぉ、ここのお店ってよく来られるんですか?」

「はい。まぁ。」

 と言葉を濁したが、よくどころでは無いのだ。

「なんや、コンちゃんと知り合いなん?立ち話もなんやし、とりあえずはお席にどうぞ。」

「あ、すみません。あーどうしようかな。」

 私の隣で楽器屋の店員さんは再び周囲を見回して座るべき席を探している。

「隣いいですか?」

 と、私と話していた楽器屋店員さんのお連れさんが私の隣に座ろうと言い出した。

「え、あ、はい。どうぞどうぞ。」

 まさかこんな若い子たちが、カウンター席の私の隣に座ると言い出すとは思っていなかったので驚いてしまった。私のすぐ後ろにはゆっくり座れるテーブル席も空いているのに。

「そんで、どんな知り合いなん?」

 ポン子はそんなよく分からない状況を見て、カウンターに座った二人におしぼりを出しながら助け舟のような質問をした。

「私たち、一番街の交差点の楽器屋で働いてるんです。それで…」

「あー、三郎さんとこの後に入った楽器屋さんかぁ。えーっと、確か…」

「ソウルシャインです。」

「うんうんうん。それは分かるんやけど…、ちょっと待ってぇ…言わんといてやぁ。えーっとえーっと…、新垣さん!そう新垣さんとこやんな。」

「あっはい、そうです。」

「せやせや、新垣さんとこや。こないだの商店街の寄り合いに来てくれて挨拶してもろてたんよ。な、コンちゃん。」

「う、うん。」

 そういえばそんなこともあったな。確かあの時も店主さんに丁寧にお礼を言われたっけ。

「そうなんですね。えーっと、私…あ、名刺持ってきてないや。ももちゃんは名刺持ってる?」

「ないです。すみません。」

「あははは、名刺なんてかまへんよ。私、ここの女将の田沼 亜希子です。みんなにはポンちゃんって言われてるんで、気軽にポンちゃんて呼んでください。」

「ポン…ちゃん…さん。」

「年上の人にそんな呼び方出来ないよね。私はポン子って呼んでるんでポン子さんって呼んであげて。まだその方が呼びやすいでしょ?」

「ポン子さんですね。はい、分かりました。」

「は、はい。」

「何よ、ポンちゃんの方が可愛いのに。」

「良い歳して何言ってるん?」

「歳はそんなに変わらんでしょ。私、まだ十代やし。」

「えっ!そうなんですか?」

「そんな訳ないでしょ。」

 三十代も半ばになってるのにポン子は何を言ってるのか。それにそんなバレバレの嘘に騙されるこの子達も大丈夫かと心配になる。

「そんでお名前、聞いてもいいかな?」

「あっすみません。私、進藤咲って言います。」

「永瀬ももです。よろしくお願いします。」

「咲ちゃんにももちゃんね。よろしくね。そんでこの酔っ払いが…」

「酔っ払ってないって。ったくもう。改めまして、私、マンスリー四名の近藤 さつきと言います。よろしくお願いします。」

 カバンの中から名刺を取り出し2人に手渡す。私は座りながらだったのだが、2人とも、ちゃんと席から立ち上がり両手でその名刺を受けとった。それを見て遅いとは分かりつつ私も席をたった。

「何してんねんな。全く。」と、そのやりとりを見てポン子の顔がそう言っている。

「この子は近藤さんでコンちゃん。みんなもコンちゃんって呼んであげてね。」

「え?」

「いいんですか?」

「んー、まぁ…。近藤さんでもコンちゃんでも。」

「は、はい。」

「コンちゃんさん…」

「あ、あの、お二人ってお知り合いになってから長いんですか?」

「ん?」

「どうしてそう思うの?」

「うーん、何となくですけど。気心がしてれるっていうか、古くからの友達みたいに思えるので。…ほんとに何となくですけど。」

「そうやねえ。コンちゃんとは腐れ縁でね。」

「まぁね。」

「やっぱりそうなんですね。」

「って、喋ってばっかりもなんやし、お腹空いてるんと違うん?カレー食べる?」

「はい!」

「いただきます!」

「おっけえい。お腹空いてるんやったらご飯大盛りにも出来るけど、どうする?」

「私、お願いします。」

「うーん、どうしよっかなぁ。」

「お腹空いてへんの?」

「お腹はぺこぺこなんですけど、大盛りにして食べきれなくて残すのも嫌だし…。」

「ほな、気持ち多めにする?」

「…そうですね。気持ち多めで。」

「おっけえい。じゃあ飲みもんは?」

「あの、冷たいお茶ってありますか?」

「お水もあるけど、お茶でいい?烏龍茶やけど。お金かかるで?」

「はい。大丈夫です。すみません。」

「私も烏龍茶で。」

「りょうかい。ありがとね。」

 そう言うとポン子はカウンターの中で仕事を始めた。


「2人ともお酒は飲まないの?」

「私は職場にバイク置いてるんで。」

「私も自転車置いてるんで。確か自転車も飲酒運転になるんですよね?」

「そうだね。じゃあ普段は飲むの?」

「私は一応、飲めますけど。」

「私はあんまりです。20歳になって一回、飲んではみたんですけど。うちの家系的に弱いみたいで。」

「って、え?今いくつ?…って聞いてもいいかな?」

「あ、はい。私は20歳です。」

「私は一つ上で21です。」

「へえ、そうなんだ。」

 正直なところ、少し驚いた。受け答えがしっかりしている所為かそこまで若いとは思わなかったのだ。

「はい。なので今日はすみませんけど。」

「全然。私に謝ることないよ。」

「まぁ最近の子はそもそもあんまりお酒飲まへんし、そういう子多いよ。って私も最近の子やけどね。」

「それはもういいって。」

「あはははは。うちは食事だけでも全然大丈夫やから。ね。」

 ポン子はこうして人との距離を埋めるのが上手い。と言っても自分勝手に距離を詰めるのではなく、きちんと相手の表情を見ながら踏み入っていくその距離の取り方が上手いのだ。私には到底出来ない芸当で、ポン子はこういう客商売に本当に向いていると羨ましくさえ思う。

「バイクって大きいの乗ってるの?」

「いえ、125です。」

「へえ、原付じゃないんだ。」

「はい。一応中免の免許を持ってるので。それにこっちって2段階右折多いでしょ?」

「あーそうかもね。特にこの辺の大道はね。」

「なんで、こっちに戻って来てちょうどいいからって。春に125ccを新車で買って。」

「へえ、じゃあ免許だけ取ってバイク買ってなかったんだ。」

「はい。当時は東京だったんで電車で全然良かったんです。それでこっちに戻ってきて、実家から職場に通うってなって親が就職祝いでって今のバイクを買ってくれたので。」

「そうなんだね。」

「コンちゃんさんはバイク詳しいんですか?」

「うん、一応ね。免許は大型まで持ってる。」

「へええ。」

「唯一の趣味だからね。でものんびり走るのが好きだから、そんなに早いバイクは乗らないけど。」

「そうなんですね。」

「はい、お待たせ。」

 私の話を分断するように、ポン子が2人の目の前にカレー皿と氷の入った烏龍茶のセットが運んできた。

「わあ、おいしそう。すみません。いただきます!」

「いただきまーす。」

 2人は早速、無国籍風スパイスカレーを食べ始めた。私はその様子を見ながらツマミを食べつつ、チビチビとビールを飲む。若い二人は美味しい美味しいと汗をかきながら凄い勢いで大盛りのご飯を平らげていく。この席に男でもいれば別なのかもしれないけれど、女同士で遠慮なく食べているのは側から見ていて気持ちが良い。それを見てポン子は小皿に簡単なサラダを盛りつけし、「これサービスね」とテーブルに出した。

「いいんですか?」

「サービスって言ってるうちに貰っといたらいいんだよ。」

「あ、はい!いただきます。」

無料タダほど高いもんは無いんやけどね。」

「えっ?」

「ポン子!」

「あはは、冗談やん。ごゆっくりどうぞ。」

「ありがとうございます。」

「いただきます。」

 それでポン子は仕事に戻った。


「あの、ここって、いっつもカレー出してるんですか?」

「ん?」

「このカレーって、このメニューに無いですよね?」

「ああ、ここはね。ポン子の気まぐれでその日のメイン料理が日替わりで変わるの。今日はたまたまカレーだけど、こないだはシチューだったし唐揚げとかスパゲティとかね、それに冬場とかはお鍋とか肉まんとか焼き芋の日とかもあるんだよ。」

「へええ。」

「そうなんですね。」

「2人はここ、初めて?」

「はい。」

「私たち今年四名に帰って来てあんまりこの辺を知らなくて。それで仕事終わりに商店街のお店、一緒に散策してみようって。食べ歩きに。」

「今日はその2回目なんです。」

「1回目はどこにいったの?」

「この間はもうちょっと先のラーメン屋に。」

「そうなんだ。」

「はい。それで今日も夜ご飯食べるのに商店街歩いてたら、カレーの匂いがしてて行ってみようって。」

「はい。」

「そっか。」

「でもこのカレーすっごい美味しいですよね。」

「コンちゃんさんは食べました?」

「うん。さっき私も頂いたよ。ね、美味しいよね。」

「はい。初めて食べた食感ですけど美味しかったです。」

「インドカレーっぽいですけど、なんか違いますよね?」

「微塵切りの機械を貰ったんだって。それで微塵切り楽しくなったみたい。だから今日はカレーなんだって。」

「へえ。」

「あのそれでコンちゃんさんとポン子さんって、さっき古い知り合いっておっしゃってましたけど、どれくらい古い知り合いなんですか?」

「どれくらいって…、そうねえ。ポン子が中3の3学期にこっちに引っ越して来てからかな。ポン子、あの通り出身が関西で。」

「だから関西弁なんですね。」

「うん。それで親の都合でこっちに越して来て、私とクラス一緒になってね。その時は普通のクラスメイトだったんだけど、高校も同じで高2の時にまた同じクラスになってね。そっからかな、仲良くなったの。」

「へえ。」

「高校卒業してから全く連絡とってない時期もあったんだけど、私が大学出てそのまま今の会社に入って、ポン子は料理の学校に入って東京のホテルで修行だったかな?それで色々あってこっちに帰って来て、私がこのお店のオープンの取材の時に久しぶりに顔を合わせてね。あれ?ポン子じゃん。ってお互いになって。それからかな。」

「へえ、そんなことあるんですね。」

「あるんよね。これが。」

 いつの間にかポン子も戻って来ている。今は少しお客さんも引いて時間が出来たらしい。

「私がね。修行してた東京のお店を辞めるきっかけが、結婚やったのよ。」

「へえ、ご結婚されてるんですね。」

「いやそれがなぁ。専門の時からずっと遠距離でね。なんとか細々と続いてたのがやっと婚約していざ結婚、って時に相手の方が浮気してたのが分かってね。それでその女の方が妊娠したって。どんな昼ドラよって話なんやけどね。」

「えええ。」

「な?ドン引きやろ?それにその相手の女もアホでなぁ。聞いてもないのにペラペラと、わざわざ自分から自白してくれてね。それで苦労もせんと慰謝料を結構がっつり頂いて。でも私の方もずっと働いてたお店をもう辞めてもうてるし、東京におってもなぁって感じでこっちに戻って来て。そんでこれからどうしよっかなぁって時に、一番街の復興計画のプログラムがあることを知ってね。ちょうど良いかって、その慰謝料を注ぎ込んでこの店を出してん。」

「へえ。」

「そうなんですね。」

「だからこの店は慰謝料で出来てるんやわ。あははは。」

「それ、普通に引く話だからね。」

「そう?結構な笑い話やけどなぁ。おっかしいなぁ。」

「ポン子…。」

「それにこの浮気話にもオチがあってな。その女の子供、私の婚約者の子供やなかってんて。」

「ええええ?」

「どう言うことですか?」

「な、ドン引きやろ?」

「だからポン子、ドン引きやって。」

「あれ?ほんまや。ドン引きの話になってもうてるわ。」

「ポン子…。」

「ははは。笑ってくれてええんやで。そのおかげでこうやってこの店さしてもろてるんやからね。」

「そうなんですね…。」

「それに一応、籍入れる前やったからね。バツはついてへんのよ。ある意味ラッキーやな。セーフセーフ。」

「はいはい、ポン子の話は置いといて。2人はさっき今年四名に帰って来たって言ってたけど。」

「はい。私は先生と一緒に。」

「先生?」

「あ、えーっと、私、店長の新垣の教え子なんです。東京の専門学校でギター制作の。」

「へえ、そうなんだ。」

「新垣さんが咲ちゃんの先生だったん?」

「はい3年間ずっと担任で、入学した時から先生もお互い四名出身ってのは知ってて。それで私が卒業するのと先生がシャインを引き継ぐって話になったのが同じタイミングで。それで先生が一緒に店をやりませんか?って誘ってくれて。」

「へえ。そんなことあるんだね。」

「確かに教え子でも知り合いがいた方が、やりやすいもんなぁ。」

「咲さん、ほんとに凄いんですよ。楽器の修理も出来ちゃうから一人でお店回せちゃうんです。一番弟子って感じでほんとに凄いんですよ。」

「へえ、そうなんだぁ。」

「一応、楽器については3年間、学校でしっかりと勉強したので。それでこっちに戻って来てって感じです。」

「そうなんだね。じゃあももちゃんは?」

「私は楽器とは全然関係ないことを隣の県の短大で勉強してて。」

「そうなの?」

「何の勉強してたんって聞いてもいいかな?」

「はい、ビジネスです。」

「へえ。」

「それで卒業してなんとか会社にも入ったんですけど、そこで色々あって。それで四名に戻って来て再就職って感じです。」

「そうなんだ。」

「ももちゃんは全く楽器屋さんは初めてなん?それともギターとか楽器を触ったことはあったん?」

「一応、高校の時にシャインでアコギ買って弾いてて。それに上の階のギターレッスンにも通ってて。」

「へえ、そうなんだ。」

「あの、お2人は三郎さんのことご存知なんですか?」

「あ、うん。三郎さんはずっと商店街の会長さんをされててね。このお店を開く時もリニューアルの時も相談に乗っていただいて、私は随分とお世話になったんよ。」

「リニューアル?」

「うん、リニューアルオープン。」

「最初にここに出したのは、…バールって分かる?」

「バール?」

「日本だと洒落た感じの西洋風居酒屋の雰囲気だね。海外のバーの別の呼び方みたいな感じ。」

「私も若かったからね。東京帰りやしって、ちょっと気取って頑張っちゃったんやわ。」

「でも言っちゃあ悪いけどさぁ。四名のこの商店街に洒落たバールって、まぁ流行んないよね。」

「それでも最初の2ヶ月くらいは繁盛したんやけどね。それで1年もたんと潰れそうになって。そん時に会長の三郎さんに相談させてもらって。」

「へえ。」

「そんで、もっと普通にしたらどうかってアドバイスしてもろてね。それで普通に?ってなって。」

「まぁ誰から見ても、みんなそう思ってたんだけどね。」

「三郎さんが言うには、せっかくの関西弁なんやしもっとあったかい感じの店にしたらどうって言われてなぁ。前のままだと型に拘りすぎてて窮屈そうって言われたんよね。要はもっと庶民派にしたらどう?ってことなんやろけどね。」

「それで私んとこにきて、リニューアルしたいから手伝えって。」

「うん。コンちゃんやったら取材でいっぱい色んなお店見てるやろしってね。それでコンちゃんと2人で色々考えて。無国籍風料理っていう何の責任もない肩書きにしよって。」

「それに名前もポン子の店だし、たぬき食堂でいいんじゃないって。たぬき食堂に行くのに気取って来る客もいないでしょってね。」

「そうそう。2人で酔っ払ってゲラゲラ笑いながら決めてんな。」

「それで内装も背の高い椅子からこの普通の居酒屋っぽいテーブルと椅子に変えてね。」

「たぬきの置物もわざわざリサイクルショップ行って中古で買ってきてな。」

「中古ってのがポン子っぽいんだけどね。」

「あのぉ、ポン子さんってたぬきのポン子さんなんですか?」

「そう。私、名前が田沼でしょ?だからちっちゃい頃からたぬちゃん、たぬちゃんって呼ばれててね。それでいつからかポンって呼ばれるようになって。多分ぽんぽこだぬきからなんやけどね。」

「でも転校して来て最初の自己紹介で、自分でポン子ですって言ってたよね?」

「うん。私、ここやと方言で浮くかもってのもあったし、何より早くクラスに馴染みたかったからねえ。なんせ卒業まで2ヶ月ちょっとしか無いんやし。」

「それで2人でこのお店の外装も2人で書いたんだよ。」

「外装?」

「気付かなかった?じゃあちょっと見てきてみて。ちょっと離れた正面から見たらきっと分かるから。」

「はい、ちょっと行って来ます。」

「行って来ます。」

 2人は足早に店を出ていくと、「ははは」と爆笑しながら戻って来た。

「でっかいたぬきの顔なんですね。全然気付かなかったです。なんかの模様なのかと。」

「にしても、どアップすぎでしょ。」

「やろ?ちゃんと見たらおもろいねんな。このお店の外装。」

「ポン子が昔から落書きで書いてた、たぬきのイラストがあってね。それ使おうって。」

「そんでああなってん。」

「すっごい面白いです。」

 2人が外に出て行ったタイミングでポン子は2人の空いた皿を下げている。こういうのがいちいち上手だよなと感心する。

「それでお2人さんは他になんか注文する?」

「あ、えーっと。」

「私、家で今日中にしておきたいことがあるんで、今日はこの辺にしとこっかな。」

「じゃあ私も帰ります。」

「そっか。ほなまた遊びにきてね。今日みたいにご飯だけでも全然いいからね。」

「ありがとうございます。」

「あの…。」

「ん?」

「ここのお店、SNSでフォローさせてもらってもいいですか?」

「ああ、全然。一応、毎日今日の一品って名前で日替わりの特別メニューの告知させてもろてるんで。それ見て気になったらまた食べに来て。」

「はい!私個人のとお店のとで、両方フォローさせていただきます!」

「お店のって、ももちゃんが楽器屋さんの方のSNSやってるの?」

「はい。私がお店のSNSの担当です。でもうちのは新しい楽器が入ったとかそういうのを発信してるんで、もし通知がうるさかったらミュートしてもらっても全然OKなんで。」

「あははは。そんな宣伝の仕方あるかいな。でもありがとね。そや。良かったらやけど2人とも連絡先交換してくれる?ご近所さんやし、これからお世話になることもあるやろし。」

「はい!こちらこそお願いします。」

「お願いします!」

「コンちゃんはどうする?」

「じゃあ私もいいかな?」

「はい!是非。」

「是非!」

 そうして私たちはそれぞれの会社のSNSと共に個人の連絡先を交換した。こういう時のポン子のコミュ強というのは本当に凄いなと思う。

「じゃあごちそうさまでした。」

「今度は時間作ってゆっくりお酒飲みにきます!」

「ありがとね。」

「じゃあまた。」

「はい!失礼しまーす!」

 2人は最後まで礼儀正しく帰って行った。

「珍しくちゃんとしてる子らやったなぁ。」

「ね。」

「にしても私らに若い友達できたなぁ。良かった良かった。コンちゃんも良かったなぁ。」

「まあね。」

「ふふふ。」

 ポン子は再びカウンターの仕事に戻った。

 しばらく店でゆっくりしてから私は一人で帰路に着く。いつもは多くても2杯なのに、今日は気持ちよく3杯も飲んでしまった。


 新しい友達が出来た。それも随分年下のだ。この歳になると仕事に関係のない新しい友達なんてそうそう出来ることはなく、むしろ疎遠になるばっかりで減る一方である。だからと言って別に浮かれることではないのだけれど、やはり少し心が弾む。

 店を出て改めてたぬき食堂を遠目に眺めてみる。やっぱりドアップのたぬきの外装は面白い。私はそれを見て息を殺したまま一人で笑ってから駅の方に歩き出した。

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