第51話 勇者の教育実習Ⅴ
繁華街の喧噪が近づいてくる。もちろん実際に近づいているのは私なのだけど自分からというよりも繁華街から近づいて来ているような感じ。
私の頭にあるのは先程見た光景。
思い立って柏木先生の家に勉強を教わりに行くという名目を果たそうと学校から少し離れた場所で柏木先生が出てくるのを待っていた。
季節柄日が落ちるのが早く、既に辺りは真っ暗になっていたけど学校があるのは住宅街の中だし外灯も沢山あるから充分明るい。
変な人が居るという話も聞かないので怖いとは思わなかった。
しばらく待っていると柏木先生が他の教生の先生達と一緒に学校から出てくるのが見えた。
さすがに他の人がいる前で声を掛ける勇気はない。
私は物陰に隠れて先生達をやり過ごし、距離を開けて柏木先生が一人になるのを待つことにした。
自分でも少しストーカーっぽいと思ったりもしたけど若い女の子の行動でなんだから少しくらいは許されるはずだと思う。
最初はただお礼を言うだけのつもりだった。
今年の6月に駅前で横断歩道を渡っていたとき、私は車に跳ねられてしまった。
私は青信号で渡っていたのに信号無視した車が突っ込んできたらしい。
らしいってのは、私自身はその時のことをはっきりとは憶えていないから。
運ばれた病院に事情を聴きに来たお巡りさんに教えて貰ったのだ。
私を跳ねた人は警察に捕まったらしい。その時に来たお巡りさんの話では取調中にあの、えっと、う○こを漏らしたりして大変だったとか、そんな私に言われても困るようなことを教えてくれた。
私はあまり事故の前後のことを憶えていなくて、うっすらと憶えているのは何かにいきなり吹き飛ばされて、それからどんどん身体が冷たくなって、あぁ私死ぬのかななんて思ってたら誰か男の人がすごく優しい声で『大丈夫だよ』って言ってくれて、それから何だか身体がポカポカ暖かくなってきた事だけ。
次に記憶にあるのは病院のベッドの上で、お母さんが気が付いた私の身体を抱きしめてくれた事。
声を掛けてくれた男の人は顔もよく覚えていなかった。ただ声だけ。
病院の検査の結果、ごく軽い切り傷と打撲だけだった。ただ怪我の割には異常なくらい出血があったらしいし相手の車の破損から相当大怪我をしている筈の状況だったのでしばらく入院することになってしまった。
着ていた服を後で見てみたら白い夏服がほとんど血で赤黒く染まっていて見た途端に貧血を起こしてしまったくらい。診察してくれた先生やお巡りさんも『訳がわからない』とか言ってた。
そんなはずはないんだけど、私にはあの男の人が治してくれたような、そんな有り得ない事を考えたりもした。
事故の翌日、クラスの柏木さんがお見舞いに来てくれた。
柏木さんはちょっと、そのオタクっぽいというか、少し変わっていて、あまり私とは話したことがないので来てくれたことに驚いたけど、理由を聞くとあの事故の時に救急車を呼んでくれたのは彼女と知り合いの人だったらしい。
そして、なんと、あの時に声を掛けてくれていた男の人は柏木さんのお兄さんだとか。
どんな人か聞いてみたら『背が高くて、すごく頭が良いしスポーツも万能』って思いっきり自慢されてしまった。『過保護なシスコン』とも言ってたけど、お兄さんを自慢する姿をみたら物凄いブラコンっぽくて笑ってしまった。
うちは兄であるアイツがキモデブのくせに変にプライドが高くて高校で苛められて以来ニートしてるせいですごく仲が悪い。正直羨ましかった。
私もそんなお兄さんだったら仲良くしたいのに。
柏木さんにはお礼を言ったけど、お兄さんには結局直接お礼に行けなかった。
私自身意識がはっきりとしていなかったので何かすごく恥ずかしくて伝言をお願いしただけだった。
そして、先週になって柏木さんからお兄さんが教育実習生として学校に来ることを聞いた。
だったらその時に勇気を出してお礼を言おうと決めて、今週柏木先生を全校集会で見ることが出来た。
まず思ったのがすごく背が高い事。学校の男子にも背が高い子はいるけどそれよりもずっと大きい。絶対180センチ以上ある。
それにイケメンって程ではないけどそれなりに格好良い顔と人目を引く雰囲気。
顔に熱が篭もる。
あんな人に血とかで汚れて意識がほとんど無い変な顔を見られたと思うと、恥ずかしくて逃げてしまいたくなった。
偶然にもクラスの担任の松山先生に付いて実習をするらしく、最初に私のクラスで挨拶をしてくれた。
私達の質問にも優しげに微笑みながら丁寧に答えてくれる。
近くに居た女子達は「カッコイイ」って頻りに言ってるし、私もそう思う。
最初の授業が終わって、私は勇気を出して先生にあの時のお礼を言った。
先生は『何もしてないよ』って言いながらも私の身体を気遣ってくれる。
その時から私はドキドキして止まらなくなってしまった。
何をしていてもついその姿を目で追ってしまう。
私が所属しているバスケ部の見学に来たときに男子に混ざって練習試合をしていて、まるでプロ選手みたいなダンクシュートを決めたのを見たときは鼻血が出そうになってしまった。
翌日からは先生が何をしているのか気になってつい後を追っかけたりしたけど、目が合うと微笑んでくれているような気がしてもっと近づきたくなってしまう。
少し歳は離れてるけど、あと1年半すれば私も結婚できる歳になる。
男の人は若い女の子が好きってよく聞くし、私も頑張れば先生の彼女にだってなれるかもしれない。その為にもこの教育実習期間内にもう少し距離を縮めたい。
そう思って、クラスメイトの柏木さんの家に勉強を教わりに行くって口実で一旦帰った家で着替えて学校まで戻った。
少し離れた場所でも街灯の明るさで柏木先生の姿を見ることが出来た。
ほとんどの先生とは駅へ向かう交差点で別れたけど一人の女の人、あれは確か工藤先生と言ってたっけ、とは家が近いのかそのまま二人で歩いている。
何か、すごく仲が良さそう。距離だって近い。
そう思って見ていると、道の別れているところで先生達が立ち止まり、柏木先生が工藤先生にキスをした。
その後は頭が真っ白になり、気が付いたら駅の繁華街に向かって歩いていた。
見た光景が頭から離れない。
あれはやっぱり二人が付き合ってるって事なんだろうか。
キスをしたのは柏木先生からだったけど工藤先生も嬉しそうに見えた。となればそういうことなんだろう。
ショックだった。
だけどどこかでやっぱりっていう気持ちもある。
あんなにカッコイイ先生なんだから彼女がいるのは当然のような気もする。
もちろん何の慰めにもならないけど。
そんなことを考えていたらすごく悲しくなって、私は歩きながら泣き出してしまった。
涙を拭いながら歩いていると「君、どうかしたの?」そう声を掛けられた。
声の方を見ると、先生と同じくらいの歳の男の人2人が心配そうに私を見ていた。
優しそうな声。
少し身を屈め私と視線を合わせてくる。
「な、なんでもないです……えぐ、クスン」
「え、えっと、どっか座って落ち着いた方が良いよ」
「そ、そうだよ。とりあえずそこらのお店に入って何か飲みなよ」
そう言われて促されるまま直ぐ近くにあったお店に入った。
お店の中は割と明るくてジャズっぽい音楽が流れている落ち着いた雰囲気だった。
知らない男の人に連れてこられたので警戒していたけど、これなら大丈夫そうだと思った。
テーブル席に着いて少しすると男の人が注文してくれたのか可愛らしいグラスに入った飲み物が運ばれてくる。
「とにかく少し飲むと落ち着くよ」
そう言われて口を付ける。
甘くて、少し炭酸が口を刺激する。
喉が渇いていたみたいで一気に飲んでしまった。
美味しかった。
冷たいんだけど、飲み終わると胸がポッと温かくなる。
「僕らが奢るから、どんどん飲んで良いよ」
「そうそう。遠慮しなくて良いからね。注文も僕らがするからさ」
そう笑いながら男の人達が言ってくれたので私はお礼を言いながらも出された飲み物を飲んでいた。
3杯くらい飲み終わると、泣いたせいか急に眠くなってくる。
さすがにお店で寝るわけにはいかないので帰ろうかとも思ったけど、泣いて赤い眼をして帰るとお母さんが心配するかもしれない。
もう少し落ち着いてから帰ろうと思っていると次の飲み物が目の前に運ばれてきた。
コレだけ飲んで、そしたら家の近くの公園まで戻って、そこの水道で顔を洗って帰ろう。
そんなことを思いながら飲んでいて、気が付いたら寝てしまっていたらしい。
目が覚めたら自分の部屋のベッドの上だった。
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「失礼します」
俺はそう言って校長室を後にして待機場所である生徒指導室に向かった。
校長室にはまだ教頭先生と松山先生、それと実は生徒指導担当だった大沢先生(国語担当)が残って今後の事について打ち合わせるらしい。
昨日のことになるが、上山さんを無事保護出来た俺だったが直後に繁華街を警邏していたお巡りさんに職務質問を受ける羽目になった。
まぁ、明らかに未成年であることが判る少女を背負って繁華街を歩いていれば当然ではある。
ましてや見た感じで少女は泥酔している様子であれば寧ろさすが日本の警察官と褒めて然るべきだろう。自分を対象としていなければ、だが。
それから先は大変だった。
一応背負っているのは教育実習先の生徒であることを説明するも証明する物は何も持っていない。
そうこうしている内に応援を呼んだらしくあれよあれよという間に8名の警官に囲まれることになってしまった。
何一つ(?)悪いことをしていないのにこの仕打ち。泣きたくなる。
お巡りさん達の穏やかな口調ながら笑っていない目と逃がすまいと周囲をさり気なく囲む動き、何とか上山さんを俺から引きはがそうとする言動に仕方がないとは理解しながらもちょっとイラっとくる。
結局、まずは松山先生に連絡を取って電話口で事情を説明して貰い、警察官から上山さんの親御さんに連絡を入れて迎えに来てもらう事になった。
取り敢えず上山さんはパトカーの後部座席に寝かせて親御さんを待つ間に保護した経緯を説明する。
その説明を聞いた別の警官が近隣の店で聞き込みをして事実確認をし、無事に確認が出来たので俺の疑いは晴れたようだった。
上山さんを連れていた男二人組を帰したことに関しては何か言いたそうにしていたが「生徒の保護を優先した」「余計なトラブルを起こして生徒に危害を加えられたら何にもならない」と言った所納得していた。
ただ、車のナンバーくらいは確認して欲しいとか言われたけどな。
そんなこんなで上山さんの親御さんが迎えに来て、念のため警察官も同行して帰って行った。
それから遅れてこちらに到着した松山先生にも状況を説明してからその日は終わり、そして本日不在の校長先生を除き、教頭先生と生活指導の大沢先生に事情を説明していたのである。
上山さんに関しては本日は休ませるとの連絡が親御さんから入っていたらしいが、学校としては厳重注意だけで、状況もこの場に集まった先生のみで他には伝えない事になったのでそれに関しては一安心である。
上山さんが何故飲酒したかは朝方になって本人から事情を聞きだした親御さんの話ではお酒とは知らずに飲んでしまった言っていたことと、飲ませたお店の証言で口当たりの良いカクテルを出したと聞いていたのでそれに関しては学校側からは特に何も言わないことになったようだ。
何故繁華街に行ったかについては松山先生にだけ簡単に事情を話した。
先程の場では松山先生も何も言っていなかったのでこのまま胸に仕舞っておくのかもしれない。
「おはよう」
挨拶しながら実習生の集まる生徒指導室に入り実習の準備を進める。
昨日のことは茜にも話をしていない。どこまで話していいかわからんし。
来週から実習が授業実習になる。実際に実習生が授業を行い、指導担当教師が授業内容に関して指導を行っていく形だ。
まず来週一週間で6クラス一時限ずつ。最終週は二日2時限、二日4時限となり最終日は実習レポートの提出だ。
なので今日は午前に実習の授業見学と午後に来週の授業内容を指導担当に提出して指導を受ける。
そういったこともあり実習生は茜も含めて皆空いている時間は内容の確認や修正に忙しくしていた。
「柏木君何かあった? 教頭先生に呼ばれてたみたいだけど」
そんな中でも俺の様子が気になったらしい茜だったが俺は「ちょっとな。大丈夫だ」そう言って誤魔化(?)す。
全て終わったら話すことにしよう。
そうして忙しくしている内にその日も終わる。
午後の授業の合間に松山先生に授業計画の添削をしてもらい了承印を貰ったので準備は完了。
そして日報を書いていると生徒指導室のドアがノックされた。
ドアから一番近くに居た俺が開けると、休んでいたはずの上山さんが立っていた。
「あ、あの、柏木先生、す、少しお話し、良いですか?」
そう少し赤くなりながらもはっきりと言ってきた。
俺は頷くと部屋にいる他の実習生に声を掛けてから上山さん話をするために移動する事にした。
上山さんの先導で移動した先は校舎裏である。
物凄くベタな場所だ。こんな所清掃以外は喧嘩か告白くらいしか使わないだろうな。
となると自然と上山さんの意図も予測できるが。……喧嘩だったらどうしよう。
「昨日はありがとうございました。それと、ごめんなさい!」
立ち止まって向かい合った途端に上山さんは俺に頭を深く下げる。
「うん。兎に角間に合って良かったよ。多分親御さんからも叱られただろうから俺からは言わないけど、1つだけ、もうあんな危ないことはしない事! いいね?」
「はい。お母さんにすごく怒られました。後から自分で考えても先生が来てくれなかったらどうなってたか。本当にありがとうございます」
そう言うともう一度頭を下げる。
「そ、それで、せ、先生に聞きたいことが」
上山さんがすごく言いずらそうに続ける。
「あの、昨日、先生と工藤先生が、その、キ、キスしてるところを、その……」
あ~、やっぱり見られてたか。
「えっと、柏木先生と工藤先生って、つ、付き合ってるんですか?」
一気に言って俺の顔を真剣な表情で見る。
これは誤魔化したりするべきじゃないな。
「ああ。俺は茜、工藤先生と付き合ってる。彼女とは中学からの幼なじみでね今年から付き合い始めた」
「!!……そう、ですか」
上山さんは一瞬辛そうな表情を見せたものの、何かを決意したかのように俺を見つめ、
「それでも! 柏木先生の事、好きです!」
思いの全てを叩き付けるかのような告白。
事故の時の事で感謝と好意が混ざってしまってるのかもしれないし憧れ的なものもあるのかもしれない。それでもその告白を子供の言葉として受け取るのは間違っているような気がする。
だから俺も真剣に応えるしかない。
「ありがとう。その気持ちは嬉しい。でも、俺はそれを受け取ることは出来ない。立場とか歳とかそんなんじゃなくて、俺には好きな人が居る。だから上山さんを受け入れることは無い。ごめんなさい」
自分でも呆れるくらいの不器用な返答。
上山さんがどう感じるとか配慮も何も無い、彼女の真っ直ぐな気持ちに返す俺の愚直な答。
しばらく無言で見つめ合う。
不意に上山さんの目から涙がこぼれ落ちる。
そして手で顔を覆い俯き小さく零れる嗚咽の声。
罪悪感で居たたまれないが慰めもせずにただ立ち尽くす。
数分だったか数十分だったか、感覚的にかなりの時間続いた嗚咽が収まり上山さんは顔を上げる。
そこには涙に濡れながらも必死に笑おうとする姿があった。
「ありがとうございました。結果は、辛いけど、でも! 告白できて良かったです」
そう言って最後に頭を下げてから上山さんは走り去っていった。
念のため直ぐに影狼を召喚して後を追わせる。が、何となく大丈夫のような気がしている。
まだ中学2年生。大人とはとても言えないけど、それでも女性の強さを見せつけられた気がしていた。
俺が彼女と同じ歳だった頃、…………恋愛のれの字も考えずにバカ騒ぎをしてた気がするな。
「んで? いつまで隠れて見てるんだ?」
俺が校舎の影に声を掛けるとバツが悪そうに茜が出てきた。
これまたなんつーベタな事してるんだか。
「あははは……えっと、お疲れ様です?」
「見ての通りだよ。……でも、女の子ってのは凄いな」
呆れて返しつつも本音を吐露する。
「そうだよ。強くなきゃ女の子なんてやってられないよ」
茜が微笑みながら答える。
コイツもそうなんだろうか。
そう言えば異世界の女性もみんなタフで強かったっけ。
どうやら何処の世界でも男は精神面では女性には敵わないらしい。
それはそれとして、
「で? 茜さんは心配して覗いていたと?」
「え、えっと、心配っていうか、その、裕哉押しに弱そうっていうか……」
コノヤロウ。
「そうか。どうやら茜は俺の愛情を疑ってるようだしな。幸い明日は土曜で実習もない。よって、朝から俺の愛情の深さをしっかりと茜の身体に刻み込んでやるとしよう。大丈夫日曜の夜には終わると思うからな。多分」
「え゛? 朝からって、ちょ~っと身体が保たない、かな?」
茜が顔を赤くしながらも引きつった表情という器用な事をしながら後ずさる。
が! 逃がさんよ!
「そうかそうか今日からが良いか。よし任せろ!」
そう言いながら茜を引き摺って帰り支度をするために校舎の中に戻っていった。
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