第157話 勇者の欧州珍道中 Ⅶ

 目の前に現れたのは昨日バイク屋を覗いたときにいた女の子。

『偶然、ってほどでもないのかな? 払い下げの買い付け?』

『ドナ、誰だ? 知り合いか?』

 人懐っこい笑顔で話しかけてきたソバカス少女とそれを怪訝そうに見る熊みたいな印象の髭面強面の厳つい男性。

 親子、だよな? 印象的にはヒグマと狙われた子鹿なんだが。

『ほら、昨日お店に来た、日本からモトチクレッタ(オートバイのイタリア語)買い付けに来た人達だよ。お父さんのお店とモトチクレッタを褒めてくれた』

 ニコニコしながら隣の熊さんに説明するドナと呼ばれた女の子と、説明を聞いて俺をジロリと睨むように見る熊男。

 

『モト(オートバイ、モーターサイクルの略称)にはかなりうるさいウチのオーナーが感心してました。お会いできて光栄です。日本のグランドワークスという店で働いているユウヤです』

 厳つくて愛想の無さそうな、取っつきづらい感じではあるが、俺の身近な人物とある種似ている雰囲気だ。それにバイクに携わる職人には常に敬意を払うように心掛けているので丁寧に挨拶をして握手のために手を出す。

『ああ』

 一言、である。

 素っ気ないと受け取るか朴訥と感じるかは人それぞれだろうが、俺が受けた印象は後者だ。握り替えしてきた手はゴツゴツして堅く分厚い職人の手。

 ホントに今向こうでバイクの側にしゃがみ込んで唸っている誰かさんとそっくりである。

 

『それで、何してるの? やっぱり軍用車両の買い付け?』

『ああ。ウチの親父さんが興味津々で見てるから、買うかどうかは分からないけど手続きとかを聞いておこうかと思ってね』

 愛想のない父親の応対をフォローするためか、対照的な笑顔でドナちゃんが聞いてきたので俺がしようとしていたことを話す。

『……やめておけ』

 が、熊さんがむっつりと発した一言が気になるので続きを促す。

『今回のは状態と価格が釣り合っとらん。少しでも予算の足しにしたいのか小遣い稼ぎかは知らんがな』

 なるほど、親父さんなら変なものを掴まされるってことも無いとは思うが、軍用車両ってのは親父さんでも扱ったことはないと思うから、その辺はこっちの専門家の意見を聞いておいた方が良さそうだ。

 

 助言のお礼を言って親父さんのところに向かおうとしたが、ふと思い立ってこの人達のこの後の予定を聞いてみる。

『えっと、私達も払い下げのモトチクレッタを見に来たんだけど、父さんが今みたいに言ったから帰るところだよ。お店は休みだから昨日仕入れてきたのの整備するくらいかな?』

 無口な熊さんの代わりに明るい少女が答えてくれたのでお誘いしてみた。

 というのも、このまま親父さんが軍用バイクの払い下げを諦めると、交渉が失敗したことの不機嫌がぶり返しそうだったからだ。

 それに日伊のバイク親父が会ったらどんな反応するのかにもちょっとだけ興味あったし。

 結局、どうするかはまず親父さんと合流してからということになったので2人を連れて親父さんのところに戻る。

 

「う~ん、面白いし悪くねぇ。いや、ボロいんだが軍用のせいか造りはしっかりしてるし、けどコレでこの値段は、う~ん……」

 戻っても親父さんは変わらずバイクをアレコレ見ながらブツブツ言ってる。

 ちなみに道すがら買い方を聞いてみたところ、払い下げを買うには基本先着順で、同時に多数の申し込みがあった場合は抽選となるらしい。

 まぁ、今回はその知識は無駄になりそうではあるが、ともあれ俺は親父さんに熊さんから聞いたことを話す。

「むぅ、そうか。確かに物の状態考えれば高ぇな。コレじゃよっぽどのマニアじゃなきゃ見向きもしねぇ。けど面白そうなんだよなぁ」

「そんなに一般のバイクと違うんすか?」

「いや、そこまで違うわけじゃねぇな。ただ、道路以外を走ることを前提に市販車を改造してるから細かな部分の補強やらが色々されてるし装備も違う。売るためってより調べるために一台欲しかったんだが」

 

 説明を聞いて納得しつつも名残惜しそうな親父さんに熊さんから声が掛かる。

『……そんなに軍用モトに興味があるなら見に来るか? 何ヶ月か前に捨て値で買い取った物がある。時間が無くてほとんど手付かずだが』

「本当か?! 見せてくれ!」

『構わん。ついてこい。だがあまり期待するな。ガラクタ一歩手前の代物だ』

「良いって良いって! 原型を留めてりゃ御の字だ。恩に着るぜ!」

『ふん、大袈裟な野郎だ』

 ………………

「ねぇ、柏木君」

「……なんすか?」

「日本語とイタリア語の会話って、聞いてるとすっごく変だね」

「そうっすね」

「っていうかさぁ、なんで会話が成立してるの?」

 俺が知りたい。

 通訳する前だというのにあれよあれよという間に親父さんと熊さんが意思疎通を成立させてしまった。

 似た雰囲気を持った2人なのでひょっとしたら相性が良いかもしれないとは思っていたが、それぞれが母国語を話しながら意思疎通ができるほどとは予想の遥か上空である。

 あれか? 職人ってのは独自の言語形態とか持ってたりするのか?

 

 いきなり意気投合した厳ついオッサン2人に半ば唖然としながら俺と章雄先輩がついていく。

 いきなりの展開に最初は驚いていたドナちゃんは、適応力が高いのかすぐにニコニコしながら歩きだした。

 とりあえず昼食を摂りたかったのだが、親父さんの様子から断念し、途中でチャバッタというイタリア北部でよく食べられているパンのパニーニ(イタリアではパンに具材を挟んだもの全般を指す)を買う。

 お金は俺が出した。

 ささやかだがお礼の代わりだ。

 

 ドゥオーモ広場から徒歩で20分。

 お店に着くと、早速バイクが保管してあるという倉庫に向かおうとするオッサン達をドナちゃんが抑えてまずは改めて自己紹介。

 ドナちゃんは本名をドナテッラと言い、“神から授かった物”とか“美しい贈り物”って意味だと教わった。

 熊さんは、本名アレッサンドロ・フェラーリさんというらしい。フェラーリというと車しか思い浮かばないが、実はイタリアでは2番目に多い名字なんだとか。日本で言えば田中さんとか高橋さんみたいなものらしい。ちなみに名前のほうには“人類の守護者”という意味があるんだとか。

 当然俺達も自己紹介したのだが、生憎と名前の由来とかは知らないので聞かれても困る。

 

 その後は簡単にパニーニで昼食を済ませ、親父さんにとっては“待て”状態だった念願のバイクとご対面である。

 倉庫に案内されて、そこに置いてあったバイクの中の一台。

 うん、ボロい。が、確かにドゥオーモ広場で展示されていたのと同じような塗装と装備のバイク。

「おお! 触ってもいいか?」

『好きにしろ。どうせならバラすから手伝え』

「任せな。ドカティのスクランブラーがベースになってるのか? 現車と随分仕様が違うな」

『ああ。こいつは……』

 相変わらず通訳なしで会話が何故かできている2人の職人の手によって見る間にバイクがバラされていく。

 その淀みない手際はまるで2人が双子の兄弟であるかのように息の合ったものだった。

 というか、職人ってのはみんなこうなんだろうか? 俺も大学卒業して親父さんに弟子入りしたらああなるんだろうか。今は弟子見習いみたいなものだけど、なれる気がしない。

 

『父さん、ああなったらしばらく熱中しちゃうから、こっちでお茶でも飲みましょうよ。私、イタリアから出たことないの。日本のこと聞かせてくれない?』

 というドナちゃんのお誘いを受け、俺と章雄先輩は倉庫を出る。

 けど、若い娘が素性のよく分からない男2人と一緒にいて大丈夫なんだろうか?

 いや、何もする気なんてないけどね?

 後で睨まれるのも勘弁してほしいのよ。

 

 店内にある談話スペース(商談スペース?)の椅子に腰掛けると、すぐにドナちゃんがコーヒーを淹れてくれる。

 イタリアのコーヒーといえばエスプレッソ、かと思いきや出してくれたのはカフェ・ラテでした。ちょっと甘めだったけど飲みやすいな。

 そんなこんなで3人で談笑しつつ時間を潰す。

 幸いドナちゃんは英語が話せたので章雄先輩も会話に加わることができた。

 した話といえば主に日本の生活とかイタリアにはない習慣とか大学生活のこととか章雄先輩のヘタレた話とか章雄先輩のチキンな話とか章雄先輩の…

「俺の話比率高過ぎじゃない?!」

 ドナちゃんにはかなりウケたんだけどな。

 時々親父さん達の様子も見に行ったのだが、いつの間にやら本格的にレストアまで始めていたので放置する。

 そうこうしているうちに時刻はすっかり夜に入ろうとしている。当然外は真っ暗である。

 いくら親父さん達が意気投合したからといって、初対面に近い俺達があまり遅くまでお邪魔するのは非常識だろう。

 

『それじゃそろそろ俺達は戻るよ』

「あ、うん、そうだね。でも親父さん、大人しく帰ってくれるかなぁ」

『え~! もう帰っちゃうの? 他に予定があるなら仕方がないけど、そうじゃないならうちで食事してってよ! 父さんもあんなに気の合う人って滅多にいないから喜ぶし』

 辞去するという俺達の言葉にドナちゃんが不満そうな声を挙げる。

 気持ちは嬉しいんだけどね。常識的な問題もあるし、そもそも親父さん達が気の済むまで待ってたら明日の朝までだってやってそうだからな。

 そんなやり取りをしていたらチャイムが鳴った。誰か来たらしい。

 応対のためにドナちゃんが向かったので俺と章雄先輩は倉庫の親父さん達の所に行く。

『そっちのを外せ』

「これか? 固ぇな、ん、よし、外れた。そっち持て」

『上げるぞ』

 案の定まだやってるよ。

 倉庫の床には様々なパーツが並べられている。今はエンジンをバラしている最中らしい。

 こりゃホントに放っておくといつまでも終わらないな。

 

「親父さん、そろそろ……」

『父さ~ん! ベルナルド叔父さんが来たよ~!』

 親父さんに声を掛けようとしたときにドナちゃんの声で遮られた。

『そうか。ユータロー、済まないが少し中断しよう』

「おう、ひと息入れるか」

 言葉が違うのに違和感がないのが凄い。

『アニキ、悪いけどちょっと……あ』

「あ~!! テメェは昼間の!」

 ……世間が狭いのか古狸の発想が貧困なのか、ドナちゃんと一緒に倉庫に入ってきたのはあの感じの悪いバイヤーだった。

 

 

 

『そうか、事情は判った。身内が迷惑掛けた。すまん』

『ア、アニキ、俺は…』

『ベルナルドは黙ってろ。ユータローは一流の職人だ。そんな相手との取引を反故にしてどうすんだ』

「アレックスが悪いわけじゃねぇよ、気にすんな。おかげでイタリアの一流の職人と知り合えたんだ。取引より価値があらぁ」

 さすがに細かな話は意思疎通ができないらしいので事情を俺がアレッサンドロさんに説明する。

 話を聞くにつれ、眉間に寄る皺が増えてただでさえ厳つい顔がより凶悪になっていくのを親父さんが宥める。

 いつの間にやら愛称で名前を呼んでるし。マジで前世は兄弟とかだったんじゃないだろうか。それとも夫婦とか……想像したら気持ち悪くなってきたから止めよう。

 

『ワークスチームのチーフメカニックに勧誘されたアニキがそこまで褒めるなんて』

『何度も言ってるだろう、つまらん思い込みで人を見るなと。そんなんだから何度も女に騙されるんだ』

『ちょ、アニキ、それは言わないでくれって』

『ユータロー、それにユーヤにアキオ、悪かったな。コイツは以前に日本人の女に騙されたことがあってな。昔はかなりの日本贔屓だったんだが、それから日本人を毛嫌いするようになったらしいんだ。ただ、まぁ、もし代わりの取引がまだなら改めて話を進めたいんだがどうだ? もちろん迷惑掛けた分は条件に考慮させてもらう』

 人種差別というよりも個人的な恨みかよ。

 まぁ、気持ちはわからんでもないが、それを俺達や他の日本人にぶつけられても困るな。

 とはいえ、そういうのを抜きにして取引ができるならそれが一番かもしれない。親父さんだって「なんとかなる」とか言っても具体的にアテがあるわけじゃなさそうだし。

 親父さんにアレッサンドロさんの言葉を伝えると頭を掻きながら手を差し出して握手した。

 これにて一件落着、かな?

 ベルナルドって人との和解はしてないけど、バイヤーの仕事も本来はアレッサンドロさんの仕事をベルナルドさんが手伝ってるって形らしいので問題なさそうだ。

 

 

 気まずさからかむっつりと黙ったままのベルナルドさんは置いておいて、アレッサンドロさんと親父さんがバイク談義に花を咲かせる。

 時折俺が通訳することもあるが、大部分は各々が勝手に母国語で話しているので傍で見ている分には面白い。

 ドナちゃんは夕食を作りに、章雄先輩はその手伝いに立候補したのでここにはいない。

 こうなると手持ちぶさたの俺とベルナルドさんが微妙な雰囲気のまま居心地の悪い状況になってしまうな。かといってこっちから話しかけるのもどうかと思うし。

 

「危ない! うぎゃー!」

『キャー!!』

 突然、ドナちゃん達が入っていったキッチンと思われる部屋から章雄先輩の、続いてドナちゃんの叫び声や悲鳴が響く。

『ドナ! どうした?』

 章雄先輩の叫び声はまぁ、いつもの事ではあるがドナちゃんのと併せてかなり切迫している様子に、さすがにアレッサンドロさんが慌てた様子でキッチンに走る。もちろん俺も。

 が、入口でアレッサンドロさんが一瞬立ち竦む。

 その大きな身体越しに見えるのは、火?!

 

「チッ! どいて!」

『! ドナ!!』

 すぐさまアレッサンドロを押しのけるようにキッチンに足を踏み入れる。

 それで我に返ったのかアレッサンドロさんもドナちゃんの名を呼ぶ。が、そっちは後だ。

 見るとキッチンのコンロに寸胴鍋とフライパンが火に掛かったまま置かれており、そのフライパンの方から天井まで炎が上がっている。

 どうやら揚げ物をしていたらしく、その油に引火したらしい。

「水、はマズイか、んじゃ『凍れ! 絶対零度アブソリュート・ゼロ』」

 すぐさま魔法を発動させて油とその周囲を強制的に凍らせる。

 

 勘違いしている人もいるかもしれないので説明すると、基本的に極一部の例外を除き、可燃性物質というのは液体や固体の状態では燃えない。それは燃えやすい油やガソリンなども同じで、それぞれに“引火点”という温度が存在する。

 これは可燃性物質が気体に変わり点火源を近づけると引火する温度のことで、例えばガソリンは約-45℃、灯油が40~60℃、揚げ物によく使われる菜種油だと約310℃だ。これ以下の温度だと幾ら火を着けようとしても簡単には引火しない。

 では、なぜガソリンなど極低温が引火点のものでない、普通の油でも燃えるのかというと、火を近づけてごく一部分が引火点を超えるほど加熱されると、その部分に火が着く。その引火した火によってさらに回りの可燃性物質の温度が上がることで引火点を超えるからだ。

 水を掛けると火が消える理由の半分は、水によって可燃性物質の温度が強制的に冷まされることである。残りの半分は水によって酸素が遮断されるからだけど。


 んで、今回は揚げ物の油が燃えているので水を掛けると油がはね上がって火災が広がる恐れがある。

 消火のもうひとつの方法である酸素遮断はキッチン内に他の人がいるので使えない。

 というわけで、魔法によって周囲の可燃物を引火点以下にまで強制的に下げたのだ。

 魔法による効果なので火が近くにあろうが可燃物の温度は上がらない。そうなると空気中に放出された可燃性物質はすぐに燃え尽きてしまうので結果的に燃えるものが無くなった火が消えるのだ。

 

 消火を見届けてからすぐに周囲を見回す。

 コンロの手前の床にドナちゃんと、それに覆い被さるように章雄先輩がいた。

 魔法の範囲をコンロ周辺に限定していたので章雄先輩の髪や服がまだ少し燃えている。なので魔法で水をぶっかける。

 あ、駆け寄っていたアレッサンドロさんまでずぶ濡れになったけど、緊急事態なので許してもらおう。

『ぶはっ! な、っと、ドナ! 大丈夫か?』

 頭から水をかぶったアレッサンドロさんだったが、それどころじゃなさそうだ。

 ドナちゃんは油が掛かったのか腕が重度の火傷で赤く爛れて苦痛に呻いているし、章雄先輩はドナちゃんを庇ったのだろう、後頭部から背中にかけて酷い状態になっている。このままでは命に関わる。

 

「下がれ! 『治癒ヒール』!」

 邪魔な熊男を引きはがし、2人に治癒魔法を掛ける。

 身体の部位が欠損しているわけじゃないので俺の魔法でも治せる。

 鑑定魔法で慎重にモニタリングしながら、2人を完全に治癒させる。特にドナちゃんは女の子だ。火傷痕が少しでも残ったら可哀想だからな。服で見えない部分にも念のためしっかりと魔法を掛けておく。

 章雄先輩は、状態としてはドナちゃんよりも範囲が広く重篤ではあるがこちらも問題ない。まぁ、髪の毛は一部犠牲になってしまって、これは魔法じゃ再生させることができないが、頭皮さえ完全に治しておけばハゲることはないだろう。将来は知らんが。

 

 2人が完全に治ったことを確認し、ついでに火がどこかに残っていないかを慎重に見回す。

 うん、大丈夫だな。

 ホッとひと息。

 頑張った、俺。

 自画自賛しつつ戻ろうと踵を返したところで、キッチンの入口で親父さんとベルナルドさんが口をあんぐりと開けて俺を見ていることに気付く。

 

 あ、やっちゃった? 

 

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