第41話 勇者の再訪問Ⅷ

Side レイリア

 

 

 『ばいく』に乗って主殿が駆けていくのを見送ったが我とティアが相手をする帝国軍の軽装騎兵がこちらに来るまでにはまだ暫しの時間がある。

 主殿も無理をしなければよいのだが、あの性格では言っても聞かぬであろうな。

「さて、もう少し待たねば我らの出番は来ぬが、ティアの準備は良いのか?」

「はい。と言っても準備とか特にありませんから、いつ開始しても大丈夫です」

 落ち着いた口調で答えたティアであるが、ふむ、少し興奮しておるか。尾が大きく左右に揺れておる。

 獣人族は感情が表に出やすいのぅ。主殿はそれがとても気に入っておるようじゃが。

 

「ティアよ。まだ始まっておらぬのじゃ。少しは落ち着け」

 我が苦笑いしながら言うと、ティアは少し恥ずかしそうに頬を染めながら呼吸を整える。

「すみません。ようやく帝国に一矢報いる事ができるかと思って少し気が急いていたみたいです」

 ふむ。そう言えばティアは両親が奴隷狩りに殺され自身も奴隷にされそうになったのであったな。そして奴隷狩りは帝国が国ぐるみで行っていたと聞く。ならばそれもやむを得ぬか。

 尤もティアの表情を見るにそれだけではなく主殿の役に立てるという事の方が気合いが入った主因のように思えるがの。

 

 そうこうしている内に帝国の騎兵が大分接近してきたようだ。そろそろかの。

「ティア。そろそろ始めるぞ」

「はい!」

 その返事を聞きながら我は身体を龍形態に戻す。

 突然眼前に現れた黒龍を見て騎兵が慌てて馬を停止させる。

 その隙にティアが我の背中を登り首元に身体を固定させるのを確認すると我は大きく口を開いてブレスを放った。

 

 騎兵は慌てて待避しようとするが逃れられるはずもなく眼前にいた数十騎がまとめて消し飛ぶ。

 その結果を確認することもなく我は翼を広げてゆっくりと身体を飛翔させる。

 鳥とは違い翼で風を切る必要は無い故突風が起こることは無いが、我の姿に騎士達が混乱して逃げ惑う。

 どうやらここにいる騎士達の数は1万ほどであろうか。混乱しつつも指揮官が統率しているのか隊列を大きく崩すことなくいくつかの集団に別れ、こちらを牽制する者、目的を果たすべく王国軍へ進撃する者、大きく迂回するように回り込む者がいる。

 流石は訓練された兵と言うべきであろうな。

 

 ティアが全体の動きを見て先に王国軍の方に行こうとしている集団の先頭にいる、兜に何やら赤い布が付いた騎兵を指し示す。

「レイリアさん。まずはあの集団を潰しましょう」

「うむ」

 王国軍の陣まではまだ十分に距離があるので慌てる必要は無い。

 我が進路をその集団に向けると、我を牽制していた騎兵から矢だの魔法だのが飛んでくるが無視する。幾らかは直撃するも綿玉がぶつかる程度にしか感じぬしな。

 目標の集団の上空に到着すると一気に降下して尾を横に薙ぎ払う。

 赤布の騎士を中心に10騎程が宙を舞う。

 生死は判らぬが、まぁ、騎士達を王国軍に近づけたり後ろに回らさなければ良いのだから問題なかろう。

 上空に舞い上がったときに主殿の居る方を見てみるが、主殿が通った後は見事に帝国軍が混乱していく様が見て取れる。光やら煙やらが『ばいく』が通った所に生まれ騎兵の動きが止まっていく。

 そこに王国の騎兵が引っぱってきた橇に乗った歩兵が躍りかかる。

 昨日の作戦会議とやらの内容はあまり聞いておらなんだが、恐らく主殿の計略通りなのだろう。

 とはいえ、やはり我が帝国軍のど真ん中でブレスを吐きまくった方が早いと思うんじゃがなぁ。

 

 そんなことを考えている間にもティアからの指示に従って降下しての薙ぎ払いやブレスで騎兵を蹂躙していく。

 しばらくそれを繰り返してくと、見ればいつの間にやら騎兵は一カ所に集められ王国軍とは見当違いの方向に誘導されていた。

 ティアがこうなるように我を使って騎兵の進路をコントロールしていたらしい。

「上手くいきました♪ レイリアさん。最後に特大のブレスで一気に殲滅してしまいましょう!」

「う、うむ。しかし……おぬし容赦ないのぅ」

 どうやら一人も逃がす気はないらしい。

 我の首元でティアから黒い何かが湧きだしているように感じて肌が粟立つ……事は龍だから有り得ないが、今はティアに逆らってはいけない気がする。

 種族的に龍族が絶対優位の筈なのにティアが我に首元に居るのが不安になるほどの威圧感を感じつつ、指示通りブレスを放ち騎兵の殲滅を完了させる。

 最早この場で馬に乗っている者は見あたらない。地面を這いずっているのは多少残っているが、それは放って置いて大過なかろう。

 

「あ!レイリアさん!ユーヤ様が帝国の将軍を討ち取ったみたいですよ!!」

「……よく見えるのぅ、おぬし・・・」

 ティアの指さす方向を見ても豆粒ほどの大きさの人がひしめき合っているだけで全く判別つかない。いくら獣人族が目が良いとは言っても、我ほどでは無いはずなのじゃが、ティアには何か特別な能力でもあるのだろうか。

 疑問を感じながら苦戦している箇所があれば救援すべく上空を舞っていると帝国軍の奥側から太鼓や銅鑼の音が聞こえてきた。

 その音が伝わるや、帝国軍が一目散に西に向けて走り出す。

 撤退というよりも最早逃走に近く、隊列も何も無く必死に走って逃げる。時折帝国の騎兵と思われるものが同じく逃走している歩兵に追いつき踏みつぶしながら追い抜いていった。

 秩序も何もあったものでは無いな。実に見苦しい光景だ。

 

「終わったみたいですね」

「そのようじゃな。じゃが、ティアよ、そんなに残念そうにせんでもよかろう?」

 ティアの口調がまだまだやり(殺り?)足りなそうである。

「そ、そんなことないですよ? 大きな被害がなさそうで安心してますよ? 本当ですよ?」

「くくくっ、まぁ良い。さて、主殿の元へ戻るとしよう。主殿に褒めて貰わねばな」

「!! そうですよね!! レイリアさん! 早く戻りましょう!!」

 我は可笑しくなりながらも王国軍の、主殿の所へ進路を取った。

 

 

 

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Side レオン

 

 

 私の眼前には整然と並んだ軍勢が開戦を待ち構えている。

 私の位置からは帝国軍の状況を見ることは出来ないが、物見から常に状況は伝えられてくる。

 こちらの狙い通り我々が陣形を整え始めたのを見た帝国軍は慌てて軍を集結させ陣形を組み出す。

 帝国軍の陣形も事前の予想通りで問題は無い。

 後は開戦のタイミングだが、ある程度帝国軍が集結し、陣形が完全に整う前が望ましい。

 要はこちらの意図を読ませない為にも冷静になる時間を出来るだけ与えないことが重要となる。

 

 彼我の戦力差は明らかだ。

 それはユーヤが戦列に加わっても変わらない。無論戦力としてはこの上なく頼りにはなるが一人の人間に出来ることには限界がある。普通にやったのではユーヤ自身は簡単に倒されることはないだろうが味方が全滅してユーヤだけが残ることにもなりかねない。

 勿論、黒龍たるレイリア殿が主体となれば帝国軍に打ち勝つことも容易いだろう。

 しかしレイリア殿には特別王国に肩入れする理由は無いし、今回もユーヤが参戦するからこそ助力をしてくれるのであろう事は明白だ。

 それにそうでなくてもレイリア殿が主力ではこの戦いが終わった後に問題が残る。無論国と民衆の存亡を考えれば是非もないが、可能であるならば我々とその協力国の力で戦いに勝つ必要があるのだ。毎回の助力を期待できない以上頼り切っては今回を凌いでも直ぐに帝国は陣容を整えて再度侵攻してくるだろう。

 本来ユーヤとて王国の兵では無いのだから以降も期待できるものでは無いのだが、少なくともユーヤが王国に対して友好的であり、王国の危機に駆けつけたという事実があれば外部に対する抑止力には十分に効果がある。要は帝国を始めとする周辺国からどう見えるかということなのだ。

 

 加えてユーヤの参戦により兵達の悲壮感が抜け活力が出たのも大きい。

 何しろかの者は勇者として圧倒的な劣勢にあった人族諸国の軍を率いて魔王軍を打ち倒し、邪神すらも倒したのだ。

 『勇者が同じ陣営にいる』それはあの戦いを見聞きしたこの世界の者にとって何よりも勇気づけられる事なのだ。

 更に、この戦いに奴からの献策とそれを実現するために異世界から持ってきた道具の数々。

 私よりも長く戦場に身を置き経験も豊富な我が国のレギンと皇国のビスタス両将軍もユーヤの戦術の有効性を認め薦めてきた。

 そして夜通し準備を行って終わったのは空も白み始めた頃だ。兵達には随分無理をさせたが何とか舞台は整えることが出来、作業に従事した兵にも少しの仮眠を取らせることも出来た。

 

 

 ドン!ドンッ!

 レギンの合図で太鼓が打ち鳴らされると我が軍の重装騎兵が100メートルだけ前に出て止まる。

 全軍の緊張が高まり、私も知らず知らずの内に拳を握りしめていた。

「レオン殿下、今から緊張していては持ちませんよ。心配しなくてもアイツが請け負った以上負けはありません。殿下は戦後処理でも考えて置いた方が良いと思いますよ」

 私の補佐をするために側にいた皇国のウィスパー・ランス卿が苦笑いをしながら私に声を掛けてきた。

「私も負けると思っているわけではないがな。それにしても、流石にユーヤと長く一緒に居ただけあって随分と信頼しているのだな卿は」

 意識して肩の力を抜きながらランス卿に応じる。確かに今から緊張していては最後まで持たないかもしれないしな。

「信頼、というか、こういった政治が絡まない純粋な戦術で、アイツが準備が整ったと判断したならそう簡単に覆りませんよ。殿下にも直ぐに判りますよ。アイツの性格の悪さが」

「? 性格の悪さ? ユーヤは滅多にいないほどのお人好しだと思っていたが、2面性があるのか?」

「お人好しなのは否定しませんが、まぁ、見てれば判りますよ」

 苦く笑うランス卿にどう反応したらよいのか判らず、その隣にいたブルーノ・レッグ副騎士団長に視線を向ける。

 レッグは笑いを堪えるかのような表情をしながらもランス卿の言葉を肯定するかのように頷く。

 

「勇者殿が帝国軍の中央に間もなく到達します!!」

 物見からの伝令が声を張り上げた。

「一陣、二陣突撃!!」

 先頭で指揮を執るレギン将軍が声を張り上げる。

 一陣となる重装騎兵が駆け出す。重装騎兵の最後列は木で作られた横長の橇に5人の歩兵が乗り込んでおり、その橇が凡そ400程、計2000人の歩兵が重装騎兵と共に先陣を切る。

 次いで二陣となる歩兵が短槍を手に走り出した。通常持っている丸盾は持っていない。

 

 自軍の姿で帝国軍の状況は見ることが出来ないが帝国軍の方角で白い煙が立ちこめ時折赤や青い光が飛んでいるのが見える。

 ここまでは聞こえてこないが大きな炸裂音もしていることだろう。

 作戦会議の折、ユーヤから見せられた『ハナビ』なる品物。試してみたところその音と火花は重装騎馬を動揺させ足を止めさせるのに十分な効果があることが判った。

 そこに我が軍の騎兵と歩兵をぶつける。それが今回の作戦の主戦場となる部分だ。そして歩兵は足が止まっていない騎兵は相手をしない。被害を被らないよう避けるのを容易にするために盾は持たずに足の止まった騎兵だけを攻撃する。

 

 当然、本来の目的である此方に向かってくる重装騎兵が出てくる。

「帝国軍騎兵が第一地点に掛かります!」

 歩兵が進軍したことにより見渡せるようになった平原には幾本もの直径30センチ前後、高さ3メートル程の杭が立っている。

 先程の橇とこの杭を作るのにユーヤの持ってきた『ちぇーんそー』とやらがとても有効だった。4台あったソレは、本来なら加工に相当な労力のいる乾燥していない生木をあっという間に切り倒し、切断し、加工した。

 用意されていた斧や鋸だけではとても間に合わなかっただろう。

 

 それぞれの杭の間隔は10メートル程度。

 地面には1メートルほどが埋められており簡単に倒れたり抜けたりはしない。

 帝国軍の重装騎兵がその杭の脇を通り抜けようとした瞬間、乗っていた騎士だけが何かに吹き飛ばされたかのように落馬する。

 同様に走り抜けようとした騎兵が次々と後方に吹き飛んで落馬していくのを見て後続が足を弛める。

 騎兵が落馬した理由は杭の間に張られた鉄製のロープ。ユーヤから提供された『ワイヤー』とかいう直径5ミリ程の恐ろしく頑丈な紐が杭と杭の間、高さ2メートルの位置に張られており、速度に乗った騎士はそれに気がつくこと無く激突、落馬した。

 

 ただ、全ての杭と杭の間に『ワイヤー』が張られている訳では無いし、馬の背に張り付くように身を屈めれば通り抜けられないでもない。

 それに気がついた帝国軍が杭の手前で速度を落とし、『ワイヤー』が掛かっていない事を確認した場所を一気に駆け抜けようとして、再び後方に吹き飛ばされる。

 そこにもワイヤーが掛かっていたのだが、先程までとは異なり『ワイヤー』が黒く塗られており僅かに見づらくなっていた。無論注意すれば先程と同様見ることも出来たのだろうが、色が異なるために『何も無い』と錯誤して突っ込んだのだ。実に巧妙と言える。

 

 それでも幾度も見ればその位置も知れるし慣れる。

 騎兵は時に速度を落とし、時に身を屈めながら走り抜けてくる。

 数十騎がワイヤー地点を通過して集合し、再度速度を上げて突入してきた。

 

「帝国軍の先頭が第二地点に到達します!」

 物見の兵の声が響く。

 

 第二地点にも数は少ないものの杭は立てられているがワイヤーは掛けていない。

 ユーヤの持ち込んだものは全て第一地点で使ってしまった為だ。

 だが無防備なわけでは勿論無い。

 

 突然走っていた騎馬がつんのめるように転倒する。

 全てではない。が、それからも幾頭も転倒していく。

 転倒した馬は直ぐに立ち上がるものもいれば倒れたまま藻掻いて立ち上がれないのもいる。

 第一地点を通り抜けた騎馬が次々と押し寄せるが、その内の何割かが場所は様々ながら突然転倒する事態に帝国軍は騎馬の足下、平原の地面に注意を向けざるを得なかった。

 理由は単純なものだ。

 第二地点には直径深さ共に50センチほどの穴を幾つも掘ってある。

 古来から多用されてきた『落とし穴』だ。単純な手だが時と場所を選べば実に効果的な手段となる。しかも大きさが絶妙で草の茂る平原で騎馬の上からでは視認しづらく、自軍の歩兵からは視認できる大きさ。しかも騎馬で無ければ怪我もしない深さだ。

 これでは騎馬に乗って疾走することなどとても出来ないだろう。

 つい先程まで上部に注意を払い、今度は足下。しかもまだ杭があることからワイヤーにも注意を払わなければならない。

 加えて、第一地点、第二地点に共通して既に転倒・落馬した騎士や馬が障害物となり騎兵の進行を妨げている。

 

「見事なものだな。これほどユーヤの策が嵌るとはな。しかし……」

 確かに効果的だ。こちらは帝国軍の騎兵に対し先発した一、二陣を除いて一兵も動いていないにも関わらず、我が軍の先陣をすり抜けた帝国の重装騎兵がどんどん削られて行く。

 右側からの帝国軍左翼部隊の突撃が来ないことから冒険者と魔術師の混成部隊が上手く足止めできている事も判る。

 先陣の戦況は判らないが、現在の状況を見れば帝国の重装騎兵の大部分は完全に足を止められていることは間違いないだろう。

 味方の犠牲を最小限に、敵の被害は最大限に。

 戦術としては理想に近い。が、しかし。

 

「贅沢を言える状況でないのは判っているのだが」

「勇者らしくない。でしょう?」

 ランス卿が私の心境を正しく表現してくれた。

 そうなのだ。

 私も幼い頃多くの者と同様、様々な英雄譚をワクワクしながら読んだものだ。

 様々な困難や強敵に正面から立ち向かい、民衆を鼓舞し先頭に立って戦い、勝利する。

 そんな英雄像を誰しも思い浮かべるだろう。

 当然勇者であるユーヤもそうであると思っていた。事実私も陣頭に立った魔王軍、邪神の軍勢との戦いでユーヤは先頭に立って獅子奮迅の働きを見せていたはずだ。

 私の持っていたそんな勇者の戦いのイメージからは少しずれた今回の戦い方。

 確かにユーヤは全軍の先陣、最も危険な位置に身を置き、策を考え、戦術を練り、準備も率先して行った。国の危機に颯爽と駆けつけ敵を圧倒する。

 何一つ間違っていないし、言葉にすれば正に理想の英雄そのものだろう。

 

 しかし、内容をつぶさに見ると実に、何というか、

「実力を出させることなく、常にこちらに有利な状況を作り、先手を取って罠に嵌める。姑息とは言いませんが実にいやらしい作戦です。本当に性格が悪い」

 そう言う意味か。

「魔王との戦いでも相手に言葉を掛けて注意を引きつつ魔法の準備をして、煽って相手の平静を失わせてから発動。魔王が魔法や体術どころでなくなってから遠距離から全員で魔法や投擲で滅多打ち、でしたからね。アイツは正面からやるしかない時以外は安全に、確実に搦め手を使ってでも勝ちにいきますよ。一度アイツの土俵に乗ったら終わりです。まぁ、本来戦いの本質ってのはそう言うものなのでしょうが」

 実際ユーヤは別に卑怯な手段を用いている訳では無い。同じ策を軍の参謀が行ったのなら諸手を挙げて賞賛されるだろう。

 しかし、どうも、なぁ……

 微妙にモヤモヤする。

 いや、別に文句を言いたい訳ではないのだが、な。

 

 

「帝国軍が隊列を整えています! こちらまであと300メートル!!」

 考えを中断して前方を注視する。

 今私達の前には何も無い。

 兵も配置していない。

 左右は拒馬槍を放射状に配置し、中心をポッカリと空けている。歩兵や弓兵はその拒馬槍の後ろ側に待機している。

 不自然に空いた空間が我々と帝国軍重装騎兵の間に広がっている。

「ランス卿。準備は?」

「万全ですのでご安心下さい殿下」

 私達の両横には魔法兵が配置されている。先程、というか開戦直後から魔法兵により我々の前方に風が送られている。ほんのそよ風程度の弱いもの。

 

 不自然に開けていることで警戒しているであろう帝国騎兵は一塊になると意を決したようにこちらへ騎馬を進めてくる。

 策を警戒しているのだろう、何かあっても対処が出来るよう速度は早足程度。十分接近したら一気に速度を上げるつもりなのだろう例え一騎でも突入が叶えば後は物量でごり押しが出来る、が、残念ながらそれもこちらの策の内だ。

 鎧に身を固めランスを構えた騎兵達が徐々に速度を上げながら我々の手前50メートルの位置まで来た途端、そこにいた全ての騎馬と騎士が崩れ落ちた。人も馬も痙攣し口から泡を吹きながら暫し藻掻いた後に動かなくなる。

 帝国兵は次々に突入してくるが例外なく崩れ落ち、後続が異変に気づいたときには倒れた騎士と騎馬が障害となり最早突撃は不可能となっていた。

 

 ここにきて突入が失敗に終わったことを悟った帝国軍が右側(帝国軍にとっては左側)に転進する。

 最早これ以上突入を試みても無理なのを理解した途端に直ぐに次の行動に移れるのは練度が高い証拠だ。腹立たしいが流石だと言える。

「今だ! 騎兵隊突入せよ!!」

 レッグの声で右側に配置してあった拒馬槍の一部が歩兵によってずらされその空いた場所から我が軍の軽装騎兵が駆け出す。

 軽装騎兵は撤退する帝国の重装騎兵の後背を長槍で削って行く。決して無理はしない。全滅させる必要は無いからだ。攻撃も騎馬の後ろ足を狙い、必要以上には接近させない。

 前線の状況はまだ判らないがこれで帝国軍の侵攻を阻止できたことは間違いないだろう。

 仮に他の部隊が健在であったとしても確実に当分は足止めはできるはずだ。

 

「それにしても、凄まじいなこれは」

 私は目の前の光景を見て呟く。

 眼前には多くの騎兵と騎馬が横たわっており、既に全ての者が死んでいると思われる。

 魔法兵達は先程までより強い風を魔法で送っており、聞けばもう問題ない状態になっているらしい。

 ランス卿は『毒ではない』と言っていたが、仮に毒だとすればとてつもない猛毒であろう。騎士達がこの空間に入って僅か数秒で死ぬなど、普通の毒では考えられない。

「ランス卿。軍議では毒では無いと言っていたが、一体これは何なのだ? 勿論魔法で毒を作り出すことが出来ないのは私も知っているが」

 私の問いにランス卿は少し困ったように答える。

「私もユーヤから教わったので全てを知っているわけでは無いのですが。殿下は人が息をするのに何が必要かご存じですか?」

「ん? 空気、ではないのか?」

「勿論それは間違いではないのですが、正確には空気の中に人が必要としている成分が一定の濃度あるそうです。そしてそれは物が燃えるために必要なものと同じらしいのですが、その成分の濃度は濃くても薄くても駄目なのだとか。今回はその成分を取り除いた風を上方と両側を魔法で遮断した空間に流し込んで、その空間内の成分を極端に低下させたのです」

 ランス卿の説明に何となく理解できたような気がした私は頷きつつ更に疑問を重ねる。

「しかし、あの程度の時間であれば普通に息を止めていても問題なかろう? ましてや普通よりも鍛えている騎士達だ」

「人は息を止めて数分は動き続ける事が出来ます。しかし必要な成分が極端に薄くなった空気を吸うと一呼吸か二呼吸で意識を失ってしまうのです。これは人だけではなく動物や魔物も呼吸するものならば全てがそうらしいです。そして色も匂いも無く、肌の感覚でも察知することが出来ないのでその瞬間まで相手は何が起こっているのか判りません。事前に準備が必要なので何時でも使える手ではありませんが風で結界を作ってからこの方法がとれれば相当有効ですね。ただ、詳しい理屈は残念ながらはアイツの説明を全て理解したわけではないので、そう言うものだと思っていただけると助かります。それと一般に広めるのも問題があるでしょうね」

「そうか」

 私はそう答えて納得することにする。

 確かに効果を考えれば広めるわけにはいかないだろう。下手をすれば一切の証拠を残さずに人を殺せるのだからな。

 細かい理屈は後でユーヤに説明させても良いがランス卿が理解できないのに私が理解できるとも思えない。今回魔法兵には箝口令を出してこの魔法は秘匿するべきかもしれないな。

 王都に戻ったら陛下に相談してみよう。

 

 

 さて、そろそろ前線でも何らかの結果が出る頃だろう。

 そう考えていると後方からユーヤが近づいてきた。

 ここにいるということは予定通り首尾良くできたということだろうな。

 ならば次の事を考えなければならない。

 この戦いに勝ったとして、その後はどうするべきか。

 それにはまず被害状況を確認してからか。それが判らなければ決めようもない。

 

 程なくして前方から太鼓と銅鑼の音が微かに聞こえ、直後帝国軍が撤退していくのが遠目に見えた。

 兎に角、戦いは終わった。今はこの勝利を喜ぼう。

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