第133話 Side Story 亜由美の水泳大会 後編
ドッドッドッド。
心臓の音がうるさい。
あ、最初の組がスタートした。
うぅぅぅ、足が震えてきた。
どうしよう。
ピー!
次の選手がスタート台に立つ。そしてスタート。
ピー!
いよいよ私の番。
震える足をなんとか動かして、スタート台に上がる。
「アユミさ~ん! 頑張ってくださ~い!!」
もの凄い通る響きでメル姉様の声が私に届く。
ハッと顔を上げて観客席を見ると、最前列でメル姉様がハンカチを振りながら私を見ていた。
ハンカチって、別れの見送りじゃないんだから。
周りの人たちからは大注目だ。
品があって凜としたお姫様なんだけど、どこかちょっとズレているところがある。
けど、その声を聞いた途端、私の肩からはスーッと力が抜けて周囲の音も聞こえるようになった。
うん。
大丈夫。
笛の音と共に飛び込みの姿勢をとる。
スタート。
シュボンッ!
ほとんど水しぶきが上がらない理想的な飛び込み。身体に掛かる水の抵抗と音でわかる。
二搔きで水面に出てからも力を込めて水を掻く。
掻くたびに自分の身体がグンッと前に出る。
あっという間にプールの端まで来る。
ターン。
後はそれの繰り返し。でもたった2往復。
最後に一気に身体を伸ばし、タッチする。
歓声が響いた。
電光掲示板に私が泳いだ5コースが一番上に表示されていた。
タイムは2分31秒25。
……これ、結構良いんじゃない?
少なくとも自己ベストはかなり更新している。
しかもまだまだ体力的に余裕がある。
もちろん魔法は使ってない。自分の素の力そのまま。
……身体強化使ったらどんなタイムになるんだろう。
さすがにまだ私は兄ぃみたいに魔力で力が数倍になったりしないけど、2割くらいなら身体能力が増すはず。
まぁ、メル姉様が見てるから身体強化使ったらすぐにバレるからやらないけど。
「亜由ちゃんスゴい! 全中並のタイムじゃん!!」
「柏木、スゴいじゃないか! 体力はどうだ? 午後の決勝でもいけそうか?」
水から上がると部活仲間と顧問の先生が駆け寄ってきて、口々に褒め称えた。
気分が良い。
ふっふっふ、イヤ、調子に乗るとダメなフラグが立つ。
でも驚くほど身体が軽い。
兄ぃに付いて異世界で半年近く訓練した成果かもしれない。
魔法だけじゃなくて剣とか格闘術の鍛錬もしたから、体力は付いてるのだ。実際ステータスも上がってるし。
とはいってもメインは魔法だったからそんなに大した成長はしてないけど。だって
日本人だからってみんながみんな、兄ぃみたいだと思われても困る。
ふと観客席を見ると、メル姉様は飛び上がって喜んでいた。
でも垂直に1メートル以上飛び上がるのは目立つので止めた方が良いと思う。
後ろの醜男(ぶおとこ)が姉様のスカートの中を見ようとしてるし。
何故かスカートは不自然なくらい捲れ上がらないし、あ、身を乗り出した男の顔を踏んづけた。
首が変な方に曲がったように見えたけど、まぁ、いいか。
後はのんびりと残りの選手を見れば良いかと思っていると金ちゃんと目が合った。
金ちゃんは真剣な目で、それでも不敵に口元に笑みを浮かべている。
いや、金ちゃん全中上位レベルの選手でしょ? 格下相手じゃなくて、もっと有力選手相手にすればいいのに。
そして金ちゃんの出番。
見てるとあっという間だった。
タイムは2分30秒15。
掲示板を見た後にこちらを向いたときのドヤ顔がウザかった。
しかもまだ余裕がありそうだ。
やっぱり魔法使おうかな? ダメ?
昼食は部活のみんなとだったけど、家族や応援の友達も一緒でいいらしいのでメル姉様も合流した。
男子水泳部も混ざりたがっている様子だったが全員でスルー。応援に来ていたクラスメートからもブロックした。
何故か今年から同じクラスになった小柴という奴はメル姉様じゃなく私にやたらと話しかけてきていたが、コイツは兄ぃ目当てっぽいのでこっちも黙殺しておいた。
私はオタクではあるが腐女子じゃないのだ。
肝心の食事はカロリー○イトとウィダー○ンゼリーなので味気ないにも程があるけど、午後も競技があるので仕方がない。
帰りにメル姉様とラーメン食べに行こう。チャーハンと餃子もセットで。
あ、うちの部は200m自由形でも組に恵まれてなんとか決勝進出することができた。タイム的には他の選手よりも遅いので決勝は厳しそうではある。
そんなわけで午後の競技がスタートする。
午後は200mの平泳ぎと自由形の決勝(男女)だ。
最初に女子の200m平泳ぎなので、早速私の出番なのだけど、予選の時のような緊張はもうしていない。
といってもガチガチになってないだけで、程よい緊張感は全身を包んでいるし、身体も軽い。予選以上に頑張れそう。
決勝なので組は無く、10コース全部で10人の選手によって争われる。
「とうとう決着を付けるときね! 負けないわよ! あ、でも、アンタは私以外に負けちゃダメだから」
「しつこい女は嫌われる。絶壁はどっちにしてもダメだけど」
「う、うるさいわね!」
金ちゃんとの恒例のやり取りをしているうちに時間になった。
何と、金ちゃんは私の隣のコースだった。
不敵にフッと鼻で笑ってきたので、私は豚鼻を披露してあげた。
プルプル震えていたので面白かったのだろう。
スタート台の上でもう一度深呼吸。
構える。
スタート。
シュボッ!
後は無心で泳ぐ。
一瞬だけ顔を上げて息継ぎ。けど、全然苦しさは感じない。というか、多分息継ぎなしでもいけそう。
3回目のターンをしてからは残りの体力を全部使うつもりでスピードを上げる。
ガッ!
目測を誤って指ぶつけた。痛い。
あれ? ああ、終わりか。
掲示板を見る。
一位は4コース……ん? ってことは、私?
2位は5コース、チラッと見ると金ちゃんの悔しそうな顔。
……勝った? マジで?
「……関東大会では負けないから! ……えっと、お兄さん来るのよね? ね?」
「……来ないように言っておく」
多分来るけど。
「ダメ! ぜ~ったい! 来てもらってよね! じゃないと許さないから!」
「具体的には?」
「え? えっと、アンタん
「ストーカー?」
「ち、違うわよ!」
仕方がない。
なんか、ちょっとズルしてるような気もするから、兄ぃにサービスしてやるように言っておこう。
因みにタイムは2分26秒22だった。
金ちゃんは2分26行31。
素直に喜んで良いものか悩む。
やっぱりちょっとズルかしらん?
プールから上がったら部のみんなにもみくちゃにされた。
顧問の先生は涙で化粧が崩れてなかなかホラーな顔になっていた。怖かった。
……けど、まだ一競技残ってるんじゃ?
その部員も一緒になってはしゃいじゃってるけど。
初日の競技が全て終了。
結果?
自由形は予想通り最下位でしたが、何か?
当の本人が満足そうなので問題なしですよ?
着替えも終わって、会場を出る。
そこでもう一度集まってから解散だ。
メル姉様にも連絡しないと。
「あの、柏木亜由美選手、ですよね」
「はい?」
スマホを手にいざメモリーからメル姉様の名前をタッチしようとしていたとき、声を掛けられた。
声の方を向くと、40代後半くらいの男の人。
「すみません。私、援助交際とかやってないんで、他の人をお願いします」
「ち、違います! そういうので声を掛けたわけじゃないから!! 私はこういう者です」
そう言って一枚の名刺を差し出す。
私立KZ高等学校 スポーツ科事務局 清水栄一
……誰?
こんな名刺渡されても何が言いたいかわかんないんだけど。
オジサンはこれで全て分かっただろってな顔でニヤけてるけど、手抜きはいけないと思う。
「学校の職員がJCをナンパ……通報しよう」
「ちょ、ちょっと待って! 違うって言ってるでしょ?!」
手にしていたスマホの電話モードを連絡先一覧からダイヤルモードに切り替えて、1、1と押したところでオジサンが慌てて騒ぎ出す。
結構煩い。
変な視線を集めそうなので話を戻そう。
生え際が危険水域に達している男性をからかい過ぎるとハゲを私のせいにされそうだから。
「き、君、大人しそうな顔して毒吐きまくってるね。そ、それから別に私の生え際は危険水域じゃないから!」
「フッ、認めたくないものだな、自分自身の若ハゲゆえの過ちというものを」
「君、中学生だよね?! なんでそんなネタ知ってるの?! それに若ハゲゆえの過ちって何?!」
「……そろそろ本題に入ってほしいんですけど」
「き、君ねぇ……はぁ~。ま、まぁ良いか、初対面の男性相手でも物怖じしないメンタルってのも頼もしい、かもしれないし。
え~と、君、柏木さんは進路とか決まってるのかな? 私の居る高校はスポーツ全般に力を入れていてね、もちろん水泳もそのひとつなんだ。
昨年度の柏木さんのタイムを見て、今回の伸びがもの凄いのが分かってね。今でこれなら、ウチの学校でならもっと伸ばせると思うんだよ。
是非ともウチで本格的に水泳に打ち込んでみないかい?」
これは、もしかしてスカウト、っていうもの?
初めての経験。初体験?
……兄ぃみたいなイケメンでリテイクプリーズ。
「オッサンで悪かったね! それでどうかな? 関東大会や全国大会の結果次第では特待生としての推薦枠も取れると思うんだけど」
ふむ。
受験免除は魅力的だけど。
「学校ってどこにあるんですか?」
「ウチの学校はね、山梨県の…」
「お断りします」
「早っ! だ、大丈夫だよ。確かにこっちからは通えないけど、学生寮もあるし、特待生になれば学費も寮費も免除になるから」
そういう問題じゃないのだ。
せっかく家族も増えて新居もピカピカ、家具調度品は一級品、さらに年内にも弟か妹が産まれるってのに家を出るなんて冗談じゃない。
家から通えないって時点で論外。
弟妹には『お姉様』と呼ばせるという野望が私にはあるのだ。そのためには物心つく前から毎日言い聞かせねばならないというのに。
なので、せっかくのお誘いでもお断りですよ。
「はぁ~、君ねぇ、散々大人をからかっておいて、そういう返事は無いんじゃないの? 君みたいな公立中学の子が、ウチみたいなスポーツの名門校に声かけられるなんてほとんど無いんだから、素直に喜ぶのが普通だよ? 親御さんだってきっと賛成してくれるよ。とにかくさぁ、一度家族に話しなよ。後の大会の結果が良ければこっちから君の家に説明に行ってあげるから」
……コレが豹変ってやつ?
いきなり睨みながら声を低くしてるんだけど。
というか、全然恐くないけど。
厳つくて傷だらけの冒険者の愛想笑いのほうが百倍恐かったよ?
けど、いい加減面倒になってきた。
こっちは早いところ集合場所に行かなきゃならないし、メル姉様と合流してラーメン食べに行きたいのに。
お昼がアレだったからお腹空いてるんだから。
「聞いてるの? 大人が話してるんだから、返事くらい…」
ジジジジ……。
「な、何か臭…って、熱っ! 熱ぅぅぅぅ!」
おおっ! 話には聞いたことあったけど、髪の毛って結構燃えるんだ。
……でも、臭っ!
何があったかって?
オジサンの前髪(ほぼ頭頂部に近いから前髪と言えるかどうか知らない)に突然火が付いただけですけど?
まぁ、不幸なアクシデントではあるけど、オジサンは走ってどこかに行ってしまったので、もう用は済んだと考えて良いのだろう。うん。
「ア・ユ・ミ・さん」
ギクゥッ!
「今、魔力を感じたのですけど、何をしたのでしょうか」
振り向くとメル姉様がいた。
いつも通り、微笑みを湛えた優しげな顔だけど、目が笑ってない。
「き、気のせい、じゃないか、な?」
「な・に・を・し・た・ん・で・す?」
「ごめんなさい。あんまりオジサンが鬱陶しかったので魔法使いました」
オジサンの千倍恐い。
「帰ってからお話、しましょうね?」
「……はい」
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