竜馬の躓き

三鹿ショート

竜馬の躓き

 彼女が誰を愛するべきなのか、私が決めるようなことではない。

 だが、その人間を愛することは間違っていると、私は確信している。

 何故なら、その相手には妻子があり、そして、その相手が教師だったからだ。


***


 誰に訊ねたとしても、彼女が優等生であるということ以外の返答を得ることはない。

 悪く言えば四角四面なのだが、模範的な人間だということに間違いはなかった。

 ゆえに、生徒よりも教師からの受けが良く、そのためか、同年代の人間よりも教師と話す機会の方が多いように見えた。

 教師に媚びを売っているとして、彼女のことを快く思っていない人間も多かったが、面と向かって彼女を悪く言うような人間が存在していないのは、彼女と比べれば、誰もが劣っている人間だということが明らかだったからである。

 蟻が象に向かっていくようなものであり、それほどの愚かな行為に及ぶ人間は存在していなかった。

 しかし、彼女がそのような愚かな行為に及ぶことなど、想像もしていなかった。

 彼女と教師が空き教室で愛し合っている姿を見てしまったのは偶然であり、私は驚きのあまり、その場から動くことができなかった。

 やがて事を終えた彼女と教師が私の前に姿を現したとき、私はようやくその場から逃げ出すことができたのだった。


***


 翌日、私は彼女に呼び出された。

 その理由は、阿呆でも分かることである。

 果たして、彼女は教師との関係を黙っていてほしいと、私に頭を下げた。

 望みがあればそれを叶えるとも告げてきたが、その言葉に、私は疑問を抱いた。

 何故、彼女と教師が揃って私に頭を下げるのではなく、彼女だけが、私に頭を下げているのだろうか。

 その問いを発すると、彼女は頭を上げた。

「愛する人間が困っているのならば、抱えているその問題を解決するのは、恋人として当然のことでしょう」

 曇りの無い瞳で、そのような言葉を発した。

 確かに、立場というものを考えると、彼女よりも教師の方が、失うものは多いだろう。

 だが、彼女よりも賢いはずの人間が、何故最初から彼女に頼るような真似をしているのだろうか。

 もしかすると、私が彼女の肉体を味わう権利を得ることで口を閉ざすということを期待しているのではないか。

 異性に関心を持っている私のような年齢の人間ならば、その権利一つで黙るものなのだと考えているのかもしれない。

 癪だが、その思考は間違っていない。

 しかし、そのためには、彼女は力不足である。

 何故なら、私が魅力を感ずる人間は、彼女のような若い人間ではなかったからだ。

 ゆえに、私が彼女の肉体に籠絡される可能性は、皆無に等しかった。

 私は人差し指を立てると、

「此方の疑問に答えてくれれば、きみと教師の関係は秘密にすると約束しよう」

 私の言葉に、彼女は首肯を返すと、

「疑問とは、何でしょうか」

「何故、きみはあの教師と関係を持つようになったのか、ということである。彼には妻も、そして、我々と同じ年齢の子どもが存在している。そのような人間と関係を持つことの意味は、分かっているはずだろう」

 私の言葉に、彼女は再び頷いた。

「それでは、何故」

「彼は、私のことを、一人の異性として見てくれたからです」

 彼女は頬を赤らめながら、そのような言葉を吐いた。


***


 彼女いわく、最初からくだんの教師に対して恋愛感情を抱いていたわけではないらしい。

 切っ掛けとなったのは、とある男子生徒たちが彼女について話しているところを、くだんの教師と共に、偶然にも耳にしたことである。

 その話の内容とは、どれほど妄想を膨らませたとしても、彼女のような人間を恋愛対象として見ることができないというものだった。

 彼女は、他の同性たちのように自身に魅力が無いということを自覚していたものの、実際にそのような言葉を聞いたとき、動揺してしまった。

 俯いた彼女の双眸からは、涙が流れていた。

 彼女自身も意識したことがなかったのだが、それは自分もまた一人の女性として見られたいという願望を抱いていたことの表れだった。

 涙を流す彼女に対して、教師は神妙な面持ちで告げた。

「生徒にこのような言葉を告げるのはどうかと思うが、きみは魅力的である。実際、私が初めて恋心を抱いた相手は、きみのような人間だったのだ」

 その言葉が真実かどうか、彼女には分からなかった。

 ゆえに、単なる慰めの言葉ではないということを証明させるために、彼女は教師に関係を迫った。

 当然ながら教師は困惑していたが、彼女の真剣な眼差しに根負けしてしまい、関係を持つに至り、その関係は今も続くことになっているということだった。


***


 悲しい理由が存在していたとはいえ、彼女の行為は間違っている。

 だが、それを伝えたところで、彼女が受け入れるとは考えられなかった。

 自身が間違いを犯していると理解しているのならば、教師との関係は一度で終わっていたはずだからである。

 それでも関係が続いているということは、彼女は己が間違っていることに気が付いていないということなのだろう。

 それは、自身を愛してくれる眼前の人間を逃がせば、今後そのような人間が現われることはないと理解しているという可能性が考えられる。

 いずれにしても、彼女が哀れな人間であるということに変わりはなかった。

 心の底から彼女のことを愛しているのならば、教師は妻や子どもを捨てているはずである。

 そのように行動していないということは、彼女の願望を叶えなければ、彼女が絶望してしまうと案じているだけで、誰よりも彼女のことを愛しているというわけでないということである。

 生徒と関係を持つのは教師として間違ってはいるが、悩みを解決しようとしているという点では、間違っていなかった。

 これで上手くいっているのならば、私が余計な口を出すべきではないだろう。

 事情を説明してくれた彼女に感謝の言葉を吐くと、私はその場を後にした。

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竜馬の躓き 三鹿ショート @mijikashort

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