第82話 勇者の新入生獲得奮闘記 Ⅴ
旗が振り下ろされた直後2台のバイクがスタートを切る。
一気に加速。
100メートルほどの緩やかな登りの直線の後序盤はそれほどきつくないカーブが続く。
バイクの性能差が大きい分さすがに戸塚君が速い。
3つ目のカーブを曲がった頃には既に200メートル近いリードを許すことになった。
だがまだ始まったばかり。今はこれで良い。
登りはどうしても性能の差が出やすい。排気量で4倍近く、馬力に到っては5倍以上の差があるのだ。
だがこれから先はだんだんカーブもきつくなってくる。どれだけバイクにパワーがあろうが性能差のアドバンテージは小さくなる。離されなければ問題ない。
既にカーブに隠れて戸塚君の姿は見えなくなっているが焦りはない。
減速してカーブに進入、車体を倒し込みつつスロットルを半分だけ開ける。
ポジションはリーンウィズ(バイクの車体と身体の傾きが真っ直ぐになっている曲がり方)。
ジィィィチッィィ
かすかにステップがアスファルトに擦れる感触が伝わってくる。
徐々にスロットルを開けていく。起き上がろうとする車体を膝で押さえ込む。
基本的なラインはアウト・イン・ハーフアウト。つまり車線の外側からカーブに進入して車線の内側を通り最後は車線中央よりも若干外側になるように走るラインだ。
対向車が来ない今の状況であってもそれは変わらない。
カーブを抜けると同時にシフトアップ、そしてスロットルを全開に。
そしてまた減速してシフトダウン。カーブを攻めていく。
乗り方もライン取りも全て基本そのままだ。特別なテクニックなど何も無い。
ただタイヤのグリップの限界まで、そしてラインを崩さないギリギリの速度でその動作を繰り返す。
登りの行程を2/3ほど進んだところで戸塚君の背中が見えた。
まだ100メートル近い差があるが無理はする必要が無い。そのまま追走する。
戸塚君の走りを見る。
対向車が来ないことがわかっているからなのかラインはアウト・イン・アウト。
走行車線と対向車線全てを使った大胆なライン取りだ。
ポジションはハングオフ(シートに真っ直ぐに座らず腰と上体を内側に低く落とし、膝を左右に開いて遠心力とバランスをとる走法。いわゆるハングオン)。
自信たっぷりな態度どおり加速もブレーキングも悪くない。が。
ダメだなあれは。
予想通りっちゃぁ予想通りなんだけど、基本が出来ていない。
そもそも公道でハングオフなんて使う意味が無い。
ハングオフは限界までバイクを倒し込んで更に内側に重心を移すためにするテクニックだ。
そうすることで普通に車体を倒し込むよりもバイクの回転半径を小さくすることが出来る。支点が内側に来るからだ。
けど公道のアスファルト路面で使うにはタイヤがグリップしきれないし、スリップしたときに車体のコントロールが困難になる。サーキットの路面にレース用タイヤじゃないと危険が増えるばかりでほとんど意味が無いのだ。
見たところ車体も倒しきれていないし、バイクのパワーも活かせていない。カーブの度にポジションを入れ替える分加速がワンテンポ遅れている。
見た目は派手で速そうに見えるだろうし、バイクのパワーもあるからそれなりに格好は付くだろうがね。
少しずつ距離は縮まって来ているが登りも終盤に入るのでもう少し接近しておこう。
登り切ったら直線があるのであまり引き離されない方が良いだろう。
といっても基本は何も変わらない。ただ山を登った分多少カーブの見通しが良くなるのでカーブを曲がるポジションをリーンウィズからリーンイン(体が車体よりも内側に入るフォーム)にするだけだ。とはいえわずかだがカーブに進入する速度を速くすることが出来る。
そして思惑通り登り切る手前で戸塚君の後ろに食らい付くことに成功した。
登り最後のカーブを抜けるとほとんど直線といって良いようななだらかな道が300メートルほど続く。上空には撮影用ドローンも見える。今頃きっと久保さんたちが盛り上がってる事だろう。
俺はすかさず戸塚君の真後ろに付く。
いわゆるスリップストリームだ。
前を走るバイクが空気抵抗を受けるのに対して後ろ側は逆に空気抵抗が減るため戸塚君のバイクとのパワーの差を補うことが出来る。
戸塚君がチラリとバックミラーを見て動揺しているのがわかる。
けどこれからが本番ですよ?
道が下りに入る。
だがまだ無理に抜こうとはしない。逆に少し距離を取る。
今無理に加速すれば戸塚君を焦らせて事故を誘発するかもしれない。
バイクの場合、登りと下りでは運転の仕方が異なる。
登りであれば速度のコントロールはほとんどがスロットル(アクセル)で出来る。つまり加速したければスロットルを開ければ良いし、逆に減速したければスロットルを戻せば減速する。エンジンブレーキが効きやすいのだ。
しかし下りではスロットルよりもブレーキが重要になる。充分にギヤを落とさなければエンジンブレーキは効かないし、スロットルを戻しただけでは減速できない。だからブレーキング技術が重要になる。
車と異なりバイクは前後輪のブレーキを別々に操作しなければならない。平地であれば比率は6:4で前輪6割後輪4割のバランスでブレーキを効かせる。厳密には多少違うが登りでも同じ比率で問題は無い。
ところが下りの場合、重心が前にいくためにその比率だと簡単に後輪がロックしてしまう。なので傾斜角度によって7:3や8:2など、そのバランスを変えなければならないのだ。
それが上手くできないと車体のバランスが取れなかったり立ち上がりがモタモタしてしまったりする。
バイクは下りでは不利だと言われる理由の一つだが、それにもまして難しいといえるのは下りの加速による「恐怖感」だ。
下りは馬力や排気量による有利不利はほとんど無い。スロットルを開ければ驚くほど加速するし、重量があれば安定しやすくなる反面減速が難しくなる。
125ccだろうが1000ccだろうがスロットル全開なんて怖くて出来るわけがない。
なので下りで重要になるのは、いかに曲がれる限界の速度を見極めてカーブの手前で減速するかに尽きるのだ。
もっとも俺の場合は恐怖感はほとんど無い。そもそもバイクで事故る程度じゃそうそう怪我しない程度には耐久力が桁外れているし、レイリアの背に乗って異世界の空を縦横無尽に飛び回っていたのだ。目測時速300キロ超、自力で背中にしがみつきながらの3次元機動。最初の頃はマジでチビリそうになった。
下りに入って3つ目のカーブを過ぎる。
次は高低差つまり傾斜角度が大きくRのきついS字カーブ。
仕掛けるならここだ。ここならば戸塚君が万が一事故っても大きな怪我はしないで済むだろう。向こう側にカメラを構えた人も見えるが、今は気にしないでおこう。うん。
カーブ手前、戸塚君が減速したタイミングで左側に並ぶ。そしてそのまま戸塚君よりも早い速度で一つめのカーブに進入する。
車体を右側に倒しこむ。スロットルは3/4ほど。
ズズゥゥ
ステップが路面を擦り後輪がグリップし切れずに外側に流れ出す。だがコントロールを失うほどではない。いわゆるパワースライドというテクニックだ。後輪を滑らす事で速度を殺さずに回転半径を小さくするのだ。
カーブを曲がり切る直前にスロットルを1/4まで戻す。後輪のトルクが弱くなりグリップを取り戻したタイヤが車体を刎ねあげる。
俺はその動きに逆らう事なく車体を起こすと逆にその反動を利用して左側に車体を倒す。そして再びスロットルを開き先ほどと同じく後輪を滑らせながら二つめのカーブを曲がる。
今度は一気にスロットルを戻さず絞り込むように徐々にグリップを回復させ、カーブを抜けると同時に加速。
自画自賛したくなるくらい計算通りにS字を抜けることができた。
俺SUGEE! 誰も言ってくれないので自分で言う。
後で撮影した映像を見せてもらおう。
チラリと後ろを見ると戸塚君もS字を抜けたようだ。焦りなのか立ち上がりの動きが粗い。
まぁ、後は気にせず一気に行ってしまおう。ひさびさに本気で峠を攻めてるのでテンションも上がってきたし、前を気にしなくていい分遠慮せずにいけるからな。
そのままの勢いで下りを走り抜ける。新道との合流地点手前にあるパイロンを回る。復路の始まりだ。
俺が復路最初のカーブに差し掛かったところで戸塚君とすれ違う。その差はおおよそ距離にして400メートルほどだろう。ただ、復路の方が上りの傾斜が急なのでトルクに差がある分多少は追いつかれるかもしれないが、それでも油断しなければ問題ないだろう。
その予想通り峠の頂上付近で100メートルほどまで食らいつきてきたものの、下りに入るともはやその姿をミラーで確認することはできなくなった。
ドローンも結構上空を飛んでいるようだ。
それでも油断する事なく丁寧かつ最速で走り続け、最後のカーブを抜ける。そしてそのまま無事ゴール。
「裕哉! 」
「スゲェ、裕兄、本当に勝っちゃったよ」
「ユーヤさんお疲れ様でした」
「ふむ、ぱふぇ食べ放題が潰えたか。まぁ仕方ないか」
茜、信士、ティア、レイリアが迎えてくれる。が、レイリアの感想が酷い。
俺がバイクを停めて岡崎先輩達の所に到着しても戸塚君はまだ戻ってきていない。
「おう! お疲れさん! ま、こんなもんかぁ? 」
「さすがですね先輩! 当然の結果ですけど」
岡崎先輩はともかく、久保さんは
「戸塚君はどうしたんです? 」
「あぁ、復路の下りでコケた。ハイサイドでぶっ飛んだけどすぐに起き上がったから大丈夫だろ? と、来たな」
岡崎先輩の言葉が終わらないうちに戸塚君が最後のカーブを抜けるのが見えた。
「よう! お疲れさん! 」
「…………」
ゴールした戸塚君に岡崎先輩が声をかける。ニヤニヤ笑い付きで。
戸塚君はうつむき気味で無言。ショックなのか無視することにしたのか、まぁ後者だとは思うが。
そのまま岡崎先輩の脇を通り抜けて俺のところに歩いて来た。
「お疲れ。怪我してないか? 」
戸塚君のツナギには転倒で擦れた跡が白く残り、ヘルメットにもキズが入っている。
とはいえ特に大きな怪我は無いようだ。コソッと魔法をかけたのが無駄にならなかったようだ。いや、無駄になる方が良いんだけどな。
「……先輩。オレ、そんなに遅いっすか? 250のロードスポーツにもついてけないくらい」
ヘルメットを脱ぎながら戸塚君が落ち込んだ声で言う。
「勘違いしてるようだから言うけど、峠道でスーパースポーツなんて大してアドバンテージにならないぞ。むしろギヤが高速向きにセッティングされてる分不利なくらいだ。それにパワーがありすぎるバイクを乗ってるから変な癖がついてるし振り回されてもいる。何よりパワーをコントロールできないのにポジションが悪すぎる」
「ぐっ、っっ」
いかん、慰めるつもりがつい本音が。
「最初からわかってたんですか? どうして?! 」
「……まぁ、予想はしてたよ。俺や久保さんのバイク見てああいう台詞が出てくるってのはバイクの怖さとか楽しさとか理解してないってことだろうからな」
「…………」
「大排気量のバイクってのは楽なんだよ。トルクもパワーも余裕があるからツーリングでも体力を消耗しないし精神的にもゆとりができる。だからそれほどスピードにこだわらない人でも大きなバイクに乗りたいと思うんだ。まぁ、経済的な部分もあるから維持するのも大変だけどな。
俺だってバイクで飛ばすのは嫌いじゃないし、昔は結構峠とかも行ってたしな。スピードを競うこと自体は楽しみとしてあっても良い。けどそれは安全に十分配慮した上で、事故らない、巻き込まないのが大前提だろ? 」
「それは……そうっすね」
「公道ってのは不確定要素が大きいんだ。対向車もいるし歩行者やいろんな大きさの車もいる。センターライン付近は凹凸も激しいし場所によっては砂や砂利も浮いてる。路肩もそうだけどな。サーキットじゃないんだ」
「それで、あの、今日も俺と勝負してるのに車線守ってたんですか? 」
さすがにそれくらいは気がついてるか。
困惑するように言う戸塚君に頷いてみせる。
「いくら久保さん達が許可取って道路を封鎖してたとしても絶対に自転車とか歩行者がいない保証なんてないからな。だいいち、公道で対向車線にはみ出てまで攻めたって路面状況のリスクを考えるとそれほど速度を出せないんだよ。それくらいなら走行車線内で速度が出せるような技術を磨いた方が速く走れる。戸塚君は走ってるのは夜か? 」
「そうっす。夜中なら歩行者もいないし対向車もライトですぐわかりますから。車も少ないし」
「でもそれだと路面状況を見て判断することはできないだろ? それに夜中だからって歩行者がいないとは限らないぞ? 昔、古狸って人が長野の県道を深夜2時過ぎに走っていた時、周囲10キロに民家の気配すら無い街灯も無い峠道を懐中電灯も持たずにお婆さんが歩いてたらしい」
「怖すぎるわ! それ本当に生きてる人間だったんすか?! 」
追い抜いた時に追いかけて来たりしなかったらしいから多分、きっと、生きてたとは、思うよ? 怖いから考えないけど。
「と、とにかく、スピードを求めたいならサーキットへ行けばいい。それもしないで他人のバイクを貶すようなライダーで本当に技術を持ってる奴に俺は会ったことないな」
「…………」
言い過ぎか? でも間違ってないと思う。まぁ、今回巻き込まれたとはいえ公道で勝負なんてした俺が言うのもアレなんだが。
視線を感じて周囲を見渡すと、俺の近くには茜達がいる。いつの間にやら岡崎先輩や久保さん、サークルのメンバーまで。
戸塚君は俯いて何か考えているようだが、妙に説教くさいセリフを偉そうに話す自分に気がついて途端に恥ずかしくなる。
誰か何か言ってくれよ!
いつもはまぜっ返す岡崎先輩はニヤニヤ笑いながら見ているだけだ。
……逃げたい。
「あ、あの、スンマセンでした!! 」
しばらく俯いていた戸塚君が顔を上げて真剣な顔をしたかと思ったら俺と久保さんに向かって勢いよく頭を下げた。
「お、おう」
羞恥に悶えながらかろうじて返事を返す。
「……まあ、訂正していただけるなら私はいいです。バイク乗り同士でいがみ合うのも本意ではありませんし」
一瞬の沈黙の後久保さんが微笑みながら返す。が、どの口で言いますかそれを。
「よっしゃ! んじゃ一件落着って事で、折角だしまだまだ時間もあるからアタシらも走るか! 」
「そうですね。あ、でも、折角今日限定の特別会員もいますからエキシビジョンとして一度走ってもらいましょうか? 」
「お! それ俺も見たい! 」
岡崎先輩がご機嫌で言い出すと久保さんは
俺もちょっと興味あるけど。
茜達を促してモニターのある方に歩き出そうと一歩踏み出した瞬間、
「あ、あの、先輩」
戸塚君から声をかけられ足を止める。
「どうした? 」
「そ、その、オレ、感動しました! 」
「は? 」
俺の話のどこに感動する要素が?
「先輩のこと、『兄貴』って呼んで良いですか? 」
「はいぃ? 」
ナニヲイッテルノ?
「オレを兄貴の舎弟にしてください!! 」
「ちょ、ちょっとマテ! おま、何言って」
「一生ついていきます! 」
何を言ってるんだ、コイツは。
「うわぁ~……」
「さすが裕兄、ッパねぇ……」
「舎弟ってなんですか? 」
「よくわからんが、要は主殿の家臣みたいなものかの? 」
いや誰か止めろよ!
っつーか、足にしがみつくな~!!
「兄貴!! 」
「兄貴じゃね~~~!! 」
どうしてこうなった?!
「ん? 章雄、どうした? 」
「あ、真弓ちゃん。いや、さっきのあの子がハイサイドで転倒した時の映像だけどさ。ほら、彼が飛んだ後にバイクが後を追うように滑って、ここ! 何かにぶつかったみたいにバイクが止まったでしょ? 」
「なんだ? この黒い影か? 犬? 」
「ああ、確かに犬の耳っぽいよね。そうするとこれは前足かな? 」
「いやでも、これって光の加減じゃねーの? 一瞬だけだし」
「そのあとは映って無いしねぇ。たまたまかなぁ」
「そうだろ? っつーか、んなもんよりNSだろ、NS! こっち見ろよ! スゲェって! 」
「おぉ! 柏木君も相当なものだと思ったけど、さすがプロは凄いねぇ」
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