第116話 勇者の異世界デート Ⅰ

「横浜第2合同庁舎。えっと、第三管区海上保安本部は、と、あっちか」

 庁舎の裏手にある駐車場にバイクを駐めてから表側にまわり、案内板を見ながら目的の場所を探す。

 前回は前を通っただけだからどこに行けば良いのかわかりにくい。ってか、広すぎるだろ。

 馬鹿でかくて人の少ないビルの中を案内に従って歩き、なんとか受付を見つけて用件を伝えるとすぐに応接室のようなところに案内される。

 部屋はそれほど高級じゃなさそうなソファーとテーブル、壁に数枚の額に入った写真が飾られているだけの簡素なものだった。

 

 俺が日曜の午前という学生にとって貴重な時間にこんなところに訪れたのには理由がある。というか、理由がなきゃ来るわけがない。

 前回の深海調査船救出の時に俺たちのところに来た海上保安庁の仙波勇太郎と名乗った人物に呼ばれたのがひとつ。それともう一つ、前回借りた携帯GPS端末を返しそびれたからだ。

 面倒なので宅配便で返却しようとしていた矢先に仙波さんから電話があったので、ついでにそれを持って訪問することになった。

「やあ、お待たせした。今日はわざわざ来てもらってすまなかったな」

 さほど時間をおかずに部屋に入ってきた仙波さんがそう言いつつ軽く頭を下げる。

「あ、はい、大丈夫です。とりあえずコレをお返しします」

 目の前のソファーに仙波さんが腰掛けたのでディパックからGPS端末を取り出してテーブルに置く。

 

 仙波さんはそれを手に取ってから自分の目の前に置く。

「確かに受け取った。それで、だ。随分と遅くなって申し訳なかったが、探査船救助の貢献に対する報酬のことだが、考えてもらえただろうか」

 少し言葉をためてから切り出した。

 そう、今回呼び出されたのは救助に伴って支払われるべき海上保安庁からの褒賞(報酬?)の件なのだ。

 本来の内部規定ではこういった民間人や民間業者が警察や海上保安庁、消防などに協力した場合、掛かった経費と規定分の日当が支払われることになっているらしい。

 それで計算すると、今回の乗組員の救助と調査船引き上げは特に俺たちの方で経費が掛かっていないので俺とレイリアの日当分5万円が褒賞金となるらしい。

 けど、それじゃぁあまりに金額が釣り合わない。とはいえ、金銭以外でとなると、勲章の授与とかになるらしいのだが、俺の存在を秘匿することを受ける条件にしたので無理。というか、そんなものはいらない。

 それに言葉を濁してはいたが勲章の授与は等級によって天皇陛下や内閣総理大臣又は所管大臣が行うらしいので、正体不明の若造をそんなお歴々に会わせるわけにはいかないという意識も働いているんだろう。

 

 そうなるとやっぱり金銭しかないわけで、特例で規定を超える金銭を出すというところまではあっさり決まったらしい。ただ、ここで問題となったのが金額だ。

 そもそも深海から調査船を引き上げて乗組員を救助するなんてのは前例がない。だから妥当な金額を算定することができないのだとか。

「電話でも話したとおり、君の存在が表沙汰にならないように上を説得したし、それはある程度了承を得られた」

「その割には何か最近俺の周りをチョロチョロとしてる人がいるけど?」

 俺の言葉に仙波さんの頬が微かに引きつる。

「公安警察、か?」

 そうなのだ。

 あの調査船引き上げから2週間が経つが、直後から俺の家や学校周辺で人を監視する連中がウロチョロするようになった。

 まぁ、正体がバレた以上、ある程度は予想できたけど、それでもやはり周囲を嗅ぎまわられるのは良い気分がしない。


「連中も仕事だからな。頼むからキレたりしないでくれよ」

 仙波さんが懇願するような声音で言う。っつか、人聞き悪いな。

「んなことしませんよ、失礼な。まぁ、ちょっと見かけるたびに所属と本名をフルネームで叫びながら声を掛けてますけど」

「んな?! ……お前ぇ、鬼かよ。公安の調査員が身バレしたら仕事になんねぇじゃねぇか。というか、公安の所属や氏名なんてどうやって調べてんだよ! 俺たちだって知りようがねぇんだぞ!」

 鑑定してるからな。頭の中までは知りようがないけど所属や氏名くらいなら即座にわかる。まぁ教えないけど。

 けど、おかげでここ数日は監視されることもなく過ごせている。といっても俺以外にレイリアやティア、それから影狼が感じたところ茜も監視対象になっているみたいで非常に鬱陶しい。レイリアは見かけるたびにパフェをご馳走させているみたいだけど。

 とはいえ、ティアも不快に思っているみたいだし暴発しないうちになんとかしないとな。

 

「正直ちょっとうんざりしてるんで、なんとかしてほしいですね。じゃないと全国の公安警察官の氏名と住所が顔写真付きでネットに公開されかねません」

「ちょ、ちょちょちょ、まっ、自棄になるな! な? 明智通じてなんとかさせるから! いいか? こっちで話通すから、絶対にやるなよ! 頼むから!!」

 俺の脅迫紛いの言葉が思ったよりも効果があったらしい。仙波さんが本気で焦った顔で止めてきた。

 いや、本当にそれをやろうとしたら途轍もない手間が掛かるからやる気はないけどな。俺にわかるのは目の前に出てきた人の情報だけだから、他の人の分も調べるなんて警察庁にでも忍び込まなきゃ無理だろうし。

 それにいくら鬱陶しいからといって、テロリストや危険思想の団体なんかの取り締まりや監視をしている公安警察を陥れるのはやり過ぎだろう。

 何かと胡散臭い印象があるとはいっても、彼らもまた日本の治安を守っている公僕なのだ。

 

「ふぅ~……とにかく、話を戻すぞ。褒賞は金銭で行うつもりだ。ただ、電話でも言ったがこちらが金額を決めるのも難しくてな。君の希望を言ってほしい」

「ん~、じゃあ、1千万円で」

「な?!」

 俺の返答にまたもや仙波さんが驚いた顔をする。

 一応色々と考えた。別に今回の件で報酬を得ようとかは思っていない。俺たちの情報が外部に漏れなきゃそれが俺にとっては最大の報酬だからな。

 もちろん俺は無欲じゃないし、お金だって欲しいっちゃぁ欲しいけど、それは今のところアクセの販売で想定以上の収入を得られているわけだし、最優先は平穏な日常生活だ。

 となると、情報を知っている警察なんかが俺たちの能力を利用しようと考えたら困る。多くの異能系能力を持った主人公が警察とか特殊部隊の一員として活躍する物語みたいな展開は御免被りたいのだ。

 だったら『利用すれば高くつく』と思わせた方が都合が良い。別に“がめつい”とか思われて少々嫌われようが大した問題じゃないしな。

 というわけで、ふっかけることにしたのだ。

 1千万円。時給に換算すると、200万くらいか? 移動時間と待たされた時間を除けば実働2時間くらいだし、それだと時給500万?

 うん、ぼったくりだな。

 

「1千万、だな? ちょっと待て……よし、この書類にサインくれ。いいな? 後で追加とか言うなよ?」

 驚いていたはずの仙波さんが持ってきていたファイルケースから一枚の書類を取り出すと、素早く数字を書き込んで俺に署名を求めた。

 念のために書類に目を通す。

 別に変なことは書かれていない。要は今回の深海調査船の救出とそれに付随する作業の報酬として1千万円を受け取り、以後追加で請求することはしないという内容の書類だった。ついでにこの報奨金は非課税らしい。

 って、あれ?

「書けたか? 書けたな? よし! それ渡せ! それじゃすぐに持ってくるから、待っててくれよ?」

 ……あれぇ?

 いそいそと仙波さんが署名の終わった書類を俺から引ったくり、それを持ったまま部屋を出ていった。

 

 ………………なんか、予想と違うんですけど?

 いや、暴利な金額言われた仙波さんが『ふざけるな』的なことを言ってきて、俺がさも仕方がないって顔しながら100万くらいに値引きして『次はそれ以上の金額を請求しますよ』とか言って、今後関わるのを抑制しようと思ってたんだけど…………あるぅえぇ?

 疑問符を周囲に漂わせながら頭を捻っていると、大きな封筒をもって仙波さんが駆け込んできた。

「よし! これがさっきの同意書のコピーと報酬の1千万円だ。確認してこの受取証にサインしてくれ」

「あ、あの」

「ん? いや、話は後で聞くから、先にこっちを終わらせよう。確認したな? んじゃ、こっちの、ここにフルネームでサインな。よし、確かに受け取った」

 再び署名の終わった紙を引ったくって胸の内ポケットにしまった仙波さんが大きく息を吐いた。

 

「え、えっと、随分な金額だったと思うんですけど、良かったんですか?」

 あまりに素早い対応にこっちが慌てる。

「ん? いや~、正直10億とか言われたらどうしようかと思ってたんだけどな。この金額なら予算内だ。いや、君が謙虚で助かったよ。あ、今さら金額の変更は受け付けないからな。同意書ももらってるし」

 ……マジ?

 ってことは、なにか? ふっかけたつもりで出した金額が、仙波さんとしてみたら想定以下だったんで驚いた、のか?

「どうした?」

「い、いえ、ちょっとショックが……」

 頭を抱えてうずくまる俺に仙波さんが声を掛けるが、まともな返答ができねぇ。

 

「ちなみに参考のために聞きたいんですけど、いくらを想定してたんですか?」

「前例がないからな。ただ、要救助者のいない浅い海に沈んだ船のサルベージでも最低1千万、地形や海流の状態によっては数千万なんてのはザラだからな。ましてや4200メートルの深海で生存者もいるとなれば、民間業者なら億単位だろうさ。ただ、その金額になると海上保安庁俺んとこじゃ無理だから官邸に予備費の供出を要請しなきゃならないから、君の要求である情報の秘匿は難しくなるよ」

 そうなの?

「まぁ、君も無茶な要求をすることで以後こっちに干渉されることを防ぐという意図があったんだろうけどな。ただ、それに関しては少なくとも警察と海保は『クロノス』に対して今後の接触は最小限に留めることを決定している。だから行政が君を利用して何かをすることはないから安心してくれ。事情を聞く必要が生じた場合は俺か明智が窓口になる」

「そうっすか」

 俺の意図がバレバレだったのはともかく、所詮は大学生、世間知らずもいいところだったらしい。それでも必要以上に警察や海保なんかが俺に干渉してくることがなさそうなのは良かったけど。

 

 色々とめんどくさくなった俺は札束の入った封筒を仙波さんの目の前でアイテムボックスに放り込み立ち上がる。

「とにかくこちらとしてもできるだけのことはするが、それでも君が自重しなければいつかは君の能力も公になってしまうことは覚えておいてくれ。それともし他国や犯罪組織が君に接触してきた場合は連絡をしてほしい。こちらで対処するから」

「そんときはお願いしますよ。んじゃ帰ります」

 なんとなくモヤモヤしたものを抱えながら横浜第2合同庁舎をでてバイクに跨がる。

 予想外のお金は手に入ったものの、心情的にはまったく嬉しくないな。

 しばらく走れば気も紛れるだろうか。

 

 

 すっかり日が暮れた頃、アパートに戻った俺は顛末を親父たちに話した。

 今、リビングになっている部屋には両親と亜由美、レイリア、ティアの柏木家一同に加えて茜もいる。

「わっはっは! それじゃすっかり手玉に取られたってか?」

「別に争ってたわけじゃないぞ。ちょっとリサーチが足らなかっただけだ」

 俺の体たらくに大笑いの親父。くそ、毟ってやろうか。

「でも、目的は果たせたんだから良いじゃないですか」

「ん、けど兄ぃも迂闊。経済学部なのに相場も調べてないなんて」

「億の金か。パフェが心ゆくまで堪能できたかもしれぬの。残念じゃ」

「あ、あはは、で、でも、私たちの周りを監視してた公安の人もいなくなるんでしょ? そのせいか最近ローちゃんがピリピリしてたから助かるかも」

 各々が好き勝手に言い合うが、異世界組がこっちに来てからこの賑やかな食卓がすっかり馴染んでいる。最近では茜も加わることも多い。

 

「でも裕哉、いいの? あなたとレイリアが稼いだお金でしょ?」

「いいよ。今はアクセの売り上げが結構あるから貯金も十分できてるし、母さんの出産とか家の建て替え費用とか色々あるだろ?」

 騒ぐ俺たちを微笑みながら見ていた母さんの言葉に答える。

 そう。今日受け取った1千万は全て家に入れたのだ。

 家の費用だって結構な金額だし、今考えればその分を全部ふっかけりゃ良かったよ。

「そうそう、言い忘れてたが、建て替えが来週には終わりそうだぞ」

「早いな、もうかよ」

「結構色々と注文付けたからこれでもかなり掛かったほうらしいけどな。今の建築技術は凄いな」

 どうやらこのアパートでの生活ももうすぐ終わりらしい。

 

 そうなるといよいよ一度異世界に行って、注文した家具類の完成を待つのと、メルが出産や新生児に対する治療の勉強を進めなきゃならないな。

「あ、あと、ベスの生んだローちゃんの子供も乳離れ終わったわよ。黒い仔たちは向こうに連れていくんでしょ?」

 そういえばシャドーウルフの特質を引き継いだ3匹がいたっけな。

 となると早めに行ったほうが良さそうだ。

「そうだな、んじゃ準備して行くか。一緒に行くのは……」

 レイリア、ティア、茜、亜由美が身を乗り出して手を挙げている。

 まぁ、そうなるよな。

「親父はいいのか? 母さんは連れていくわけにはいかないけど」

 妊娠6ヶ月だからな。こっちの時間は進んでいないのに向こうで出産とかになったら整合性がおかしくなるから。

「俺はいいよ。いくら同じ時間に戻れるとはいっても美由紀を残していくのは罪悪感あるしな。どうせ待つなんて感覚ないわけだし。それよりお前たちもそれなりにストレスが溜まっているだろう? すこし気晴らしになるだろうからゆっくりしてくるといい」

 

 親父のありがたい言葉を受けて、それぞれが準備に入る。

 茜は一度自宅に帰って着替えやらの準備と仔犬たちを連れてくることにした。亜由美もその手伝いに行く。

 レイリアとティアは近所のスーパーへ食料品や調味料、それからパフェの材料の買い出しに。

 俺は……特にやることないな。着替えとかはアイテムボックスに入ってるし。

 あ、いや、あれがあった。

「ちょっと俺も出てくる」

 そう言って家を飛び出し、バイクに乗って馴染みのバイク屋まで走った。

 

 それから2時間後。

 俺とレイリア、ティアが寝泊まりしているほうの部屋のダイニングに新聞紙を敷き詰め、準備を整えた俺たちは異世界向けの服装に身を包んで集合した。

 荷物は全部アイテムボックスに入れてあるが、茜の手には仔犬たちが入ったケージが抱かれている。

「よし。それじゃ行くか」

 俺がそう言うと、全員が俺の腕やら肩やらに手を置く。

『転移の宝玉』を取り出して発動する。

 さぁ、異世界バカンスの始まりだ。

  

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