第158話 勇者の欧州珍道中 Ⅷ

 ………………

 アレッサンドロさんの店の2階部分。

 フェラーリ一家の居住スペースとなっているらしい部屋のリビングに男が3人。

 3人掛けのソファーが2つと1人掛けのものが2つローテーブルを囲み、その内の3人掛けのひとつに俺が、もうひとつに親父さんとアレッサンドロさんが腕組みをして座っている。2人とも腕を組んで黙ったままだ。

 この沈黙が痛い。

 

 この場にいない3人。ドナちゃんと章雄先輩は火事のせいで煤やら油やらで汚れてしまっているのでシャワーを浴びに行っている。もちろん一緒にというわけではなく、ドナちゃんは自宅にあるバスルームに、章雄先輩は仕事で油まみれになったときのために倉庫横に設置されているシャワールームでそれぞれ身体を洗っているはずだ。

 そして、ベルナルドさんだが、火事の後始末をキッチンでしている。

 小火ぼやレベルとはいえコンロの周辺があちこち焼け焦げているし、飛び散った油や俺の魔法のせいで床などが水浸しになってしまっているのだ。

 後日業者を呼ぶらしいが、とりあえず最低限の片付けと掃除はしなきゃならないのでベルナルドさんがやってくれている。

 決して逃げたわけではない、と思う。多分。

 

 沈黙の理由は言わずもがな、俺がみんなのいる前で魔法を使って火を消したりドナちゃんと章雄先輩を治療したり、アレッサンドロさんも含めて水をぶっかけたせいである。

 しかもそれを親父さんやベルナルドさんにバッチリ目撃されてしまった。

 只今俺の脳内はどうやって誤魔化すかを考えるためにフル回転している。というか、とっくにレッドゾーンまで振り切ってオーバーヒート気味だ。

 イタリアといえばカトリックの総本山、ローマ法王のいるバチカンのお膝元だ。いっそのこと『神の奇跡』とかで納得してくれないものだろうか。それとかNinjyaの末裔だから忍術を使えるとか。

 ……いかん、脳が沸いてきた。

 

『お待たせ~! ゴメンね遅くなって』

 重苦しい空気を切り裂くようにご機嫌な様子でリビングに入ってきたのはドナちゃんだ。

 それはもう鼻歌でも歌いそう、というか、実際歌ってる。

『ドナ、火傷はどうだ? 痛いところはないか?』

 アレッサンドロさんが、愛娘のわずかな異常も見逃さないとばかりにドナちゃんを凝視しながら尋ねる。

『大丈夫! さっきまでもの凄く痛かったのが嘘みたいになんともないよ! それに、うふ、うふふふふ』

『ド、ドナ?』

 赤く爛れていたはずの腕をアレッサンドロさんに見せながら元気に答えるドナちゃんだったが、途中からデヘヘという感じで盛大ににやけながらクネクネと奇妙なダンスを始める。見ていたアレッサンドロさんも引いてる。

 いったい何があった?

 恐い思いも痛い思いもしたばかりだというのにこのテンションの高さ。

 

『シャワーと服、ありがとうございました。って、ドナちゃん? どうしたの? すごくご機嫌だけど……あ! ドナちゃん、ソバカスが』

『そう! そうなの!! なんでだか分からないけど、お風呂で鏡見たらソバカスが消えてたの!』

 章雄先輩がとりあえずということで借りたブカブカのTシャツにスエット姿&頭をタオルで拭きながらリビングに戻ってきて、すぐさまドナちゃんの様子に気がついたらしい。しかも一目見てその理由まで。

 章雄先輩が目敏いのか俺達が鈍いのか。

 そういえば先輩って茜が髪を2センチ切っただけなのに気がついてたな。おかげで気付かなかった俺がチクチクと言われた覚えがある。まだ俺と茜が付き合う前の話だが。似たような話は男友達に何度も愚痴られたから俺が特別鈍いわけじゃないと思う。きっと章雄先輩には俺達にはない特別なパーツが付いているんだろう。というか、そんな特別仕様にも関わらずモテなかったのがある意味すごい。

 それにしてもソバカスかぁ。

 日本人だとソバカスはできづらいらしいのであまり聞かないが、欧米ではソバカスがある人が多いらしい。当然それを悩む人もいるんだろう。特に女の子だと気になるのかね。

 基本的にはソバカスはシミと同じメラニン色素の代謝異常だから確かに魔法で治るって可能性がある。

 やっぱ、色々詰んでね?

 

 背中にダラダラと冷たい汗が伝っているのだが、さらにトドメとなる人物が。

 ベルナルドさんがなぜか鍋を持ってリビングに入ってきた。

 熱いようには見えないが持ち手をフキンで覆ってから掴んでいる。そしてそれをローテーブルの中央にドンッと置いた。

『ベルナルド、なんで鍋持ってきたんだ? メシ、じゃないな、中に入ってるのは氷、か?』

 なんで氷? って顔でそれを覗いている面々をスルーして俺に視線を向けるベルナルドさん。

『キッチンで一番あり得ないモノだからな。これはいったいどうやったんだ?』

『えっと、凍った鍋が何か?』

 まぁ魔法で凍らせたのだから疑問を持つのも当然といえば当然だけど、あり得ないモノってなんだ?

『お前はいつも回りくどい。俺達にも分かるように言え』

 アレッサンドロさんが少し呆れた口調で言う。

 

『はぁ。アニキはその氷を見ておかしいとは思わないか?』

『氷? いや、えらく透明で綺麗だが、別に変じゃないだろ。確かに鍋に入ってるのは変だが』

『そうだよ。完全に透明な氷だ。一応説明するが、氷ってのは普通に凍らすと中心部分が白く濁る。これは凍る過程で先に凍ってしまう水の分子に押しのけられて、水にとけていた空気や不純物が中心に集まるからなんだが、濁らないようにするには専門業者がやっているようにゆっくり時間を掛けて凍らす必要がある。アニキの家にはそんな氷を作る設備なんてないだろう?

 が、もうひとつ方法がある。

 それは水にとけている空気、主に窒素だが、その空気の凝固点以下の温度まで水ごと一気に下げれば理論上はできる。けど、窒素の凝固点は-210℃。分子が移動する間もなく凍るほどの速度でこの量の氷を作るなんて不可能だ』

 ……マジ? いや、そういえば高校の時に物理で教師がそんな話をしていたような気がするけど。

 

 いよいよ誤魔化せなくなってきた。

 どうしようか。

 いきなり全員1時間分だけ記憶喪失とかになってくれないものだろうか。確かレイリアが『精神に作用する魔法はあるが記憶を操作することなどできん。まぁ、記憶を消すこと自体はできぬでもないが、その場合は全ての記憶が消えてしまうぞ』とか言ってた。そう都合の良い魔法はないらしい。

 とはいえ、俺の平穏な生活のためにはなんとか言いくるめるしかないわけだが……。

「あの、柏木君? その手に持ってるモンキレンチは何かな? 何かすごく不穏なコト考えてない?」

 気のせいだ。一発殴ったら都合良く記憶が飛んでくれたりしないかな? とか考えてないよ。うん。

 

『……最初に言わなきゃならないな。まず、ドナを助けてくれたことを感謝する。火事を消してくれたこともだ。

 俺はしがないモト職人だが、恩を仇で返すような真似をするほど落ちちゃいない。だが、わけが分からないままってのは性に合わん。全部とは言わないが話せる範囲で話してもらえないか? 無論、何を聞いても他言はしない。

 ベルナルドもいいな?』

『…………分かった。俺だって可愛い姪を助けてもらったんだ。黙ってるくらいはするさ』

『え? わ、私? えっと、よくわからないけど、言うなって言うなら黙ってるよ。よくわからないけど。うん』

 イタリア組3人はそう約束してくれるが、う~ん、まぁ、元々イタリアで少人数に多少のことがバレたところで影響は少ないと思う。

 そもそも信じる人は少ないだろうし、映像を撮られたわけじゃないからな。

 今後関わることは多分無いだろう。いや、親父さんと意気投合したこと考えるとバイクを通じて国際交流なんてこともある、かも。

 それは置いておくとしても、それよりも、俺の同行者が問題だ。

 

「ふん。うちの弟子になるんだ。テメェが本気で困るようなことするかよ。それより隠し事されるってのは気分が良くねぇ。それに知っておきゃぁ今後何かあったときにフォローもできらぁ。良い機会だから洗いざらいしゃべっちまいな」

 迷った俺が思わずチラリと目を向けると、不機嫌そうに親父さんが言う。

 うん、親父さんらしいっちゃぁ親父さんらしいが。

 となると、残りは。

「え? 俺? あ、あはは、えっと、そんなにみんなに睨まれる中で拒否できると?」

 全員の視線が一斉に章雄先輩に集まる。

 ビビりの先輩にとっては恐いらしい。

「て、ていうかさぁ、元々柏木君が何か凄い能力持ってるのは知ってるよ。というより、そもそも隠してたの? これまでも散々コンクリートブロック粉砕したりチンピラ相手に無双したり片手でバイク持ち上げたりしてたじゃん!」

 ……記憶にございません。

「そ、それに、バッグから絶対に入らないはずの物を取り出したり、麻薬密売組織壊滅させたり、銃持ったストーカーを一瞬で改心させたり、絡んできた不良を一睨みで恐怖のどん底に落としてう○こ漏らさせたり……」

 ……秘書のやったことです。

 ってか、なんでそこまで章雄先輩が知ってるんだ?

 

 ……はぁ……。

 仕方がない。

 この期に及んで誤魔化すことはできそうにない。

 俺はごく簡単に特殊な能力を持っていることだけ説明する。当然異世界の話は抜きだ。話したところで信じられないだろうし、事実であれ聞く分には厨二病感満載だからな。

『超能力なんてのが本当にあるとは。自分の目で見ても信じられんな。まだトリックだと言われた方がマシだ』

 ベルナルドさんがそう呟くが、トリックで押し通した方が良かったか? いや、でもどうやったって聞かれたら結局説明しなきゃならないし、無理か。

 超能力っていうか魔法なんだけど、どっちでも良いか。違いなんて説明できないし。

「信じられなくても事実なんだろうよ。実際に火は消えてるし、火傷も治ってんだろ? 別にできることはできる、で良いじゃねぇか。確かに知られれば騒ぐ奴もいるだろうから隠しておくに越したこたぁねぇだろうがな」

『そうだな。事実は事実として受け入れるしかないし、俺達の恩人であることにも変わりはない。さっきも言ったが誰にも話す気はないし、知ったからといって利用する気もない。安心してくれ』

 だから、通訳してないのに話が通じてるのは何故だ? そっちだって絶対何かチート持ってるだろ? 職人チートとか。

「ラノベ?」

 先輩、それは言っちゃいけないワードっすよ。

 

「で、でも凄いよねぇ。どうすればそんな能力身につけられるの?」

「う~ん、頑張ったから?」

「頑張ればできるの?!」

 いや、実際頑張ったし。俺、超頑張ったし。異世界でだけど。

『よくわかんないけど、とにかくユーヤさんのお陰で怪我も治ったんだよね? ありがとう! それにソバカスも治ったし!!』

 ドナちゃんにとっては摩訶不思議な能力よりもソバカスが消えたことの方が重要らしい。チャーミングで可愛らしいと思うんだけどな。年頃の女の子の悩みは人それぞれだろうから口には出さないけど。

 まぁ、概ね受け入れてもらえた、というかとりあえず秘密にはしておいてもらえるらしいので今はそれで良い。

 ただ、気になることがひとつ。

 

「先輩、なんで横歩きで移動してるんすか?」

 章雄先輩はリビングに入ってきたときから壁際をカニのような横歩きで移動しているのだ。顔と身体は常に俺達の方を向けたまま。

 それにとっくに乾いているはずの頭はいまだにタオルが掛かったままだし。

「ああん? 章雄、さっきから何ひとりで離れたところをチョロチョロしてやがる。鬱陶しいからこっち来い」

『背中に何かあるのか? 火傷がまだ治ってないか?』

「い、いや、俺のことはいいじゃん? す、隅っこが好きなんだよ。だから放っておいて」

 ますます挙動不審になる章雄先輩。

 マジで火傷の後遺症でもあるのか? 念入りに治癒魔法掛けたつもりだったが治りきってないとか?

 現に慌てたようにタオルで後頭部を押さえてるし。

 

「とにかく一度見せてください。治りきってないなら追加で魔法使いますから」

「だ、大丈夫だから。もう、完璧に、すっごく、滅茶苦茶治ってるから!」

 何故逃げる?!

「鬱陶しいんだ! さっさと見せろ!」

 俺から逃げようとする章雄先輩を親父さんがひっ捕まえてタオルをむしり取る。

 あ!

「あ!」

『あ?』

『……』

 …………。

「……ぶっ」

「せ、先輩、っぷ、くくく」

 思わず吹き出した親父さん。

 何か声を掛けようとしたものの、堪えきれずに吹き出す俺。

 肩を震わせながら顔を背けるアレッサンドロさんとベルナルドさん。

 

「だ、だから嫌だったのに」

「……スーパーキノコ」

「言うなぁ!」

 章雄先輩はタオルで頭を隠しながら赤い顔で抗議する。

 どうやら煮えたぎった油を被って火が付いたときに髪が燃えたせいで後頭部にいくつものハゲができたらしい。

 というか、治療の時に見てはいたのだがその時はそれどころじゃなかったからな。

 まぁ、火傷は魔法で完治しているから少し待てば生えてくるだろう。

 事故とはいえ緊迫感がないので思わず笑ってしまったが。

 親父さん達も肩を震わせながら大笑いしてるし。

 ドナちゃんも、いや、笑ってない。

 ってか、ほっぺたを膨らませて怒ってる?

 

『わ、笑わないで! アキオは私を庇ってくれたんだよ!』

 思わぬ怒声に大人達がビックリして笑いを引っ込め、ドナちゃんを見る。

『あ、あの、だから、その、私を庇った名誉の負傷なんだから、その……』

 注目を浴びるとドナちゃんが茹で蛸のように顔を、いや、首から上を真っ赤にしてしどろもどろに言う。

 おやぁ?

『ド、ドナちゃん、あ、ありがと』

『わ、私も、その、アキオのおかげで手をちょっと火傷しただけだったし、あの、あ、ありがと……えっと、アキオって、恋人とか、えっと、な、なんでもない!』

 何やら言いかけて、途中で走ってリビングを出ていってしまうドナちゃん。

 その様子を唖然と見守る章雄先輩と、猛烈に背中がかゆくなった俺と親父さん。不機嫌そうに腕組みをするベルナルドさんと滅茶苦茶不機嫌そうに額に青筋を立てるアレッサンドロさん。

 

 こういうのも吊り橋効果と言うのだろうか。

 どうやらドナちゃんは油に火が着いたときにとっさに庇ってくれた章雄先輩に好意を持っちゃったらしい。

 確かに行動はとても男らしい。庇いきれていないのがアレだが、それは仕方がない。その状況で完全に庇うのは無理だったろうし、実際にドナちゃんが最小の火傷で済んだのは章雄先輩の功績だ。そのせいで俺がいなければ先輩は命の危機だっただろう。

 そもそもの事故の原因はドナちゃんが不注意で油の入った鍋の隣で沸かしていたお湯を跳ねさせてそれが加熱された油に入り、飛び散った油が引火したという状況だったらしい。日本でもお馴染みの火災原因である。

 自分のミスから起こった事故で、我が身を顧みずに身を挺して庇う男性。

 うん。惚れても不思議じゃない。

 

 もっとも、今は新たな命の危機に身をさらしている章雄先輩である。

『おう、アキオ。ドナに何しやがった?』

「え? あの、え?」

『ドナの様子見りゃただ事じゃねぇ。どう責任取るんだ?』

 アレッサンドロさんの剣幕にビビりまくる先輩。通訳は俺。

「あ、あの、俺、日本に彼女が…」

『ああん? テメェ、ドナに不満があるってのか? ああ?』

 混沌としてきた。

 さて、明日には落ち着くだろうから、改めて商談を纏めないとな。

「ちょっと柏木君! サラッと流そうとしないで! 助けて!!」

 アーメン。

「だ、誰かぁ~!!」

 

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