第6話 Side Story 茜の不安
その日は朝から妙な胸騒ぎがしていた。
胸騒ぎというか、不安感と言った方が近いかも知れない。
まるで、大切な物が手の届かないところへ行ってしまうような。
そんな不安。
大切なというところで思い浮かんだのは『アイツ』の顔。
『アイツ』柏木裕哉。
落ち着かなくなった私は
大学の駐輪場に着くと既に裕哉のバイクが置いてある。
アイツは滅多にバイクを大学に置きっぱなしにしないから、今日は既に大学に来ているのだろう。
私は少しだけほっとする。
結構真面目な裕哉の事だから、きっと今日も夕方まで講義を受けるのだろう。
私も受けなければならない講義がある。少し早く来すぎたけどたまには良いだろう。
時間が経つにつれ、不安感は強くなるばかりだった。
講義もロクに頭に入ってこない。
居たたまれなくなった私は駐輪場で裕哉を待つことにした。
私が裕哉と初めて会ったのは中学に入学した直後だった。
親の仕事の都合でそれまで住んでいた福岡から小学校卒業と同時にこの街に引っ越してきた。
仕方のない事とはいえ、中学校に入学しても周りに友達はいない。
クラスでは同じ小学校出身の子達がグループを作っていて、私はその輪の中に入ることが出来なかった。
私立だったらそうでもなかったかも知れないが、当時の私にはそれはとても高いハードルで、そのままだったら学校へ行くのが嫌になっていたかも知れない。
入学して1週間位したとき、1人でいた私に声を掛けてきたのが裕哉だった。
「工藤、だったっけ?お前、家どの辺?」
確か、そんな内容だった気がする。
優しげな、人懐っこい笑顔が印象に残っている。
私が何て応えたのかはよく憶えていない。
それからも裕哉は1人でいた私に色々話しかけ、友達も紹介してくれた。
裕哉は面倒見がよくて友達も多かった。そのお陰で直ぐにクラスにも打ち解けることが出来たんだと思う。
裕哉は特に目立つ方では無かったけど、さりげなく人のフォローをしたり、困っている人を見かけると助けたりしていた。
歳の割に妙に大人っぽいところがあって、結構真面目で、裕哉の事を嫌っている人は私の知る限りほとんどいなかった。
もっとも、特に人気者って訳でもなかったけれど。
裕哉が私のことを名前で呼ぶようになったのは、中学2年の時。
クラスに同じ名字の男の子がいて、紛らわしいからと『工藤茜』とフルネームで呼ぶようになり、その内『茜』と呼ぶようになった。
名前で呼ばれるようになった私も裕哉の事を『柏木君』から『裕哉』へと呼び方を変えた。
そしてその頃から裕哉は私の『特別』になった。
高校に入ってからも裕哉との関係は変わらず、特に近づくことも険悪になることもなかった。
裕哉は高校に入ってからすぐにアルバイトを始め、毎日勉強とアルバイトで忙しそうにしていたが、それでも月に数回は2人だったり友達を交えてだったりしたが遊びにも行っていた。
実は裕哉は気づいていなかった様だが、高校時代の裕哉は女子に結構人気があった。同年代の男子と違って変に女子を意識したりガッツいたりしていなかったのが理由だろう。
それでも直接的なアプローチをする女子はほとんどいなかった。どうやら私がいつも近くに居たから最初から諦めていたらしい。決して私が妨害していたわけではない。と思う。
まぁ、本人はバイクの免許を取るためのアルバイトで忙しかったし、勉強もきちんとしていたからあまりそういうことに気を回す余裕は無かったみたい。
グラビアアイドルの写真を見て他の男子と盛り上がっていた事もあるし、興味がなかった訳じゃないと思う。
こっそり覗き込んだ写真の胸と自分の胸を比べて落ち込んだりしたのは内緒だ。
大学受験の時は本当に大変だった。
私は裕哉ほど成績がよくなかったから、裕哉の志望校を聞いたときは気が遠くなった。
それでも必死に勉強して、同じ学部は無理だったけど何とか同じ大学の教育学部に入学することが出来た。その時は全ての運を使い果たしたような気がしたものだ。
大学入学を機に裕哉との関係を変えようとも思っていたけど、今の心地良い関係を壊したくなくてズルズルと続いてしまっている。アイツにとっては悪友のようなポジションに落ち着いてしまっているのは非常に不本意だけど、なかなか切っ掛けが掴めない。
今はその事を後悔し始めていた。
時計を見る。
そろそろ裕哉が帰ってきてもいい時間になっていた。
もっとも、サークルに顔を出すことも多いので直ぐに来るかはわからない。それでも裕哉の顔を見て安心したかった。
ふと気配を感じて駐輪場の入り口に目を向けると裕哉が歩いて来たのが見えた。
でも、何かいつもと雰囲気が違う。何だろう。
とにかく声を掛けてみる。
「裕哉じゃん。帰り?」
「あ、あぁ、……久しぶり」
何か様子がおかしい。そもそも久しぶりってほどでもないし、普段裕哉はこういう言い間違いを殆どしない。
「一昨日会ったばっかりだと思うけど?」
「そうだっけ?」
裕哉の目が泳いでいる。それに何か目が潤んでいるようにも見える。
私は少しの変化も見逃さないように裕哉を見つめる。
よく見てみると、確かに裕哉なのは間違いがないのに、一昨日とは明らかに雰囲気が異なる。まるで1年位会っていなかった人に再会したときのような変化。
「裕哉、何かあった?」
あえて直接聞いてみる。
「何かって何だよ?」
「んー、顔つきとか雰囲気とか?いきなり変わった気がする」
そう、何かすごく大人びたというか、男らしくなったというか。決して悪い意味ではないけど、明らかな変化。
「気のせいだろ?人間そんな急に変わんねーよ。特に何かあったわけでも無いしな」
誤魔化すように裕哉が言う。何故か目も合わせないようにしているみたい。
私は急に不安になる。もしかして恋人でも出来たのだろうか。
「そっかな~……もしかして、彼女でもできた?」
冗談めかして、でも本気で聞いた。なのに答えを聞くのが怖い。
「ぶっ!アホか!んなわけあるか!」
一瞬意外な事を言われたかのように私を見て裕哉が答える。
この顔は嘘を吐いてる顔じゃない。裕哉の嘘は私には直ぐに判る。
私は最悪な想像が外れたことに少しだけ安堵する。
「そ~だよね~。彼女居ない歴=年齢の裕哉にそんな甲斐性あるわけないし」
「彼氏いない歴=年齢の茜さんには言われたくありませんねぇ」
「失礼ね!私は彼氏が出来ないんじゃなくて作らないだけです!!」
「へぇへぇ、そりゃ悪ございました」
いつもの裕哉との掛け合い。それがとても楽しい。
それだけじゃなく、ドキドキと胸が高鳴る。なんだか裕哉がとても格好良く見えることに動揺する。
「まぁ、そんなこと良いや。俺寄るとこあるから帰るよ」
「どこ寄る気?」
「マッ○。急に食べたくなったんでな」
私は少し慌てる。
朝からの不安感はもうどこかに行ってしまったけど、今日はまだ裕哉と一緒に居たい気持ちが抑えきれない。
「私も行く!最近行って無いし」
「駅前のマッ○でしょ?先に行って席取っとくから」
そう言って裕哉の返事を聞かずにスクーターを発進させた。
こうすればいつもの裕哉が苦笑いをしながら追いかけてきてくれるはずだから。
駅前のマッ○に着いた私は注文を済ませ空いていた席に着く。
店内は席が8割方埋まっている状況だったがうまく確保出来て良かった。
裕哉を待ちながら、少々強引すぎたかと不安になる。裕哉が来てくれることは半ば確信してはいたが、裕哉に悪感情を持たれるのは全力で遠慮したい。
程なくして裕哉が店に入ってくる。
その姿を見て、『やっぱり以前と違う』という印象を受ける。
何というか、存在感が普通じゃない。店に入った瞬間店内の人達の視線が裕哉に向く。
裕哉はその視線があまり気にならない様子で注文を済ませ商品を受け取ってこちらに歩いてくる。
その身のこなしは、何か虎とかそういった大型の猫科動物を思わせる、しなやかで力強さを感じさせた。
「……やっぱり裕哉、変わった!」
私は裕哉に詰め寄る。
「またかよ」
裕哉は呆れたような、それでいてどこか誤魔化すように言う。
「雰囲気とか、歩き方とか。それと何か体型も違う気がする。雰囲気も」
「最近鍛えだしたからそのせいでそう見えるんじゃね?」
鍛えたからってそんなに直ぐに変わったりするものだろうか。
もちろん裕哉が格好良くなるのは悪い事じゃないとは思う。この先を考えると不安は増すがそれはしょうがない。
でも、私の知らないところで裕哉が変わっていくのは正直悔しい。変わるなら私の手で変えたい。って、何言ってるんだろ。
「……ひょっとして、惚れたか?」
裕哉がふいにそんなことを言い出した。
その表情から単にからかってるだけなのは判るが、私は動揺を抑えるのに必死だ。
私はとっくの昔から裕哉に惚れている。それこそ中学生の時からずっと。
「はぁ?アンタ目からコーラ飲みたいの?」
恥ずかしくなった私は思わず裕哉を睨みながらそんなことを言ってしまう。
本当に素直じゃない自分が嫌になる。
それからは裕哉とたわいのない話をしてお互い帰宅することにする。
バイクに乗る裕哉を見るのは好きだ。とても楽しそうに愛おしそうにバイクに跨っている。
同時に少し嫉妬もする。たまには私にも乗って欲し……じゃなくて、同じくらい大事にして欲しいと思うのは女の子として当然のことだろう。
実は裕哉に内緒である計画を実行している。それが達成すればもっと一緒に居られるようになる。かもしれない。
翌日は午後の講義が無かったので、親友の相沢奈々、奈っちゃんと駅前に遊びに行くことにした。
奈っちゃんとは大学で知り合った。
とっても優しくて可愛らしい良い娘。ちょっと大人しくて引っ込み思案な所もあるけど私とは直ぐに意気投合してそれ以来よく一緒に出かけたりお互いの家に行き来している。唯一の不満は私よりも胸が大きいことくらい。
一緒に服やアクセサリーを見て回っていたら、3人組の男の人に声を掛けられた。
「ねぇ、学生?俺らとどっかに遊びいかない?」
奈っちゃんといるとよくこうやってナンパされる。
私一人だと殆どされることがないってのが、どうも納得いかない。確かに奈っちゃんは女の私から見ても可愛いけどさ。
「すいません。私達忙しいので」
「そんなこと言わないでさぁ。良いところ知ってんだよ」
今回は結構しつこい。私達の前を塞ぐようにして必要以上に近寄ってくる。
「忙しいって言ってるでしょ!どいてよね!!」
元々沸点の低い私は声を荒げた。周りに人は大勢いるけど当てになりそうな人はいないようだ。
「よう!どうした?」
不意に別の方から声を掛けられる。
私の鼓動が跳ね上がる。どうしてアイツはいつもこうタイミングが良いんだろう。
そのまま私達を庇うように男達との間に割り込んできた。
裕哉がナンパをしてきた3人と何やら話している。
そういえば私は裕哉が喧嘩とかをしているところをあまり見たことがない。大丈夫なんだろうか。心配になる。
少しするとナンパ3人組が裕哉に頭を下げながらそそくさと離れていくのが見えた。
いったい何をしたんだろう。特に喧嘩をしているようには見えなかったけど。
追求してみたけど何だか誤魔化されてしまった。
どうやら裕哉も買い物をしに来ていたらしい。
すかさず同行を申し出る。
私の気持ちを知っている奈っちゃんも笑いながら同意してくれた。
少し先にあったユ○クロに3人で入り色々と物色する。
背の高い裕哉は何を着ても似合う。惚れた欲目ではない。うん。
その証拠に店内にいた女性客がチラチラと裕哉を注目している。なんだか非常に面白くない。
私は周りに見せつける様に裕哉の手を引いたり服を勧めたりした。
奈っちゃんが私を見てクスクス笑っている。
「何か、柏木君雰囲気かわったよね。ちょっと目をひくというか」
おぅ、奈っちゃんまでそんなことを言い出すとは。ちょっと困る。
正直、奈っちゃんがライバルになると勝てる気がしない。
奈っちゃんには好きな人がいて、それは裕哉じゃないとは聞いているけど、詳しくは恥ずかしがって教えてくれない。
どうか裕哉がその気になったりしませんように。
結構な数の服を買って店を出た。
なんでも宝くじでたまたま儲けたとか言ってた。いつもは余分なお金は直ぐに貯金してたのに、そういうことか。
今日は奈っちゃんと夕食を食べてから帰る予定である事を話したら裕哉も一緒に来ることになった。
そのことを裕哉が妹である亜由美ちゃんにメールしたら、亜由美ちゃんまで来ることになってしまった。
亜由美ちゃんはちょっとブラコン気味で、私にも対抗心があるみたい。
私は嫌いじゃないんだけどね。私のことを嫌ってはいないと思うけどちょっと面白くないと思ってる感じかな。
亜由美ちゃんと合流した私達は近くにあったファミレスチェーン店に入った。
4人で楽しくお喋りをしながら食事を済ませる。もちろんデザートも完食した。
亜由美ちゃんの兄LOVEがさらに加速していた気がするけど気にしないことにする。でもその食欲にはびっくりした。いくら食べても太らないらしい。実に羨ましいことだ。
当初はワリカンのつもりだったのだけれど、余裕があるからと裕哉が全部出すことになった。
冗談でス○バ奢らせるようなことを言ったけど、本気にしたのだろうか。
今度裕哉が金欠の時に私が出すことにしようと思う。
楽しい食事が終わり、帰る為に歩いているともの凄い音が響いた。交通事故らしい。
私からは直接見えなかったけど、周りが騒然としだす。
すぐに裕哉が私達に指示をだす。
何か、その指示の出し方がすごく手慣れているような感じ。はっきり言おう。ものすごく格好いい。
私も指示に従って事故相手の様子を見るために行動する。
裕哉を視線で追っていると人混みを掻き分ける直前、裕哉の全身が淡い光のようなもので包まれるのが見えた気がした。ほんの一瞬のことだったので何かの見間違えだと思い、行動を再開する。
事故相手と思われる車に近づく。車の前方部分がかなり破損した状態が見える。運転手はまだ車内にいるようだ。
「大丈夫ですか?」
怪我でもしているのかと思い車内を覗き込むと20歳代半ばくらいの男が平然と電話をしている。
「事故っちゃってぇ、なんか人集まって来ちゃったんだよ~。ったく、勘弁してくれよ~」
少し空いた窓からそんな声が聞こえてきた。
ムカついた。ただムカついた。
私は車の窓をバンバン叩いてドアを開けさせると、
「救急車も呼ばないで何やってるわけ?!」
怒鳴りつける。
男が顔を顰めながら面倒臭そうに車を降りる。
私が裕哉の方を見ると裕哉が倒れている女の子?に手を翳しているのが見えた。何をしているかはわからない。
裕哉の手と女の子が淡い光に包まれている。
気にはなったが見ていてもしょうがない。男を裕哉の方に押しやりながら歩き出す。
「あ~あ、ついてねぇなぁ」
この期に及んでまだそんなことを言っている男に怒鳴る。
「あんたねえ!相手は怪我して倒れてるのよ!何考えてるの?!」
男が何か呟いたようだったが私には聞こえなかった。
しかし突然裕哉が男の胸ぐらを掴みあげた。男の足が完全に浮いている。
慌てて裕哉を見ると目が怒りに染まっている。
マズい。このままだと裕哉が男を殴りかねない。
こんな男のせいで裕哉が怪我したり捕まったりしてほしくない。
私は裕哉の腕にしがみつき引き離そうとするが裕哉の身体はビクともしない。
少しして救急車のサイレンが聞こえてきたところで裕哉はようやく手を離した。よかった。
私達はその後に到着した警察官に状況を説明してようやく開放された。
裕哉はとっても不機嫌そうにしていたが……
バイクに乗って帰って行く裕哉と亜由美ちゃんを見送り私達も帰ることにする。
結局あの裕哉を包んだ光が何なのか聞くことは出来なかった。
「ねぇ、奈っちゃんはあの光見た?」
「光?って、なんの?」
「裕哉が倒れてた女の子のそばに居たときの光」
「う~ん、その時、私は柏木君見てないんだよね~。人の影になっていたのかなぁ」
奈っちゃんは事故現場で警察に電話していたはずだから裕哉の姿が目に入らない訳はないと思うんだけど。
私は不思議には思いながらもそれ以上は言葉を続けない事にした。
「でも、格好良かったよね柏木君」
私はギョッとして奈っちゃんを見ると、奈っちゃんは悪戯が成功したような笑顔で私を見ていた。
「今日はこの後たっぷりと茜ちゃんの話を聞こうかな?柏木君に抱きついたりしてたしねぇ?」
「え?いや、あれは抱きついたとかじゃなくてね・・・」
私は裕哉の腕にしがみついたときの感触を思い出して顔が熱くなる。
「まぁまぁ、いいから。今日は家に泊まっていってね」
奈っちゃんは慌てる私の腕を引きながら強引に家路を辿っていった。
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