第53話 勇者の教育実習Ⅶ

 コト。

 俺は職員室に設置されている自動販売機で買ってきたコーラを小柴君の前に置く。

 そして自分用に買ってきた同じくコーラのペットボトルを開けて一口飲んだ。

 小柴君は俯いたまま身動ぎしない。

「……取り敢えず飲みなよ。まずは落ち着かないとな」

「…………はい」

 微かに返事をしてようやくコーラを手に取った。

 飲むのを待ってから出来るだけ穏やかに聞こえるように声を掛ける。

 

「とにかく怪我人が出なくて良かった。もちろんアイツらの為じゃなくて小柴君の為に、な」

「それは……」

「ずっとイジメられてたんだろ? ポケットにカッターナイフ入れてたくらいだから」

 小柴君は何かを堪えるかのように俯いて唇を噛みしめていた。

「理由は知らないし、加害者の理屈なんざどうでもいい。ずっと我慢してきたんだよな。爆発するほど溜め込むくらい」

「う、うぅぅ」

 俯いたままの目から涙が落ちる。

「言いたくなければ無理に言わなくても良い。でも愚痴でもアイツらに対する恨み言でもいい。口に出来るなら吐きだした方が少しは楽になるかもしれないぞ」


「……アイツら僕が漫画とかアニメとか好きなのを知って『キモイ、オタク野郎』とか、馬鹿にして!」

「今時アニメ好きなんざ普通にいるのになぁ」

「僕だけじゃないのに! 他にも財布盗られたり、お腹殴られたり、みんなが見てる前で大声で馬鹿にして!! それに……」

 堰を切ったように言葉が溢れてくる。

 相当鬱屈していたんだろう。無理もないか。

 

 十数分話し続けて流石に息が切れたのかコーラを飲んで口を噤んだ。

 丁度そのタイミングで指導室のドアがノックされて松山先生と三宅先生が入ってくる。

「柏木先生ありがとう。えっと、小柴君、話出来る?」

 三宅先生が問いかけるが小柴君は俯いて答えなかった。

「とにかく、今日の所は帰って、少し気持ちを落ち着けると良いよ。柏木先生、良かったら小柴君を送ってあげてくれるかな?」

「はい。大丈夫です。それじゃちょっと準備しますね」

 小柴君の様子を見て時間を措いた方が良いと判断した松山先生がそう言って帰宅を促した。

 それを聞いて俺は準備のために実習生控え室に戻り準備を整える。

 

 俺が準備を終えて生徒指導室に戻ってから三宅先生と共に4組の教室へ行き小柴君を廊下に待たせ、三宅先生が彼の荷物を纏める。

 それからは俺が先導して校舎から出た。

 そして校門ではなく裏門側にある教員用の駐車場に向かう。

 実は準備の間に『転移』で自宅に戻りバイクを持ってきておいたのだ。

「え? バイク、ですか?」

「そ。このまま家に直ぐ帰っても色々考えちゃうだろ? ちょっと寄り道してくべ?」

 そう言いながら予備のヘルメットを小柴君に渡して被らせ、バイクを押して裏門を出る。

 小柴君がリアシートに乗ったのを確認してセルを回す。

 軽快なエンジン音が響き、彼にしっかり掴まるように言ってからゆっくりとバイクを発進させた。

 

 進路を郊外に取りしばらく走り続ける。

 初めて乗るバイクに緊張していた小柴君も次第に慣れてリラックスしてきたようだ。

 俺はまた学校に戻らなければならないのでそれほど時間は使えないが20分ほど郊外を走り住宅街まで戻る。

 道を聞いて小柴君の自宅に到着する頃には大分気も晴れた様子だった。

 やはりバイクは偉大である。

 俺も嫌なことがあってもバイクに乗ってると多少気が楽になるからな。

「あの、柏木先生、ありがとうございました」

「ああ。あと、もう少し話をしたいから後でまた来ても良いか?」

「別に良いですけど、何でです?」

 まだ少し警戒心が残っているのか訊いてくる。

「まぁ、さっきの件もあるけど、俺も妹と友人の影響で漫画とかアニメとかラノベとかそれなりに見るからな。単に趣味だ」

 俺がニッと笑うと小柴君も表情を緩めて頷いてくれた。

 

 

 

 学校に戻り、三宅先生と松山先生に小柴君から聞いた事を話す。

 6時間目は既に始まっていたが二人とも担当授業が無かったらしく職員室にいたので丁度良かった。

「そんなことがあったのね。ありがとう柏木君」

 そう言って三宅先生は俺に頭を下げた。

「それで、小柴君の処分とかあの四人組の対応とかはどうなりますか?」

「一応概要は校長先生と教頭先生には話してある。まだ正式っていうわけではないけど、幸い柏木先生のおかげでカッターナイフを振り上げただけで怪我人も居ないし、明らかに原因を作ったのは苛めた側だからな。それほど他の生徒達に動揺もないようだから校長先生の判断でも取り敢えずは小柴君は処分なし。ただそうは言っても精神的な負担は大きいだろうから落ち着くまで2,3日は休んでもらったほうが良いかもしれないな。勿論本人次第だけど。それから虐めていた四人の男子生徒は親御さんにも連絡して面談だな」

 俺の質問には松山先生が答えてくれた。

 学校としては問題を大きくしたくないのだろう。

 

「それにしても、イジメを無くすために学校でも色々としているんだけどね」

 三宅先生が嘆息しつつ言う。

「その考え自体が間違ってるような気がしますけどね」

 思わず本音が零れてしまう。

「どういう意味? イジメを無くすのが悪いとでも言うの?」

 三宅先生はムッとしながら語気を強める。

 松山先生は寧ろ興味深げに俺を見て先を促す。

 失敗したか。

 

「無くす努力が無駄とは言いませんけど、その考え方だとイジメの有る無しに目が向いてしまって実際にイジメられている生徒を助ける事に繋がらないと思います。寧ろイジメの有無や件数を報告する事で評価を気にして隠蔽してしまっているケースが多いんじゃないでしょうか。昨今ニュースで取り上げられるイジメが原因の事件は殆どそういった例ばかりが目に着きます」

「それは、そうかもしれないけど」

「それよりもイジメは必ずあるし無くせないと考えて、被害者をどうやって見つけてどう救済するかを考えないといけないんじゃないですか?」

 俺の言葉に先生達は反論しなかった。

 

 実際、イジメってのは人間も含めた動物の本能から来ている。種としての防衛本能である異物排除。それから他者よりも自己を上に感じたいという自己顕示欲。つまり順位付けだ。この2つの本能的な思考がイジメを発生させる要因となっている。

 こういった本能を指導だけで無くすことは非常に難しいだろう。

 そもそもイジメの線引き自体簡単には出来ない。イジメと受け取るかどうかは本人次第の面が大きいからだ。他者から見ればイジメに見えても本人達はちょっとふざけてるだけかもしれないし、逆に大したことはされていなくてもされた本人は酷く傷ついているかもしれない。

 イジメの内容だって直接的な暴力から言葉の暴力、性的な羞恥や無視するなどの精神的な攻撃と様々だ。

 こういったイジメ全てを防ごうとするなら学校では勉強以外の全ての行動を禁止して、学校外では一切他人と接触するの事を許さないということまでしなければならないだろう。基本的な人権すら無視する監獄のような生活だ。そんなことを出来るわけがない。

 まして、学校単位でイジメの件数を報告させるなど、隠蔽しろと言ってるようなものだ。

 誰が評価が下がるのにまともに報告なんかするだろうか。

 それくらいならばまだイジメから救済した生徒の件数を競わせた方がマシだ。

 もっともこれはこれで過剰にイジメ認定して不必要に加害者を増やすことにもなりかねないけどな。

 

「問題なのは私達教師からはイジメを発見し難いことだな。イジメられている生徒が相談でもしてくれれば兎も角、目撃した生徒も告げ口することで標的が自分達に向くのを恐がってなかなか話してくれない。柏木先生はどうしたらいいと思う?」

 何か講義を受けているような感じだな。

 松山先生の表情もどこか楽しんでるような感じがするし。

 

「生徒達から見ると教師ってのは必ずしも味方とは思えないですからね。先ずは相談しやすい形を作るのが必要でしょうけど、相談を受けたらイジメの証拠を集める手助けをする、その証拠が集まったら躊躇せずに警察を介入させる。加害者に対して刑事・民事の訴訟を勧める。それくらいのことを実行するつもりじゃない限り被害者の生徒は教師に相談しようとはなかなかしないと思います。教師に相談した結果イジメが酷くなるなんてのもよくあることですから」

「警察の介入とか訴訟とか、加害者といってもまだ子供なんですよ? これからの人生の方が長いんです。将来にも影響しかねないんですよ?」

 俺の話に三宅先生が反論する。

 

「加害者を守って被害者に我慢を強いるのか、被害者を守って加害者に自分のしたことの責任を取らせるか、どちらを選ぶのかだと思います。

 イジメっていう言葉が軽いせいか加害者側には殆どの場合罪悪感はそれほどありません。けれどやっていることは恐喝や暴行、傷害、侮辱や名誉毀損、場合によっては強制猥褻なんかもありますね。どれも立派な犯罪です。

 将来のある少年少女であることは考慮するにしても、それは被害者よりも優先しなければならないのですか? 例え言葉だけのイジメであったとしてもそれが被害者の人生を狂わせる事だってある。それに未成年の内に自分のしたことがどれほどの事なのかを理解させることも必要なんじゃないでしょうか。

 イジメに対して大人が毅然とした態度で対応することがイジメをエスカレートさせることに対する抑止力になります。

 生徒達は大人が考えるよりもずっとドライに大人達を見ていると思います。言葉だけ信じて欲しいと言ったところで実際に行動が伴わなければ信用なんてしません。被害者と加害者どちらにも良い対応なんて無いんじゃないでしょうか」

 我ながらここまで言っても大丈夫か?

 間違ったことを言ってるつもりは無いが、まぁ不評を買ったとしてもたかが実習の評価だ小柴君達の事を思えば何ほどの事も無かろう。

 

「耳が痛いな。実際に教師の立場に立つとそこまで割り切れるものでは無いが」

 松山先生が苦笑いをしながら言う。

「すみません。学生の分際で生意気なことを言って」

「いや、柏木先生の方が生徒達と歳も立場も近い。参考になるから気にするな」

「そう、ね。確かに耳が痛いわね」

 俺の謝罪に先生達が苦笑混じりに応じた。

 

 

 話し終えた俺は実習生控え室に戻る。

「ゆ、柏木君。えっと、4組で何かあったの?」

 俺が入るなり茜が訊いてきた。

 先に戻って来ていたらしい。ってか、三宅先生が職員室にいたんだから当たり前か。

 他に中村と野岸さんも居た。

「ああ、4組の小柴君がイジメに遭ってたらしくてな」

 俺は茜にこれまでの経緯を話す。

 

「そんなことがあったの。5限目に授業予定のクラスが急に自習になって、その監督をするように言われたんだけど詳しいことは教えてくれなかったから。その後も三宅先生は校長先生達と話をしてたみたいだし」

「まぁ、実習生にこんな問題を聞かせても出来る事なんて無いだろうしな。俺の場合は偶々居合わせたから対応しただけだし」

「にしても、柏木言い過ぎじゃね? 現役教師に向かって明らかな教育批判だろ? 評価が恐いぜ」

「内容は全面的に賛成だけどねぇ。それを言いきる柏木君が凄いわ」

 やっぱそう見えるよなぁ。

 実際には数合わせで実習に参加してるだけで評価とかそれほど切羽詰まってないだけなんだが。

 言えないけど。

 

 話ながらも今日の分の実習レポートと日報を書き上げる。

「でも自分のクラスなのに関われないのはなんか悔しいけどね。でも考えてみてもコレが解決法だ! みたいのは無いのよね」

 茜が若干不本意そうに言う。

「しょうがないんじゃない? 沢山の教師やら専門家やらが色々言ってても結局解決策なんか見つかってないんだから」

「なんかこういう問題になると過剰に加害者の人権云々言い出す人もいるし、そういう人に限って声が大きいから結局何も出来なくなるのよね」

 中村と野岸さんも当然教師になろうって言うんだからイジメに関して色々と思うところがあるのだろう。

 でも茜が言うように勧善懲悪物の時代劇みたいな悪人成敗して一件落着ってわけにはいかないしな。

 

 ホームルームの時間になり解散する。

 部活動見学も終わり、茜に一言ことわって先に学校を出る。

 約束通り小柴君の家に行くためだ。

 彼の家は共働きらしく両親の帰宅はいつも9時過ぎらしい。

 小柴君の分の食事は用意されているだろうが、気を遣われると困るので念のためコンビニで色々と買い込んでおく。

 

 小柴君宅に到着して呼び鈴を鳴らす。

 ちなみに彼の家は一軒家である。

「ホントに来たんですね。とにかく上がって下さい。えっと、僕はこれから晩飯なんですけど」

「あ~、変な時間に悪いな。俺はコンビニで適当に買ってきたから一緒に良いか?」

 俺がそう言うと小柴君はちょっと笑って頷いた。

 

 最初はぎこちなく口数が少なかった彼もアニメの話や特撮マニアの俺の友人の話等をしている内に徐々に打ち解けてくる。

 食事が終わった後は部屋に案内してくれ持っている漫画やラノベを見せてくれた。

 漫画は結構古いのとか幅広いジャンルを読んでいるらしい。ラノベはやはり異世界物が結構あるな。定番だし、実に好都合である。うん。

 

 しばらくは漫画やラノベなんかの雑談を続けていたが、充分打ち解けたのを見計らってイジメの話を振ってみた。

 多少は信用してくれたのか学校の時とは違い感情的になることもなく今まであったことを淡々と話してくれる。

 その結果わかったことだが、彼をイジメているのはあの4人組だけだと言うこと。殆ど話をしないクラスメイトはいるものの、仲の良い友達と呼べる生徒もいる事を聞くことが出来た。

「あの時はもう耐えられなくてあんな事をしてしまったけど、柏木先生が止めてくれて……」

「結果的に誰も怪我してないし、学校側も問題にするつもりは無いみたいだから気にしなくて良いよ。気持ちは解るし、それだけ追い詰められていたんだろ?」

 俺が言うと小柴君は悔やんでいる表情のままに頷く。

 

「誰だって同じ立場になったらやってしまうかもしれない。けどな、あそこであの手を振り下ろしていたら小柴君の人生に大きな傷が残ってしまっていただろう。だからもし次に何か追い詰められることがあったとしたら、今度は逃げるってのもアリだぞ」

「……逃げるな、とか言わないんですか?」

「逃げるってのは立派な戦術だぞ? 勝ち目があるなら兎も角、まずは逃げて冷静になるのも必要だしな。んで、どうすれば勝てるか考える。自分で思いつかなかったら人を頼る。最後に自分が笑っていられるようにするにはどうすればいいか。それが出来れば良いんだよ」

 

 俺は小柴君に連絡先とメールアドレスを書いた紙を渡す。

「何かあったり、考えて袋小路になったりしたら連絡しなよ。あの場に居合わせたのも縁だからな。あ、それと、気持ちが落ち着くまで2,3日休んで、それから学校来るようにだってさ…………ついでだ、折角の機会だからサボっちまえ」

「あの、ありがとう、ございます」

 小柴君はやっと年相応に笑った。

 その表情をみて俺はその場を辞することにする。

 今日の所はこれで大丈夫だろう。

 仕込みも完了したしな。

 

 

 

 小柴君の家から自宅に戻った俺はこの後の為に準備に奔走する。

 転移の宝玉を使って異世界に行ったり、こっちで買い物をしたりと何気に忙しい。

 ん? 何してるのかって?

 このまま何もせずに傍観なんてするわけ無いだろ?

 俺は俺なりのやり方で今回の問題を解決するつもりだ。

 

 食事を済ませたり準備を進めたり風呂に入ったりと色々している内にいつの間にやら深夜2時。

 所謂『草木も眠る丑三つ時』である。

 さて、そろそろ始めますか。

 

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