第144話 勇者の弟妹 前編
学祭の後始末中にメルから掛かってきた1本の電話。
それは臨月を迎えていた母さんの陣痛が始まったというものだった。
「…陣痛が始まったのは2時間ほど前ですが、経産婦ということで早めに分娩室に移動することになりました」
「わ、わかった! 俺たちもすぐに病院に向かう。……メル、頼んだ」
「はい! お任せください!」
心強いメルの返事を聞いてから電話を切り、俺はめっちゃ良い笑顔で電卓を叩いている久保さんに向き直る。
「悪いけど、後任せていいか?」
「大丈夫です。後は細々とした片付けだけですから。売り上げはどうしますか?」
金額が金額だからな。
今のところの概算だが、2日目の売上本数は初日を更に超えて、なんと約4500本! 2日間の合計は約8300本を販売し、売り上げは驚きの240万円超である。
食材のお金は学祭が終わってから売上金から支払う予定になっているのでそれも精算しなきゃならない。
……俺が全部買い取ることにならなくて本当に良かったよ。
因みに前日の売り上げは俺と久保さんでその日のうちにATMで預けてある。
「んじゃ、久保さんと若林さん、田代の食材仕入れ分を先に精算して、残りは、そうだな、山崎と大竹と一緒に銀行のATMに預け入れておいてくれ」
俺の持ち出し分は後で精算すればいいや。
そうそう、複数で行くのは安全と不正防止のためである。
俺個人は久保さんも山崎も信用しているが、こういうのは形が必要だからな。俺たちが抜けた後のこともある。誰がやっても安心できる状況にしなきゃいけない。
「分かりました」
「おう。了解」
普通に了解した山崎と山になった千円札から一切目を離すことなく残念そうに言う久保さん。……なんか、だんだん久保さんのキャラが壊れてきた気がする。信士、大丈夫だろうか。
まぁ、それは置いておこう。今は母さんの出産が最優先だ。
といっても、俺たちが行ったところで何ができるってわけでもないんだけどな。
俺は茜とレイリアに声を掛けて母さんたちが居る病院に向かうことにする。
「じゃあさっきの電話って、やっぱり」
「ああ、メルから。いよいよ出産が始まったって」
俺の言葉に一瞬部室内がザワっとするが、これ以上噂話のネタにされちゃたまらないので誤解の余地をなくしておく。俺はやればできる子なのだ。
「言っておくが、子供産むのは俺たちの母親だからな。今さらだが、弟か妹ができるらしい。だから、間違っても俺が父親なんてことはあり得ないし、これ以上ろくでもない噂が流れたら……オマエら全員、シメる」
魔力を放出しつつ威圧し、念押ししておく。
部室にいる連中全員が高速首振りを披露している間に、俺たちは荷物をまとめて帰る支度を調える。
「んじゃ、悪いけどお先に。今度埋め合わせはするから。あ、できれば打ち上げの段取りも組んでおいてもらえると助かる」
「お、おう! 協力してくれた人たちにも手分けしてお礼を言って回らなきゃいけないし、来週くらいで良いか?」
「そ、そうっすね! 今回は大成功ってことで、ちょっと奮発しませんか?」
「その辺は久保さんも含めて話し合ってくれ。あ、お礼回りは俺も…」
「い、いえいえ、会長はお忙しいでしょうから私たちで済ませておきます!」
「そ、そうか。じゃ、お願いするよ」
……ちょっと脅しすぎたか?
「よし! 茜、レイリア、急ごう!」
「そうね」
「うむ。赤子の顔を見るのが楽しみじゃ」
デイパックを引っかけて部室を出る。
と、向こうから歩いてくる人影が。
「あ、柏木君…」
章雄先輩と神崎先輩、岡崎先輩までいる。
「先輩、ども」
「ああ、柏木、ちょっといいか?」
「すんません! 急いで帰らないといけないんで、んじゃ、お先に失礼します!」
タイミングが悪い。今は相手をしている暇がないのよ。
なので、一言だけで駐輪場へ急ぐ。
決してコンテストのことを恨んでいるわけじゃない。……ホントよ?
ああ、言い忘れていたが、あの“ミスターキャンパス”のコンテストで俺は『ブーイング大賞』なるものをもらった。当然ながら嬉しくもなんともない。
転移魔法で行きたいのをグッと堪えて大人しくバイクで病院へ。もちろん交通ルールは遵守である。
まぁ、別に緊急手術とか切迫した何かってわけじゃないので当たり前である。……気は焦るけどな。
それでも出産ってのは、女性にとっては命がけの大事業なわけで、メルが付いているとはいえ、心配は心配なのである。
急く気持ちを抑えつつ、婦人科病棟に入り、看護師さん? 助産師さん? どっちかは分からないが、に、聞いた分娩室の前の控え室まで行く。
そこにはティアと親父、亜由美がいた。
「お、おう、裕哉、来たのか」
「当然。親父は分娩に立ち会わないのか?」
今は父親が分娩に立ち会うのは割と普通だって聞いたが。
「美由紀に立ち会いはいらないって言われてな。お前や亜由美の時はできなかったから立ち会いたかったんだが」
ああ、今さらって感じで断られたのか。俺たちの時は海外に赴任中だったらしいし。
今回は日本にいるし、気の毒ではあるが仕方がないだろう。望まれてないのにいても邪魔にしかならないだろうからな。
……俺も同じだが。
ストレスの溜まった動物園の熊みたいに室内を忙しなくウロウロする親父。
不安になる気持ちは分かるが、かなりうっとうしい。
対してティアは落ち着いたものだ。
「メル様もいますからね。事前の診察でも問題なかったようですし、大丈夫ですよ」
それでも家族が増えるのが嬉しいらしく、いつもよりもニコニコしているティア。
それは亜由美も同じらしく、何やら妄想に耽りながら時折妙な百面相をしている。
オマエら少しは落ち着け。
「裕哉もソワソワして貧乏揺すりしてるけどね」
「じゃな」
マジで?!
そんな落ち着かない思いでヤキモキしつつ、1時間が経過。
気配を探れば分娩室の中はそれほど慌ただしくないものの、母さんやメルの他に数人が居て動き回っているのが分かる。
が、防音がしっかりしているのか音や声はまったく聞こえない。
母さんの話では、産婦人科ってのは普通の妊娠・出産のような喜び先行の女性もいれば、不妊治療や異常妊娠、死産などの強い悲しみや苦しみを抱える女性もいる。だから見舞う人も周囲の目や耳に気遣う必要があるし、病院側も防音や物理的に距離を空けるなどの対策をしているということだ。
まぁ、それでも魔力で聴力を強化すれば声を拾うことくらいはできるけど、盗み聞きみたいなことをするのは気が引ける。
けど落ち着かねぇ!
それにしても、さっきから茜が何か問いたげに俺をチラチラ見てるんだが、なんだ?
「茜? どうした?」
「ふぇ?! あ、えっと、その……」
いったいなんだ?
「えっと、裕哉、その、大丈夫?」
「何が?」
「あの、コンテストでスゴくブーイングされてたじゃない。それにあの司会の人も」
そんなことを気にしてたのか。
うん、確かに気の弱い奴なら確かにトラウマになりそうなブーイングだったな、アレは。
「気にしてない。ってか、あの程度は遊びみたいなもんだろ? まぁ、やっかまれてるのは自覚してるしなぁ。茜もレイリアもティアも、大学でかなり人気あるからな。俺みたいな見た目フツメンが独占してりゃブーイングくらい受けるよ。俺が逆の立場ならマジで殺意覚える自信があるね」
中身はフツメンからかなり遠ざかっちゃってるけど。
「そ、そうなの?」
「ふむ。何やらずっと浮かぬ顔しておると思えば、そのようなことを気にしておったのかアカネは。あの程度では主殿は揺らがぬよ。そもそも命を狙われたのでも殺意を向けられたのでもないのじゃからな」
レイリアの言葉は極端だけどな。
でも、まぁ、そんなところだ。
綺麗どころを1人の男が複数侍らして大学内を闊歩していりゃ面白くないと思う奴もいるし、そもそもアレはある種のお祭り騒ぎだからな。
確かに悪意を向けてくる奴もいたけど、大半は単なるノリでブーイングしてただけだし。
ただ、盛り上げるためとはいえ、司会があそこまで煽るのは予想外だったしやり過ぎな感じはするけど。
さっき、章雄先輩たちが来たのもどうせそのことに関連してるんだろうし。
「なんにしても俺は対して気にしてないから大丈夫だよ。それに、後でたっぷりと慰めてくれるんだろ?」
「……ユーヤさんの顔が急に締まりがなくなりました」
「鼻の下が1メートルは伸びた」
ティアがちょっと笑いながら指摘し、亜由美はすっごく失礼なことを心底呆れた顔で言い放ちやがった。
……一応確認しておこう……うん、多分、1センチぐらいしか伸びてないヨ。
「……手加減、してよね」
ご馳走様です。
恥ずかしそうに赤く染まった顔が理性を溶かしそうです。
まぁ、そんなお馬鹿な会話をしていようが変わりなく時間は過ぎるようで、急に分娩室の気配が慌ただしくなり、不意に新たな、そして小さな気配が生まれた。
防音の扉を通してでも小さな、でも力強い泣き声が聞こえてきた。
「う、生まれた、のか?」
「そうみたい。だけど……」
なんだ?
母さんとおぼしき気配の周囲の人が変わらずバタバタと動き回っているようだ。
出産の後処理かと思っていたのだがどうも様子が違う。
まさか、と不安に駆られたその時、もう一つの気配が、生まれた?
え゛?!
そして加わるもう一つの小さな泣き声。
……双子?
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