第91話 勇者のハーレム? 前編

「7番と10番上がりました! 2番のデザートお願いします!」

「はい! あ、店長! 会計お願いします!」

「わかったわ。柏木君、それ終わったらドリンクディスペンサーの補充お願い」

「了解です。大森さん9番テーブルの片付けお願い!」

 お昼時のファミレスは途轍もなく慌ただしい。

 さすがに戦場なんて表現は本物の戦場を知ってる身としてはする気にならないが、忙しいのは間違いない。

 今もウエイティングスペース(待合場所)には10数人のお客さんが待っている状況だ。

 飲食店で働いた経験のある人ならわかるだろうが、この『待ち』がある状態のときは特に気が抜けない。

 お客さんはお腹が空いたからお店に来たのである。にもかかわらず待たされているなのだからテーブルが空いたのに案内されなかったり、店員の動きが緩慢だったりすれば即座にお店の評価は落ちるのだ。

 人間は腹が減っていれば気が短くなる生き物なのだから仕方がない。

 

 そして現在はゴールデンウィーク。普段よりもお客さん自体も多い上に、時期的に新人アルバイトも多い。

 ガチャン! パリーン!

「「「失礼致しましたー!」」」

 こういうことも増えてしまうのだ。

 俺はドリンクディスペンサー(ドリンクバーの機械)の補充ランプを確認して、空になっている原液タンクを新しい物と交換する。当然交換している間はお客さんが使用することができないから素早く、10秒ほどで入れ替えを行い、周囲を消毒すると共にウエスで綺麗に拭く。その後ボタンを正常にドリンクが出てくるまで押し続けて完了だ。

 そして「お待たせ致しました」と待っているお客さんに軽く頭を下げた。

「すご~い! 速~い!」

 見ていた女性客が感嘆の声を上げるのにニッコリと愛想笑いを振りまきながらバックヤードに戻る。

 

「アニキ、すいません! 割っちゃいました!」

 そう頭を下げる新人アルバイトの頭頂部をステンレスの丸トレーでひっぱたく。

 パカン!

「アニキって呼ぶなと何回言ったらわかるんだお前は!」

「す、すんません」

 叩かれた頭を押さえて痛みをこらえながら謝る新人。

 涙目なのに何故か嬉しそうだ。

 ……大丈夫か? コイツ。

 

 賢明なる読者諸君は既にお気づきだろう。

 今俺の目の前で寸劇を繰り広げた新人アルバイト。名を戸塚賢人(とづかけんと)という。

 以前、俺とバイクで公道バトルをする羽目になり、現在は俺が会長を務めるツーリングサークルの1年生である。

 あれ以来、何故か妙に俺に懐いているのだが、可愛い女の子ならともかく、同性(ヤロー)の後輩にまとわりつかれても嬉しくない。いや、嫌われるよりは良いんだが、コイツの場合、邪険にされようがひっぱたかれようがお構いなしどころか、むしろ嬉しそうなんだよな。しかもだんだん息が荒くなってくるし、正直ちょっと恐い。いろんな意味で。

 それで、先日俺のバイトしているこのファミレスに戸塚もアルバイトとして採用されたのだ。

 俺と会ったのは偶然だと言ってるのだが、本当かどうかは知らない。というか、知りたくない。

 

「戸塚、怪我がないならさっさと片付けてホールに戻れ」

「アニ、い、いや、先輩。賢人って呼んで下さいってお願いしたじゃないっすか」

「やかましい!」

 抗議の声を切って捨てる。

 どうやら戸塚は名字で呼ばれるのがあまり好きではないらしい。なんでも小学校のころ『ヨットスクール』とあだ名をつけられたのが嫌だったらしい。

 まぁ、本人が嫌がってるのであれば名前で呼んでやってもいいのだが、それは『アニキ』呼びが直ってからの話だな。

 

 

 それからさらに1時間ほどで混雑がようやく落ち着いた。

「ご苦労様、柏木君。交代で皆に休憩を取らせましょう」

「あ、水崎さ、店長、お疲れ様です。わかりました。大森さん、戸塚、休憩入って。15分」

「は~い!」「あ、オレはアニキと一緒が、痛! いってきます」

 またアホなことを言い出し始めた戸塚の足を蹴り飛ばし休憩に入らせる。

 あ、ちなみに、呼び方でわかっただろうが、マネージャーだった水崎さんは春からこの店の店長に就任した。なんか、20代で店長とか、ファミレス業界のブラックさがそこはかとなく感じられるのは気のせいだろうか。

 

「ふぅ、今日も忙しかったわね。柏木君がバイトの子達を纏めてくれるから助かるわ」

「だからってリーダー押しつけるのは止めて下さいよ。山田さんとかフリーなのがいるじゃないっすか」

 飲食業界の常で、それなりに『使える』バイトに適当な役職名くっつけてこき使うという悪習はこのお店でも適用されるらしい。

 俺も『リーダー』なる名称厄介ごとを押しつけようとする水崎さんに絶賛抵抗中である。

「え~、良いじゃない。お願い!」

 媚びるような上目遣いで俺に身を寄せる水崎店長。

 フニョンと俺の肘に胸が当たる。あ、良い匂いが……

 いつの間にやらシャツのボタンを胸の谷間が見えるくらいまで外している。

 小聡明(あざと)い! けど目を反らせないのは男として仕方がないよね? ね?

 

「ねぇ、今度、柏木君が夜番締めまでのシフトが終わった後に打ち合わせ、しない? どこか別の場所で、ゆっくりと、ね?」

 ヤバいです。

 クラクラしそうだ。ひょっとして俺、狙われてる?

 鋼の精神力(そんなご大層なもんじゃない?)で何とか胸元から視線を引きはがし逃げる方法を考える。

「い、いや、俺、彼女いますんで、誤解を招きそうな事するのはマズイっすねぇ。あ! いらっしゃいませ~!!」

 お客さんが来て助かった。

 素早く入口まで移動してメニューを人数分手に取り、救世主たる2人の女性客を丁寧に席まで案内する。

「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼び下さい。ただいま水をお持ちします」

「は、はい! お、お願いしましゅ!」

 

 20歳位の女の人2人だが、なにやら少し顔が赤い。

 ……チャック、開いてないよな?

 さり気なく確認しつつ、手早くお冷やの用意をして持っていく。

「女性客が増えたのは嬉しいことだけど、その分回転が悪いのよね。でも売上も上がっているし柏木君のおかげかしら」

 先程までの危険な雰囲気は消えて、上機嫌に水崎店長が呟く。

 確かにここ数ヶ月、女性客が多くなってきているように感じるし、実際にPOSレジのデータでも裏付けられている。

 といっても別に俺のおかげというのは無いだろう。単純に男としてはバイト先で女性客が多いのは嬉しいのは確かだけどね。

 

「さすがに週に数回しかシフト入らない学生バイトの影響でお客さんが増えたりはしないと思いますよ。店長が雰囲気作りを頑張ってるからじゃないですか?」

「うふふ、ありがとう」

 妖艶に微笑みながら髪をかき上げる。余計な事を言ったせいでまたヤバいスイッチが入ってしまったらしい。

 去年から水崎さんは妙にこういった態度を取ることが増えてきた。

 他のバイトの奴に対するよりも愛想が良かったり、軽いボディータッチがあったり。健全な男子としては勘違いを加速させそうなシチュエーションが多かったのだけど、最近は特に『誘われてるのか』と思うような仕草をされるので、勘違いじゃないのかもしれない。

 だからといって、彼女がいる身としては距離を取るしかない。

 美人だし、スタイル良いし、胸おっきいから、なかなかに精神力を必要とするのだが。

 

 

 大森さんと戸塚が休憩から戻り、次は俺の番となった。

 休憩室でスマホを見るとメールの着信が。

『今日の夜、ちょっと話があるからみんなでリビングに集まるように(=´ー`)ノ ヨロシク

 お姫様も来てるんだろ? 茜ちゃんも一緒に参加で!! “ヘ(`▽´*) コイコイ!! イヒヒヒ…

    by世界一の父親 』

 ……顔文字がハゲしくウゼェ。

 とはいえ、話か。

 特にそんな問題は起きてなかったみたいだけどなぁ。昨日の事故の件か?

 気にはなるが、今考えてもしょうがないだろう。

 とりあえず了解のメールを送り、茜に電話を掛け、用件を伝える。

「柏木く~ん! ごめんホールのヘルプ!」

 やれやれ、結局休憩の暇は無かった。

 

 ホールに戻り、急に来た団体さんをさばく。

 あとはいつも通り、片付けをしたり注文を取ったり料理を運んだりレジを打ったりの繰り返しだ。

 夜番のアルバイトも合流し、一時的に余裕ができる。

 当然余裕ができれば今度は新人バイトの教育だ。

 俺は戸塚にレジを教える。

「……それで、POSにこのバーコードを読み取らせて、『計』のキーを押せばいい。カードの場合は……」

「わっかりました! あ! お会計ですか? ありがとうございます」

 戸塚の甚だ怪しい返事と同時に、レジに来たお客さんの対応のために交代する。

 

「お会計はご一緒でよろしいですか? あ、はい。2,657円になります。はい、3千円お預かりします。343円のお返しです」

「あ、あの!」

 2人組の女性客。よく見れば先程肉食モードの店長から救ってくれた人達だったが、その1人から声が掛けられる。

「はい、なんでしょう?」

「え、えっと、ここのアルバイトは何時までですか? その、良かったら、その後私達と飲みに行きませんか?」

 ……ナンパされちゃいました。

 

「あ~、ごめんなさい。バイトのシフトはもう少しで終わるんですけど、その、俺、彼女いるので、お誘いは嬉しいんですけど」

「そ、そうですか……」

 途端にシュンと表情を曇らせた女の人に罪悪感が。

 そのまま踵を返したお客さんを見送る。

「流石アニキ! モテモテっすね! 痛いっす!」

「アニキじゃねぇっつってんだろうが!」

 戸塚のアホさは置いておいて、去年から時々こういう事がある。

 モテ期か? 遂に俺にも? とか思わないでもないのだが、ご存じの通り俺には茜がいるし、ティアやレイリアのアプローチから逃げ回ってる身としては喜んでるわけにもいかないのだ。

 

 彼女ができるまで『イケメン死ね』『リア充爆発しろ』とか思ってたけど、実際に女の子から声を掛けられるとどうして良いのかまるでわからん。

 男としては当然嬉しくないわけがないのだけど、浮気をするつもりがまったくない俺としては非常に困るのだ。

 必然的に断った罪悪感だけが募ることになってしまう。

 なのに大学では「リアルハーレム野郎」とか言われるし……。

 とはいえ、こういう事になった理由に関しては、茜の話からある程度の推測をしている。

 どうも俺は異世界から戻ってから雰囲気が変わったらしい。茜は「存在感が増した」とか言ってたから、多分体格も相まって結構目立つのだろう。

 その上、茜という「恋人」ができたことで精神的にも余裕ができ、そのせいで多少モテるようになったと。

 ……ということは……モテ期を謳歌する事はそもそも出来るはずがないと……。

 彼女がいるからモテるようになって、彼女がいるからモテても意味が無い。

 ……虚しいな。考えるのはやめよう。

 

 

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