第74話 勇者と出産騒動? 前編
ピ~ンポ~ン
門にあるインターホンを鳴らすとすぐに返答がある。
「裕哉、いらっしゃい。入ってきて」
「はいよ」
茜の声に一言応えて門を開ける。
門を抜けて3段ほどの階段を上がり庭を横切った先に玄関がある。
俺は緊張感を保ったまま一歩二歩と踏み出す。
3歩目を踏み出そうとしたその時、殺気と共に背後から人の気配が膨れあがる。
「ちぇすとぉぉぉぉ~~!!」
予期していた俺はすかさず間合いを詰めて相手が振り下ろしてきた手を掴む。
相当な力を込めたと思われる勢いも異世界勇者のスペックには敵わない。
「……こんにちはおじさん。お久しぶりです」
「誰かと思えば裕哉くんじゃないか。久しぶりだねぇ」
40代後半と思われる壮年の男性。
グレーのスラックスに淡いグリーンのシャツ、ニットのカーデガンを羽織り白髪交じりの髪はまだまだ充分に豊かで整髪料でしっかりとセットされている。
夕方とはいえ日曜日とは思えないほどしっかりとした服装だ。ウチの親父なんか日曜は出かけない限りは一日スエット姿だぞ? 夏場なら短パンだし。
「しかし、いきなり入ってくると危ないよ? 僕は良くゴルフの素振りを庭でしているからね」
「パターは上段から縦に振り下ろしたりしないと思いますよ?」
いや、普通はあんなかけ声をあげながら素振りはしないと思います。
それに直前まで息を殺してチャンスを伺ってたのは知ってますってば。
ゴルフクラブを手にしてギリギリと込めた力を緩めぬままににこやかに笑みを浮かべる男性とそれを受け止めながら同じく笑みを浮かべながら対応する俺。
端から見ると一種異様な光景だろうがこれもいつもの事なのである。
まぁ最近特にエスカレートしているのは確かだが。普通は死ぬよ? こんなので殴られたら。
暫し笑顔で睨み合うという変な状況を繰り広げ、やがて男性が力を緩めたことで終了する。
さて、この男性。
賢明なる方々には既にお解りだろうが、名は
茜のことを誰よりも深く愛していると言いきっている少々行き過ぎなパパさんだ。
おかげで俺の事は心底疎ましいらしく、ことある毎に何かしらの嫌がらせをしてくる。
とはいえ茜やお袋さんには弱いらしく俺に何かする度に折檻されているらしい。
まぁ茜と付き合うようになってから更に敵意を募らせているのはお約束だろうな。
甘んじて受けるしかあるまい。
もっともお互いの精神安定のために出来るだけ顔を合わせないようにしていて、茜の家には親父さんの居ない時を見計らって来る事にしている。
「チッ、それで今日はどうしたのかね」
舌打ちせんでくださいよ。
「ちょっと茜に呼ばれていまして」
そう言いつつ玄関の呼び鈴を鳴らすとすぐに扉が開かれた。
「裕哉君、いらっしゃい。どうぞ入ってね」
「お邪魔します」
応対してくれた女性、工藤小百合さん。茜のお袋さんの言葉に従って挨拶しつつ中に入った。
すぐ後に親父さんが付いてくるのは、まぁお約束か。
さて、どうして俺が親父さんの敵意を受けながらも今日この家に来たのかは少々事情がある。
時間は少し遡る。
先日の先輩と満岡組の騒動の少し前、具体的には章雄先輩が満岡さんの家に挨拶に行ってから満岡さんが誘拐されるまでの間の出来事だ。
それは茜のこんな言葉から始まった。
「えっとね、なんか妊娠しちゃってるみたいなのよ」
場所は我が家のリビングルーム。
この場には俺と茜の他、レイリア、ティア、亜由美が居る。
そして全員が茜の言葉に固まった。
「え? あ、そ、そうか。と、とにかくご両親に挨拶と報告に行かないといけないか。ヤベぇ、心の準備が」
突然告げられた事実に焦る俺。
いや、確かに
これからしなきゃならない行動を必死に頭に思い浮かべる。
「なんじゃ、結局そっちでも茜に先を越されるとはのぅ」
「おめでとうございますぅ。いいなぁ。ユーヤさん私も赤ちゃん欲しいです!」
「……中学生なのにオバさんになる……兄ぃ、不潔」
レイリアが憮然と、ティアはキラキラと目を輝かせて、亜由美は何やらどんよりと闇を背にしながらそれぞれ勝手なことを曰う。
「え? あ! ち、違うの! わ、私じゃなくて!」
「「「「はぁ?」」」」
茜が顔を真っ赤に染めながら手をワタワタと左右に振る。
「えっとね、家のエリザベスが妊娠したみたいなの」
なんですと?
「なんじゃつまらん」
「残念です。でも私は赤ちゃん欲しいです」
「……でもやっぱり兄ぃは不潔」
焦った。こんなに混乱したのは初めてかもしれん。異世界召喚? アレは早々に諦めたからノーカンだ。
「あのなぁ茜。主語をすっ飛ばして言うの悪い癖だぞ」
「ご、ごめん。でも裕哉の態度はちょっと嬉しかったり……」
頬を染めてゴニョゴニョ言ってる茜に脱力する。
「まぁいいや。んで? ベスが妊娠って、繁殖させたのか?」
「ううん、お母さんにも聞いてみたけど心当たりは無いみたい。ただ」
「ただ?」
ちょっと言いにくそうに茜がチラッと俺を見る。
「私、ローちゃんがエリザベスの犬舎に居るところを見たことがあって。その、夜中だったんだけど」
「は?」
言われて思わず茜の影を見る。
その影の一部が別れてススーっと遠ざかろうとしている。
「影狼ちょっと待て!」
ビクッと影が停まる。
「ちょーっと影から出てこいや」
「キューン……」
渋々頭を出した影狼の耳を引っぱる。
「な、に、を、やっとるか、お前は~!」
秋頃から俺が何も言わないでも茜に付きっきりで居たのはそういう事かよ。
どおりで他の事を、特に夜にさせようとすると不満そうにしていたはずだ。
「ガウ、ガウゥ」
俺は影狼の耳を思いっきり引っぱる。
コイツも異世界産の魔獣。それも高位の幻獣だからこの程度は大してききゃしないが。
「はぁ~。それにしても幻獣と普通の犬の間に子供なんて出来るのか? 大体サイズが合わないだろうに」
なにせ影狼は体高が成人男性並みにあるし、体長に到っては優に2メートルを超える。
「ローちゃん身体の大きさ変えられるみたいよ」
マジで? 試したことも無かったから知らんかった。
「シャドウウルフと普通の狼の間には子供が出来たことがあったと聞いたことがある。じゃからさほど不思議でもあるまい」
レイリアがそう言って影狼父親説を支持する。
というか、確定だな。これ。
「でも、その場合生まれてくる仔犬は普通の犬になるんですか? それとも幻獣?」
ティアが疑問を差し挟む。
それが問題なんだよな。
魔獣であっても通常の身体が大きくて力が強い程度ならば成長するまでは特に問題は無いだろうけど、影狼は幻獣に分類される特殊能力を持つ魔獣だ。
幻獣種ってのは大まかに物理攻撃をすり抜けたり姿形を変えることが出来たりする特殊能力を持っている種をそう言うんだけど、影狼はシャドウウルフ。文字通り影に潜ったり影そのものになったりすることの出来る能力を持つ。
当たり前だがこっちの世界にそんな生物は存在しない。
影狼自身は成長しきった個体だし、元々幻獣種は知能が高い。こっちの世界で存在がバレるとマズイのは理解しているからさほど心配していない。
だが生まれたばかりの仔犬にそんな知能を期待することは出来ない。
子供に影狼の能力が受け継がれていた場合にどうするか。
「とにかく生まれたらすぐに確認しないとな」
「うむ。それが良いじゃろうな。そしてもしシャドウウルフの能力を持っていたらその処置をせねばなるまい」
俺とレイリアがそう言って頷き合うと茜が口を挟む。
「しょ、処置ってどうするの? まさか」
「落ち着かぬか茜。何も処分するとかそう言う話しでは無いわ。可能であれば成長するまで能力を封印するか、それが駄目でも茜の家の中で影に潜れぬよう結界を張ればそれで済むはずじゃ」
「シャドウウルフの能力を封じる結界ってのがあるから出来るはずだ。それで乳離れするまで待ってウィルテリアスに連れて行けば良い」
勘違いした茜を2人で宥める。
「う、うん、わかった。それで私はどうすれば良いの?」
気持ちを持ち直した茜と今後の準備などを話し合う。
ティアは犬の出産を手伝ったことがあるというのでその経験を、亜由美はネットで大型犬の妊娠と出産の情報を収集して対応を協議した。
これが今から3週間ほど前の事だ。
そして今朝になって一日に数度ベスの体温を測っていた茜から体温が下がり始めたという連絡が入った。
なんでも犬は通常38℃台の体温だが出産当日くらいになると人間と同じくらいまでに下がるらしい。それで体温が下がりきってから10時間位で出産が始まるそうだ。
連絡を受けてレイリアとティア、日曜で学校が休みの亜由美が一足先に茜の家に、俺はバイトが入っていたのでそれが終わってからの合流となった。
「お邪魔しま~す」
俺がリビングに入るとそこには茜とレイリア、ティア、亜由美、それから茜の弟である
「裕哉いらっしゃい。取りあえずコーヒー入れるね」
「来たか主殿」
「まだ生まれてないですよ」
「兄ぃ遅い」
それぞれに適当に返しながら空いている椅子に座ろうとすると、信士に呼ばれた。
「裕兄、ちょっと」
「おお、信士、久しぶり受験はどうだ?」
「それは後で、とにかくちょっと」
信士に腕を引っぱられてキッチンの隅に。
「どうしたんだよ」
「どうしたじゃないよ裕兄。何よアレ。美人ばっかりじゃん。しかも一緒に暮らしてるとか」
成る程それが聞きたかったのか。
気持ちはわかるが本当の事は説明できないので適当に誤魔化す。
「信士! 裕哉引っぱっていかないでよ」
「へぇへぇ。ったく、弟にまで独占欲発揮するなよなぁ。んなんじゃ裕兄に振られるぜ?」
「うるさい!」
一瞬で赤くなった茜が雑巾を信士に投げつける。
いつもの事なので素早く避けると信士は「んじゃ俺もうすぐ2次試験なんで、裕兄達はゆっくりしてってくれよ」そう言ってリビングを後にした。
「受験生は大変だよな」
「うぅ、私はかなり苦労したのにアイツは結構余裕なのよね」
信士は理数系得意だからな。
「まぁまぁそんなところで固まってないで、こっちに来てみんなでお茶しましょ」
お袋さんがそう言って俺と茜をリビングのソファに誘った。
いつの間に用意したのやらしっかりと人数分のティーセットをテーブルに並べている。
「あ、そうそう、お父さんの分はありませんから水でも飲んで下さいな」
「か、母さん? なんで」
「なんでじゃありません。あなたはまた裕哉君に酷いことをしようとしたでしょ。裕哉君は将来私の
俺の後にリビングに入ってきていた親父さんが愕然として頭を抱える。
これもまたいつものやり取りだな。
どういう訳かこの家は昔から親父さんが俺を毛嫌いして逆にお袋さんは俺を気に入ってるらしい。
茜と付き合う前は何かと俺と茜をくっつけようとするお袋さんの言動に困ったものだが今では慣れた。
実際付き合ってるし。
そんなふうに比較的のんびりと一時間ほど談笑していると不意にティアがリビングの外側にある犬舎を注目する。
「始まったみたいです」
いよいよか。
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