第176話 勇者とメイドの攻防戦 Ⅴ

 茜が信士のヘルプに応えて帰ってしまったため、今ここにいるのは俺とエリスさんの2人だけである。

 いや、まだ店内だし、店員さんも他のお客さんもいるんだが、気分的には二人きり。

「ちょ、エリスさん?!」

「うふふふ、この程度のスキンシップはよろしいではないですか」

 エリスさんが俺の腕に手を絡めて、そのご立派なお胸様を押しつける。

 

 ご馳そ、じゃなくて!

 早くもグイグイ来るエリスさんに逃げ腰の俺。

 とはいえ、ここは超高級民芸品、江戸切り子のお店。商品を壊してしまう事を考えると振り払うこともできず、言葉と態度で窘めるもエリスさんはまるで堪えない。

 というか、間違いなくろくな抵抗ができないことを見越している。

 だって、さらに俺の腕に胸を押しつけてるもん。

 ポヨンポヨン…。

 

 俺は終始エリスさんに翻弄されながらもなんとか必要な数のお土産を買い揃え、店を後にする。

 するとエリスさんは抱きついていた腕から少し身を離し、俺の肘に軽く手を添える。

 こうなるとそれ以上俺も拒否はできずされるままになった。

 この絶妙な距離とタイミングは見事と言うしかない。

 当事者じゃなければ感心するところだろうな。

 

 とりあえず必要な買い物は全て済ませることができた。

 茜が呼び出されたのが最後の店にいるときで良かった。俺一人でエリスさんを化粧品の店に連れて行くなんて絶対に無理だし。

 エリスさんの希望ではもう一軒行きたいところがあったらしいのだが、ランジェリーショップだったので全力で却下しておいた。意図が明け透けすぎて逆に引くわ!

 時計を見るとまだ4時前。

 夕食を摂るレストランには予約を入れてあるらしく、その時間まではまだまだある。

 

 二人きりになったせいなのかいつものすました顔ではなく、変化は小さいものの興味深げにあちこちに視線を巡らせアレコレと質問をしてくるエリスさんはまるで素直じゃない子供のようだ。

 俺としてもエリスさんの言動にいつも振り回されていて心身に警戒せざるを得ないとはいえ、別に彼女のことを嫌っているわけではないのであまり邪険にするのは申し訳ない。

 エリスさんの態度を見てそう思い直した俺は改めてきちんと東京案内をしようと考えたわけである。

 というわけで、せっかくなので異世界には存在しない施設に連れて行くことにする。

 

 再び山手線に乗って品川まで行き、駅を出るとすぐ目の前にある品川プリンスホテル。

 といってももちろん泊まるわけじゃない。絶対に!

 用があるのはそのホテル内にある施設、マクセル・アクアパーク品川という水族館である。

 東京には小さなものも含めるとおよそ10カ所の水族館がある。

 しかも日本の水族館の元祖はなんと上野動物園! 1882年3月に日本初の動物園として開業し、同年9月に施設内に『うをのぞき』という魚を展示する施設を公開したのが始まりだったらしい。

 世界には約400箇所の水族館があり、その内150箇所が日本にある。まさに日本は水族館王国なのだ。

 その中で行きやすさとこの後のレストランへのアクセスを考えてここアクアパーク品川をチョイスした。

 

 15年ほど前に開業した駅前水族館をリニューアルして2015年7月にオープンした比較的新しい水族館で、都市型水族館として人気のスポットになっている。

 それほど大きな施設ではないが、工夫を凝らした展示と映像を駆使した演出によって不思議な雰囲気を作り出している。

 アリアナス王国、というか、異世界には水族館などという施設は存在しない。

 造って維持するのに膨大なコストと手間が掛かる上に、そもそもそのような施設は想像の埒外にあるからだ。

 根本的にそういった施設を楽しむ余裕がないのもあるが。

 

 エリスさんも最初は水族館という施設を理解できなかったらしい。海に泳いでいる魚や動物を展示して、それを見るというのが意味不明だと。まぁ気持ちは分からないでもない。食べるために育てるならまだしも見るだけだしな。

 そんなエリスさんだったが、アクアパークに入った途端、目を丸くしていた。

 エントランスに入った途端目の前にある水槽に泳ぐ魚の群れと投影された映像の演出。

 趣向を凝らした館内で、歩くたびに目を輝かせて子供のようにはしゃぐエリスさんは、王宮ですました顔をしながら毒を吐く姿を想像できないくらいだ。

 

「ありがとうございます。なんというか、言葉にできないほど素晴らしいですね」

 アクアパークを出たエリスさんがいつもの調子を取り戻し、アルカイックスマイルで平坦に言うが、どことなく視線が動揺を伝えてくるような気がした。

 ……なんていうか、ギャップ萌え?

 帰ったらメルに事細かに話してやろう。

「ユーヤ様? なにやらよろしくないことをお考えではありませんか?」

 エリスさん、目が怖いっす。

 

 そんなこんなしているうちに丁度良い時間になったので、予約しているというレストランへ行き、イタリアンに舌鼓を打つ。

 こちらの世界の料理はすでに幾度も経験済みだが、高級イタリアンはどうかというと……エリスさんの反応は普通でした……。

 まぁ、確かに美味いけど、王国の宮廷料理だって十分に素晴らしいし、カルチャーショックを受けるほどではないんだろう。

 ……つまんねぇ。

 

 ただ、一緒に頼んだワインはかなり気に入ったらしい。

 以前ナポリに行ったときにも言ったような気がするが、日本ではフランスワインの方が何故かもて囃されているのだが、イタリアもワインの名産地として知られている。生産量に到っては世界一だ。しかも美味しいワインがお手頃な値段で手に入りやすいのでかなりお勧めだ。

 バローロなんかは名が知られているがさすがにちょっとお高いのでレストランにいるソムリエの人に勧められた『キャンティ・クラシコ』のワインをフルボトルで1本だけ頼んだ。

 料理との相性もバッチリで美味かった。レストランで頼むには少々高かったが、せっかくなので奮発しても良いだろう。

 

 そんな夕食を楽しんで外に出ると、さすがは東京の街である。

 夜の通りは昼間以上の活気に満ちていた。

 とはいえ、予定としてはこの後は電車に乗って帰るだけである。

 ……そう思ってたんだけどなぁ。

「それでは素敵な夜に乾杯しましょう」

 なんで俺はエリスさんとバーで飲んでいるんだろうか?

 

「今度いつこのような機会があるか分かりませんし、せっかくユーヤ様の世界に来られたのですから許される限りの時間を楽しみたいと思います」

 んなこと言われると断りづらいんだよなぁ。

 まぁ、メル達には電話して話しておいたから多少は大丈夫だけど。

「はぁ、しょうがないか。でも、この店だけですからね?」

 一応念押ししておかないと後が恐い。

 

「……ホテルでの甘く熱い夜は?」

「行きません!」

「御休憩は?」

「しませんってば!」

「では、誰が通りがかるか分からない公園で? さすがの私でも少々恥ずかしいのですが、ユーヤ様がどうしてもおっしゃるなら……」

「なんの話ですか! 帰るんです!」

「チッ」

 舌打ちすんなよ。

 

「ユーヤ様のヘタレっぷりには落胆を通り越して尊敬すらおぼえますが、まぁ、今は飲みましょう」

 甚だ不名誉な評価に言いたいことはあるが今は流す。誰がヘタレか!

 ……まぁ、身に覚えがないとまでは言わないが。

「それにしても、この世界のお酒はとても種類が豊富で素晴らしいですね」

異世界向こうでも色んな種類の酒はあるでしょう? こっちの世界は流通が発達してるからいろいろな土地のものが売られているってだけですよ」

 日本ではそれこそ数え切れないほどの種類の酒が売られているが、元々は世界中のそれぞれの土地で造られ研かれた物だ。

 王国のある異世界にだって色んな酒があった。ただほとんどがその土地で消費されて流通していないだけだ。液体の輸送ってのは難しいからな。

 

 バーといえばやはりカクテルである。

 エリスさんは最初いろいろな種類の酒を試したいと単体で頼んでいたのだが、俺がジントニックやマティーニ(ちょっと格好つけて頼んでみた)を飲んでいるのを見て興味が引かれたらしく、飲んでみることに。

「どうせなら、飲み比べをしてみませんか? 私はこう見えてもそれなりに飲めますので」

 こう見えてもナニも、少なくとも弱そうには見えませんが?

「それと、賭をしましょう。私が勝ったら一日たっぷりねっとりお付き合いいただきます。ユーヤ様が勝ったら、私のこの身体を捧げましょう」

「お断りします!」

 っていうか、それどっちも同じじゃん!

 

 ちなみにだが、今の俺は酒にかなり強い。というか、ほろ酔い以上にはまずならない。

 これは異世界でステータスが爆上がりしたことと、毒耐性が極端に高くなったことが理由だ。

 なので俺にほとんどの毒は効果がない。らしい。

 いや、試したことないから聞いた話だけだけどな。だってもし効いたら恐いじゃん。試したくねぇよ。

 

 んで、お酒、というかアルコールというのは人体にとっては基本的に毒だ。昔は「酒は百薬の長」なんていって少量なら身体に良いと言われていたが、最近の研究ではごく少量でも健康リスクがあるとされている。

 毒というのは人体において主に肝臓で処理される。そしてその許容量というのは個人差があるのだが、俺の場合はその許容量の桁が全然違うらしい。

 なので、酒が腸で吸収されて肝臓で処理されるまでのわずかな量が血中に入ってほろ酔いにはなるものの、飲まなくなれば数分~十数分で醒めてしまうのだ。

 中には『酔うのが楽しいんじゃないか』と言う人もいるが、俺は酔っぱらうのが嫌なのでそれほど困っていない。

 いや、底もなくなるから財布には優しくないが。

 

 ……そろそろ現実逃避はやめた方がいいか。

「ユーヤ様、聞いてるんですか?!」

「えっと、エリスさん、そろそろ……」

「駄目です! 今日こそはユーヤ様に分かっていただかないと! あ、次はカミカゼをください。……いいですか? ユーヤ様は女心というものをわかっておられません!」

 俺の隣には見事な酔っぱらいがひとり。

 

 当初の言葉通り、エリスさんは普通の人よりは遥かに酒に強かった。

 飲み比べはしていないが、相当なペースでメニューの上から順にカクテルを頼みだし(何故か常に2杯ずつ。んで、1杯は俺のところに)20杯を超えたあたりでだんだんと口調が怪しくなり、今35杯目を飲み干したところだ。

 そして、俺はエリスさんに懇々と女心とやらについて説教されているのである。

 

「姫様があれだけ好意をダダ漏れさせて股間を濡らしているのに、手を出すのに何年かかったのですか! おまけに、ようやくハーレムを作ったと思えば、1年が経とうというのにまだたった4人だけとは!

 世界を救った勇者ともあろう方が妾の1000人や2000人囲わなくてどうするのですか!」

 いや、そんなに囲ったら間違いなく死ぬぞ? 主に精神的に。

「私だって毎日“せくすぃ”な下着を身につけながらいつ襲って、いえ、襲われても良いように準備しているというのに、どれだけ待たせれば気が済むのですか?! それとも焦らしプレイとでも?」

「い、いや、あの、エリスさん? 声が……」

「聞いてるのですか!」

 ダンッ!

 

 グラスをカウンターに叩き付けるのは止めて!

 さっきから周囲の人の目が痛すぎる。

 世界を救っただとか勇者とか厨二病満載の発言と、美女に迫られて小さくなってる俺を見て、もの凄く棘のある視線が浴びせられているのだ。

 くだを巻いているエリスさんと視線に耐えきれず、トイレに一時避難する。

 うん、やっぱりエリスさんの言うとおり俺はヘタレかもしれん。

 ってか、この状況をうまく捌ける人がいるなら弟子入りしたいわ。

 

 

 

 10分ほど頭を冷やし、店内に戻る。

 もちろん、酔っぱらったエリスさんが変なのに絡まれないように気配は常に把握していたのだが、戻ってみるとカウンターに突っ伏して眠ってしまったエリスさんがいた。

 やれやれ。

 とりあえず会計をお願いする。

 ……た、高ぇ!

 現金がまったく足りないのでカードで支払い、エリスさんを背負って店を出る。

 

 ………………

 やっぱエリスさん、スタイル良いよなぁ。

 背中に当たるお胸様と両手に抱えた太股の感触が素晴らしいです。

 ご馳走様です。

 でも、息子さんはちょっとおとなしくしてようか、うん。

「ん……ユーヤ…様……」

 耳元でエリスさんの吐息混じりの寝言が。

 先程までバーにいたせいか、あまりアルコールの匂いは感じないが、その熱い息にはドキドキしてしまう。

「……好き…です……一度だけ…でも……」

 頑張れ俺の平常心!

 

 結構な時間になったにも関わらず相変わらず大勢の人が行き交う新宿の街をエリスさんを背負ったまま歩く。

 オフィスが集まっているところまで来るとさすがに人通りも途切れてくるので、隙を見て路地に入り、転移魔法で家まで帰ってくることができた。

 どうやら他の人は既に寝てしまっているらしい。

 まぁ、別に疚しいことをしているわけじゃないのでエリスさんをおんぶしているのを見られても構わないし、むしろエリスさんの着替えとかも考えると居てくれた方が良かったんだが、寝ているのなら仕方がない。

 

 エリスさんが寝泊まりしている客間に入ると、ありがたいことに布団が敷いてあった。

 行儀が悪いが足で掛け布団を引っぺがし、エリスさんを横たえる。

 あ、靴脱がしてない。

 慌ててエリスさんの足からショートブーツを脱がせて、とりあえずアイテムボックスに放り込む。

「ん……ふぅ……あ…暑い……」

 艶めかしい声出すの止めてほしい。それと胸元のボタンを外すのも。

 シャツから見える谷間から必死に視線を外す。

 無意識なのか、デニムのボタンも外し始めたので慌ててエリスさんに布団を掛ける。

 

「ユーヤ、様ぁ……」

 どことなく不安そうに聞こえる声に、俺は宥めるようにエリスさんの頭を撫で、物音を立てないように部屋を出た。

 ……ん?

 舌打ちの音が聞こえたような気がしたんだが、気のせいか。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る