第12話 Side Story レイリアの喜悦 前編

 我は誰かが我を呼ぶ声を聞いたような気がして微睡みからゆらりと覚醒する。

 無論このような場所に誰かが訪れるようなことは滅多になく、今もまた人も人ならざるものも周囲に気配はない。

 このところ我はこうやって何をするでなく微睡んでいることが多い。

 ほんの2年ほど前までは毎日続いていた緩やかな時の流れ。それが元に戻っただけだというのに、我にはそれがひどく退屈なものに思えて陰鬱な気分になる。

 日々を持て余し、ただ微睡みの中で鬱屈した心を宥めている。

 

 ウィルテリアス大陸の北にある山岳地帯の更に奥にある山の洞穴、ここに我の塒がある。

 山岳地帯とその裾野に広がる樹海には高位の魔獣が多く生息し人の手も入っていない。

 冬になれば雪に閉ざされ、雪が溶ければ魔獣が闊歩する人外の地。

 故に余程の事情があり且つ相当腕に覚えのある者でなければたどり着くことすら出来ない。

 まして、たどり着いた先にいるのは上位龍種の中でも最強の一角とされる『黒龍』。

 好きこのんでこのような地にくる阿呆もそうはおるまい。

 現に我がこの地に来てから5百有余年、来た人間など両手の指に足るほどしかおらぬ。

 

 2年ほど前にここを出て戻ってきたのはほんの2月前。

 数千年を生きる事の出来る黒龍の我からすれば一夜の夢のごとくわずかな期間のこと。

 戻ったこの地は何も変わらず我を受け入れている。

 ただ繰り返すだけの穏やかな時間。

 何の不満も無いはずのこの地がこんなにも味気なく感じるのは何故かと自分に問うてみる。

 脳裏に浮かぶのは我がこの地を離れることになった若者との出会い。

 

 

 いつものように洞穴で微睡む我のところへ姿を現したのは4人の人種。

 普人種が3人、獣人が1人。

 我は人を好まぬ。

 人は強欲で傲慢、不和を旨とし争いを好む。

 普人種、獣人、魔族の別なくそれらの気質は我ら龍種にとって不快以外の何ものでもない。

 とはいえ敢えて人の領域に踏み込み殺そうとは思わぬが、関わる気も無い。

 

 我は招かれざる者達に警告する。

 『立ち去れ』と。

 『去らねば殺す』と。

 人を殺す程の嫌悪は無い。

 しかし、我の平穏を乱すのならば躊躇うべき理由もない。

 我にとって、人も人の国家も路傍の石のごとく無価値で、何ら意味を成すものではない。

 

 4人の内の1人が前に出る。

 若い。我からすれば刹那とも思える時しか生きられぬ普人種としてもかなり若いであろう。

 むしろ少年といっても良い見目をしている。

 見たことのない漆黒の髪と瞳をした少年は語る。

 『力を貸してほしい』『魔王から国を、そしてその地に生きる人々を守りたい』

 我を見据え、臆することなく真っ直ぐな目で頼み込む。

 その目には強い意志が宿っているように見える。

 黒龍である我に対する怯えは無い。

 しかし我の応えは『否』だ。

 我にとっては普人種も魔族も等しく『人』であり、人同士の争いに関わる気など無い。

 

 にべもなく断る我に少年は『賭をしないか?』と言い出した。

 我に賭などと言い出した者など初めてであった。

 その様なことを言い出した少年に少し興味を覚える。

 思えば、繰り返す日々に少し飽きが来ていたのかもしれぬ。

 『実現が不可能な事とあまりに長期間掛かる事以外で俺に課題を出して欲しい。達成できたら俺の勝ち、出来なかったら貴方の勝ち。俺が負けたら俺のことを好きにすればいい。俺が勝ったら少しだけでいい。力を貸してほしい』

 

 我は呆れて思わず笑ってしまった。

 その条件では我に何の利もない。それに少年には不利に過ぎるであろう。

 我は尋ねる。

 『何故そこまでする?そなたの目的は何じゃ?』

 『俺は元の世界に帰りたいだけだ』

 少年はこの世界ではない別の世界からヴァリエニスに呼ばれ連れてこられたと言う。

 『元よりそなたには関係のない世界の争いであろう。捨て置けばよい。帰るだけならば他にも方法はあろう』

 そう言う我に、少年は苦笑いを浮かべながら、

 『勝手に呼び寄せやがった女神には言いたいことは山ほどあるけど、それでもこっちで知り合った奴らを見捨てて逃げたりしたら、笑って帰れないだろ?』

 そう言った少年は諦めたようなそれでいて確固たる意志をもった瞳を真っ直ぐに我に向ける。

 

 『よかろう』

 自分の口から出たその言葉に我自身ひどく驚いた。

 だが、少年の覚悟を見届けてみたいという欲求が俄に沸いてくる。

 我は課題を出すことにする。

 少年には達成できぬであろう困難極まる課題を。

 確かに我は人を好まぬ。しかし、このような真っ直ぐな目をした者は嫌いではない。

 『我に己の力を示せ。力で我を屈服させてみよ。それを成したなら我はそなたを主とし、力を貸そう』

 

 我の言葉に少年の仲間達は少年に止めるように諭す。

 当然であったろう。

 少年は確かにこの地に来るだけはあり、人としては十分な強さを持っているようだった。

 しかし黒龍である我には遠く及ばぬ。

 しかしそれでも尚少年は意志を変えなかった。

 『胸をお借りします』

 力の差を理解しているのか謙虚にそう言いながらも目には闘志が漲っている。

 

 我に繰り出される剣技が、魔法が人として非常に高い水準であるのがわかる。

 余程の研鑽を積んだのであろう。それこそ許される時間のほとんどをつぎ込んで磨いた技量。

 なるほどヴァリエニス女神に望みを託されるのも判る。しかもまだ成長の余地もありそうだった。

 しかし、それでも我を倒すには至らぬ。

 剣は我に届かず、魔法は我を傷つけるに能わず、ただ我の爪が尾が少年を叩きのめす。

 このように気持ちの良い少年を殺す気にはさすがになれぬ。ただ力の差を知り諦めるように促す。

 

 だが少年は幾度地に叩き伏せられても傷つき血を流しても立ち上がり向かってくることを止めようとはしない。

 どれほど力の差を示してもその目はただ我を真っ直ぐに見据え剣を魔法を振るう。

 相当なダメージを負っているであろうに、その動きには些かの衰えも見せず、寧ろ時を経る毎に剣は鋭く、魔法はより苛烈になっていく。

 そして数刻も経過し遂には我の首の鱗に傷を付けるに至った。

 その精神力と成長に驚く。

 そして同時にこの少年の行く先を見てみたいと思う。或いは少年がどこか危うげにも見えたからかもしれぬが。

 『よかろう。賭はそなたの勝ちだ。従属するわけではないが仮初めの主と認めよう』

 さて、この少年は我に何を見せてくれるのか。

 

 それからの日々はなんとも慌ただしくめまぐるしい出来事の連続であった。

 我は主殿とその仲間達と共に戦い、笑い、そして傷ついた。

 今ならば解る。

 我は楽しかったのだ。

 無論そのような時を経たとしても我の『人』そのものに対する評価は変わらぬ。

 だが、個としての『人』には様々な者がおり、時には心を通わせ得る『人』が居ることも知ることができた。

 まだ主殿と別れてよりさほども経たぬというのに、ひどく懐かしいような、或いは一夜の夢であったかのようななんとも言えぬ心地に気持ちが落ち着かずにいる。

 もしかすると我は『寂しい』のであろうか。

 共にいたときにはあれほど強く感じていた契約の繋がりも感じ取ることが難しいほどに細く弱くなっている。

 そのことが酷く悲しく感じられる気がするのは、一時的な気の迷いであろうか。

 

 我がそのように益体も無いことを微睡みながら考えていると、突如として覚えのある魔力が我を包み込んだ。

 やがて我を包んだ魔力が散ると先程まで鮮明に脳裏に浮かんでいた少年の少し困ったような顔が目に飛び込んでくる。

「よう、レイリア。急に呼び出してすまなかったな」

 少年、主殿の声。

 よもや再び聞くことができるとは思いもしなかった。

 

「主殿か?元の世界に帰ったのではなかったのか?まさか…」

 我の頭に嫌な、とても許容できない考えが浮かんだ。

 まさか、主殿を召喚した王国が元の世界に返すことを拒んだのではあるまいか。

 以前会った国王とやらは愚者には見えなかったが、欲に駆られ勇者としての主殿の力を我欲に使おうと画策したのか。

 もしそうであるならば決して許すわけにはいかぬ。

 我は主殿がどれほど故郷に帰りたいと願ったのか、そしてそのためにどれほど努力と苦しみを重ねてきたのかをつぶさに見てきた。

 それを踏みにじったのであれば、そのような愚物は心底より後悔させてやろう。

 我に出来る限りの残忍さをもって報いをくれてやろう。

 我がそのように考えていると、主殿は我の心配を払拭する言葉を継いだ。

 

「いや、ちゃんと帰れたよ。ココは俺のいた世界」

「なんと!ではここが主殿の言っていた『日本』という国か!!」

 我は驚きのあまり思わず叫んでしまった。

 こんなに驚くのは久しくなかったことだ。

「う~む、主殿の召喚魔法が界を渡ることができるとはさすがに思わなかったぞ」

 我はそう言いながらも違和感を禁じ得ない。本来召喚魔法に世界を超える力など無いはずだ。

 確かに召喚魔法は便利なものだが、召喚自体相当な魔力が必要で、界を超えることなど神の力が必要なはずだが。

 とはいえ、世界を渡ること自体が滅多にあることでは無い故、我自身確証があるわけではないが。

 もしかしたら主殿の力が通常とは異質なのかもしれない。

 

「主殿との再会は喜ぶべき所だが、何用じゃ?ただ会いたくなったから呼んだというわけでもあるまい?まぁ我はそれでも構わぬがな」

 疑問はとりあえず横に置き、呼ばれた訳を尋ねる。

 主殿の性格からして用もないのに我を呼ぶことは考えられぬからの。

 まったく、気を使いすぎる性格はなんとかならぬものか。

 多少の我が儘くらいは言ってもらえた方が嬉しいのじゃが。

 

「あ~、いや、ちょっと頼みたいことがあってな?」

「なんじゃ?」

 我の問いに主殿は少し言いづらそうに苦笑いを浮かべて答える。

「ちょっと返すのを忘れた物があってさ。それをアリアナス王国の王宮に届けてほしいと思ってな。頼まれてくれないかな?」

 ふむ、予想通り主殿自身ではできぬ頼み事であったか。

 無論主殿の頼みであれば我にできる限り聞き届けるのは吝かでない。

 人の集まる王都に行くのは多少煩わしいがその程度は許容できよう。

 しかし、もう会うことは叶わぬと諦めていた主殿との逢瀬が直ぐに終わってしまうのはあまりに惜しい。

 ここは少し我が儘と思われても今暫くこの時間を楽しむことにしよう。

 

「その頼み受けても良いが、一つ我の願いも聞き届けてくれるか?」

「願いってなんだ?」

「うむ。折角何度も話を聞いていた主殿の世界に来られたのだ。色々と見てみたいと思ってな」

 事実、主殿と旅をしている際幾度も聞いた異世界の光景は実に興味深い。

 是非一度見てみたいと思ったものじゃ。

 またとない機会が訪れたのだから逃すこともあるまい。

 我の願いに主殿は少し考える仕草をした。

 

「それは構わないが、その姿じゃ無理だ」

 異世界にはドラゴンは居らぬそうじゃからそう考えるのも無理はないが、我とてその程度は弁えておる。

 何よりこの姿では異世界を主殿と楽しめぬではないか。

「わかっておるわ」

 我はそう言いながら人化する。

 途端、主殿の視線が我の胸元に注がれる。

「主殿は相変わらずじゃの」

 我は思わず微笑んでしまう。

 主殿は相変わらず実に正直だ。

 どうやら主殿は胸の大きな女(おなご)が好みであるようで、我の胸にもかなりの関心があるようじゃ。

 うむ、実に気分がよい。

 ひとしきりからかった後主殿の転移魔法で移動する。

 

 転移した先を少し歩くとなにやら奇妙な物が置いてあった。

 山羊よりも少し大きいくらいか。

 前後に黒い車輪のような物が付いた金属の物体。

 どうやらこれが主殿の言っていた『ばいく』とやらの様だが、こんな物に人が乗れるのだろうか?

 この車輪が足のようだが、二つしかないのでは直ぐに倒れてしまうと思うのじゃが。

 主殿の説明に少し納得いかなかったが『めっと』とやらを頭にかぶり主殿の後ろに跨る。

 少々騒々しい音と共に主殿が『ばいく』を発進させる。

 驚いた。

 地を走る物と思えないほど速く、乗り心地も良い。

 多少の振動はあれど馬などとは比べものにならん。

 何より驚くのは街道が黒っぽい石でできており継ぎ目も見えぬほどなめらかにどこまでも続いている。

 なるほど、このような道に慣れておればあれほど主殿が馬車の振動に閉口していたのが理解できるというものだ。

 

 胸を押し当てると少し強張る主殿の反応と風景を楽しみながらしばしの移動を満喫する。

 

 蛇行する山道を抜けると一気に町並みが見えてくる。

 そこからはしばし我は口を開けたまま言葉を失った。

 猛スピードで行き交う金属の色とりどりの箱。表面がなにやらキラキラとした巨大な塔。見慣れぬ文字の書いてある光る看板。

 街に入ってからの人の多さと商店らしき建物の巨大さ。

 ここが異世界であり、我の知る世界とは違うとは分かってはいた。

 しかし理解が追いつかぬ。

 主殿もあの世界に来たときは同じように感じたのであろうか。

 

「ううむ。人というものはすごいものじゃのぅ。話には聞いておったがこれほどとは思わなんだ」

 主殿とやたらと綺麗で明るい食堂で食事をしながら話をする。

 正直未だに衝撃から立ち戻れずにいる。

 『人』とはこれほどまでにものすごい文明を築く事ができるのか。

 我ら上位龍は人を下等な生き物と断じてきたが誤りであったのだろうか。

「魔法ってのが無い分、科学が発展したのがこの世界だからな。レイリアには不思議に思えるのかもしれないけどな。逆に俺が向こう異世界に行った時は魔法が不思議でしょうがなかった」


 主殿の言葉は思わず考えさせられるものがある。

 初め魔法の無い世界と聞いてどれほど不便で遅れた世界かと思ったが、この世界では魔法というものの代わりに『かがく』とやらを発展させることで魔法よりも遙かに優れた文明を築いたのであろう。

 聞けばこの国では侵略も内乱もなく一般の者が武器を携帯することも許されないらしい。

 異世界とはいえとても信じられぬな。

 我のいる世界でこのような国が存続できるのであれば我等上位龍も人を下等などとは考えぬものを。

 

 それにしても食い物が実に美味い。

 先程食べた『ぱすた』とかいうものも大層美味かったが、この『ぱふぇ』なるものは考えられぬほどに美味い。

 色とりどりに飾られた果実や少し苦みのある黒いソースのかかったもの、冷たい氷菓らしき物とさほど冷たくない白い物などが混然となって口に広がる。

 瞬く間に3つほど食べ終わり4つ目を選ぼうとしていると主殿から制止される。

「お~い、貧乏学生なんだから少しは遠慮してくれ」

 まだ食べていない種類が3つほどもあるのに随分としみったれたことを言う。

 

 我の鱗か爪の提供を申し出るも『売れるか!』と即座に却下されてしまった。

 むぅ。

 確かに龍種の存在しない世界で我の鱗は売れないのかもしれぬが、我の体に価値がないかのような言われ方は非常に面白くないのぅ。

 主殿はあれほど我の胸を物欲しそうに(誤解です)見ておるというのに。

 そうこうしているうちに主殿は勘定を済ませ我の手を引いて店を出てしまう。

 不満はあるが今は主殿のこの温かい手に免じて許してやるとするか。

 それにしてもこの国では食事の代金は後払いなのか。

 払わずに逃げる者はおらぬのかの。不思議じゃ。

 

 店を出て『ばいく』の置いてある方へ歩き出しながら、主殿が言い辛そうに言葉を紡ぐ。

「さて、ある程度は楽しんだろ? 俺はこの後午後から大学で授業受けなきゃならないから……」

「うむ。主殿の学校か。我も付いていくから気にするな」

 主殿の学校にも興味がある。

 何よりこのような短い時間では満足できぬ。

 まだまだ主殿に案内してもらわねば。

 主殿はしばし考えた後に諦めたように、

「頼むから大人しくしていてくれよ」

 そう言って我に『めっと』を渡してきた。

 うむ、別に主殿に迷惑をかける気など毛頭無い故、そう心配するでない。

 

 ただ、旅の合間に頻繁に名の出ていた『アカネ』なる者の顔は見ておかねばな。

 そこらのつまらぬ者を主殿に侍らせるわけにはいかぬ。

 主殿の周りの女共は我がしっかりと吟味してくれる。

 できれば主殿の御家族にもお目に掛かりたいものじゃな。

 

 我はまだまだ続く楽しみに胸を膨らませながら主殿の腰にしがみついた。

 妙に幸せな気持ちになるが、これもまた良いものじゃ。

 

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