第47話 勇者の教育実習Ⅰ
「え~、と言うわけで、皆さんにはこの季節身体に気を付けて……」
眠気を誘うBGMのような声を聞きながら俺は必死に欠伸をかみ殺している。
なんだって校長先生ってのはどいつもこいつも内容のない長話が好きなのかね。
俺なんて小中高と校長先生の話で覚えてる内容なんて一つもないぞ。
中学校の時に炎天下の中、校長の長話で何人もの生徒が倒れたのに話を続けて他の教師に止められてたのは覚えているが。
「……というわけで、今日から3週間、実習の先生が皆さんの指導に当たります。では、各先生から挨拶をしてもらいましょう」
その言葉を合図に俺を含めた6人が壇上に上がる。
体育館に集まっている生徒達の視線を浴びながら、どうしてこうなったかをウンザリとした気持ちで思い出していた。
長期の休みが終わり大学生活を再開させていた俺は経済史の教授から呼び出しを受けた。
特に問題を起こした覚えはないし、前期の試験は確かにちょっとアレだったが休み中の課題も問題なく提出している。正直呼び出される覚えが全くなかった俺は首を捻りながらも教授の研究室に向かう。
学生に教授からの呼び出しを拒否する権利なんぞあるわけ無いしね。
研究室に入ると、大量の書籍が入った書棚と同じく大量の書籍の積み上げられたデスクに隠れるように宮崎経済史学教授が座っていた。
「お。来たか。適当に掛けてくれ」
と本当に適当な感じで言われる。
この教授、見た目は40代前半くらいだが気さくで話しやすいので割と生徒に人気がある。
俺が部屋にあった長机の横にある椅子に掛けると、教授もデスクから俺の正面に移動した。
「悪いね、急に呼び出して」
「いえ、えっと、何で俺は呼ばれたんでしょう」
単刀直入に理由を尋ねる。
「その事なんだけど、柏木君、来月の17日から教育実習行ってくれない?」
「は?!」
唐突すぎて付いていけない。
「K市の中央第一中学校に3週間、担当は数学ね」
「いやいやいや、何でっすか? 俺、教職課程取ってないっすよ?」
いきなり何言うんだこのオッサン。早くもボケたか?
「何か失礼なこと考えてない?」
慌てて首を横に振る。カンが良すぎだろ。
「驚くのは無理もないけど、少し事情があってね」
そう前置きして教授はその理由を語り出した。
事の始まりは俺も関係したイベントサークルの不祥事だ。
俺は知らなかったのだがあの事件はメディアにも取り上げられ大学内でかなりの問題になった。
女生徒のプライバシーに配慮してサークルの起こした暴行に関しては報道されなかったが、ドラッグに関してはそうもいかなかった。宍戸からメディアに先立って報告を受けていたため何とか大学に対する批判は躱すことが出来たらしいが、例のサークルの4人が警察に自首し話したところによると、問題を起こした生徒4人以外にも共犯に近い生徒や定期的にドラッグを買っていた生徒が複数居たらしく、調査の結果その内の大部分の生徒が何らかの処分を受けることになった。
宍戸自身は無理矢理ドラッグを飲まされたことはあったものの自身の意志では無かったこと、ドラッグの蔓延を自らの資金で買い集めることで防いだこと、周囲の人間に危害が及ぶ恐れが無くなって直ぐに大学側に報告をしたことを評価され不処分となった。
また、イベントサークルは大部分の生徒が無関係であったこと、これまでの実績を鑑みてサークルは存続となった。ただし、今後は活動を企画の段階で大学側に申告し許可を得る事となった。
ただ今回問題となるのは処分を受けた生徒に教育学部の生徒が複数居り、その生徒は大学を通じて教育実習の申請を行っていたらしい。それがこの処分(退学や停学処分で結局殆どの生徒が退学したとか)が原因で受け入れをする学校への実習生の数が足りなくなってしまったことだ。
建前としては教育実習は実習を希望する生徒が直接対象の学校へ申し込み、許可が出れば実習を行えるという仕組みらしいが、実際は大学側が近隣の小中高校へ申し入れをして実習を行わせているとか。
なので一方的な理由で実習生の数を減らすことは今後の事を考えると非常にマズイらしい。
しかも、実習を必要としている生徒は早い段階で申し込んでいるのでこの時期に替わりの生徒を用意することはかなり難しい。
それでも何とか殆どの枠を埋めることが出来たがどうしても一枠だけ埋まらなかったんだと。
「いや、事情はわかりましたけど、なんで俺なんですか?」
「他の学部だと単位の関係である程度余裕のある生徒しか出来ないんだよ。その点柏木君なら単位には結構余裕があるみたいだし、数学も問題無さそうだよね」
「そうは言っても俺だって色々忙しいんで無理っすよ」
俺にとってデメリットしかないじゃん。
学校の教師やるつもりは欠片も無いし。
「……前期の試験、結構酷かったよねぇ」
「う゛」
「柏木君それまで成績良かったから僕も期待してたんだけどねぇ」
痛いところ突いてきやがった。
「もちろん? 課題はちゃんと提出されてたけどさぁ。あの成績じゃあ評価は下がっちゃうかなぁ?」
「…………」
「流石にタダとは言わないよ? 僕の所と、あと経済理論の墨田教授の所、それと第一外国語の教授には許可貰ってるから、実習期間中のコマは出席扱いしてあげられるよ? それに僕と墨田教授は後期の評価を一段階上げてあげようと思ってるんだけどねぇ」
大人って、汚い。
そんなわけで教授の飴と鞭に屈服した俺は教育実習を承諾した。
よりによって自分が通学した中学に実習に行く事になるとはね。
しかも亜由美が現役で通ってるし。
唯一の慰めは同じ実習生の中に教育学部の茜が居ることか。
取り敢えず壇上で無難に挨拶をこなし、全校生徒の朝礼が終わる。
「随分落ち着いてるんだね。緊張とかしてないの?」
俺の隣にいた別の実習生が小声で聞いてくる。
「あ~、緊張しててもあんまり表には出ないみたいなんだよね、俺」
慣れてるっていうのも変なので適当に誤魔化す。
万単位の兵士達の前で話したこともあるし、日本の中学生が数百人程度じゃ大して緊張もしてないな。
生徒が出て行ってから教員や実習生も職員室に移動する。
自己紹介なんかは先週の事前説明で終えているので今日はそれぞれの担当教員について実習がスタートする。
実習生は6人。
俺と茜、あともう一人が同じ大学で他は別の大学だ。
茜と一緒なのは正直心強い。茜も実習は初めてなのは同じだけど教職課程の講義を執ってるから完全な門外漢の俺よりは学校教育に関して詳しい。
それにやっぱり
あ、目が合って少し笑った。うん。恥ずかしいがちょっと嬉しい。
「今日から宜しく頼む。2年3組の担任で数学の教科担当をしている松山茂造だ!」
「あ、はい。柏木 裕哉です。改めてよろしくお願いします」
意味もなくでかい声で俺の指導担当が自己紹介をしてくれる。
とても数学担当とは思えないほど日に焼けて爽やかな笑顔と蛍光塗料でも塗ってるのかと思うほどに輝く白い歯。例えるなら松○しげると松○修造を足して2で割らない感じ。名前も混じってる感じだし。一言で言って、ぶっちゃけ暑苦しい。
しかも数学担当なのに何でジャージなんだよ。それも学校指定じゃない自前のジャージだよ?
とはいっても、取り敢えず悪い人間では無さそうなのでその部分だけはホッとする。
あと、この学校では実習生の志望教科と同じ教科担当が指導してくれるらしい。
大学で聞いた話では学校によっては志望教科と指導担当は同じにならないことが多いって言ってたからその点では良いのかな。
他の実習生達も各々の指導担当と挨拶が終わったようだ。
茜の担当は二〇代半ば位の女の先生みたいだ。結構胸が大きい。って、茜に睨まれた。
俺達が卒業してから5年経っているが約半数程の先生は今でも残っていた。
他の半数が異動や配属で新たに来た先生達なのだろう。
因みに校長先生は知らない人だったが、50歳位の女性である教頭先生は俺達の居たときから同じ人だ。厳しそうな雰囲気だが生徒には優しかったことを覚えている。
俺達実習生に対して教頭先生から注意事項を改めて伝えられて、各担当する教室に移動することになった。
でもなぁ~。2年3組かぁ・・・亜由美のクラスじゃん。
やり辛ぇ~。
2年3組の教室に到着する。
松山先生が扉を開けて中に入る。
俺も転校生じゃないのでそのまま続いて教室に入った。
「よ~し、皆席に着け~」
散らばって雑談していた生徒達が着席する。
この雰囲気は変わらんな。
あ、亜由美と目があった。手を振ってやがる。
「全校集会でも話があったように今日から3週間、教育実習の先生が私達と一緒に皆の指導に当たる。多少戸惑うことがあるかもしれないが落ち着いて接するように。っと、今日は1限目が数学だからまずは教生の柏木先生から自己紹介。その後は質問タイムだ。少しぐらい授業時間に食い込んでも構わんぞぉ~」
松山先生が軽い感じで話す。
生徒達も笑いながらやいのやいのと応じている。
どうやら見た目通りの爽やかな気さくな先生として受け止められているようだ。
「え~、今日から3週間という短い間ではありますが、教育実習生としてこの学校で皆さんと過ごすことになりました『柏木 裕哉』と云います。私自身この学校の卒業生でもあります。まだ学生でもありますし、それほど歳が離れているわけでもありませんから気楽に接してください」
無難な自己紹介を終えると同時に1限目始業のチャイムが鳴る。
本来ならこれで授業開始なのだが今日はこれから質問タイムと言うことらしい。
「どんどん質問していいぞ~。君らの先輩で、現役の大学生だ。気になることやアドバイスなんかの聞きたいことを何でも聞いとけ。多少困らせるくらいでいいぞ~」
良くないです。煽るのは止めてください。
「ハイ!」
前列の女の子が手を挙げる。
俺は席次表を見ながら顔と名前を覚えるように気を付けて指名する。
「はい、えっと、長野さん」
「先生はうちのクラスの柏木さんのお兄さんなんですか?」
そっから来ましたか。
ま、亜由美から今度くる実習生に兄がいることくらい聞いてるだろうから、その質問も想定内。
「そうですよ。このクラスの柏木 亜由美さんとは兄妹です。だからといって学校では区別するつもりはありません。いや、逆に容赦なく日頃の恨みを晴らそうと思ってますから安心してください」
俺の答えに女子達は軽く笑い、亜由美は頬を膨らませた。
「先生は恋人いるんですか?」
今度は挙手せずに直接質問が飛んでくる。
でもこの手の質問って必ずあるよな。
「えっと、いてもいなくてもその質問には答えないように言われているので内緒です」
ちょっとブーイング。
しょうがないじゃん。ホントにそう言われたんだよ。
それからも定番の質問や大学生活、受験のコツやサークルなんかの質問に答えていく。
「ハイ」
ある程度質問が出尽くしたかなと考えていると、一人の男子生徒が挙手をした。
「はい、山崎君」
「えっとぉ、数学なんて社会に出たら使う機会ないですよねぇ、なんで勉強しなきゃいけないんですかぁ?」
ニヤニヤ笑いながら質問してきたところを見ると実習生を困らせてやろうって意図なのが判る。
ただ、これは想定内の質問なんだよな。
ってか、多分誰でも一度は考えたことがある疑問。なので俺なりに答は持っている。
「その疑問は僕も君らくらいの時に考えたことがある。その疑問に答える前に、僕からも君たちに問題を出そう。人類の発明の中で最も重要な3つの発明は判るかい?」
俺の問題に質問した山崎君だけでなく他の生徒も戸惑ったような顔をする。
「思いつくまま言ってみても良いよ。それじゃ、柏木さん」
俺は敢えて亜由美を指名する。
「……ラノベ「はい違います!」と……」
睨んできたが無視だ。
おバカかアイツは。
「えっと、火とか電気とかですか?」
隣の女子生徒が自信なさげに答えた。
「その二つは元々自然界でもある物理現象だから発明と言うよりも発見と言った方が正しいだろうね。もちろんそれを自由に使えるようにしたのは大切な発明だけど、今回の答とはちょっと違います」
見渡してみても答えられる生徒はいないようだ。
実際、発明は沢山あるけど『最も重要な』って言われても困るよな。
「それじゃ答を言うよ。異論のある人もいるだろうけど僕の考える3つの重要な発明とは、『文字』『貨幣』『ゼロの概念』です。
『文字』は知識の積み上げ、継承、拡散を可能にした。
『貨幣』は様々な物やサービスに対して"価値"というものを生み出した。これは石であろうが紙であろうが金属や物々交換であろうが意味としては同じ。
そして、『ゼロの概念』これが数学の原点となります。元々自然数には
いま身の回りにある人工物はそれを作るために必ず複雑な数式を用いて作られている。設計はもちろん、素材を作るときにもどの材料を何とどういった組み合わせで混ぜ合わせるとどうなるのかを数式を用いて計算し作られているし金融や株式なんかは計算式だらけだ。
文明の発展に数学は切っても切り離せない役割を持っている。
今の社会に数式や方程式は欠かすことが出来ないんだ。
なのに数学を忌避していたら自分達の将来を狭めてしまうことになってしまう。
もちろん数学が判らなくても問題ない仕事も沢山ある。特に小売業の販売員や工場の作業員何かが分かり易いだろう。でも君たちは中学生だ。これから将来どんな職業に就くか可能性は無限にある。そして職業は鉱工業であれ建設業であれ、金融業、医療、学問、様々な職種のほとんど全てに数学が関わっている。一定以上の収入を得ようとするなら間違いなく数字と深く関わっていくだろう。一見数学と無関係に思えても実際には試験問題のような形でないだけでほとんどの人は中学校の数学程度の計算は普通にこなしているんだ」
「でも、計算なんて今はパソコンでやってしまいますよね」
「確かにコンピューターは常に正確な答えを出してくれる。でもそれは人が入力した数式に対する答であって、必ずしも『正しい答え』では無い。あくまでその式を入力するのは人間だし、その人間に答を出す力がなければコンピューターが出した答が正しいかどうかすらわからない。
それに方程式を解く頭の使い方と仕事を処理する頭の使い方はとてもよく似ているんだ。
数学を真剣にやることは君たちの将来に必ずプラスになる。
それに、数学は学問としてはとても"楽"なんだよ。
数式を正しい計算方法で計算すれば誰がやっても必ず同じ答になる。こんな学問は他には無いんだ。そして、計算の速い遅いに個人差は出ても答えに個人差はでない。誰でも必ず問題を解くことが出来るんだ。
僕は数学を好きになって欲しいとまでは言わない。でも君たちの将来を豊かにするために少しだけ数学を真剣にやってみて欲しい」
俺がそこまで言って生徒達を見渡すと多くの納得したような顔と少しの理解しきれていない顔が見て取れた。因みに亜由美はまだ頬を膨らませていた。アイツは後で説教だな。
担当教師の松山先生の方を見る。
目があった松山先生は無言且つ真剣な顔で俺の方に歩いてきた。
……何かマズったか?
俺の目の前まで来ると松山先生はいきなり俺の手を両手で握りしめた。
「素晴らしい!!」
「……は?」
いきなり何だ?
しかも両目から物凄い勢いで涙が溢れてるんですけど?
「そう! そうなんだよ!! 数学というのは本当に偉大なんだ! 先生が言ったとおり数学は
……感動しているらしい……
いや、それは良いんだけど、この先生、その、うぜぇ。激烈にうぜぇ。
情熱的すぎんだろ?
それとちょいちょい台詞に松○しげるの代表曲の歌詞混ぜるの止めて欲しい。著作権とか色々怖いわ。
どうしたら良いものかと生徒達を見回すと、皆ヤレヤレって顔で見てる。
この反応を見るにどうやらいつもの事のようだ。
とにかく何とか松山先生を宥めて授業を再開させる。
男に手を握られても非常に困る。情熱的すぎて汗ばんでるし。手洗いたいよ。
因みに松山先生の授業は丁寧で分かり易かった。何か物凄い気合い入ってるみたいだけど。
良い先生なんだろう。多分。きっと。
1限目終了のチャイムが鳴り、ようやくこの何とも言えない雰囲気から解放される。
実習初日の今日は、取り敢えず担当クラスの授業を一日見学する事になっている。
なので名残惜しそうにこちらを見ている松山先生は無視する。
何故だか少し恨めしそうに俺を見た後先生は次の授業のために教室を出て行った。
疲れた。なんだかすごく疲れた。
クラスの生徒達はまだ距離感を掴めないのか興味深そうな視線を向けてくるものの近寄っては来ない。
これは俺から話しかける方が良さそうだ。
そう思って先ず男子生徒の方に歩き出そうとしたとき、一人の女生徒が俺の目の前にやってきた。
そして、
「あ、あの、私のこと憶えていますか?」
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