第161話 勇者の欧州珍道中 ⅩⅠ
路地から飛び出してきた怪しい男を尾行する俺。
気分は探偵かスパイ映画の主人公って感じだ。決してストーカーなどと思ってはいけない。
もちろん気付かれたり、周囲の人に不審に思われたりしないように『認識阻害』の魔法を展開中である。
ただしもうひとつ気を付けなきゃならないのは監視カメラである。
イギリスは有名な監視大国。イギリス全土で公的機関が設置している防犯カメラは推定で800万台(公式の情報では600万台)、ロンドン市内にはこの3分の1が集中している。さらに民間企業や個人が設置しているものを含めると市内だけで1000万台を超えるカメラが日夜撮影に精を出しているらしい。
最低でもロンドンに暮らす人達は一日平均300回は撮影されているのだとか。
なので、撮影されても問題ないように俺は男からたっぷりと200メートルほど離れた位置で尾行しているのである。
普通ならそれほど離れたら尾行なんてできるはずがないのだが、そこはそれ異世界帰りの勇者クオリティ。男の進行方向に先回りして一瞬だけ触れられるほど近づいたときに魔力でマーカーを打ち込んでおいたので撒かれる心配はない。
そうして尾行すること30分。
男が歩いていったのはシティオブロンドンの金融街、証券取引所やイングランド銀行などが集まる一角だった。
その一角は夜になると人通りはあまりなく、ひっそりと静まりかえっている。とはいっても通りを通過する車はそれなりにあるので、どこか東京の官庁街の雰囲気と似ている。
不意に男が立ち止まり、警戒するように周囲を見回してから一つのビルに入っていく。
どうやら尾行はここまでのようだ。男の目的地はわかった。けど、それが分かったからといって、このままじゃ何しに来たんだか。
というわけで、次のミッションは潜入捜査である。
ますますスパイ映画じみてきたな。
俺は男が入ったビルを通り過ぎ、数百メートル離れたところでビルとビルの間の路地に入る。素早く周囲の監視カメラの位置と撮影している方向を確認し、死角になっている場所から路地に飛び込んだのだ。
そうして街路灯の灯りの届かない暗い場所で思案を巡らす。
このときに俺は致命的な失敗を犯してしまう。
後になって考えてもどうしてあんな判断をしたのか自分でも理解できないのだが、その時は何故かそれが最善だと思ってしまったのだ。
おそらく警察に拘束されたストレスとか色々重なったからだろうと思う。
そんなときに出会ってしまった怪しい臭いを纏わせた男と無数の監視カメラ。
だから考えてしまったのだ。
『正体がわからなきゃ良いじゃん』と。
ビルの4階にある応接室に男はいた。
着ていたコートと帽子は脱いでおり、マスクも外しているのでようやくその容貌がはっきりとした。
東洋人、日本人というよりももう少し大陸系の顔立ちの細身の男性だ。
目撃者の証言といい、身体に染みついていた臭いといい、ほぼ間違いなくデモ集会の場所でゴミ箱に爆発物を投げ込んだ男だろう。
なんでその時は帽子やマスクをしていなかったのかは、多分だけどデモ会場周辺には警察官が多く巡回していたので怪しまれたりしないように逆に変装をしなかったんじゃないだろうか。
男はソファーに腰掛けながらイライラした様子で貧乏揺すりをしている。落ち着かないらしく時折立ち上がって部屋の中をウロウロと歩き回りまた座るというのを繰り返していた。
なんでそんなに詳しく男の様子がわかるのかって?
だって、目の前にいるし。
当然の事ながら『認識阻害』の魔法は絶賛稼働中なのだ。
監視カメラの死角になっていた路地に入って服装を着替えた俺は夜の闇に紛れるように飛行魔法で空を移動した。
理由は簡単、監視カメラってのは普通空に向かっては撮影してないからな。
んで、男が入っていったビルの屋上に着地。そこからどうしようかと思ってたんだが、運の良いことに屋上のドアに鍵が掛かっていなかったのでそのまま侵入した。
マーカーによって男の居場所は分かっているので認識阻害を継続したまま移動。
ビル内にも防犯カメラは所々に設置されていたが、カメラの撮影範囲は全力ダッシュで切り抜けた。もしモニターとかで警備員が見ていたとしても一瞬しか映ってなかったはずだし、それだけじゃ人かどうかも判別はつかないんじゃないかと思うので大丈夫だろう。多分。
そうして男がいる部屋に辿り着くと、丁度飲み物を差し入れるために訪れたと見られる女性が部屋に入るところだったのでドアの隙間から滑り込んだというわけだ。
動きのない中、いや、男は動き回ってるけど、待つことしばし。
ストレスの溜まった動物園の熊のような動きをしている男を見ているのも正直飽きてしまった俺だったが、20分ほど待ってたらようやく先ほどの女性が男を呼びに来た。
そして再び移動する男と気配を消したままついていく俺。
案内されたのは同じフロアにある会議室のような部屋だ。
『し、失礼します。フォンです』
先ほどまでのイライラした様子とは打って変わって緊張気味、というか、ビクビクした表情で部屋に入る男。
どうやら先ほどまでの落ち着かない行動も緊張の裏返しだったようだ。
『うむ。ご苦労だったな』
『い、いえ、折角道具を用意していただいたのに満足いく結果を得られず、申し訳…』
『気にすることはない。元々人を殺傷するのが目的ではなく、デモ集会に爆弾テロが行われたという事実が重要だったのだ。キミは良くやってくれたよ』
部屋は予想通り会議室のようでいくつかの長机とオフィスチェアが並び、そこに数人の男女が着席していた。それと他にも警備員かSPっぽい人が数人壁際に立っている。
着席している人の中で、中央に座っている初老の男が穏やかな声音で応じたことで緊張が取れたのか、男の肩から力が抜ける。
『そうですな。まぁ、数人程度死人が出ればもっと世論を誘導できたでしょうが、及第点といったところでしょう』
『あら、点数が辛いわね。警察はまだ容疑者の特定すらできていないようだし、フォンの働きは十分ではないかしら?』
『ありがとうございます』
初老の男の左右に座った男女が口々に発言するが概ね責める内容ではなかったのでフォンと名乗った男も落ち着いて頭を下げる。
『待たせてしまって申し訳なかったね。実はこのビルにネズミが紛れ込んでいたようでね』
一瞬俺のことかと思ったが、男達や警備員達が俺の存在に気付いている様子は見られない。
初老の男が顎をしゃくって示した場所を見ると、部屋の奥側の隅に1人の人間が転がっていた。どうやら俺とは別口で侵入者がいたらしい。
暴行を受けたのか、顔は所々腫れ上がり、唇からは血が滲んでいる。どうやら生きてはいるようで、微かなうめき声と後ろ手に縛られた身体が時折もがくように動いている。意識も朦朧としているのか視線も虚ろだ。
その視線がぼんやりと俺を向く。
と、驚いたように急に目の焦点が俺に固定された。
あ、やば!
慌てて俺は人差し指を顔の前に立てて黙っているようにジェスチャーをする。
それが通じたのか、侵入者は俺から僅かに視線を逸らし何事もなかったかのように装ってくれた。
以前にも話したことがあるが、『認識阻害』の魔法は姿を消すわけじゃない。周囲の人間に(魔物や野獣相手の場合もあるが)気配や動きを察知するのを阻害させてそこらの石や木のように注意を向けさせないようにさせるものだ。
だから今のように周囲を見るとはなしにぼんやりとしているとその効果が発揮されないことがあるのだ。あと、一定以上のレベルで気配察知できるような相手だと効果は薄い。
幸いこの中にはそんな人間はいないようだし気付かれたのは偶然だ。それと、侵入者にとっては今の状況は完全に詰んでいる状態。そんなところに現れた怪しい人物、となれば状況を打開するきっかけになるかもしれないという打算が働いたのだろう。
『その男は?』
『パパラッチだ。それも政治スキャンダル専門の。一月ほど前から嗅ぎ回っていたようだったのでね。これ見よがしに我々が集まって見せたら見事に釣られてくれたというわけだ』
フォンが転がっている男のことを尋ねると、初老の右にいる男がニヤニヤと笑いながら説明する。
ゴシップ好きで知られるイギリスだが、実は日本のようなワイドショー番組というのはないらしい。代わりにスキャンダルなんかを伝えるのは大衆紙やそれ専門の週刊誌だ。いってみればスポーツ新聞や週刊○春みたいなものだな。
カメラを片手に相手の迷惑も顧みずにゴシップを追う彼等は度々その行き過ぎた行動で物議を醸している。故ダイアナ妃が亡くなったときの騒動はいまだに語り継がれている、らしい。
パパラッチはスキャンダルの写真を一枚幾らで出版社に売りつけ、ものによっては一度に数万~数十万ポンドを手にすることもあるとか。
中心になるのは有名スポーツ選手とか王室関係者らしいのだが、この男は政治家が専門なのか、随分渋いというか、硬派な感じである。
『チッ、まんまと罠に嵌まるたぁ、俺も焼きが回ったぜ。まさか保守党と労働党の重鎮がグルになってテロ起こしてるとまでは思ってなかったよ。しかもそこの女はRIRAとの関連が噂されてる市民団体の代表じゃねぇか』
転がったパパラッチの男が憎々しげに吐き捨てる。
けど何か説明口調っぽい。時折俺の方に視線を向けてるし。
『ほう。まだそんな口をきける元気があるのか』
対する男達は余裕の表情でそれを受け止める。
まぁどう見ても優位は揺るがないって構図だから無理もない。けど、どうしよう、今無性に”フラグ”ってものを解説したい。
『よう、どうせ俺を返す気なんてねぇんだろ? 東洋にゃ地獄に行くときの切符として知りたいことを聞かせてもらうって風習があるって話だ。だから俺の質問に答えちゃくれねぇか? 何だってグレートブリテンの重鎮が怪しい市民団体と手を組んで爆弾テロなんぞしてるんだ?』
ひょっとして冥土の土産の事か? あれって風習なのか?
『ふん、口の減らないことだ。まぁ良い。未練が残って亡霊にでもなられても迷惑だからな、教えてやろう。
なに、簡単なことだ、EUからの離脱を阻止するためにテロ事件を離脱推進派がしたことにする。離脱派が批判に晒されれば議会が離脱撤回の決議をしても不自然ではないからな。
元々本気で離脱を考えている連中は無能な田舎者ばかりだ。世論が離脱撤回に傾けばそっちに流れるだろう』
『そのためには貴様等と同じく離脱反対の活動をしている市民が犠牲になっても構わないというのか? そもそも何故そこまでして離脱に反対するんだ』
身勝手な主張に不快気な表情を隠さずパパラッチが指摘する。
『自分達の主義主張のための礎になれるのだ。本望だろう? それに反対するのは当然だ。離脱すれば我がグレートブリテンは経済的に苦境に立たされる。それをたかが域内移民に仕事を奪われるなどという低俗な理由で感情的に離脱を叫ぶ愚か者に迎合して見過ごすなど出来るわけがなかろう』
『労働党も同じだ。移民を抑制して一時的に低賃金の仕事を取り戻したところで経済全体が小さくなれば結果的に仕事は減ってしまう。だから水面下で手を組むことにしたのだ』
言い方はともかく、言っていることに間違いはない、と思える。けど、手段を選ばないってのはやっぱり駄目じゃん?
『だ、だが、なんでこの場にRIRAの団体がいる? そいつらは北アイルランド独立のためにイギリスの混乱を望んでいるんだろう?』
『……今の状況で離脱されると困るからよ。今のアイルランドと北アイルランドは人と物が自由に行き来できることで融合が進んでいる。私達も一枚岩ではないのよ。出来るだけ平和的に融合と独立を進めたいと考えている人も多いわ。だから今、アイルランドと北アイルランドの間に国境線が復活するのは今後の計画が崩れるというわけ』
ご説明ありがとうございました。
うん。分かったような分からないような、とにかくそれぞれが自分達の思惑で正義を貫いているのだけは分かった。
世の中には人の数だけ正義があるとはよく聞く話だが、それは他人に迷惑を掛けない範囲でやってほしいものだ。特にその正義のために他人の命を道具のように扱うのは容認できない。
イギリスは歴史的背景が複雑で日本人にはなかなか理解できない部分もある。特に北アイルランド問題はかなり複雑だ。今回のEU離脱問題も報道を聞いていてもよくわからないことが多いし、まともに解説しようとすると一話分くらいは平気で掛かりそうなので興味のある人は自分で調べてほしい。
誰に言ってるのかって? まぁ気にすんな。
『そろそろ良いだろう? 我々も次の計画に移らなければならないのでね。いつまでもキミの好奇心に付き合うわけにはいかないのだよ。恨むのなら自分のその旺盛な好奇心を恨むのだね』
初老の男がそう言って話を切り上げると、パパラッチのそばにいた警備員に頷いてみせる。
警備員が懐から拳銃を取り出したところで制止の声が掛かる。
『銃は使うな! 血で汚れる!』
言われた男は銃をしまい、代わりに紐のようなものを取り出してパパラッチに近づく。
うん、ここまでだな。
『悪く思うなよ。すぐに楽にして…なっ!?』
警備員がパパラッチの首にロープを掛けようとした瞬間、俺はその腕を掴む。ついでにちょっとだけ力を込める。
ゴキッ!
鈍い、台所の黒い奴を思い出させるような音と共に警備員の両腕が砕ける。
『う、うぎゃぁぁ!』
パコンッ!
悲鳴を耳元で叫ばれて煩いので顎に軽く一発。意識を天上旅行にご案内し、認識阻害を解く。
『な?! だ、誰だ! いつの間に?!』
驚いて椅子を蹴倒しながら立ち上がる国家の重鎮&過激派市民団体の代表。
『何者だ! どうやって入った!』
普通にフォンとかいう人にくっついて入りましたけど?
『や、やっぱり、クロノスか!』
あ、何故その名を言う?!
俺はこの時最大の失態にようやく気付いた。
俺の今の格好、ネイビーのぴっちりとしたツナギ型のインナーに金と青のラインの入った白いオーバーコート、同色のヒーローマスク。
我が黒歴史の集大成、クロノスコスである。
『ク、クロノスだと? まさか、クイーンアレクサンドリナ号の…』
『そう! 日本政府が極秘に組織したといわれている対テロ組織特殊部隊だ! おそらく連続する爆弾テロの解決に政府が日本政府に要請したんじゃないか?』
『馬鹿な! 私は聞いていないぞ!!』
ちょ、ちょっと待とうか。
何? クロノスって、対テロ特殊部隊って、そんな話になってるの?!
クイーンアレキサンドリナ号って、アレだよな? 俺と斎藤が横浜でシージャックに巻き込まれた豪華客船のことだろ?
『アレは日本政府が関与を否定しているはずだ』
『各国の諜報機関に日本の警察から「クロノスに関しては詮索するな」って要請が入ってるって話だが』
……何か、俺の知らないところで話が大きくなってる?
『クッ! ぶぎゃぁ!』
俺がプチパニックに見舞われてるのに拳銃向けたりすんなよ。
とりあえず2人ほど警備員をぶん殴っておく。
『そ、そんな……』
『く、くそ!』
へたり込む市民団体の女は放置して逃げようとした男の足を引っかけて転ばし、さっき首を絞めようとした警備員から没収したロープで手足を海老反り縛りする。
『わ、我々をどうするつもりだ? 日本政府の部隊なら国際問題になるぞ!』
いや、政府なんてこれっぽっちも関係ないんだけどな。
んでもどうしようか?
確かにイギリス政府の高官が相手じゃ俺の手には余る。
……ポクポクポクポク、チーン!
そういえばもう1人、ここには政治スキャンダル専門のパパラッチがいたじゃん!
期待を込めてそっちを見る。
目が合った。
何故そんな憧れのヒーローを目にした小学生みたいな顔で俺を見る?
言いたいことをグッと堪え、パパラッチの縄を解く。
ついでにあちこち骨折と打撲があるようなので治癒魔法を掛ける。
『い、痛みが引いていく……す、すごい! まるで魔法だ』
魔法です。
『……政治専門のパパラッチって言ったな。どうにかできるか?』
『任せてくれ! 今までの会話はこの…良かった無事だ…ヴォイスレコーダーで録音している!』
『き、貴様、そんなものを隠し持っていたのか!』
『それにこっちにもう一つ携帯電話が』
そう言ってパパラッチは股間をゴソゴソ。
取り出したのは折りたたみ式のガラケー。
どこに隠してるんだよ!
いや、差し出されても触りたくねぇよ!
俺が引いてるのを見て取ったパパラッチは、さほど気にした風もなく手にしたガラケーで部屋の中を撮りまくる。
呆然と立ちすくむ初老男やら海老反り男やらへたり込んで失禁してる女やらをパシャパシャと。
直後、ドタドタと騒々しい足音が廊下から響き、乱暴に扉が開け放たれた。
『そいつらだ! 閣下をお助けしろ!!』
……あ! 誰か忘れてると思ったらここまでの道案内、フォン氏だ。
モブ感強すぎて存在自体を忘れてた。
どうやら俺が姿を現したかなり最初の時にこの部屋から抜け出していたらしい。んで、多数の警備員を連れて戻ってきたと。
『フォ、フォン! でかした!! 侵入者を捕らえろ! 銃を使え! 死んでも構わん!!』
ジャキ!
一斉に俺とパパラッチに向けられる銃口。
構図だけなら絶体絶命。
まぁ、実際には既に障壁展開しているからそうでもないけど。
これ以上やってても時間がもったいない。
バチンッ!
ドササッ!
何かがはじけるような音と人が複数倒れる音、そして消える照明。
雷撃魔法一発。
終了である。
『んじゃ、後頼むな』
そう言い残してパパラッチの男をそのままに転移した。
……………………
……………………
……………………
……やっちまった~~~!!!
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