第155話 勇者の欧州珍道中 Ⅴ

 コト。

 俺と章雄先輩の前に黄金色に輝く泡が美しいスパークリングワインがグラスで差し出される。

 グラスを近づけると爽やかな、それでいてしっかりとした香りが感じられる。

 イタリアと言えばフランスに劣らないワインの名産国だ。スパークリングワインもフランスシャンパーニュに負けていない、らしい。

 出されたこれも見るからに高そうだ。とはいえ、普段ビールかチューハイくらいしか飲まない日本庶民の俺達なので、どれだけ高級品を出されようが味の評価なんてできるわけがないけどな。

 それでもこのワインから漂ってくる香りがすごく良いものであることくらいはわかる。


「シャンプーの香りが強すぎて台無しだけどね」

 しょうがないじゃないか。

 マーライオンと化した親父さんの口から流れ出たもんじゃ焼きの具を後頭部と背中に浴びた俺はポッキリと心が折れて、マフィア・カモッラのボスの誘いに乗ってしまった。

 んで、少しだけ離れた場所に停まっていたボディーガードさんの車|(こっちはアルファロメオだった)に乗せてもらってホテルに戻り、親父さんをベッドに放り込んでからしつこいくらいにシャワーを浴びた。

 頭は3回、身体も2回、シャンプーやボディーソープを使いまくって洗ってようやく落ち着くことができた。

 その時になって初めて『洗浄魔法使えばよかったじゃん』と気がついたが後の祭りである。

 まぁ、章雄先輩やカモッラの連中の前で魔法使うわけにはいかないので、どちらにせよホテルには戻らなきゃいけなかったから単に気分の問題でしかないんだけどな。

 

 そんなわけで、不本意ながら借りを作ってしまった俺は『助けてもらった借りを返す』というカモッラ・ボスの要望を断れなくなってしまったのである。

 借りを返すために借りを返してもらうという、自分で言ってて訳が分からない状況だ。

 というか、ホテルに送ってもらうことで貸し借りなしにしようとしたのだが『その程度では返したことにならん。そもそもその状況になったのも我々を助けたことが原因なのだからな』と言われ、結局、気色の悪い感触のせいで冷静さを欠いていた俺は押し切られてしまったというわけだ。

 んで、フェデリコ2世・ナポリ大学のすぐ側、ヌオーヴァ・マリーナ通りから少し路地を入った所にある、カモッラが運営しているバーに案内されてきた。

 因みにさっき俺のモノローグにツッコミを入れたのは章雄先輩である。

 自他共に認めるスーパーチキンの章雄先輩なのでホテルで待ってて、というか先に寝ててもらっても良かったのだが、俺が1人でカモッラの連中のところに行くというのが心配だったらしく、子鹿のように足をプルプルさせながら同行を主張してきたのだ。

 

 ヘタレな割にこういった妙に義理堅いというか、無理してでも頑張ってしまうところが色々な人に好かれてる理由なのだろう。

 まぁ、今の彼女と付き合うようになってから満岡組の面々に日々鍛えられているから多少は慣れたというのもある、のか?

 まぁ、カモッラのボスは言葉通り歓迎してくれているようで、不穏な空気は今のところ全くなし。

 章雄先輩が怯えるであろう厳ついマフィアって感じの人は離れた場所にいるし、歓待を受ければとりあえず借りを返してもらったことになるようなので諦めよう。

 

『君達は日本人だということだが、ナポリの感想はどうだ?』

『治安が悪い。あと、街が汚すぎ。住んでる人達はフレンドリーで良いけどな』

『クックック、カモッラ目の前にしてるってのに大した度胸だ。いや、自信かな? だが詮索するのは止めておこう。ワインをもう一本開けよう。飲むだろ?』

 心底可笑しそうにゲイリー・オールドマン似のボスは笑う。

 にしても、このワイン、美味いな。お土産でもらえないかな? 高そうだけど。

 どうやらボスはかなりのワイン好きらしい。チーズをつまみに飲むのがお気に入りだとか。鬱陶しくならないギリギリのラインで蘊蓄を語っていた。

 こういうところも無駄にイケメンである。

 

『そういや、襲ってきた連中はどうしたんだ?』

 すっかり忘れていたが元々この事態になる原因の連中のことを、ふと思い出したので聞いてみる。

 股間クラッシュをくらわせたから逃げたりはしていないだろうとは思うが。

『さあな、聞かない方が良いだろう。まぁ殺しはしないさ。聞くこと聞いたらどこかに放り出すことになるだろうよ』

 流石はイタリアマフィアの中でも過激な行動で有名らしいカモッラ、言うことがいちいち物騒だな。当然放り出すっていっても、単純に解放するってわけじゃないだろうし。

 

「あ、あのさ、イタリア語で会話されると疎外感がハンパないんだけど」

 章雄先輩が俺にだけ聞こえるような声で愚痴る。

 問いたげに見てきたボスに通訳してやった。

「ちょ、柏木君?! 余計な通訳しないで!」

『ハァッハッハ! いや、これは失礼。英語なら大丈夫かな? 生憎日本語は分からないのでね』

『あ、ありがとうございます』

 ……章雄先輩、英語できたんだ。

「失礼だな! 俺だって一応それくらいならできるよ! 法学部も英語必修だし」

『そういえば、君達はまだ大学生なのかい? 日本の大学ってどんなところか聞かせてくれないか? 実は娘が外国留学をしたがっているのでね』

『あ、はい、ボク達は……』


 こんな感じで意外にも和気藹々といった感じで接待を受けることになった。

 途中でボスが呼んだらしい女の子、いや、雰囲気的に女の人、か? が数人接待に加わった。

 全員もの凄いスタイルの美人さんばかりだった。

 ただ問題は、開放的なのがナポリの気質なのかスキンシップがちょっと大学生には刺激が強すぎます。章雄先輩なんか鼻の下が20センチくらい伸びてた。これは是非とも満岡さんに証拠写真付きで報告せねば。

「伸びてないよ。20センチも伸びたら妖怪だよ! それと、清香ちゃんに言うのはヤメて!! マジで命に関わるから!!」

 

 

『ボス、こちらにいらしたんですか』

 なんだかんだで話術の巧みなボスに引っぱられて楽しませてもらい、見るからに高級なワインを数本空けたところで、そろそろ帰ろうかと考えていたら店に別の男が入ってきた。

 目つきが鋭く油断のならなそうな容貌。どっちかというと目の前にいるボスよりもマフィアっぽい。

『ボニートか。ユーヤ紹介しよう、ウチのNo.2、ボニート・ルッソだ。ボニート、こっちの日本人に私が助けられた。明日にはナポリを離れるらしいが、何かあれば力になってやれ』

『……わかりました』

 ん?

『ところでボニート、何か俺に用でもあったのか?』

 おやぁ?

『いえ、別に急ぎってわけでもなかったんですが、チェーヴァの所の親父がこの間の礼がしたいとワインを持ってきたんで一番良いのをボスに渡そうと』

 あれあれ?

『1974年のバローロじゃないか! ユーヤ、もう一本付き合ってくれないか? 是非イタリアが誇るバローロの当たり年を味わってくれ』

 なるほどなるほど?

 

 店員さんが新しいグラスを3つ持ってくると、ボスは自らワインのコルクを抜く。

『それじゃあ、ボス、俺はこれで』

『まあまあまあ、せっかく来たんですから一緒に飲みましょう。ねっ、ボスさん、やっぱり持ってきた人が一番先に飲むべきでしょう?』

『……そうだな。ボニートも飲め』

『い、いや、俺は……』

『私の勧める酒が飲めないのか? 確かお前もバローロは好んでいたはずだが?』

 マフィアのドンがアルハラするとシャレにならんな。

 いきなりの展開にオロオロしてた章雄先輩が顔青くしてるし。

 とはいえ、さすがは裏社会のボス。俺のちょっとした態度の違いで言いたいことを察知して合わせてくれたな。

 

 勧められたボニートって人は、目線をせわしなく動かしながら断ろうとしている。その態度だけで「何かあります」と言っているようなものだ。

『あれ? 飲まないの? せっかくボスさんに差し入れた毒入りワイン』

『な?! ど、どうして』

『多分、遅効性の合成薬品、だろ?』

 思いっきり動揺するボニート。まんま自白してるのと同じだ。

『ユーヤ、その“ボスさん”って呼び方は止めてくれ。リベリオでいい。だが、なんでわかった? コルクは抜かれた形跡がなかった。ラベルも間違いなく本物だ。それなのにどうやって毒をいれたのかわかるのか?』

 CSIじゃあるまいし、俺にそんなことわかるわけがない。

 最初にボス改めリベリオさんが俺をコイツに紹介したときに一瞬だけ殺気が俺に向いた。初対面のはずなのに、だ。

 だから注意深く気配を探ってみると、コイツがリベリオさんに殺意を持っているのがわかった。ついでに過剰なほどこのワインに意識が行ってたから『鑑定魔法』を掛けたら“バローロ 1974年”って名前と“毒入り(有機合成薬品)”ってのが見えたのだ。あとは、すぐに効果があったら自分もボディーガードの人に殺されてしまうから遅効性にするだろうな、と想像しただけだ。

 

『さて、ボニート、お前には随分と目をかけてきたつもりだったんだがな。残念だよ。考えてみれば、お前なら私のスケジュールもある程度把握している。今日チンピラを襲撃させたのもお前か?』

 ついさっきまでの饒舌で人当たりの良い紳士の仮面を脱ぎ捨ててマフィアのボスの顔になったリベリオさんが詰問する。

 入口近くに待機していたボディーガードの人達(というか、ボスの部下って言った方が良いのか)も拳銃をボニートに突きつけている。

『ま、待ってくださいボス! 俺は何もしちゃぁいません! 今までアンタに尽くしてきた俺よりも、そんな突然やってきたジャポネーゼを信用するんですか?!』

『では何故お前自身が持ってきたワインを飲まなかった? 本当に何も入っていなければ飲めたはずだろう』

『の、飲めます。さっきはいきなりだったから驚いただけです』

『ほう?』

 ボニートの言葉にリベリオさんが片眉を上げる。

『それじゃあ、飲んでもらおうか』

『っと、その前に、ズボンのポッケ、確認した方が良いんじゃない? 右側ね』

 この人に恨みはないんだけどな。それでも襲撃を指示したとすれば一般人も巻き込みかねなかったわけだし、何より、リベリオさんとは酒を酌み交わした分、多少は情も湧く。

 何やら悪巧みしているようなら潰しておく方が良いだろう。

 

 リベリオさんが部下に目配せをすると、その人が手慣れた様子でボニートのポケットを探る。そしてそこから引っ張り出したのは合図を送るための発信器のようなもの。まぁ、なんのために持ってたのかはわかってるけど。

 にしても、色々とバレバレな人だな。

 そんなことを片付けている間、静かにしていた章雄先輩だが、座っている席を見ると悠然と腰掛けている。ように見えるけど、あ、やっぱり、緊張に耐えきれずに白目剥いてら。

 

 店内の状況はこちら側に圧倒的に有利な状況だ。となると、章雄先輩のことは放っておいて大丈夫そうだな。一応念のため防御用の魔法具を(勝手に)身に着けておいたし。

『リベリオさん、外にいる部下って何人?』

『……何故そんなことを知りたいのか聞いても?』

『発信器持ってたってことは、毒ワインが失敗したら強硬手段に出るつもりだったんじゃない? 外にいる物騒な気配を持ってる連中が敵なのか味方なのか知らなきゃどうしようもない』

『4人だ。近くに車で待機してるはずだ』

 ってことは、あ、あれだな多分。

 

『ちょっとの間、連れを頼む』

『……承知した。人手は必要か?』

『いらない。すぐ済むから』


 ……………………


『ただいま』

『ホントに早いな!!』

 いや、だって、特に描写が必要なバトルでもないし。

 何よりそろそろホテルに戻らないと明日がちょっと辛い。というか、移動の電車の中で寝てしまいそうなのだ。

 というわけで、暗がりを利用して近づき、サクッと意識を刈り取って結束バンドで拘束しておいた。

 20人くらいいたのでちょっと面倒だったが時間自体はそれほど掛からずに済んだのだ。

 幸いスタ○ド使いはいなかった。時間を消し飛ばすようなとんでもチートがいたら間違いなく逃げる。意味がわからない人はディアボロでググってくれ。

 なんにしても、後始末はカモッラの皆様にお任せしよう。

 

『世話になった。この恩は忘れん。次にナポリに来たときはいつでも声を掛けてくれ』

 てっきりまた借りがどうのとかいって引き留められるかと思いきや、割とあっさりと解放された。

 再びの事故を避けるために章雄先輩は部下の人にホテルまで運んでもらった。

 騒動の原因やら動機やらは何も聞いていないが、知ったところで意味は無いので問題ない。聞いたらまたフラグが立ちそうだしな。

 なので、カモッラの皆様とはこれっきりの予定だ。

 ……俺の希望としては。

 

 

 

 翌日。

 朝の8時前にホテルをチェックアウトしてナポリ中央駅に向かう。

 親父さんは少々2日酔いの兆候はあるものの特に問題なし。ただ、マーライオンにメタモルフォーゼを遂げた記憶はまるで無いらしく、文句をいっても「悪い悪い、んでも覚えてねぇんだよな」と反省している様子はまるでなかった。

 章雄先輩に至っては、俺が親父さんを背負って歩きだしてからホテルで朝を迎えるまでの記憶がまるっと消失していた。

 いや、俺は何もしていない。

 なのに、朝、カモッラの話をしたらキョトンとした顔をしていた。なので、別に無理に思い出させる必要もないか、と放置することにした。

 

 んで、今は駅のホームで乗る予定の高速鉄道フレンチャロッサの電車を待っているのだ。が、

『……どっちかというと夜の住人のはずのカモッラのボスがなんでいるの?』

『そうつれないことをいうな、兄弟。言っただろうカモッラは恩も恨みも絶対に忘れない。あれだけ世話になった恩人の見送りぐらいするさ』

 まぁ、見送りくらいなら別に良いんだが、章雄先輩がめっちゃ不思議そうに見てるので後で誤魔化すのが面倒臭い。

『本来ならばたっぷりと時間を掛けて借りを返したいんだがな。ユーヤ達の仕事を邪魔するわけにはいかないし、別の形で礼はさせてもらうとしよう。ただ、それとは別にユーヤのことは気に入ったからな。いつでも歓迎するからまたナポリに来てくれよ』

 そう言って笑うカモッラのボス、リベリオさんと握手して別れ、俺達はようやく次の目的地、ミラノに向かうことになったのだった。

 

 因みに“別の形の礼”とやらの中身は、数週間後、親父さんのバイク屋に10数台のイタリア製高級バイク(新車)が届けられたことで判明したというのはまた別の話である。

 

 

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