第98話 Side Story お嬢様の憂鬱
シュル
白いブラウスに袖を通しキャメルのロングスカートを履く。淡いグリーンのニットカーディガンを羽織れば外出のための着替えは終わり。
チラリと時計を見ればまだ少し時間がある。リビングでお茶くらい飲めそうだ。
すぐに出かけられるように小振りのショルダーバッグを手に持って部屋を出る。
「もうお出かけですか?」
「まだ少しあるから、紅茶をもらえる?」
リビングに入るとキッチンで朝食の片付けをしていたふくよかな体型の中年の女性、和枝さんが手を止めて聞いてきたのでお茶の準備をお願いする。
和枝さんはいつも通りの明るい笑顔で頷くと手早くケトルに水を注いで火にかけた。
リビングのソファーに浅く腰掛ける。
50平方メートル(30畳弱)ほどの広さのリビングは落ち着いた色合いの家具と少しの調度品があるだけだけど、常に和枝さんが綺麗に保ってくれておりゆったりと落ち着くことができる。
和枝さんは私が生まれる前からこの家で掃除や食事などの家事を担ってくれている家政婦だ。
仕事で忙しい両親に変わって私の面倒を見てくれている、私にとって母親代わりとも言っていい人で、使用人としての節度を保ちながらも時に厳しく、普段はすごく明るく接してくれる。彼女がお休みの日は別の人が来るし、他にも家に出入りしている庭師の人もいるけれど、一番接している時間が長いのは和枝さんだ。
「お待たせしました。有香さんは今日はお友達とお出かけでしたね。お帰りは遅くなりますか?」
「ん〜、まだわからないの。でも多分夕食は外で済ませると思うわ」
いい香りを漂わせる紅茶を置きつつ和枝さんが聞いて来たので、少し考えてから答える。
今日は工藤先輩達と千葉にあるテーマパークに遊びに行く予定となっている。
月曜日に突然絵美ちゃんに誘われたのだ。サークルの女子メンバー(新入生は除く)と章雄先輩の彼女である満岡さんに、何故か手に入ったという日付指定のチケットを渡されて。
一緒に行くのは絵美ちゃんと工藤先輩、満岡さん、今年からサークルに加わったレイリアさんとティアさん。私も含めると6人だ。
混むことが予想されるので、バイクではなく電車を使うことになっている。
明らかに何か隠しているような様子の章雄先輩と相川君だったらしいのだけど、『せっかくだから一緒に行こうよ』という絵美ちゃんのお誘いを受けることにした。
信士君にも聞いてみたけど何も知らないようだったから、彼は関係ないのだろう。
それがなければ今日は信士君と映画でも観に行く予定だったので少し残念ではある。
工藤信士君。
柏木先輩の彼女である工藤先輩の弟さん。
柏木先輩の影響でバイクに興味を持つようになってサークルに入ったらしい。
工藤先輩とは普通の姉弟って感じで、すごく仲がいいわけでも悪いわけでもないみたい。柏木先輩とは仲が良い。というかどちらかというと信士君が柏木先輩に懐いているっぽい。「裕兄」とか呼んでるし。
そのせいなのか、雰囲気とか口調とかが結構似ている感じがする。
私は高校は女子校だったし、家がそれなりの規模の会社を経営していることもあって、あまりこういう言い方は好きではないのだけれど、いわゆるお嬢さま育ちだ。なので異性の知人が少ない。
父親の影響で昔からバイクは好きだったから、大学に入ってからすぐにツーリングサークルに参加した。
ボンネビルは入学祝いに父親が買ってくれた。ちなみに父はバイクを10台ほど保有している。車は一台だけだけど。
柏木先輩はいろいろな部分で世間知らずな私の面倒をよく見てくれていた。
他の男性は私の見た目や家の事で変にチヤホヤしたりしていたけど、先輩は男子女子関係なく、誰にでも変わらない態度で接してくれたのでありがたかったし、あの人懐っこい雰囲気はホッとするものがあった。なのでサークルに限らず一番よく話す異性かもしれない。
ちょっと良いなと思ったことも無いではないのだけど、工藤先輩がガッチリガードしていたので早々に諦めた。
そんな柏木先輩に似た雰囲気を持つ後輩である信士君。
現在の私の一番気になる男の子だ。
先輩ほど背は高く無いけど、工藤先輩と似た割と整った容姿に真面目そうな性格、うちの大学に現役合格することから将来性もありそうだ。それに変に擦れていなくてものすごく可愛い。
そんな彼はどうやら私の事を意識してくれているようだ。
サークルに入った初日からチラチラと視線を感じることが多い。それもいやらしい視線じゃなくて、純粋に好意を持っているような。……時々胸元に視線を感じることもあるけど、これはしかたがない。らしい。うん。別にそれほど嫌じゃないから気にしていない。
必然的に信士君は私が色々と指導とかするようになり、工藤先輩と紛らわしいので名前で呼ぶようになり、ほどなく信士君もおずおずと私を『久保先輩』ではなく『有香先輩』と呼び始めた。
柏木先輩から信士君に現在彼女がいないことは聞いてある。というか訊いてもいないのに教えてくれた。
ゴールデンウィークには2人で練習を口実にツーリングに行ったりしている。あと、大学の終わりに一緒に帰ったり。
まだ付き合ってるとまではいえないが、それなりに順調である。
そんな事をつらつらと考えているうちに時間になったので家を出る。
最寄駅から電車に乗って川越駅に。そこで絵美ちゃんたちと合流する。
週末なので人も多いが幸いすぐに全員が集まることができた。
「さぁって! 久しぶりだし今日は楽しみ!」
「わ、私は初めてです」
絵美ちゃんがテンション高く声を上げると満岡さんがちょっと戸惑ったように言う。
満岡さん。今年に入って章雄先輩と交際しだした法学部の2年生。大方の予想を裏切りいまだに交際は続いているらしい。
引退したにもかかわらず相変わらず部室に入り浸っている章雄先輩と一緒に割と頻繁に顔を出しているので絵美ちゃんや工藤先輩ともすっかり仲良くなったようだ。私とはまだそれほど話をしていないが、性格も良いしチャラくてヘタレな先輩には勿体無いとつくづく思っている。
実はご実家がいわゆるアレなご職業らしいのだが、章雄先輩や柏木先輩の話では特に非合法なことはしておらず、従業員が少々怖い顔をしている以外は普通の建設系の会社を経営しているお家らしい。
ただ、そのせいでなかなか友人ができず、気にせずに接している工藤先輩や絵美ちゃんと仲良くなれたのが嬉しいそうだ。
家の関係で友人関係を構築しずらい苦労は私も同じなのである意味親近感を持っている。
せっかくの機会なので今日は私も打ち解けたいと思っている。
電車に乗り継いで舞浜駅に到着。
駅を出ると目の前はもう目的のテーマパークだ。
「到着っと! えっと、レイリアさん、大丈夫なんですよね?」
「うむ。主殿とアキオ、アイカワはもう合流しているそうじゃ。主殿が言っておった通り『ないとつーりんぐ』とやらの下見をしているようじゃな。それとアカネの弟のシンジも一緒にいるらしい」
え?
信士君も?
というか、今の会話は何?
「多分裕哉が誘ったんじゃない? 朝は特に予定無いとか言ってたから私が家を出てから声を掛けたんだと思うわ」
「えっと、どういうことですか?」
とても気になるフレーズが色々あるんですけれど。
ゲートに向かって歩きながら話を続ける。
「ほら、章雄先輩と良太の奴が何か企んでるでしょ? チケット代だけで結構な金額になるのにわざわざ日付指定の券まで用意してるんだから絶対に後ろめたい事考えてるはずよ!」
「そんな、章雄さんに限って」
いえ、満岡さんには悪いけれど、章雄先輩はその辺あんまり信用できないですね。
「裕哉も時々悪ノリしてやらかすことがあるから、どうしようかと思ったんだけど」
「そしたら、ほれ、あのトヅカとかいう小僧がヒマそうじゃったからな。今日の朝から付いていくように命じたのじゃ」
命じたって、良いのでしょうか?
「話した時、嬉しそうにしてたから良いんじゃないですか?」
……なんというか、彼も随分とキャラが濃いですね。
とにかくレイリアさんとティアさんの言葉で戸塚君が先輩達を監視していて、都度レイリアさんに報告していることは理解した。
「となると、夕方までは大丈夫そうよね。せっかくタダで遊べるんだから、それまでは楽しみましょ!」
絵美ちゃんの言葉に私と満岡さんは曖昧に頷き、工藤先輩達はなんの心配もしていなさそうに笑って賛同していた。
う〜ん、信士君まで一緒と聞くと何か胸がモヤモヤしてきますね。
とはいえ、今は考えても仕方がないので私も楽しむことにしましょう。
そうして私達は夕方までテーマパークを満喫した。
意外にもレイリアさんとティアさんは乗り物系よりもゲーム系や劇が気に入っているらしい。絵美ちゃんはマウンテン系の乗り物。清楚な見た目に反して満岡さん改め清香ちゃんもマウンテン系が一番気に入ったらしい。
私もそれなりに楽しむことができたけど、工藤先輩は何か保護者的な立ち位置になってしまっていた。特にレイリアさんとティアさんに引っ張り回されている姿は失礼だけれど母親っぽい。本人は苦笑いを浮かべていたが。
陽も傾き、パーク内に電灯が灯る頃レイリアさんの携帯にメールが入った。
「うむ。どうやら主殿が動いたようじゃな。トヅカの話では『合コン』とかいうものに参加するようじゃ」
「何ですか? それ」
メールの内容を告げるレイリアさんの言葉に意味がわからないのか首を傾げるティアさん。
こんなに日本語が堪能なのに妙に世間知らずな2人だ。
「へぇぇ、合コン、ねぇ」
「え? 章雄さんが合コン、ですか?」
わかりやすく青筋を立てる絵美ちゃんにショックを受けたような清香ちゃん。
工藤先輩は合コンの意味を2人に説明している。
私は、なんともいえないモヤモヤが強くなるのを感じていた。
「よし! 今から行って乗り込みましょう!」
絵美ちゃんの宣言を合図に駅へ向かい、電車に乗る。
車内は相変わらずの混雑ぶりだが今は気にならない。
目的の駅に到着し、私達は無言で歩く。
レイリアさんとティアさんは何も感じていないのか割と機嫌良さそう。2人とも柏木先輩のことが好きなのかと思っていたのだけれど、違うのかしら。
絵美ちゃんと清香ちゃん、工藤先輩は見るからに怒りのオーラが背中に渦巻いている。すれ違う男の人が思わず道を開けてしまうくらい。
戸塚君のメールに書かれていたお店はすぐにわかった。というか、サークルのコンパで私達も利用したことのあるお店だった。
絵美ちゃんが躊躇うことなく扉を開いて中に入る。
「いらっしゃいませ〜!」
店員さんの出迎える声を無視して周囲を見回す。
お店の中は何やら落ち着きなくざわついている。私達が来たせいじゃないと思うけど、何かあったんだろうか。
座敷席に目をやると、いくつかある座敷の襖が開いている部屋に相川君の姿が見えた。
絵美ちゃんの後に続いてその部屋に入ると、そこで女の子と談笑している信士君がいた。
お腹の中心が熱くなり、頭は逆にスッと冷えていく。
ことさらゆっくりと近づき、声をかける。
「信士君? 女の子達に囲まれて楽しかったですか? ん?」
私の声に驚いて振り向き、途端に狼狽える信士君。
「ゆ、有香先輩、これは、その、裕兄に連れてこられて、あの」
それは分かっています。多分、彼は悪くないんでしょう。焦っている信士君を見て少しだけ胸がスッとします。
清香ちゃんのお家の方に促されて別室に移動して話し合い。
柏木先輩から信士君は何も知らずに連れてこられたと聞き、更に信士君も頭を下げたことで
私も冷静さを取り戻しました。
そもそも私と信士君は付き合っているというわけではないので、私が怒るのは筋違いなのでしょう。
それは分かっているのだけれども、つい感情的になってしまいました。
それから清香ちゃんのお爺様に夕食をご馳走になり、解散。
家まではお爺様の部下の方が車で送ってくれたのですが、私は自己嫌悪もあって信士君とは話せずじまい。
今も自己嫌悪は継続中です。
付き合ってもいないのに嫉妬深い女だと思われたでしょうか。
来週からどんな顔で信士君に会えばいいのかわかりません。
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