第117話 勇者の異世界デート Ⅱ
『転移の宝玉』で、やってきました、アリアナス王国の王宮。
安アパートのダイニングから一転し、シックながら品の良い調度が置かれた一室。
いつも俺が使わせてもらっている貴賓室だ。
「とりあえず、メルに会わないとな」
「そうですね。私が呼んできます」
俺の呟きにティアがすぐさま反応して、いそいそと部屋を出ていった。素早い。というか、最近ティアへの依存度がハンパないな俺たち。そのうちティアがいないと何もできなくなりそうだ。
「そろそろ王国での拠点もちゃんと用意しないといけないな」
「そうじゃな。いちいち王宮で煩わされるのも面倒じゃ」
「テンプレ、テンプレ」
「あ、あはは、でも、確かにいつも王宮で泊まるのは落ち着かない、かな?」
レイリアと茜が賛同する。亜由美はそういうメタ発言しないように。
「どうせ何ヶ月かこっちにいることになるから、その間になんとかしてみるか。それは別として、まずはコイツらの処遇だな」
そう言って、俺は茜が抱えているケージを受け取り、床に降ろす。
口を開くと勢いよく3匹の仔犬が飛び出してきた。
狭いケージから出た先が見知らぬ場所だったせいか、3匹は立ち止まってキョロキョロと辺りを見回す。俺と茜の顔を交互に見て、また周囲を見る。
俺たちの雰囲気から安全な場所だと判断したらしい仔犬たちはもの凄い勢いで部屋の中を走り回り始める。
「大分大きくなったな。生まれてから3ヶ月くらいだったか?」
「うん。えっと、14週だったかな? もう親離れさせても大丈夫だし、かなりやんちゃだからベスもお母さんも結構大変そうだったよ。白い仔たちも2匹は先週お母さんの知り合いに引き取られていったわ」
茜の言葉に納得である。
既に仔犬たちは体高が40センチ、体重は10キロほどになっている。小型の柴犬くらいだ。しかもまだまだ大きくなるのを表すように足も太く骨格もがっしりしている。
今も3匹で部屋の中をじゃれ合いながら走り回っているのを見ても茜の家じゃ大変だろうことは想像に難くない。
ベスに似ているほうの3匹も今のところ大きさに差がないらしいから、ウッドデッキの犬舎や庭、リビング全部合わせても仔犬6匹と親のグレートピレニーズ1匹、うん、犬だらけだ。
といっても、もっと小さいときに親と引き離すのもダメらしい。
確かに生後1~2ヶ月くらいが仔犬は一番愛らしい時期なのだが、その頃というのは仔犬が社会性を身につける大事な期間だそうで、その時期に親と引き離すと病気になりやすくなったり、攻撃的な性格になったりしてしまうことが多く、生後12週までに親兄弟と十分にコミュニケーションを取っていないとそれ以降は社会性が身につかなくなってしまうのだそうだ。
よくペットショップで生後2ヶ月くらいの仔犬や仔猫が売られているが、ペットや飼い主のことよりも売ることを優先した商業主義の発露であり、先進国では日本くらいなものだとか。
シャドーウルフの性質を受け継いだこの3匹がどうかはわからないが、まぁ他の仔たちと同じで大丈夫だろう。
今は仔犬たちが首にはめている魔法具でシャドーウルフの能力は使えないようにしてある。日本で能力使われると大騒ぎになるからな。だがこっちの世界ならある程度は大丈夫だろう。使っても大丈夫なフィールドを用意して影狼に面倒見させるか。
「う~、やっぱり私も飼いたい! ねぇ兄ぃ、1匹で良いから、ダメ?」
亜由美がはしゃぎまわる仔犬を見て上目遣いで俺を見る。
「良いのではないか? 今は子供じゃが日本に戻る頃にはある程度能力が使えるようになるであろうし、そのうえで従魔として契約させればアユミの安全もより確実になろう。さすがに全部は難しいが、1匹だけならば影狼も面倒見れよう」
「そうだよ。私ばっかりローちゃんに守ってもらってるのは気が引けるし、タマちゃんだっていつも一緒にいられるわけじゃないから」
レイリアと茜が後押しする。
そこまで言われると俺も反対しづらい。
「ワフッ」
影狼までわざわざ影から頭だけ出して賛成しやがるし。
「……わかったよ。ただし! 帰るまでに幻獣としての能力をある程度使えて、きちんと命令を守れるようになっておくこと。それと、レイリアに召喚術と従魔を従わせる訓練をしてもらうこと。戻ってからもきちんと面倒を見ること。それができるなら……」
「やる! 大丈夫!」
「ワフッ!」
「我に任せよ」
喰い気味に返事をする亜由美と影狼。
未だによくわからないことが多い幻獣種だからな。不安もあるが、まぁ、俺たちがいればなんとかなるか。
「あとは残る2匹だけど、これは……」
ガチャ。
「ユーヤさん、お帰りなさい」
「ユーヤ、ようやく戻ったか」
言いかけた言葉の途中で扉が開き、メルと、あれ? レオン殿下?
「良い。そのままで構わぬ。丁度私も戻ったばかりでな。顔を見に来ただけだ」
慌てて膝を突こうとした俺をレオン殿下が制する。
「飲み物の用意を致しますのでお掛けになってはいかがでしょうか?」
殿下の後に続いて部屋に入ってきたらしいエリスさんの提案に従い、全員で席に着く。仔犬たちはお構いなしで大暴れである。
「ユーヤさんはせっかくこちらにいらしてもほとんど顔を出されずに何やら王都外でなさってたようですね」
腰を落ち着けると、メルが拗ねたように切り出した。
あ~、そういえば何度かこっちに来てもバタバタしててろくに顔出してないな。前回来たのはストーカー野郎連れてだし。
「す、すまん。色々あったから」
「冗談です。道すがらティアから事情はお聞きしましたから」
「大丈夫ですよ。姫様は自分1人が仲間外れなので拗ねているだけですから。埋め合わせと称してベッドに連れ込めばチョロいです」
相変わらずエリスさんは絶好調だ。
メルが真っ赤な顔でアウアウ言ってるがあえて触れない。触れてたまるか。
「メルスリアの痴情は置いておいて、この仔犬がシャドーウルフの幼生体か?」
メルの「誰の痴情ですか!」というツッコミをサラッと無視してレオン殿下が自分のズボンの裾を囓って引っ張っている影狼の子供の頭を撫でる。
影狼とベスの間に子供が生まれてその中にシャドーウルフの特質が引き継がれたのがいることはメルに話してあったからな。それを聞いたんだろう。
「ええ。
「そうか。実はな、この幼生体を王国、というか、王家に譲ってもらえぬかと思ってな」
「それは、こっちとしても助かりますが」
実はそれを陛下に頼もうと思っていたのでこちらとしても好都合だ。
シャドーウルフは幻獣で、歴とした魔物だ。通常は見つけ次第討伐対象となる。だが、幻獣種は数も少なく特殊な能力を持つものが多いし、滅多に人を襲うこともない(そもそも出会うことがほとんどないため)ので、可能ならば従魔として飼い馴らしたいと思う者は少なくない。
その中でもシャドーウルフは攻撃力自体はそれほど高くないものの影に潜ることができる特質から護衛や暗殺など、地位の高い貴族や王族にとっては非常に使い勝手が良い。だから人に馴れて従魔にしやすい影狼の仔たちをどうするかが悩ましかったのだ。
アリアナス王国の王族、国王陛下や王妃陛下、レオン殿下なら無闇にシャドーウルフを暗殺に使ったりしないだろうし、王家の保護があれば討伐される恐れも少ないだろう。何より、両陛下や殿下のことは信頼しているし守りたいとも思っている。
「シャドーウルフの幼生体となれば手に入れたいと思う者も多い。下手な者に入手されると困るのだ。王城内は幻獣に対する防護措置も執られているからある程度は安全だが我々王家の者が王城に引きこもっているわけにはいかぬからな。
逆に我々がシャドーウルフを従えることができれば、身の安全をさらに盤石にできる。其方が嫌がるであろう裏の仕事で使役することはしないと約束しよう。譲ってもらえるか?」
「そういうことであればもちろん喜んで。丁度影狼に子供たちの面倒を見させながら能力の訓練をさせるつもりでしたから、訓練にある程度の目処がついた段階で従魔契約をしましょう。1匹は俺のところで引き取る予定なので残り2匹ですが」
そう応じると殿下は嬉しそうに首肯した。
「1頭だけでもと思っていたが、2頭ならば尚のこと助かる。私も今後外に出ることが多いし、両陛下にも回せるからな」
「王家所有であれば、引き渡した後でも影狼が会うこともできますし、レイリアさんはシャドーウルフの能力を完全に封じる結界を張る方法もご存じですから助かりますね」
「うむ。その程度ならば我がメルスリアに教えてやっても良い。特定の個体のみ制限を解除することもできる故、王城内での安全も増そう」
その他、訓練する場所だとか食事だとか、契約の方法とか結界の内容だとかの細々としたものを順次決めていく。
その辺は殿下とメル、レイリアで話し合っていたので、亜由美はどの仔が良いか1匹ずつ抱き上げたりじゃれたりして悩み、ティアはエリスさんとメイドのメイド談義をし、俺と茜は苦笑いをしながらそれを眺めたりしていた。
一通り話を纏めると殿下は忙しそうに退出していき、エリスさんも「晩餐の打ち合わせをしてまいります」と言って部屋を出ていった。
慌ただしかった部屋が急に静かになる。
「えっと、メル? その、治癒魔法のほうはどうなってる?」
いきなり変わった空気に、何故だか気まずくなったのを変えるために話を振る。
「は、はい。そうですね。お義母様からお借りした医学書はだいたい目を通しました。さすがあの世界は医術に関しても進んでいますね。私が師事することになった治癒師も、私が医学書を読み上げる傍から必死になって内容を書き留めていましたよ。あの、医学書に関してはこちらでも広めて構わないのですよね?」
メルの問いに俺は頷く。
基本的にメルには
こちらの世界にはこちらの世界の文化と文明がある。確かに俺から見るとこの世界は魔法がある分進んでいる分野と逆にそれが阻害して遅れている分野があるし、不便に思うことも多い。けど、進んだ技術がもたらすのは恩恵だけではない。
地球でも進んだ西洋文明が入ってきたことで壊れてしまった文化は多い。時代が経過してその文化に優れていた面があったことがわかってもそれを取り戻すことはできないのだ。
特に科学技術は扱いを間違えれば魔法とは比較にならないほど多くの人が死ぬ。地球の歴史がそれを証明している。
だから、発想の転換程度でこちらの技術でも簡単に再現できて、且つ、庶民の生活が向上するようなものは許可しているが、それ以外の技術やシステムは一切持ち込まないように頼んであるのだ。
金融を含む経済学や都市計画、地質学や農業などの学問も同様だ。影響が大きすぎて何が良くて何が悪いかの判断がつかない。
知識チートなんざクソ食らえだ。
文明が育ってない中で現代知識を導入なんかしたら間違いなく失敗する。そういったことは良い面よりも悪い面のほうが大きな影響が出る。らしい。親父の受け売りだけどな。
なので、こちらの世界に持ち込んで良いものは親父と母さんを交えてしっかりと話し合ってから決めることになっている。俺が勇者として活動していたときにもたらしたものも問題らしいけど、それは俺が生き残るために必要だったので両親も理解してくれている。
そういったことから、メルには日本で得た知識を持ち込まないようにしてもらっていたのだが、医学に関してはある程度は良いんじゃないかということになった。
これは母さんの出産があるからというだけではなく、生理学や解剖学の発展の初期段階では大量の非人道的な実験が行われてきた歴史があることと、現代医学の再現には化学処理や電子顕微鏡などの高度な科学技術が不可欠であり、それを制限すれば極端に大きな影響を与えることはないだろうということ。さらに、初期医学が向上すれば多くの人が救われる可能性が高いからだ。
その辺のさじ加減は難しいのだろうが、とりあえず両親はそう考えて許可を出した。ただし、薬の開発は薬品ごとに相談してもらうことになっている。
念のためこちらの世界の神であるヴァリエニスには俺が神殿で報告するつもりだ。後から余計な茶々を入れられたらたまらないからな。
「明日からは実際に治癒院で妊婦や乳幼児を相手に修練を積む予定になっています」
メルがやる気に満ちた顔でそういった。
頼もしいことだ。
「それでは私は職人ギルドに頼んでいるものの確認に行ってきますね。それと、その、もう少しお料理の勉強もしたいです」
いや、ティアはもう十分だと思うんだが。
まだダメなの?
このまま進むと、本当にティアがいないとダメな家になりそうなんだが。
いや、それが狙いと言われても……。
「我は亜由美と影狼の仔らの訓練じゃな。召喚術も教えねばならぬし、我がいたほうが安心できるじゃろう。それに王城におればティアにパフェをいつでも作ってもらえるしの」
……どう聞いてもパフェがメインとしか思えないんだが。
となると、後は俺と茜か。
「主殿はアカネに王都を案内してやったらどうじゃ? このところ我やティアが主殿と一緒にいたことが多いからの。たまには2人でのんびりと過ごすのも良かろう」
面白半分といった表情でレイリアは茜のほうを見つつ言った言葉で赤くなる。茜が。
「まぁ、それも良いか。前に約束してまだ案内できてなかったからな。日数にはかなり余裕あるし、まずは何日か王都散策といきますか」
「あ、あぅ、その、いいの?」
問題はそのまんま俺が王都に出ると騒ぎになりそうなことだけど。
「もうだいぶ王都も落ち着きましたし、ユーヤさんが王都をまわっても大丈夫だと思いますよ。私が行っても離れたところから声を掛けられたり手を振ってきたりするくらいですし、それに、布告もされていますから」
それなら大丈夫かな? あんまり魔法で姿を変えるのもデートっぽくないし。
……ん? 布告?
「なぁ、メル。布告って……」
「あっ! 私はそろそろ陛下のところに行かないと! そ、それではユーヤさん、また後で」
引っかかりを覚えてメルに聞き返そうとしたら、わざとらしく慌てた風にメルが立ち上がり、止める間もなく部屋を出て行った。
……なんだ?
「メルの奴、何か隠してるのか?」
「気にする必要もあるまい? どうしても聞きたければ後日にでも聞けば良かろうし、そも、王都に出ればわかるのではないか?」
まぁ、それもそうか。
「んじゃ、明日から王都の散策に行くか」
「うん!」
「あ~! 私も行きたかったのにぃ~。こっちが終わったら私も連れてってよ」
嬉しそうに頷く茜とほっぺたを膨らませる亜由美。
「交代で行くのも良いですよね。私もユーヤさんとまわりたいです」
「そうじゃな。それも良かろう。何、時間はあるからの」
何か話が広がってるぞ。
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