第56話 Side Story とある実習生の考察

「以上のように還元とは酸化物から酸素を取り除くことですが、それは同時に取り除かれた酸素がまた別の物質と酸化反応を起こしていると言うことでもあります」

 説明を終えてチラリと時計を確認する。

 大体予定通りの時間。

 残りの時間で質問を受け付ける。ところが質問が出ない。

 こういったときは……どうするんだっけ……

 一瞬頭が白くなりかけるが何とか今日の授業内容を簡単に纏めてやり過ごした。

 

 キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン

「じゃ、じゃあ今日の授業はここまで。えっと、短い間だったけど皆さんありがとう。来週からは今まで通り○○先生の授業になります」

 挨拶で最後の授業を終える。

「ありがとうございました~」

 生徒達の言葉に見送られながら教室を出る。

「お疲れ様でした。それじゃあまた後で」

 指導の先生はそう言ってさっさと職員室に戻っていく。

 僕は精神的な疲れを堪えながら実習生の控え室になっている生徒指導室に入る。

 そして椅子に崩れ落ちるように座ると大きく息を吐いた。

 

「はぁ~~~」

 何とか教育実習の最後の授業が終わった。

 疲れた。もちろんまだホームルームとか指導担当の教師からのあれこれだとか教頭先生からの話だとかは残っているんだけど、とにかく今はひと息入れたい。

 昔から理科の教師になりたくて大学も教育学部に入ったけど結構キツイかもしれない。

 あんなに沢山の生徒相手に授業するのが大変だと思わなかった。

 しかもコレがただの実習で、実際に教師になったらもっと大変だとか、考えたくない。

 

 ガラッ

「お疲れ~。あれ? 中村だけか」

「あ、あぁ柏木か。お疲れ。まだみんな戻って来てないよ」

 机に突っ伏していると別の実習生が戻ってきた。

 同じ大学の柏木 裕哉。

 学部は違うが僕と同じ教育学部にいる工藤さんと仲が良い関係で元々面識がある。

 

 彼を見ると特に疲れた様子は無くいつも通り飄々としている。

 他の連中は工藤さんも含めて結構いっぱいいっぱいの筈なんだけど彼だけは最初からあまり変わらない。

 本来教育実習に参加する筈のない経済学部生である柏木が実習受けるのだから僕らよりも大変なはずなんだけど割と余裕がありそうだ。それでいて実習の評価も悪くないらしいってのが実に不思議でありちょっと妬ましい。

 思えば最初から僕らが緊張でガチガチになっているのに彼はまるでベテランみたいに淡々としていた。一体どんなメンタルしてるのか。

 

 大学では柏木は割と有名人だ。

 彼女である工藤さんが教育学部にいる事もあって時折学部生が多い場所に来ることがあり、背が高くて社交性もあるので割と女子にも人気があった。ただ工藤さんと付き合ってると思われていたので直接的なアプローチをする子はいなかったらしい。誰にでも人当たりが良いので男子も嫌っている奴は少ない。ただ、それでも今年に入るまではそれほど目立つほうじゃなかったと思う。

 他の方面から柏木の名前を聞くようになったのは夏前くらい。何でも物凄い美人を連れて大学内を歩いていたとか、それを見た工藤さんと修羅場になったとか。

 そしてその名前が更に有名になったのはニュースにもなってしまったうちの大学のイベントサークルの奴が学内でドラッグを売っていた事件。それだけじゃなくて複数の女の子が無理矢理その、アレをされたとか何とか。

 それをその連中の溜まり場に乗り込んで一気に壊滅させたのが柏木だったらしい。

 うちの学部の宍戸が言ってた。と、誰かが言ってた。

 

 噂の真偽はわからないけど、そのせいか大学内でやたらと目立つようになった。

 もしかしたら先入観のせいかもしれないが存在感がハンパ無い感じで、何処にいても人目を引く。

 顔は悪くはないがイケメンってほど整ってるわけじゃない。負け惜しみじゃないが僕と比べてもそれほど極端に差があるわけじゃない。……と思う。

 体型は本人曰く185センチ89キロ。背が高く均整が取れた体格は確かにカッコイイと思う。

 それでも体格なら同じくらいの学生は複数いる。運動部系だけど。

 ただその雰囲気は普通じゃない。なんていうか自信と覇気に溢れてるというか、オーラが凄い。って女子が言ってた。

 

 正直複数の男を相手に壊滅させるとか漫画かよ、って思ったんだが柏木を見てると納得してしまうような感じがあるのは確かだ。

 あ~、そう言えば確か柏木と同じサークルにもう一人そう言うのが出来そうな先輩がいるな。

 まぁそれは兎も角、あの事件のせいで学部の学生が何人も大学を止めることになり実習を予定していた枠を埋めるために今回柏木がかり出される事になったらしい。なので彼が経済学部であるのも内緒だ。直々に教授から脅されたので絶対に言えない。でも学校に提出した書類はどうしたんだろ? 後で問題にならないことを祈るばかりだ。

 

 そんな彼が教育実習を始めて最初の週に女子生徒がストーカーと化したり次の週にはイジメに遭遇したりとイベント目白押しだ。

 まるでどこかのラブコメ主人公のようだがあまりその辺は羨ましくない。

 僕は平凡なモブキャラで充分だ。毎週トラブルに巻き込まれていたら間違いなくストレスで早死にする自信がある。

 でも本気でそう思っている筈なのに実習でも未だに生徒達に名前を覚えられていないのを感じて目から鼻水が出るのは何故だろう。教室に入る直前女子生徒の声で『うちのクラスもあんな地味なのじゃなくて柏木先生みたいな教生だったら良かったのに』と聞こえたときには屋上に駆け上がってバカヤローと叫びたくなった。

 

 僕がそんなことを回想しながら過ごしているとチャイムが鳴り本日の全ての授業が終了したことを告げる。これから最後のホームルームだ。

 残りはもう少し。気を取り直して指導室を出る。

 

 

 

「かんぱーい!!」

 全ての実習が終了してから、折角なので全員で打ちあげをしようということになり連れ立って駅前の居酒屋にやってきた。

 実はこうやって全員が集まって話すのは初日以来だ。

 もちろん全員が顔を揃えるのは珍しくなかったけどみんなレポートを書いたり授業の準備をしたりしていたので話をする時間はあまりなかった。

「野岸さんは教師になるの?」

 僕は隣に座った野岸さんに尋ねる。というのも教育実習を受けて教員免許を取得しても教師にならない人は結構居るのだ。教育関連企業や塾、○○教室といった学校以外の職場を希望する人も多いらしい。というかモンスターペアレントとか騒がれてるご時世に教師になりたがる学生自体が相当減ってるって学部の教授がぼやいてた。

「第一志望は楽団だけど私レベルじゃ難しいし、採用してくれる学校があるならやりたいと思ってるわよ。まぁそれも結構厳しいみたいだけどね。もう本音はピアノで食ってけるなら何処でもいいわよ」

 主要学科以外は採用枠少ないらしいからねぇ。

 

「工藤さんと柏木君は?」

 今度は野岸さんが質問する。

「私は一応中学校か小学校の教師を志望するつもりだよ」

「俺は、あ~、ちょっと向いてないかねぇ。実習やってみて思ったけど」

 ……経済学部だしね。

「え~? 評価高かったじゃん。向いてるんじゃね?」

 別の男の実習生が聞きつけて声を上げる。

「いや無理! マジで思春期の少年少女を相手に出来る気がしない!」

 何か学部の違いだけでなく本気でそう思ってるような表情してるな。

「そう? イジメの子も柏木が何とかしたんだろ? それに結構生徒に話しかけられたり相談受けたりしてたじゃん」

 僕の質問にも首を振って苦笑いをしてる。

 僕なんて話しかけられたこと自体数えるほどしかなかったのに。

 

 

 そんなふうに実習であったことや愚痴など色々とみんなで話しているといい加減酔いも回ってくる。

「そういえばさぁ、工藤さんってフリー? 俺立候補したいんだけど」

 酔いに任せてか一人の勇者が工藤さんに声を掛ける。

 あれは……たしか、宇野くんだっけ。

 気持ちはわかるけどね。工藤さん可愛いし。

 大学でも工藤さんに声を掛けた男はいたけど即座に玉砕していた。

 教育学部の連中は去年の早い時期から柏木の存在を知ってたので狙ってた奴も早々に諦めたし。

 寧ろ付き合いだしたのが最近だって知ったときのほうが驚いた。

 みんな普通にずっと付き合ってるものだと思ってたし。

 

 ガチャン!ゴトッ

 突然ガラスの砕けるような音がしたので音のした方を見ると柏木の持っていたジョッキの上半分が砕け散っていた。

「ちょ、ちょっと柏木君大丈夫?」

「あ、わりぃ! どかそうと思って持ったら割れた」

 中ジョッキってそんなに簡単に割れたっけ?

 幸い中身は飲み干されていたらしいから零れたりはしてないけど。

 

「えっと、それでさ、どうかな?」

 音に驚いて中断していた工藤さんへのアプローチを再開させる宇野君。

 メキョ!

「……悪い。ピッチャー凹んだ」

 柏木が今度は水の入っていたピッチャーを壊したらしい。

 ってか、どうやればステンレス製のピッチャー壊せるんだよ! しかも凹んだとかのレベルじゃなく真ん中で押しつぶされてるんですけど?!

 

「えっと、気持ちは嬉しいけど私付き合ってる人いるから。ゴメンね」

「え? マジ? そんな~」

 宇野君が天井を仰ぎながら落胆を大げさに表現する。

「馬鹿ね~。そんなの工藤さん見ればわかるじゃん。柏木君と付き合ってるって」

 一応実習中は秘密にしてて柏木と工藤さんも気を付けて接してたみたいなのに女子達はとっくにわかってたらしい。

 女の人の勘は恐い。

「じゃ、じゃあさ、俺に乗り換え……」

「ウルセーぞガキ共! ギャーギャー騒いでんじゃ……」

 ちょっと声が大きくなってしまったのか、近くのテーブル席に座っていたサラリーマン風の男が僕らを怒鳴りつけ近寄ろうとしたその時、ミシッと空間が軋んだような圧力を感じて一瞬で店内が静まりかえる。

 

 視界の隅で何かが動いたのが見え、固まった身体で微かにそちらに顔を動かすと柏木がゆっくりと立ち上がっていた。

 そして怒鳴りつけてきた男に近寄ると、

「あ~、すんません。うるさかったっすか?」

 そう言った声音はのんびりとしたものだったが目は一切笑っていない。

 男の先程までの酔ったような赤い顔色は見る間に真っ白に。

「い、いや、ちょ、ちょっとだけそう思ったような気がしたんですけど、気のせいっていうか、むしろ俺達のほうがうるさかったですよね。すみませんでした!!」

 そう言ってそれはそれは深く頭を下げると蹴躓きながら席に戻った。

 笑えない。あの情けない姿をまったく笑えない。

 だって、今の柏木めちゃくちゃ恐いよ。

 

 ペシん!

「裕哉、やり過ぎ。ちょっと落ち着いてよ」

「…………すまん。あ~、みんなもゴメンな」

 工藤さんが軽く柏木の頭をはたき、固まった空気が霧散する。

 柏木が頭を掻きながら苦笑するとようやく身体の強ばりが解けた気がする。

「柏木君もヤキモチ焼いたりするんだぁ」

 野岸さんが揶揄ように言うと柏木がちょっと赤くなった頬を掻いた。

「あ、あの、さっきの話、あ、あれ、冗談、だから、工藤さん忘れて?」

 宇野君が顔を引きつらせつつ工藤さんに手を合わせて頭を下げる。

 うん。それが良いと思うよ。

 というか、あの状態の柏木の頭を叩ける工藤さんが一番凄いよ。

 

 その後はまた和気藹々と話し、時々柏木を揶揄ったり、野岸さんが男の実習生にセクハラしたりして時間は過ぎ、解散となった。

 駅まで全員で歩いて僕らは構内へ。

 工藤さんと柏木は軽く手を振ってから踵を返し歩いていった。

 その手がしっかりと繋がれていたのは見逃さない。

 

 柏木には一つ言い忘れたっていうか言えなかったことがある。

 ので、ここで言っておきたい。

 

 もげろ! そして爆発してしまえ!!

 リア充なんて絶滅してしまえ!!!

 

 

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