第76話 Side Story 神崎会長の決断

 ドルルルルルル

 郊外から都市部方面に向かって大型バイクが疾走する。

 HARLEY-DAVIDSON XL883。

 パールホワイトのタンクにハーレーのマーク。いわゆるアメリカンタイプではなくネイキッドと呼ばれるオーソドックスな形状のバイクだ。

 乗っているのは黒いライダースの上下、シールドの無いジェットタイプのヘルメットにサングラスの大柄な男。

 S大経済学部3年ツーリングサークルの会長を務める神崎 竜吾かんざき りゅうごである。

 身長190センチ体重98キロにして体脂肪は一桁台。

 空手で鍛えられたその身体は分厚い筋肉で覆われ、大型バイクを駆るその姿は正に威風堂々という雰囲気であり、同時に今にも懐からショットガンを取りだしてぶっ放しそうなビジュアルである。

 

 走ること暫し、駅前に到着した竜吾は駐輪場にバイクを預けて繁華街へ向けて歩き出す。

 時刻は午後3時過ぎ。ビジネスマンや主婦、学生など雑多な人々がそれぞれ行き来する駅前の通りを竜吾が歩く。

 なぜか歩を進める度に前方の人並みが開けていく。

 いつもの事ではあるが竜吾は溜息を吐きたい気分を押し殺してあえてのんびりと歩く。

 どうやら竜吾の容貌は悪い意味で目立つらしく、特に威圧しているわけでもないのに人が道を譲ってしまうのだ。

 更にガラの悪そうな連中までもが目を逸らし逃げるようにある者は大きく道を譲りまたある者は竜吾に気が付いた瞬間慌てて手近な店へ入っていってしまう。

 重ねていうが竜吾に威圧しているつもりはまったく無い。まったく無いのにこうなのだ。

 それについては竜吾も諦めている。

 人間諦めが肝心なのだ。

 

 繁華街の一角にある店に到着する。

 周囲には居酒屋やバーなどが多く夜にはさぞ賑やかであろう場所にある店に躊躇うことなく竜吾は入る。

 一般的なカフェより少し薄暗い店内に入るとそのまま足を進めてカウンターになっている席に着きサングラスを外す。

 もう少しすれば徐々に客も増えてくるのだろうが今は竜吾の他には二人程しか店内に客はいないようだった。

「いらっしゃい。最近ご無沙汰だったわね」

 カウンターの向こう側から女性が竜吾に声を掛けた。

 30歳位であろうか肩と胸元が大きく開いたワンピース姿の美人である。

 この店のオーナーであり店主でもある彼女は竜吾に優しげに微笑んだ。

 包容力のありそうな柔らかな雰囲気と目元の泣きぼくろが一層男好きする容姿に拍車を掛けている。実際彼女目当てにこの店に通う男も多いと聞く。

「少し忙しくてな」

「リサちゃんが寂しがってたわよ? いつもので良い? 」

 彼女の言葉に小さく頷く竜吾。

 

 と、その隣にふわりと座る気配を感じ、次いで竜吾の腿に手が置かれる感触に竜吾は隣を見てかすかに頬を弛ませる。

「あら? リサちゃん素早いわね。さっきまで奥で休んでいたのに」

 店主の言葉にもリサは返事をすることなく甘えるように竜吾の身体にしなだれかかる。

 リサのその様子に彼女も肩を竦めて苦笑いを浮かべながら注文された飲み物を竜吾の前に置いた。

 竜吾はもたれ掛かられている逆側の手でリサの頬を軽く撫でると飲み物を口にする。

 いつものように竜吾は店にいる間ほとんど話さない。

 彼は元々寡黙な質であり必要のない言葉を発することはあまり無いのだ。それに低く通りの良い竜吾の声は聞きようによっては威圧感があるらしいことを気にして意識的に言葉数を抑えている部分もあった。

 もっともその事が逆に彼の雰囲気に重厚感を与えて周囲を萎縮させる要因になっていることに彼は気が付いていないのだが。

 

 40分ほどして竜吾が店主に会計を頼む。

 それを聞きリサは竜吾から身体を離した。

 そして名残惜しむかのように竜吾の顔をジッと見つめる。

 気品のある顔立ちに切れ長で大きな瞳が竜吾を捉え、最後に竜吾の肩に頬をすり寄せてから椅子を降りる。

「ごちそうさま」

 竜吾が会計を済ませて立ち上がる。

 すると大層不満そうな表情して店主が頬を膨らませる。

「…………I'll be back」

 しかたなしに言葉を追加した竜吾に満足そうな店主。

 どういうわけかこの店にきて帰る際に必ず竜吾はこの台詞を言わされていた。

 なんでも古い映画の中の台詞らしいが生憎竜吾はその映画を見たことが無い。

 竜吾によく似た俳優がいるそうなのだが。

 

「また来てね。リサちゃんも待ってるから」

 店主の言葉に軽く頷いて、最後にリサの頭をそっと撫でて踵を返した。

「ニャ~ン」

 リサに見送られながら『猫カフェ“イリス”』を後にする。

 

 

 

 再び駅前に向かって歩き出す竜吾。

 この後に待ち合わせがあるのだ。

 まだ約束の時間にはだいぶ余裕があるのだが、いつも彼女は待ち合わせの時間よりも早く来る。

 この寒い中待たせるのは本意ではないので少し足を速めることにした。

 幸いいつものように道を譲られるので程なく待ち合わせの駅前広場に到着した。

 その途端あたりに響く女性の怒鳴り声。

 

「しつけぇんだよ! 性病持ちはナンパなんかしてねぇで病院行け!! 」

 怒鳴り声を上げた女性が駅前に並んでいる看板の一つを指さす。

 そこには『AZクリニック』の文字が、そしてその下に診療科目が載っているのだがそこには一言『肛門科』と書かれている。

「ちょ、ちょっと俺達は違うって! 」

 女性と相対していた男性2人組が焦った声を上げる。

 当然だろう。駅前で待ち合わせをしていたらしい女性をナンパしたらいきなり性病持ち呼ばわりされた挙げ句下手をすれば同性愛者と勘違いされかねない看板のおまけ付きである。

 ちなみに「しつこい」と言われた彼等は一度断られた後「ちょっとだけでいいから」と一回だけ食いさがっただけである。ごく普通のことであり特に悪質でもなんでもないのだ。

 むしろたちの悪い女性に声を掛けてしまった彼等に同情したくなるのだが周囲の人達にそんなことは判らない。

 今もこそこそと何やら囁き合いながら男達を見て笑って通り過ぎていく女子高生がいた。

 風評被害もここに極まれりである。

 

 竜吾はその男達と相手の女性を見ると溜息を吐いて近づいていく。

「真弓」

「! 竜吾!! 」

 女性が竜吾を見るなり駆け寄って抱きついた。

 そして竜吾の分厚い胸板にスリスリと頬を擦りつけている。まるでマーキングのようだ。

 竜吾はそれをそのままに男達に向き直る。

 男達はごく普通の大学生の風体でガラが悪いわけでもない、本当に軽い気持ちでナンパをしていたのであろう。

 割といつもの事なので竜吾は真弓が短気を起こして騒ぎを大きくしたのであろうとすぐに見抜いていた。

 

「彼女が迷惑を掛けたようだ。すまない」

 竜吾が2人に頭を下げる。

 一方下げられた方はそれどころではなかった。

 分厚いライダースの上からでもわかるほどの筋肉の固まりが自分達に頭を下げている。

 彼等にしてみれば、ガチムチの大男+低い声+低姿勢=脅迫 である。

 今にも震えそうな身体を必死に堪えているのだ。

「い、いえ、ぼ、ぼくらも不躾に声をかけてしまったので……」

 一刻も早くこの場を離脱すべく何とか声を振り絞る憐れなナンパ君達。

「……そう言ってもらえるのは有り難い。ではせめて」

 竜吾がそう言ってライダースの胸元に手を入れた瞬間、

「うわぁぁぁ! すみませんでした~~~~!! 」

 2人は脱兎のごとく逃げ出してしまった。

 

 あまりのことに流石の竜吾も呆然と固まってしまう。

 せめてものお詫びの代わりに何か飲み物でもと思って財布を出そうとしただけなのだが。

 竜吾の手に虚しく握られた財布が寂しそうである。

 何事かと足を停めて見ていた周囲の人が何やら納得したようにウンウンと頷いているのが竜吾には不可解であった。

 

 微妙に落ち込みながらいまだに胸板でスリスリしている真弓を引きはがす。

「真弓」

 竜吾の声に真弓は気まずそうに目を逸らす。

「い、いや、その、ね? せっかく竜吾と待ち合わせしてたのにナンパしてきたから、その……」

 しばし何か言いたげな様子で見ていた竜吾も小さく溜息を吐く。

 少々諦めた感は漂っていたが。

 

 この真弓と呼ばれた女性。

 ご存じ同じサークルの岡崎真弓その人である。

 裕哉などは真弓のことを「昭和のオッサン」などと思っているし、実態も間違ってはいないがこれでも一応若い女子である。カレシの前では女の子なのである。

 普段は出来るだけ表には出さないようにしているのだが竜吾の前ではデレッデレだったりするのだ。

 だがけして無理をしているわけではない言わばどちらも彼女の本質なのだろう。

 

「……とりあえず移動するか」

「あ、あのさ軽く何か食べない? 移動に手間取ってお昼食べ損ねちゃって」

 真弓の言葉に頷いて竜吾はデパートへと足を向けた。

 この時間ならば比較的空いているだろうとレストラン街へ行きファミレス風のお店に入る。

 竜吾は軽くサンドイッチを真弓はパスタを注文して人心地付く。

「それで面接はどうだったんだ? 」

 竜吾が真弓に問いかける。

 彼女は着慣れないリクルートスーツに包まれた肩を竦める。

「あんまり良い感じじゃなかったわ。圧迫面接っていうの? かなりキツイ質問もあったしちょっとセクハラっぽいのもあった」

 大学3年とはいえ既に就職戦線真っ直中の2人である。

 経団連加盟の企業はようやく企業説明会を始めたばかりの時期だがその他の企業はとっくに就職試験を終えているところも少なくないのだ。

 竜吾自身もすでにいくつかの企業の就職試験と面接をおこなっており第一志望では無いものの外資系企業から内々定をもらう事が出来ていた。

 真弓も同じ時期から就職活動は始めているのだが希望する業種が異なるためか面接をしたのは今日が初めてだった。

 

「圧迫面接か」

 竜吾が腕を組んで思案する。

 大学の就職支援セミナーでも良く言及される事柄ではある。

 企業側曰く、『ストレス耐性を見極める』『理不尽と思われる事柄に対する対応力を見る』『早期離職者が出ないように人物を評価する』などという主張があるが、実際には企業イメージを低下させたり、内定辞退者が出る事で結局二次募集で意識の低い学生を採用せざるを得なくなりほとんど意味が無い。それどころかある地方大手スーパーの会社が圧迫面接を行っていることの情報が拡散して多数の高校から求人票の受け取りを拒否されて採用できなくなったり訴訟を起こされる企業のケースまである。

 メリットよりもデメリットの方がはるかに多いのにまだそんな企業があるのが理解できない。

 

 とはいえ、竜吾に圧迫面接を受けた経験は無い。

 学生アルバイトの面接も含め面接官は誰も彼もが非常に丁寧な対応に終始していた。圧迫面接どころか複数の面接官や役員までもが竜吾の面接を終えると一斉に席を立ち深々とお辞儀をすることすらあったのだ。

 竜吾に自覚はまったくないが彼の体格だけではない存在感は自然と人を従わせる雰囲気を醸しだし、高校時代に到っては生徒会長の選出選挙に立候補していないにも拘わらず投票用紙に竜吾の名前が書かれた物が一番の得票者の票を上回ることがあったのだ。

 それだけでなく所属していた空手部で一年の3学期に2年生を差し置いて次期部長として指名されるという珍事までおきる始末だった。

 そんな相手に圧迫面接を仕掛けるような猛者はそうそういないだろう。

 

「ま、どっちにしても総合職だと転勤あるかもって話しだったから行く気無いけどさ」

 食事を進めながらそう言って真弓は笑った。

 真弓にしてみれば竜吾と離ればなれになる気などまったくなく、もし竜吾が転勤になったとすれば自分はさっさと会社を辞めて付いていく気満々である。

「そうか。まぁまだ時間はある。焦ることはないだろう」

「うん。来週も試験と面接あるからさ。大丈夫よ」

 その言葉を裏付けるかのように真弓の表情に暗さは無い。

 

 食事を終え、頼んでいたコーヒーとフルーツパフェがテーブルに運ばれてくる。

 店員が確認することなくコーヒーを竜吾の前に、パフェを真弓の前に置いて去っていった。

 それを真弓は自分の所にあるパフェを竜吾の方にそっと移動させてコーヒーを引き寄せる。

「……すまん」

 すこし恥ずかしそうに頬を掻き竜吾が礼をいう。

 真弓はニッコリと笑ってコーヒーを口にした。

 見た目とは激しくギャップがあるが竜吾は甘党なのである。

 そして真弓は辛党でコーヒーもブラック派だ。

 ちなみに竜吾は子供と動物が好きだが見た目から子供には恐がられてしまう。動物には好かれるのだが。

 そんな竜吾を見て真弓は悶えるほどキュンキュン萌えているのだがそれは今は置いておこう。

 

「それで、決めたの?」

 真弓が竜吾の食べ終わったパフェの容器を自分の所に引き寄せる。

 店員に竜吾が奇異な目で見られないようにする気遣いだ。

 こんな気遣いが出来るのに普段の態度はなんなのだろうか。謎である。

「ああ。やはり柏木が適任だろう」

「そうね。私もそれが良いと思うわ」

 当人のいない所で何やら決められてしまったようだ。

 

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