第24話 悪夢なる現実
夢を見る。無力だった夢を見る。
俺がムサシではなく、ハルノブであった日のことを。
「なんなんだよ、なんでなんだよ!」
傷だらけの僕はアウラを抱えながら渓谷を渡り歩く。
濡れた衣服は素肌に張り付いて体温を奪い、流れる水は、ひんやりとしているから擦り傷、打ち身に染みて顔をしかめさせるも、状況が痛みに嘆く暇など与えない。
「足跡があるぞ!」
「この先は滝だ! 追い込め!」
追っ手がすぐ迫っている。
何度自問したか、何度愚問だとしたか。
数え切れない。
「うっ、ううっ」
すぐ耳元からアウラのうめき声。うっすらと瞼を開ければ、ずぶ濡れのまま、僕に背負われている状況に両目見開いた。
「は、ハルノブさん、ここは、あれ? 私は機関車の中で? なんで濡れて」
状況を把握できず混乱するのは当然だろう。
僕だってまだ混乱から立ち直れていない。
「わかんないよ! わかんないんだ!」
確かなのは、白王都から黒王都に帰還する途中で起こった。
黒王都まで後一時間足らずというところで、竜気機関車が脱線を起こす。
ウトウトと現と夢の境界を行き来していた僕は、突然の衝撃と揺れに目を覚ますも、気づけば横転した車両が崖下へと落ちかけていた。
「おひいさまだけでも!」
腰を強く打ち、動くに動けないばあやさんは、僕にアウラを託してきた。
この状況で誰を救うか、救わぬか、究極の選択を迫られた僕は、気を失ったアウラを抱えるなり、窓を蹴破り列車から飛び出していた。
「飛び出したと同時、車両はそのまま崖の底へと……」
あの竜気機関車には多くの関係者が搭乗していた。
金剛力士像似の兄弟、よく世話をしてくれたばあやさん、同伴した長老のじいさんばあさん、世話役として乗っていた人たちなど、多くの人が呆気なく崖の下へと消えた。
「そ、そんな、み、みなさんが!」
「それだけじゃない!」
路線に着地した僕とアウラを出迎えたのは、見覚えのある騎士たちだ。
誰もが見知った顔のはずなのに、纏う気は血と鉄の匂いが入り交じっている。
「駐屯騎士団が現れて、僕に刃を向けてきた!」
アウラを抱えた身、下手に戦えるはずがなく、呼吸で強化した脚力で振り切った。
そして今、騎士団の追っ手から逃れ続けていた。
「どうしてですか!」
「理由を考えるのは後だ!」
この状況で疑問は愚問。今は如何にして騎士団の追っ手を撒き、生き残るか。アウラの気持ちだって分かる、分かるけど! バカ正直に、騎士団にどうして剣を向けるのかと聞きに行くなど、自ら危機に激突死するのと同じだ。
「今は逃げる! 逃げるしかないんだ!」
本能が強く呼びかける。
両足が恐怖で笑おうと、生存本能が強制的に動かしてくる。
戦闘のプロ集団である騎士団相手に、剣術の基礎しかできぬ坊やが太刀打ちできるものか!
武器だって刀一本に、アウラの儀式用の黒き剣こと無窮の楔、実力の差は天と地の開きがある。
「わ、わかりました」
アウラは僕の切迫した声でひとまず頷いてくれた。
ただ僕を抱きしめる腕は振るえ、微かに響く嗚咽が僕の鼓膜と心を揺らす。
「はぁはぁ!」
駆ける。駆ける。僕はアウラを抱えて、岩場の上を、森の中を、倒木を飛び越え続ける。
追っ手の追跡は止まらず、むしろ追跡の圧を増している感が強い。
聖陽騎士団は、いわゆる職業軍人だ。
剣技だけでなく、天紋による非常識的な動きであっという間に距離を積めてくる可能性も否定できない。
もしかしなくても空から僕とアウラの位置を常時把握している可能性もある。
「黒王都の方向は、あっちか」
高所である切り立った滝から遠目だが、森の中に切り開かれた都市部を確認できる。
ドウツカ大森海と隣接しているだけあって、ポツンと一軒の家みたく、森の中にある都市部はよく目立つ。
「……キナ臭い」
風に乗って来る匂いが僕を不快に染める。
不快さが胸を突いて騒ぎを起こし、不安を増長させる。
「誰が指導しているか知らないけど」
襲う理由が今なお釈然としないが、今は生き残ること、逃げ続けることを考えろ。
次など黒王都に辿り着いてから。
黒王都まで辿り着ければ、黒王直属の警備隊がいる。
ドウツカ大森海と隣接するだけに、黒王と都市を日夜魔物から守る実力集団だ。
ふと僕は思いついた。
「ねえ、アウラ、確か、警備隊の活動範囲ってかなり広めだったよね?」
「あ、はい。近頃は魔物が結界内部にも発生しますから、万が一の事態に備えて巡回範囲を都市外まで広げています。まさかハルノブさん」
「うん、上手く接触できれば助けになる!」
一筋の希望が見えた。
警備隊との接触が先か、騎士団の接触が先か。
運だが、賭けるだけの価値はある。
「いたぞ!」
騎士団のほうが先だった。
僕は迷うことなく刀を抜けば、近くにある木を一刀のもと切り捨て、滝へと続く河川に蹴り入れた。
「は、ハルノブさん、まさか!」
「そのまさかだよ! しっかり掴まっていて!」
答えるよりも速く、アウラ抱えた僕は滝壺落ちる木に飛び乗った。
「きゃあああああああっ!」
「地の型・不動正眼!」
人は地に足着けて生きる生物である。
時に戦場は平地ではなく船の上ですらある。
地の型はいかなる足場だろうと、平地のごとく体のバランスを均一にして、地形に左右されず剣を振るう。
よって落下と着水により、崩れるバランスを整えるのが、何より求められるこの瞬間において最適な型であった。
「追え、追うんだ!」
「なんとしても捕まえるんだ!」
「無紋め! 邪魔をしおって!」
着水する瞬間、水音に混じり確かに掴んだ騎士団の声、声、声。水中で呼吸を行うのは自殺行為だが、肺にため込んだ空気ですぐさま風の型を行い、刃をプロペラに見立てて水面へと躍り出る。
「ぷふぁ~! あ、アウラ! 無事!」
酸素を求める肺へと空気を送り込みながら、僕は背面にしがみつくアウラに呼びかける。
「げほげほ、は、はい、ぶ、無事です!」
「そのまま流れに乗るよ!」
記憶が正しければ、この河川は黒王都近くまで続いているはずだ。
ルートを狭める危険性があろうと、今は速さと時間が欲しい。
「てい!」
先ほど切り倒した木が、流木として僕の前を通る。
閃いた僕は、水流の勢いを刀に乗せて手頃な丸太にサイズカットした。
「これに掴まって!」
丸太を浮き輪代わりとして、そのまま河川を流れ落ちる。
後方に気を配るも、滝壺落下により距離が開けたのか、騎士団からの追跡はない。
どんぶらこと流れてしばらく、河川の深さは徐々に浅くなり、浮き輪代わりの丸太は、とある河原でついに座礁する。
「後少しだ、ここから、歩い、て――っ!」
言い掛けた僕は、鼻についた匂いで発言を中断する。
河原の岩影から血の匂いが漏れ出ているからだ。
微かだが呻き声もする。
僕は河川で晒され乱れた呼吸を整えながら、いつでも刀を抜けるよう柄に手をかけ、摺り足で近づいた。
「うっ!」
岩影に潜む正体を目に映すなり呼吸を乱す。
一人の男が血だらけで倒れている。
すぐ近くではドスドニドが背面に矢の山を築いてこと切れていた。
男もまた背面から矢を生やし、虫の息だろうと剣は握り続けていた。
「ひ、ひめ、巫女、様、ご、ご無事、でしかた」
絶え絶えの息で男は、アウラの姿に安堵の言葉を零す。
男に纏わりつく血の匂いで僕は直感する。
もう長くはないと。
男も把握しているのか、伝えるべき事柄を伝えんとどうにか声を絞り出している。
「お、お逃げ、くだ、さ……い……」
男は残る力で言葉を振り絞るも、言い終えることなくこと切れてしまった。
「ど、どうして!」
やり場のない怒りが、僕の中で渦巻いていく。
誰がした! 誰が殺した!
黒王都がどうなっているのか!
住人の安否は!
僕は選択を迫られる。
黒王都は、もう目と鼻の距離だ。
けれど、ここで選択を違えればアウラを危険に晒してしまう。
「ハルノブさん、私、行きます!」
そうだよね、一つしかないよね。
意を決したアウラの目に、僕は引き留めることなどできやしない。
彼女は一人の女である以前に、一人の王なのだ。
我が民を案じぬ王は王ではないからだ。
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