第160話 勇者の欧州珍道中 Ⅹ

 どうしてこうなった?

 

 俺は今、ロンドンにあるとある警察署で取り調べを受けている。

 といっても、よくある刑事ドラマのような狭くて薄暗い、いかにも取調室とかじゃなくて、窓も大きく明るい、面積は小さめながら会社のミーティングルームのような雰囲気の部屋である。

 んで、俺の正面と右側に警察官が2人。

 前回の爆発事件、その場に居合わせた俺だったがどういうわけか犯人と勘違いされたらしく捕まってしまったのだ。

 もちろん抵抗したりはしない。そもそも俺に疚しいところは全くないし、事情を説明すれば俺がまだ入国したばかりなのもすぐに分かるだろうと思っている。

 まぁ、逃げる気になればすぐにでも逃げられたのだがその場合親父さん達にも迷惑が掛かるだろうからな。司法が恣意的に適用されるような途上国じゃないので割と楽観していた。

 

 最初こそ拳銃を突きつけられたりしたものの、俺が逃げたり抵抗したりせずに状況を説明したことで警察官もきちんと紳士的な対応をしてくれた。流石はジェントルマンの国である。

 ただ、爆発のあったゴミ箱に何か箱のようなものを入れていた人物を見たという目撃情報によると若い東洋人だったとのことで、念のため入国してからあの爆発までの移動経路などを防犯カメラとかで確認するまでは留め置かれているといった状況なのだ。

 それでもイギリスの場合、原則として警察による拘留期間は24時間までとなっているので(犯罪内容や逮捕までの状況によって最長96時間まで延長できる)それまでには何とかなるだろう。本気で嫌だけど。

 

『申し訳ないがもう少し待っててください。問題ないとは思っているのですが、これも職務なので、ね』

『はぁ、まぁ、仕方ないです。ただ、俺も早く連れと合流したいのであんまり待ちたくないですね。折角ロンドンに来たんだから観光とかしたいですし』

 ちょっと申し訳なさそうにいう警察官に俺は苦笑いで答える。

『我々としても善意で行動された方を拘束するというのは心苦しいんですが』

 とりあえず、俺が爆発現場にいたのは怪我人などがいるかもしれないのでその救命措置をするために駆けつけたと説明している。

 嘘は言ってないし、警察署に連れてこられたときに日本で発行された”上級救命講習修了者証”を見せたのでそれは信じてもらえたと思う。単なる素人の観光客が同じことを言っても信じてもらえるか分からないが、講習程度であろうが”教育”を受けたというのは信憑性を増すはずだ。

 ちなみにこの上級救命講習修了者証、全国の消防署が定期的に実施している救命講習を受講すると誰でももらえる。教わる内容は心臓マッサージや人工呼吸、応急処置の仕方、AEDの使い方などだ。丸1日近く時間がとられるが、普段教わらないけど誰でも遭遇する可能性のある病気や怪我をした人に対して何かしたいと思っている人は受けてみると良い。

 俺の所属するツーリングサークルでは全員が受けるように指導されている

 

 拘束された当初は俺を厳しい目で見ていた警察官達も、話すうちに疑いが晴れたらしく今では穏やかに雑談に応じてくれている。

 出来れば解放もしてほしいものだが、目撃証言が俺と類似した外見だったので確認が取れるまでは署にいて欲しいと”任意で”拘留されているのだ。あくまで任意(ちゃんとそう説明してくれた)なので強引に出ることも出来るが変な事で疑われるのも嫌だし親父さんとも連絡が取れているのでこうして大人しく待機しているというわけ。

 折角なのでイギリス全体やロンドンの治安や警察の特徴、今回のテロ(と思われる)の事を聞いたりしながら時間を潰す。

 それによると、ロンドンの警察ってのはちょっとややこしい組織になっているんだとか。

 

 ロンドン市の大部分は日本でも有名な“スコットランドヤード”(初代本部の所在地がスコットランドヤードという通りに面していたためその名で呼ばれるようになり、所在地が移ってからもそれが継続された。旧江戸城の外桜田門前に警視庁の本部が置かれたことから警察を隠語で桜田門と呼ぶようになったのとおなじようなもの)の通称で知られるロンドン警視庁が管轄しているのだが、ロンドンの中心部、証券取引所やイングランド銀行、主要企業の本社が集まっているシティ・オブ・ロンドンと呼ばれる地域はロンドン市警察が管轄している。

 組織の管理権者もロンドン警視庁は内務大臣、ロンドン市警察は市議会が任命する常任委員会とこれまた統一されていないし厳密には権限の内容も異なる。

 

 それとこれも有名な話なのだが、イギリスの警察官は基本的に普段は拳銃を携帯していない。主要国ではアイルランド、アイスランド、ノルウェー、ニュージーランドもそうらしいのだが、これは歴史的背景として19世紀に警察組織がロンドンに作られた当時、軍は市民から恐れられていたらしい。そこで武器を持った赤い制服の軍隊と区別するために警察官は武器を持たず青い制服を身につけたそうだ。

 あくまで警察は市民の一部であり、武器は市民との間に壁を作るという理念に基づくのだとか。

 ただ、2012年にマンチェスターで勤務中の警察官が銃と手投げ弾で襲撃された事件や欧州各国で頻発し、イギリスでも国会議事堂で起こったテロ事件を受けて武装警察官が増員され、同時にテロの疑いがある場合に一時的に警察官が武装する状況になっているらしい。

 ということで銃を突きつけられた俺は結構なレアケースというわけだ。わーい……はぁ。

 

 今回の爆発事件に関しても聞いてみたところ、爆弾が設置されたのがゴミ箱だったのが被害が少なかった理由だそうだ。

 というのも、ロンドンに設置されているゴミ箱はテロ対策として頑丈な鉄製でなおかつ内部に衝撃を吸収する緩衝剤が張られているものがかなり増えているのだとか。

 だから今回の爆発も多少の衝撃波による損害と漏れ出た可燃物の延焼だけで済んだということらしい。

 ただ、今回のも含めて爆弾テロが数回起こっているとのことで警戒を強めているそうだ。

 

 

 カチャ。

『確認が取れました。ミスターカシワギの供述通り、空港からホテル、レストラン、通行したルートで誰かと接触したりゴミ箱に爆弾を設置した形跡はありません』

『と、いうわけです。貴重な時間を拘束してしまい申し訳なかった。どうかロンドン、それにイングランドを楽しんでください』

 拘束されておよそ3時間。ようやく解放された。

 内心としては当然面白くはないが、この人達も治安を維持するために奔走する重要な人達なので文句を言うのはお門違いだろう。それに外国人だからといって嫌な態度とかとられなかったし。

 

 警察署を出ると既に外は真っ暗。といっても、ロンドンの冬は15時を過ぎるともう暗くなるらしいので驚くようなことでもない。

 ただ、冬になるとよく降るという細かな霧のような雨が染み込むように寒さを増幅させる。

 ロンドンは北緯51度。北海道よりも北、サハリンの中部ほどの緯度なのだが海流の影響で冬の気候自体は東京とさほど変わらないらしい。雪もあまり降らないのだとか。ただ、短時間このような雨が降ることが多い。

 警察官が車で送ってくれるというのを断り、歩いて親父さん達が待っているホテルに向かう。

 そろそろ腹も減ってきているが、親父さん達が食べていないかもしれないのでちょっとだけ我慢である。

 

「おう! おつとめご苦労さん」

「柏木君、お疲れ様! 大丈夫だった?」

 ホテルに到着するとロビーで親父さんと章雄先輩が出迎えてくれた。

 ムショ帰り的な親父さんのコメントはともかく、心配を掛けたようで申し訳ない。

 案の定、食事はまだだったらしいのでホテルの人に聞いて、予約なしでも食べられるジビエ料理を出してくれるというレストランに行く。

 何故か美味しくないと言われているイギリス料理だが、イギリスの伝統文化のひとつである狩猟、その獲物であるジビエ料理は名物のひとつだ。

 野趣溢れる肉料理は異世界で散々食べているが、そこはそれ、あまり調味料、というか香辛料などが発達していない異世界じゃなく、是非とも地球で食べてみたい。

 日本でもイノシシや鹿なんかなら食べることもできるし、最近では鴨も普通にスーパーで買うことができるがそこはそれ。

 もうちょっと違うものも食べてみたい。

 

 というわけで、今回は親父さんではなく俺の奢りでたっぷりと食べることにした。

 贅沢かな? でもたまには良いだろう。美味かったらみんなも連れてこよう。

 頼んだのはイギリスで最も身近な野生動物であるウサギ(実は外来動物)の肉をたっぷり使ったラビットパイ。

 ピーターラビットや不思議の国のアリスなどで親しまれているウサギを容赦なく料理したものだ。

 それから秋から冬に最高に美味しくなるというグルーズ(ライチョウ)の一羽丸ごとのロースト。

 後は適当に摘まめるものや温野菜、スープ、パンなどを頼む。ついでにワインも。

 そして肝心のその味はというと、

 

「悪くねぇな。つか、辛口の日本酒が欲しいくれぇだ。ちょっと癖はあるがそれがまた美味え」

「本当に美味いねぇ。パイはちょっと癖が強いけど味が濃いし、こっちの鳥は独特の香りがあるよね。柏木君には感謝感謝だよ!」

 好評なようである。

 親父さんも章雄先輩もワインをグビグビ呑みながら食いまくっている。

 肉ばかりで親父さん的にクドいかなとも思っていたのだが、ジビエ肉ってのは脂身が少ないから特に問題なさそうだ。というか、山のような料理が見る見る減っていく。

 現役大学生の章雄先輩はともかく、親父さんも結構な健啖家だ。

 イタリアではチーズたっぷりってのが多かったせいかそれほど食べていたわけじゃないのだが、油分が少ない料理ならかなりの量食べられるらしい。

 俺?

 無言でひたすら食いまくってますが?

 

 ひたすら食べて『イギリス料理は不味い』というのがたんなる風評被害であることを実感しつつ食事を終えた俺達。

 ただ、章雄先輩が興味本位で頼んだデザートはひとつだけしかなかったにも関わらず3人全員がギブアップするほど甘かった。もう砂糖の方がマシってくらい。絶対にイギリス料理の悪評はデザートが原因だと思う。

 それは置いておいて、俺達がレストランを出るとすっかり雨は上がっていた。

 流石に真冬なので寒いといえば寒いのだが風があまりない分それほど辛くもない。

 夜とはいってもまだ時間はそれほど遅いわけではないので通りには多くの人が歩いている。

 雰囲気もナポリやミラノのような緊張感はなく、まるで日本を歩いているようだ。ヨーロッパ随一の治安という謳い文句も過剰ではないらしい。

 

「この後どうします?」

「う~ん、もうちょっと呑みたいっちゃ呑みたいが、明日は午前中から市内のいくつかのバイク屋を回りたいからな。早めに休むか」

「そうだねぇ。俺もちょっと移動で疲れたしホテルでのんびりしたいかなぁ」

 2人ともホテルに戻って休むらしい。

 俺はどうしようか。

 子供じゃあるまいし、2人がホテルに戻るなら別に一緒にいる必要はないだろうし、体力的にもまだまだ有り余っている。スタミナの付きそうな野性味たっぷりの料理も食べたばかりだ。

 それに何より、昼間の事件のせいでストレスが溜まっているからな。夜のロンドンを歩き回って少しは発散したい。

 転移で日本に戻っても良いんだが向こうの時間はまだ明け方前。さすがにみんなはまだ寝ているだろう。朝は朝でみんな忙しいし。

 

「あ~、俺はちょっと街を歩いてきます。ホテルまでは一緒に行きますんでそこで別れましょう」

「だ、大丈夫? って、柏木君なら心配いらないか」

「あんまり遅くまでフラついてっとまた警察に捕まるぞ? まぁいい。明日は10時にロビーに来い」

 俺に対する信頼が泣きたくなるな。

 とりあえず親父さん達をホテルまで送り、中心街に向けて歩き出す。

 といっても、本当の中心街であるシティ・オブ・ロンドンは金融街でもあるので中心部は夜になると静まりかえっているらしい。ただ、その周辺にはパブやレストランが軒を連ねる場所がいくつもあるようなのでその辺を歩いてみようと思う。

 ただし、有名な歓楽街であるソーホー地区は今ではゲイタウンと呼ばれているらしいのでちょっと避けたい。

 別にLGBTの人に偏見があるわけじゃないけど、体質というか、古狸の思惑でろくでもない事になりそうなので行くのは止めておこう。

 

 まずは人が集まるエリアに行くべきだろうと思い、ピカデリーサーカスを目指す。サーカスといってもイメージするような曲芸集団のそれではなく、通りの合流点における円形の空き地という意味の言葉で、ウェストミンスター区ウェストエンドにある広場の名称である。

 劇場が集まっているエリアでもあるらしく、夜になっても人通りは多い。

 通りにはパブやレストランが並び、ネオン煌めく繁華街といった印象だ。

 いくつかの小売店やパブなどを覗きつつのんびりと散策を楽しむ。

 東京とはまた違った雰囲気で歩くだけでもそれなりに面白い。

 

「おっと!」

 細い路地から飛び出すように人が目の前を横切ったのでとっさに身を捻ってぶつかるのを回避する。

 というか俺以外なら間違いなくぶつかってたと思うぞ。危ないな。

 飛び出してきた方はというと、一瞥すらくれることなく俺の横を通り過ぎる。

 瞬間、その人物、帽子にマスクといった格好だったので人相は分からないが、背が高いし服装からも男だろうと思うが、から漂ってきた臭いが記憶の隅っこに引っかかる。

 うん? どこで嗅いだっけ?

 特徴のある奇妙な臭い。どこかで、それも割と最近嗅いだような……。

 足を止めて記憶をほじくり出していると、ドカン、という音がしたのでそちらを見る。

 

 酔っ払いがどこかにぶつけたらしく、頭を押さえて痛そうにしている。

 その瞬間、記憶がカチリと嵌まった。

 あの臭い、ゴミ箱が爆発炎上したときに嗅いだ可燃物と思われる臭いだ。

 そうと分かれば、放っておくわけにはいかないだろう。

 慌てて男が歩いていった方を見る。

 いた!

 大分先に行っているが後ろ姿がチラリと見える。

 さて、どうしてくれようか。

 俺はその後を追って走り出した。

 

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