第162話 Side Story ヘタレの受難

 午前10時10分。

 俺は部屋を出てホテルのロビーに向かう。

「おう、遅ぇぞ、って、裕哉はどうした?」

 ロビーのソファにふんぞり返って待っていた親父さんが相変わらずの仏頂面でこちらを見て眉を寄せる。

「なんか体調悪いみたい。今日は無理だって」

「ちっ、だらしねぇ。二日酔いか?」

 親父さんが不機嫌そうに舌打ちする。

「ん~、そんな感じじゃなかったよ。でも顔色がかなり悪かったしベッドから出られないみたい」

 朝起きたらビックリしたよ。

 隣のベッドで柏木君が青い顔で唸ってるから。何か「アレは俺じゃない」とか「どうかしてたんだ」とか「いっそ死んでしまいたい」とかブツブツ言ってて恐かった。

 

「しゃあねぇな。まぁ、日程には余裕があるし、裕哉が居ねぇのにバイク屋行っても仕方ねぇ。今日はイタリアで仕入れたバイクの情報を纏めるか。昨日オメェがパソコンでネット使えるようにしてくれたからな。どうせ日本に帰ったらしなきゃならねぇから丁度良いっちゃぁ丁度良い」

 元々今回の仕入れ旅行は柏木君に中古バイクの仕入れやら交渉やらを経験させるって目的もあったらしいので、肝心の柏木君抜きなのは意味が半減してしまうということらしい。

 それに、ここのホテルは無料でネット接続できるから昨日親父さんに頼まれて設定しておいたのが功を奏したのかな。

 でも、そうなると俺はどうしたら?

「オメェも今日は好きにしたらどうだ? 英語できんだろ? 観光でもしてこいや」

「……そうっすね。でも親父さんは1人で大丈夫なんですか?」

「ホテルの中なら日本語できるスタッフもいるみてぇだし、裕哉の奴も部屋にはいるんだろ? 何かあったら叩き起こすから大丈夫だろ」

 ふむ。だったらお言葉に甘えちゃおうかな?

 強引に親父さん達の仕事にくっついてきたとはいっても、やっぱり折角だから観光したいし。

 

 う~ん、そうなるとどこに行こうか。

 時間的に今ならバッキンガム宮殿の衛兵交代式が見られるかもしれないけど、冬場は2日に1回だって話だし、今日やってれば良いけど。

 あと、ウェストミンスター宮殿にも行ってみたいし、ロンドン塔にも興味はあるけど幽霊が出るって噂があるのでちょっと怖い。

 大英博物館も行ってみたいけど、流石に時間的に難しいかな。常設展示だけでも見るだけで2日はかかるって話だし。

 アレコレと考えつつ親父さんと別れてまずはホテルのカウンターでバッキンガム宮殿の交代式について聞く。

 幸運なことに丁度今日は交代式の行われる日らしい。まぁ、1/2の確率なのでご都合主義でも何でもない。

 スマホの地図でホテルからバッキンガム宮殿までのルートを確認してからホテルの駐車場に行ってバイクに跨がる。

 

 初めての土地、それも慣れ親しんだ日本じゃなく外国で1人行動は不安だけど、ロンドンは世界でも有数の治安の良い都市だと言われている。それに道路も日本と同じ左側通行だ。

 俺だって流石に子供じゃないんだから1人でも何とかなる。言葉だって大丈夫だ……イギリス英語はちょっと苦手だけど……

 うん、大丈夫。

 ……一応、柏木君にすぐに連絡できるようにスマホの電話アプリにショートカット登録しておこう。

 

 バッキンガム宮殿まではホテルからバイクで僅か10数分の距離だ。

 衛兵の交代式は11時半から始まるらしいが、既に多くの観光客が見物に訪れているみたい。

 衛兵の交代式に先駆けてまずはホース・ガーズで騎馬隊の交代式が行われる。

 馬に乗った騎兵達の交代式だけど一糸乱れぬ行進はもの凄く壮観だった。

 冬場とはいえ世界中から押し寄せた観光客で周囲はごった返していて、交代式が終わった途端に人並みに押されるようにバッキンガム宮殿の正門前に移動する。

 衛兵交代式を齧り付きで見られるスポットなのだけれど、人が多すぎてとても見るどころじゃない。なので、正門から道を挟んだビクトリア女王記念碑の前に移動する。

 ネットの情報だと少し高低差があるので行進も交代式もしっかり見られるスポットなのだとか。

 イギリスの衛兵といえばモコモコの帽子に鮮やかな赤いジャケットがイメージされるけどそれは夏場だけらしい。真冬の今は帽子はそのままにジャケットがグレーのロングコートに替わっている。

 交代式は整然とした、それでいてどこかコミカルな動きが見ていてとても楽しめた。

 

 交代式が終わると次はウエストミンスター寺院に移動。といっても近いのでバイクなら僅か数分だ。

 入場料が高いので(大人1人約2700円)中には入らずに外から見るだけ。

 ちなみに日本の学校や会社で使われているチャイムの音階はこの寺院のために作曲された「ウエストミンスターの鐘」が元になっているらしい。

 日本にはない巨大な石造りの聖堂は見るだけの価値はある。

 周囲には観光客が多く、それだけにカップルが沢山。

 そんなところにたった1人の俺。

 寂しい。

 けど、日本にはちゃんと彼女いるし、羨ましくなんかない!

 絶対に清香ちゃんといつか一緒に歩いてやる!!

 

 そんなこんなしているうちにさすがにお腹がすいてくる。

 なので、再びバイクに跨がってロンドン橋|(タワーブリッジじゃないよ)の近くにあるバラ・マーケットというロンドンで一番大きな食品市場に。

 様々な食材が売られている数多くの店舗(屋台?)が軒を連ねる有名スポットだ。

 そこで牡蠣にたっぷりのラクレットチーズを掛けて焼いた軽食をテイクアウェイして歩いて近くの公園に移動する。

 ロンドンは大都市だけど至る所に木々と芝生が敷き詰められた公園が点在している。そこのベンチに腰掛けて食べる。

 うん、美味い。

 2月ともなれば寒いといえば寒いが思ったほどでもない。

 日差しもあるし、ダウンジャケットを着ていればそれほど苦じゃないな。

 残念なのは日本と違ってあまり自動販売機がないことかな。なので飲み物は公園に入る前に買っておく必要がある。

 

 

『あ~!!』

 俺が食べ終わった紙の容器をゴミ箱に捨てた瞬間、背後から大きな声が響いた。

 え?! なに?! えっと、ココに捨てちゃ駄目だった?

 焦って声の方を振り向くと、少し離れたところに腰に手をやっている女の子の、後ろ姿? あれ?

『そんなところにゴミ捨てちゃいけないんだよ! 大人なのにそんなことも知らないの!!』

 女の子が指した方に目をやると、そこには2人の男の人と、その足元にはペットボトルが。

『ああん? なんだこのガキは』

 男の1人が女の子をジロリと睨みつけて低い声で唸る。

 

 う、こ、恐い。

 アレ、絶対危ない人だ。

 暴力的な気配とちょっとパンクっぽいファッション。

 日本で出会ったら50メートル先から回れ右する自信がある。

 そんな男の人を前にして女の子は尚も怯まずに大声を上げる。

『ゴミはゴミ箱に捨てなきゃいけないんだよ! ママに教わらなかったの?!』

 ちょ、ちょっと、キミ、危ないって!

 そういうことは人を見て言おうよ!

 

『うるせぇガキだな! ぶん殴られてぇのか? ああ?』

『ヒッ! 痛っ!』

 男が怒鳴りながら肩を小突くと女の子が転んでしまう。

 ひ、酷っ!

 小さな子相手になんてことを!

 そう思いながらも俺の足は震えて、喉も凍り付いたように声が出ない。

 情けない。

 柏木君なら迷わず割って入るだろうけど、俺にはそれほどの実力はない。それが途轍もなく悔しい。

 

『わ、悪いことをしちゃいけないんだよ! 暴力なんて最低な人がすることなんだから! い、痛い! 離して!!』

 明らかに涙目で震える声なのに、それでも男を責める女の子に、男はあろうことかその髪の毛を掴んで引っ張り上げた。

 もう1人の男もそれを止めるでもなくニヤニヤと笑っている。

 何て奴らだ。

 でも、このままじゃ女の子が。

『や、止めろ!』

 声が出た。

 出てくれた。いや、出ちゃった?

 で、でも、コレって俺がヤバいよね?

 

『ああん? 今のはテメェか? 何だよ、何か文句でもあるのか? あ?』

 女の子の髪を掴んだまま今度は俺に男が向かってくる。

 こ、恐い、逃げたい、けど、逃げたら俺は一生後悔する。

『そ、その手を離せ! こ、子供に暴力振るうなんて、ど、どど、どういうつもりだ』

 殴られたら痛いよなぁ。

 見るからにゴツいし、2人もいるし、慣れてそうだし。

 ゴメン、清香ちゃん、俺、日本に帰れないかも。

 

『外国人か? 余計な口出すんじゃねぇよ! ぶっ殺されてぇのか?』

 ひぃぃ! こっち来たぁ!

『い、良いからその手を離せよ! それとも言葉も理解できないほど頭が悪いのか?』

 お願い! 俺の口、止まってぇ!

『テメェ! 死ねや!』

 放り投げるように女の子の髪を離した男が一気に走り寄ってきて、直後、俺の腹に強い衝撃が来て吹き飛ばされてしまった。

 ぐぅ! い、痛、くない? あれ?

 

 蹴られたはずなのに、当たった所が痛くない。というか、服に汚れすら付いてない? え?!

 あ、吹き飛ばされた時に地面に付いた跡はある。あれぇ?

『チッ! まだやるってのか? そんなに死にたいならぶっ殺してやるよ!!』

 今度は顔面にパンチが飛んでくる。

 当然だけど避けるなんて芸当をできるわけがなくてモロにくらう。

 けど、やっぱり痛くない。

 衝撃、というか、強く押されたような感触はある。

 けど、何かクッションでも間に挟んでいるかのように痛みがない。衝撃も力を込めれば耐えられる程度しかないし。

 一瞬、柏木君が羽田空港で『お守り』とか言って渡してくれたシルバーのバングルが光ったような気がするけど、これは多分気のせいか、それか光が反射してるだけだよね?

 

 最初に吹き飛ばされてから起き上がれていない俺に男達の蹴りやパンチが飛んでくる。

 最初身体を丸めて防御していたけど、多少の衝撃はあれど痛みは全くないことでだんだん慣れてきた。

 俺は殴られながらもゆっくりと身体を起こして立ち上がる。

『な?! な、なんで? 効いてないのか?』

『く、くそ、何だよコイツ』

 改めて見る男達の顔は驚愕に満ちていて、俺自身今の状況に戸惑う。

 というか、一体全体何がどうなってるのか俺にも分からない。

 けど、これはチャンスだ。

 戸惑っている男の顔面めがけて思いっきり拳を叩きつける。

 格闘技なんてしたことないから思いっきりへっぴり腰で不格好なのは自分でも分かっているけど、怯ませられればそれで十分。

 俺にダメージは無いみたいだから、その間に女の子を連れて逃げよう。

 そんな風に考えていた俺なんだけど、

 

 ドグゥ!!

 肉が何かに叩きつけられるような音と共に、殴った男が吹き飛び、5メートルくらいゴロゴロと転がっていってしまった。

 ……え? なに? どしたの? え? え?

 転がった男はピクピクと痙攣して起き上がる気配がない。

 どういうこと? 俺無意識のうちにデンプシーロールとかやっちゃった?

『て、テメェ! 死ねぇ!!』

 一瞬呆然としていたもう1人の男が、どこから出したのかナイフを片手に雄叫びを上げながら突っ込んでくる。

 あ、コレは駄目だ。俺死んだ。

 とっさに腕で身体を庇ったものの、避ける間もなくナイフが俺の手首に刺さ、ってない?

 伝わってきたのは毛布越しに割り箸で突っつかれているような感触。

 

『ば、化物、ひぃぃぃ!』

 ……逃げちゃった。

 えっと……お友達は置いてけぼりですか?

 え~っと、どうすれば良いんだ?

 ……あ、そうだ、女の子!

 慌ててあたりを見回す。

 居た。女の子は振り払われた場所のままこちらを呆然と見ている。

 何が起こったのか理解できない様子だ。俺もだけど。

『えっと、キミ、大丈夫? 怪我してない?』

 怯えさせないように声を掛けながらゆっくりと女の子に近づく。

 大丈夫だよね? 俺、不審者とか変質者とかに見られてないよね?

 

 女の子のすぐ目の前まで来ても呆然と俺の顔を見ていたけど、目線を合わせるためにしゃがむとビクッと肩を震わせる。

『大丈夫? 痛いところない? えっと、もう恐い人はいないから、その…』

 できるだけ優しく聞こえるように気をつけながら声を掛ける。

 目が合って、しばらくすると女の子の目からジワッと涙が溢れ、直後。

『うわぁぁぁぁぁん!』

 な、泣いちゃった!

 ど、どど、どうしたら?

 戸惑う俺に、今度は女の子ががっしりとしがみついてくる。

 俺は思わずバンザイの姿勢で凍り付いた。

 

 永遠にも思える時間を経過し、ようやく泣き声が途切れたところで声を掛ける。

『えっと、お父さんかお母さんは? 近くにいるの?』

 見ると女の子は小学校の低学年くらいの年齢に見える。

 となれば近くに住んでいるか、親が一緒にいると思ったのだが。

『ヒグッ…えっとね…ママはお仕事なの…マリアはちょっとお散歩に来たの』

 う~ん、どうしよう。

 言葉の内容から近くに住んでいるのだろうことは分かったけど、だからといってこのままそれじゃあね、というわけにいくのか?

 とはいえ、俺にできることなんてなさそうだし、一応家にくらいは送っていった方が良いかな?

 あ、ダウンジャケットが涙と鼻水でデロデロだ。乾いたらカピカピにテカりそう。

 

『そ、それじゃ、家まで送るよ。いつもはお家でママを待ってるのかな?』

 そういう俺に女の子、マリアちゃん? は、イヤイヤするように首を振る。

『ママ、まだ帰ってこないの。一緒にいて? コワいの』

 ……困った。

 いや、別に時間がないってわけじゃないけど、見るからに東洋人の俺が、金髪碧眼の幼女を連れて歩くって、犯罪臭くない?

 でも、このまま女の子を見放すってのも良心がチクチク痛むし。

『ダメ? マリア、一緒にいちゃダメ?』

『い、良いよ。そ、それじゃママのお仕事が終わる時間までお散歩しようか』

 無理っす!

 幼女に上目遣いでそんなこと言われたら断れないよ!

 

 色々と諦めて、マリアちゃんに行きたいところを聞く。

『えっとね、近くなんだけど一度も入ったことないの。だからロンドン塔に行きたい!』

 マジ?

 日が暮れるのが早いロンドン。既にかなり日は傾いているのにこれからあの世界一有名な幽霊屋敷に行けと?

 ……わかったから、そんな目で俺を見ないで。

 念のためバイクをちゃんとした駐車場に入れてからマリアちゃんと手を繋いでロンドン塔へ歩いていった。

 俺は回りからどんな風に見えるのだろうか?

 通報されないと良いなぁ……。

 

 

 ……ロンドン塔、怖かった。

 だって、マリアちゃんが首のない女の人が立ってるとか男の子2人が走り回ってて自分にも悪戯してきたとか言うし。

 俺をからかってるだけかもしれないけど、それって、ヘンリー8世に冤罪を掛けられて処刑されたアン・ブーリンとリチャード3世に幽閉されて死んだエドワード5世とその弟グロスター公リチャードの兄弟のことだよね?

 ちょっとチビりそうなんだけど?

 

 精神に多大なダメージを被りながらロンドン塔を出た俺達はようやくマリアちゃんの住んでいる家に向かう。

 マリアちゃんは有名な地元民なのか、所々の商店で声を掛けられていた。

 なるほど、今日のアレは例外として、普段からあちこち歩き回っているようだ。少々不用心な気がするけどな。

『マリア!!』

 手を繋いだまま歩いていると、背後から大声で呼び止める声がした。

『ママ!!』

 振り向いたマリアちゃんは満面の笑みを浮かべると、俺の手を離して声を掛けてきた人物に飛び込んでいった。

 俺もそっちを見たのだけど、えっと、あれ? ママ?

 

 一生懸命マリアちゃんが今日あったことを話している相手は、その、190センチ近くありそうな身長とがっしりとした体格。

 真冬なのにピッチリとしたレザーパンツに妙に露出の多いシャツを着たガチムチの男性だった。

『そう。よく頑張ったわね。でも、危ないことしちゃダメよ?』

『うん! ごめんなさいママ!』

 言葉だけならほのぼのとした母娘の会話。

 片っぽの声が野太いのに耳を塞げばだけど。

『マリアがお世話になったわね。本当にありがとう!』

『い、いえ、大したことはしてないので、えっと、俺はそろそろ…』

 じり。

『あらぁ、そんなこと言わないでお礼をさせてちょうだい』

 じり。

『お、お気遣いなく…』

 じりじり。

『それじゃこっちの気がすまないわよ。そ・れ・に、結構素敵な男の人じゃない。たっぷりとおもてなししたいわぁ』

 じり、だっ!

『ほ、ホントに大丈夫ですからぁ! さよならぁ!!』

『あっ! まってぇ!』

 ひぃ! 追っかけてくるぅ!

 だ、誰か、助けてぇ!!

 

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