第159話 勇者の欧州珍道中 Ⅸ
イタリア・ミラノから最も近い国際空港であるリナーテからイングランド・ロンドンのヒースロー空港まではおよそ3時間。
成田=ローマ間のフライトでエコノミー席は結構窮屈で大変だったが、さすがに3時間程度なら大して苦にもならない。といっても搭乗手続きや入国手続きにプラス2時間はかかるので飛行機に乗ってる時間よりもそれ以外の時間で疲れたりする。
そして何より、世界で一番厳しいと言われているらしいイギリスの入国審査。
日本人の場合、滞在6ヶ月以内の観光目的であればビザは不要なのだが、滞在先や出国する日などが曖昧だと下手をすると入国が認められず強制的に国外退去になるそうだ。
通常EU内の移動では入国審査はないのだが、イギリスに関してはEU加盟国ではあるものの、国境審査を廃止するシェンゲン協定に参加していない。しかも移民や不法滞在が社会問題となっているために目的の曖昧な入国は原則認めないということらしい。
ともあれ、まず章雄先輩が審査を受ける。
やり取りはもちろん英語なので問題はない。
パスポートを出すと滞在日数や訪問先、目的、出国予定日を訊かれる。章雄先輩の場合は俺達の手伝いとはいえ、基本的に観光目的。それと、帰りの飛行機のチケットも見せると審査はあっさりと終了した。
引っかかったのが次に審査を受けた親父さんだ。
英語がまったく分からないので後ろから俺が通訳をする。
章雄先輩と同じ内容を訊かれたのだが、問題だったのは「仕事で商品を仕入れに来た」と答えた事だった。
事前の情報では、仕入れなら観光ビザで特に問題はないと聞いていたし、実際ローマでは何も言われなかったのだが、入国審査官が渋い顔でやたらと細かなことまで質問してきた。
仕入れる内容や相手、数、使用目的、販売先等々、正直なところマンチェスターのバイヤーから仕入れる以外は全部行き当たりばったりだし(もちろんある程度のあたりはつけてあるが)販売先なんてまだあるわけがない。
さらに個人の小規模店舗にしては想定している仕入れ数が多いことを突っ込まれて、バイク屋仲間と共同で仕入れると答えるとその相手先まで説明しろと言ってくる始末だ。
最終的には何とか入国できたものの、審査だけで1時間近く掛かってしまった。何でも馬鹿正直に言えば良いってもんじゃないと痛感する出来事だった。
「いや~、結構大変だったねぇ。ネットで見てはいたけどこんなに時間が掛かるなんて思わなかったよ」
言葉とは裏腹に章雄先輩は機嫌が良さそうだ。
まぁ、自分はさっさと審査パスしてたし待たされているとはいっても人ごとだからな。
それに、
「チッ! 人ごとみてぇに言いやがって。日本に帰ったら楽しみだなぁ、おい」
「お、親父さん、そりゃないんじゃない?! ドナちゃんのことは黙っててって言ったじゃん! お願いだから!!」
途端に情けない声を挙げる。
そう、あの俺の能力をカミングアウト(一部だけだが)した日から2日間、章雄先輩はドナちゃんの攻勢に晒されていた。
何しろドナちゃんにとっては章雄先輩は自分を守ろうとしてくれたヒーローである。
火を消したり火傷を治したりしたのは俺だが、痛みやら何やらでそこら辺のところはあまりよく覚えていないらしく、時間を追うごとに先輩の行動が美化されていったらしい。
最初は恥ずかしがって遠慮気味だったドナちゃんの行動も、積極的なイタリア人らしい気質なのか、どんどんアプローチが大胆になってきた。
一応、章雄先輩は彼女がいることを伝えたらしいのだが、どんな言い方をしたのか分からないが、ドナちゃんが諦めることはなくさらに積極的になっただけだという。
実に面白、いや、大変(笑)な状況だった。
「(笑)って何?! 柏木君、絶対楽しんでるよね!」
モノローグに突っ込み入れないように。
その間、親父さんもアレッサンドロさんと相変わらず謎の意思疎通能力を発揮して交流を深め、更に数台のヴィンテージバイクを手に入れることができていたのでご満悦だ。
今後は日本とイタリアでそれぞれバイクの仕入れや情報交換を定期的にすることまで決まっていた。
マジでどうやってそこまで決めたんだろう。謎だ。
日本に戻ってからはメールでやり取りすることになるらしいが、そのメールでも能力が発揮されるのかちょっと興味がある。
まぁ、基本的に俺が細かい部分は通訳することになるだろうが。
そんなこんなで実りの多いイタリア滞在だったが、その分少々予算オーバーとなっている。
もちろん、無駄な買い物をしているわけではないし、仕入れたバイクはちゃんとバイク屋仲間にも話を通してあるのだが、親父さんの趣味が炸裂した分イギリスの仕入れに影響するかもしれない。
念のために俺も一時的に資金を補填できるようにしておこう。貯金、それなりにあるから。
「章雄先輩が右往左往している様は実際めっちゃ面白かったっすけど」
「断言しないで! 泣きたくなるなるから!!」
既に涙目になっている章雄先輩。早ぇよ。
「でも、まぁ、変に隠さない方が良いと思いますよ? 万が一バレたときに余計誤解されますし、ドナちゃん、下手したら日本まで章雄先輩追っかけてくるかもしれないし。そうなったら修羅場っすね(笑)!」
「言葉の最後に
何故分かった?
「まぁまぁ。なんなら章雄先輩がちゃんと断ったり逃げてた動画を提供しますから」
「撮ってたの?! 何してくれてんの?! 消して! マジ消して!!」
え~? せっかくサークルのみんな(メル含む)で鑑賞会しようと思ってるのに。
そんなやり取りをしつつ、ようやくロンドンの街へ。
何はともあれ、まずはホテルにチェックインして荷物を預ける。
入国審査で時間を取られたのでまだ昼を食べていない。せっかく早い時間の飛行機に乗ったのに、昼をとっくに過ぎているのだ。
イギリス料理と言えば“美味しくない”と評判だ。
実際俺もフィッシュ&チップスとローストビーフくらいしかイギリス料理なんて知らない。いや、ローストビーフ、好きだけどね。高いけど。
が、ロンドンは多国籍の民族が沢山住んでいるので各国の様々な料理を食べることができるらしい。
それに鹿肉や牛の内臓を使った料理なんかも結構美味しいんだとか。ネット情報だけどね。
とはいえ、昼間っからそんな高級料理を食べるわけもなく、かといって全世界チェーンのファストフードに行くってのも味気ない。
なのでホテルの人に聞いたフィッシュ&チップスが食べられるお店へ。
ロンドン市街にあるホテルにほど近い店に入り早速注文する。
白身魚のフライと聞くと、パン粉を塗して揚げたものを想像するが、出てきたのは天ぷらのような揚げ物と大量のポテトフライ。
魚の衣は意外ともっちりしていて不思議な食感。それにマッシーピーズという裏漉ししたグリンピースのソースやタルタルソース、大麦で作ったモルトビーズというお酢を掛けて食べるのが定番なんだとか。
揚げ物がたっぷりなので親父さん的にどうなのかと思ったが、意外と好評だった。
俺はその店のもう一つの看板メニューであるイギリス式カレーも注文。
インドのカレーと違ってイギリス式カレーは日本でお馴染みのカレーだった。普通に美味しい。
「オメーの食いっぷり見てるとそれだけで腹一杯だ」
失礼な。
レストランを出て、徒歩で移動する。
目的はバイクのレンタルだ。もちろん自転車ではなくオートバイである。
治安や交通事情の問題でイタリアではバイクではなく公共交通機関を使って移動していたが、イギリスはヨーロッパ諸国の中では最も治安が良いと言われている。
もちろん日本と比較すれば窃盗やスリ、置き引きなどは多いのだが、それでもそれほど極端に警戒する必要はないらしい。
なので、せっかくだしこちらではバイクを借りて移動する予定なのである。それに日本と同じく左側通行なので運転もし易いはずだ。
既に予約をしてあるがまだ時間に余裕があるのでのんびりとロンドンの街を散策しながらその店まで歩くことにする。
テムズ川に出ると世界で最も有名な橋、ロビ○マスクの技の名前にもなったタワーブリッジが見えてくる。そこから更に進むとこれまた有名な幽霊の名所、ロンドン塔が見えてくるのだが、まぁ、とりあえずそこまでは行かない。
そんな風に通りを歩いていたのだが、何やらザワつきと人だかりが。
「あん? どうしたってんだ?」
「人混みが凄いね。何かあったのかな?」
親父さんと章雄先輩の言うとおり、通りの車道側が封鎖され、その先に大勢の人が見える。
「デモみたいっすね。警官の姿も見えるからちゃんと手続きを取ってるんじゃないですか?」
集団がプラカードやら横断幕やらを手にして大声で何事か叫んでいるのが遠目に見える。
「ああ、EU離脱反対のデモみたいだね。日本だとあんまり報道されてないけど、こういうの結構あるのかね」
「面倒だな。まぁ、通り抜ける隙間ぐらいはあるだろ」
イギリスのEU離脱。
日本でも時折議会の模様なんかが報道されているけど、直接的に関係がない分あまり関心を持ってなかったな。
聞きかじりだが、イギリスがEUの離脱を国民投票で決めたのは色々な背景があるらしい。
一番の理由は移民問題。だけど、イギリスの場合イメージするような政情不安定な中東地域からの移民ではなくて、EUに加盟した東欧諸国からの所謂欧州移民が問題になっているらしい。
元々は移民に対して寛容なイギリス国民だったのだが、増え続ける域内移民と職を奪われる形になったイギリス国内の低所得者層へ政府が何の対策も取らなかった不作為が積み重なって急激に移民に対して反発が膨れ上がったということらしい。
しかも、イギリス各国でも温度差があり、地方はEU離脱派が多数を占めるのに対して都市部は残留派が多数と、簡単に埋められないほどの溝ができているんだとか。しかも各支持層の数も拮抗しているためにどちらを選んでも混乱は避けられそうにない。
つくづく国際情勢というのは複雑怪奇である。
っていっても、俺達は所詮ただの観光客である。
関わる気なんてこれっぽっちも無い。何かできるわけでもないし。
こんなことを考えてるとフラグが立つんだろうなぁ。さっさと離れることにしよう。親父さんも章雄先輩も特に関心なさそうだし。
幸い歩道側は多少人が多いものの通るのに支障が無い程度なのでデモを横目に通り抜ける。
デモというと、日本に住んでいるとどこか人ごとというか、大部分の人にとってはわざわざ集まってシュプレヒコールを叫ぶなどどこか奇妙で異様さを感じることも多い。特に環境や反原発、憲法改正反対などのデモは独善的で視野の狭い気持ちの悪さを感じるし、叫んでいる内容と別の意図が透けて見えて嫌悪感すら覚える。
だがそれは、日本人が政治というものをあまり気にしていない、いってみれば能天気に人任せにしていられる環境というのが大きいだろう。
だが、海外ではそうではない。自分達が国を担っているのだという意識が強い人が多いし主義主張は積極的にしなければ物事が悪くなるという考えがあるからだ。
そのせいなのか、こういったデモに若い人も多く参加しているし、年代や職種も幅広いようだ。
自分がどんな立場の人間なのかを知らしめるように仕事着姿の人もそこここに見ることができる。
俺達の横を叫びながら行進しているデモ隊にも学生や見るからに未成年と思われる人が沢山いるようだった。
ドガン!!
デモ隊とすれ違って数分。
通ってきた道の向こうから鈍い破裂音が響き、微かに地面が震動する。
「何? 爆発?」
章雄先輩が呟き、親父さんも俺も思わず振り返る。
おそらく数百メートルは離れていると思われるところから煙のようなものが立ち上るのが見える。
距離があるのでそれほどの音量ではなかったが、逆に離れているのにここまで聞こえるということは爆発がそれなりの規模であることが想像できる。
数秒後、デモ隊やそれ以外の歩行者と見られる人達が悲鳴を上げながらこちらに向かって逃げてくるのが見えた。
「! 親父さん、章雄先輩と一緒に先に行ってて下さい。状況を見てきます」
「見てきますって、オメェ、どうすんだよ」
「そ、そうだよ。何が起こったのか分からないけど、柏木君も一緒に逃げた方が」
2人が困惑した顔で言うが、やっぱり放っておくのは気が咎める。
古狸の思う壺のような気もするが、怪我人がいるかもしれないし、行くべきだろう。
改めて自分は大丈夫だということ、後で合流するのでバイクを借りておいてほしいということを伝えて先に2人を行かせる。
といっても既にかなりの人が走って逃げてきているので人混みに押されてあっという間に見えなくなってしまったが。
逃げる人の流れに逆らって爆発のあったと思われる場所まで走る。
煙が出ているのは通りの設置されていたゴミ箱。
横倒しになり大きくひしゃげたゴミ箱とその周囲は、爆発物に多量の可燃物でも含まれていたのか炎を上げて燃えている。
が、見回したところ周囲に怪我人がいる様子は見られない。
通りに面した店のガラスもいくつかは割れ、様々なものが散乱しているものの、それ以外の大きな被害は確認できない。
「……あれ?」
無駄足?
いや、犠牲者とかがいないのは良いことなんだけど、格好つけて走ってきた俺の立場は?
拍子抜けして立ち尽くす俺。
『おい! お前! 動くな! 両手を挙げて膝を着け!!』
突然大声で怒鳴られ、驚いて振り返ると走ってくる数人の、警察官?
手には拳銃を持ってますね。
はい。って、もしかして俺が容疑者ってか?
『警察だ! 両手を挙げろ! 抵抗するなよ!!』
……えぇぇぇぇぇ~~~?!
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