第61話 勇者はヒーロー! Ⅰ

 微かに聞こえる波の音と都会の港独特の香り。

 生憎既に日が沈んで数時間が過ぎ海を望むことは叶わない。

「うわぁ~~……」

「なんというか、本当にこれは海に浮いておるのか? まるで山ではないか」

 ティアとレイリアがポカンと呆けた間の抜けた顔で眼前の巨大な構造物を見上げている。

 俺達が今居るのは横浜港であり、その目の前にあるのは全長およそ300メートル、重量15万トン、横から見たときに中程が少し窪んだ双子山のようなシルエットを持つ巨大な船。所謂豪華客船である。

 

 事前に一応話はしていたのだが実物を見るとその大きさに異世界組の2人は圧倒されたようだ。

 勿論巨大な構造物自体は異世界にもある。だがそれは城とか街とかそういった地面に固定された物だ。異世界にも船は当然あるがその大きさは最大の物でも精々全長100メートルにも満たない。しかも材質は木だ。

 それを遥かに超える大きさでしかも鉄製の船など想像するのも難しいだろう。

 とはいえ水に浮かぶかどうかは材質や重さはあまり関係がない。重要なのは形であってどれだけ巨大で重くても適切な形状であれば船は浮かぶ。飛行機が飛ぶ原理よりも遥かに説明しやすいのだが、巨大な物というのは理屈を超えた感情を呼び起こすものなのだろう。

 地球の常識からすれば獣人や人化できるドラゴンの方がよほど非常識なのだが、それを言い出すときりがないので黙っておくことにする。

 

「どうだね。なかなか迫力あるものだろう!」

 先日我が家に突然出没した不審人物が自慢気にレイリアとティアに向かって言う。

「よくわからないですけど、凄いです!!」

「うむ。この世界に来てから驚くことばかりじゃがこれは極めつけじゃな」

「うん、そうだろうそうだろう」

 言いたいことは判らんでも無いが、自分の手柄でもあるまいしそのドヤ顔が無性にイラッとくるな。

「親父が誇ることでも無いだろ? 何偉そーにしてんだよ」

 この言葉で解るだろうがこの不審人物、我が家の家長である俺の父親。柏木 敏志さとし 46歳、商社勤務のサラリーマンである。

 

「何を言う我が息子よ。今日ここに来れたのはこの父のお陰ではないか」

 親父は腰に手を当ててふんぞり返っている。

「顔面ツートンカラーでドヤ顔されてもみっともないだけだ」

「……それを言うな」

 再会したときに顔を覆っていたヒゲだが今は綺麗に剃られている。

 そもそも何でそんな髭面だったのかだが、どうも中東辺りでは成人男性は髭を蓄えているのが当然らしく、髭がないと子供と思われるのかまともに仕事にならないらしい。

 だがただでさえ日本とは比較にならない日差しの地域、当然ながら屋外での業務が多い親父は日焼けして真っ黒である。そして顔の下半分を覆っていた髭を剃ってしまうと鼻から下は日に焼けておらず青白い肌が露わになってしまい、額や目元は真っ黒口の周りは真っ白というパトカーの逆バージョンでツートンカラーなのである。

 髭が気持ち悪いと言った亜由美も俺も思わず大爆笑したものだ。

 

「どうでもいいけど早く中に入りたい。寒い」

「そうね。敏志さんは放って置いて先に行きましょうか」

 亜由美と母さんがさっさと先に行こうとする。

「おっと、レイリア、ティア行くぞ」

「ちょ、ちょっと父親の扱いが非道くないか?」

 抗議の声をあげる親父は無視して歩きはじめる事にする。

 向かうのは眼前にそびえる巨大な船である。

 

 

 さて、俺達が何故ここにいるかというと、話は親父が家に帰ってきた時に遡る。

 一年以上帰ってきていなかった上にあまりに変貌していた顔のせいで思わず不審者認定してしまった俺と亜由美、それを察したレイリアとティアは即座に排除を選択し一瞬で親父はレイリアに床に叩き付けられティアに拘束された。

 慌てて必死に自分が俺達の父親であることを叫び。などとすったもんだの挙げ句数分後に何とか落ち着きを取り戻した。

 事前に戻ってくることを連絡していれば良いものを『驚かせようと思った』などと考えたせいで余計な騒ぎになり、夜半に帰宅した母さんに目茶苦茶怒られていた。

 大体においてサプライズなどというものは失敗するのが目に見えているのに何故するのだろうか。

 

 ともあれ次の日全員が目覚めてから改めて自己紹介をした。

 レイリアとティアの事は当然母さんから親父には相談と了承を得ており問題は無い。どころか並外れた美人である2人を見てハイテンションになった親父はやたらと過剰に彼女達を賞賛し母さんから折檻されることになった。

 まぁそれはどうでも良いとして、どうやら溜まりまくった休暇の取得も必要とのことで親父はしばらく日本でのんびりすることにしたらしいのだが、折角なので親睦を兼ねて食事会をしようという提案を親父が強硬に主張した。

 親父がどこからか仕入れて来た情報によると、何でも丁度今横浜港にイギリスだかの豪華客船が寄港しており一週間の期間限定で一部の施設が開放されているらしい。無論予約は必要だが船内の高級レストランも利用出来るそうだ。

 なので親父が予約を取り、母さんも急遽休暇を取って家族全員でこうしてやってきたのだ。

 開放最終日に滑り込めたのは僥倖と言えるのか?

 俺としてはあまり堅苦しいレストランよりもガッツリ焼き肉とかの方が嬉しいんだけどなぁ。

 

 

 レストランとは別に特別乗船チケットを購入してあるので問題なく船内に入ることが出来た。

 俺もフェリー以外の客船に初めて入るが想像以上に広い。

 パンフレットによると乗客が1,000人以上乗れるんだとか。幾つもあるレストランや様々なショップ、劇場やシアター、プールなどの娯楽施設も充実しており、まるで一つの街のようだ。

 自分とは一生縁がないものだと思っていたのだが奇妙なものである。

 利用出来るのは全ての施設ではなくいくつかのレストランとショップだけらしいが、亜由美と母さんの希望により食事の後でショップ巡りをする予定となっている。

 予約したレストランは双子山状の形をしている船の船尾側最上階にある展望レストランらしいのだが予約時間まではまだ少しある。しかしショップを覗く程ではないので船の中央部のプロムナードと呼ばれているらしい区画を散策することになった。

 ここは吹き抜けのような構造になっており両側の3階ほどにショップが集まっているようだ。しかも船内なのに木が植えられており文字通りの散歩道が造られている。

 時間まで暫し自由に散策することにして、男性陣である俺と親父は木の側にあるベンチに腰掛け、女性陣は周囲を見回っている、というか主にレイリアとティアが母さんを質問攻めにしている。

 

「いい娘達じゃないか。美由紀の言ってた通りだ」

「親父、ありがとう。2人を受け入れてくれて」

 母さんから2人の素性や俺が異世界に行っていた事は親父に伝えてある。

 普通なら息子の精神を疑うところだと思うが我が親ながらよく受け入れられるものだ。

 そうでなくても既に大人とも言える年齢の娘2人に戸籍を取らせ養女にしようなんて簡単な決断では無いだろうに。

 あ、ちなみに美由紀とは母さんの名前である。この夫婦は子供ができてからもお互いを名前で呼び合っている。

「まぁ、正直いくら美由紀の言うこととはいえ信じられん部分も無いわけじゃないが、お前がそんな無意味な嘘を付くとは思えんしな。なら息子の恩人には出来るだけの事はしようじゃないか」

 真面目な話をしているのに親父の顔のカラーリングで色々台無しなのが残念だ。

 

「ところで」

 親父が突然口調を変えてニヤニヤしながら俺を見る。

「茜ちゃんととうとう付き合う事にしたんだってな? それに加えてあんな美女と美少女まで」

「ちょっと待て! どっからその話聞いてきた?!」

「茜ちゃんの事は美由紀から聞いたが、あの2人は見れば丸わかりだ」

 マジか?!

 余計なことばっかり鋭くなりやがって。

「んで? もう3人ともヤっちゃったのか? ん?」

「やかましい! このウナ○イヌが!! んなわけねーだろ!」

 ヤっちゃったとか言ってんじゃねーよ! このセクハラ親父が!

「誰がウ○ギイヌだ、誰が! 親に向かって何て言い方しやがる!!」

 目と口の周り以外真っ黒でそっくりじゃねーか。

「……今一度親の威厳というものを教えてやらねばならんようだな」

「やれるものならやってみやがれ。簀巻きにして赤○先生の墓前に供えてやる」

 俺と親父はベンチから立ち上がり暫し睨み合う。

 

「ふん、俺としたことがガキの挑発に乗るところだった。今日は新しい家族の親睦会だ。女性の好意に応えることも出来んお子ちゃまの相手をしている場合じゃないな」

 親父は挑発的にニヤリと笑うと小馬鹿にしたように言う。

「アホか。茜と付き合ってるのにそんな簡単に応えられるわけ無いだろ」

「だからお前はガキだと言うんだ。据え膳食わねば男の恥と言うだろう。俺なんてなぁ、そりゃあもう……」

「そりゃもう、何ですか?」

 アホな台詞を続けようとした親父が突然背後からかけられた声に固まる。

 ギギギギと軋んだ音を立てるかのようにぎこちなく後ろを振り向く親父。

 そこには穏やかな微笑みを浮かべながら空気だけ八寒地獄から漏れ出てくるような冷気を漂わせて母さんが立っている。まぁ俺からは丸見えだったんだが。レイリアとティアは少し離れた場所でこちらを興味深そうに見ていた。

 完全な観戦モードである。

「い、いやアレはちょっと不肖の息子に発破をかけるために、な?」

「敏志さん? 少し向こうで話をしましょうか?」

「ちょ、ちょっと美由紀、い、痛い痛い!」

「大丈夫ですよ。裕哉は死なない限り元に戻せる魔法が使えるそうですから、死なない限り、ね?」

 親父は母さんに耳を引っぱられながら連行されていった。

 きっと立派な蒲焼きにでもなるのだろう。ウナギだけに。

 

 

 十数分後、そろそろ予約時間も迫って来た頃にようやく母さんと親父が戻ってきた。

 親父に外見上の変化は無いが憔悴しきった表情と腕や太腿を摩る仕草で何をされたのかが容易に想像出来た。母さん怒ると叩く代わりに抓るんだよな。どれだけ鍛えていようがアレは痛い。

 とにかく敢えて親父の様子には触れずにレストランに移動する。

 レイリアとティアはいつものように興味深げだが亜由美も嬉しそうだ。

 イタリア料理だからリストランテか、こういった高級店は多分初めてだろうから好奇心が先に立っているんだろう。

 幸い特にドレスコードなんかは無いようで、店内にいるお客さんもラフな服装の人がチラホラと見受けられる。あまり堅苦しく無いのは正直嬉しいし異世界組の2人にこっちの世界のテーブルマナーなんて期待できないのでホッとする。向こう異世界じゃ立場が逆だけどな。


 店内に入ると黒服のカメリエーレ(ウェイターさん)が席に案内してくれる。

 この客船のメインダイニングの一つであるせいか店内は結構広く、見晴らしの良いように壁の6割は大きなガラス窓になっている。外は既に夜だが横浜港の夜景を海側から堪能できるようだ。

 席に到着するとその隣のテーブルに意外な人物がいた。

「斎藤、と奈々ちゃん?」

「え? あ、か、柏木くん?!」

「え?! あ!」

 

 俺たちに気づいた斎藤はアタフタとうろたえ奈々ちゃんは顔を真っ赤にして俯いた。

「あ、ヨーちゃんヤッホー」

「おお! 確かサイトーと言ったか。其方らも来ておったのか」

 亜由美とレイリアが声をかけティアは笑顔で会釈する。

「か、柏木くんどうして……」

「いや、久しぶりに親父が帰ってきたんでな。家族で食事だよ。んで斎藤は……聞くまでもないか」

 デートですね。まだ半月ほどしか経ってないが順調なようでなによりだ。性格的に斎藤よりもどうやら奈々ちゃんが積極的なんだろうな。


「これは、その」

「ま、野暮な事は言わないから気にすんな」

 そう言いつつ後で揶揄う気満々だが今は言う必要無いだろう。

 俺は斎藤と奈々ちゃんに軽く笑いかけてから案内された席に座る。

 高級レストランで立ち話するわけにもいかないし。

 そうして側を離れると2人は照れ臭そうにしながらも食事を再開させた。



 席に着いた俺たちはそれぞれ注文をする。といってもイマイチ内容が解らないので親父に適当に任せた。

 親父は「コースで良いだろう」と言いつつ手慣れた様子で全員分の注文を済ませる。その仕草は大人の余裕を感じさせるが俺をチラッとみてドヤ顔するのがかなりムカつく。

 程なくしてAperitivoアペリティーヴォ(食前酒)にスプマンテと呼ぶらしい発泡ワインが運ばれる。勿論ティアと亜由美の未成年組はアルコールの入っていない白ブドウのジュースだ。

 軽く口を潤しついで運ばれて来たAntipastoアンティパストの白身魚のマリネを食べる。非常に上品で華やかな見た目だが美味い、んだと思う。

 そしてPrimoプリモ Piattoピアットとして魚介のパスタ。Secondoセコンド Piattoピアットに鹿肉のロースト。Formaggiフォルマッジィ(チーズ料理)とパン料理としてトマトのブルスケッタへと続く。

 美味いし凄くハイソな感じがするのだが、いかんせん大学生の貧乏舌では違いが解らない上に圧倒的に量が足らない。

 他の人はと見ると両親は穏やかに微笑みながら上品に食事を進めており、意外にもレイリアとティアも談笑しながら卒なく、亜由美は慣れないナイフとフォークに苦戦しながら何とか食事を終えることができた。


 残すはDolceドルチェ(デザート)だけとなる。

 因みにということで親父が言っていたのだがイタリアの伊達男が使うスラングでセイ・ドルチェと言えば「とろけそうに綺麗だよ」だそうだ。まぁ一生使う事はあるまい。

 

「楽しんでくれたかな?」

「はい! とても美味しかったです」

「うむ。こちらの世界は様々な物が発展しておるな。特に酒は素晴らしい」

 ベリーのタルトを頬張りながらティアが、食後酒のグラスを傾けながらレイリアがそれぞれ感想を言い親父と母さんに感謝している。

「……何だか物足りない」

 亜由美よ、完全に同感だが店内で言うのは止めような。

 奢ってやるから帰りにラーメンでも食べて帰ろう。


 俺はエスプレッソを優雅に見えるように頑張って装いながら周囲を見渡すと斎藤達も食事を終えたらしく小声で何やら会話しながら帰り支度を始めているようだった。

 すると微かな振動が床から伝わって来た。

 微妙な違和感。

 俺は周囲の窓から外の夜景を見つめる。


 …………何か、この船、動いてね? 

 

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