チョコとオルトギュウス
ワニとカエル社
チョコとオルトギュウス
チョコとオルトギュウス
「雅んとこのチョコちゃん、大丈夫なん?」
チョコはボサボサ頭のボブ、髪色は綺麗なチョコレートブラウンの地毛の女の子。
しかし服装は、俺が貸しただぼだぼのジャージに素足。下にスパッツでもなんでもいいから穿けといつも言われているのだが、どうも駄目らしい。最近ようやくパンツを穿くようになった。
言っとくが用意したのは姉であって、俺ではない。変態疑惑があがるのも仕方ないが、誰が悪いでもない。
ある日、俺と姉のアパートがある道沿いに倒れていた。雨の下、布を包んだだけの服。季節は冬、下手したら死んでしまうと判断してとりあえず抱いて部屋に入った。バイト休みの二日と姉にも看てもらって、五日目。ようやく目を覚ましたが、記憶がないらしく、それから俺の傍を離れなかった。
見た目からチョコと呼び名を付けたのだが、本人は本当の名前を覚えていない。
腕に付けられたタグには 『テルトアーレ・ルートヴィレ・オルトギュウス・ルジェル・エルピェーナ・アルドン・オリゾン…』という恐ろしく長いスペルが羅列してあった。(長くて覚えられない。)
チョコと呼び始めてからしばらくして気付いたので、今更変えて呼ぶのも面倒だった。
チョコは俺には懐いてくれた。
そっと手を握り、常に後ろに控えて、俺以外とは決して口をきかない徹底ぶり。嬉しいけど、ちょっと戸惑う。このままずっと居つかれても……親御さんとか大丈夫だろうか。
戸塚にそう言われたのも当たり前だ。でも警察にも言ったが、音沙汰もないし。連絡くるまで居候させてやることにした。
ふうんと戸塚は納得したように頷いている。
さっきからずっと手を離さないチョコに目配せすると、チョコは少し怒ったように口を尖らせてから、両手でしっかりと俺の手を握った。
「はいはい、分かってるよ」
大学の授業も三年の今は必修科目しかないので助かったが、基本的に毎日一緒だ。まぁどうせ授業は一人が多かったし、別にいいか。
戸塚は俺とチョコの様子をにやつきながら見る。なにか言いたそうだが、チョコの前なのでそれだけに留めたんだろう。
…どうせ女いねーよ。
「そーいやさー食堂前の自販機に変な飲み物出てんだよ。レモンバナナミックスってーの。
挑戦してみよっぜ」
「うわ…不味そ。お前一人で飲めよ」
なんだかんだ言いつつ、三人で食堂前の自販機へ向かう。
昼も過ぎた二時半。食堂も人がまばら。
「ほらこれこれー、色も最悪でさぁー」
戸塚は自販機に走り寄る。俺も見ようと歩きだすが……手を引かれる。
「ん…チョコ? なんだ?」
チョコが手を引く。小さく呟くその声に、耳をすませる。
「——…あぶない」
があん!
なにかが音を立てた。
顔を上げると自販機が倒れている。その倒れ方は奇妙だった。くの字に曲がって倒れているのだ。上からの衝撃に耐え切れず、腰が折れたように。何かが落ちてきたのか。戸塚は地面に尻餅を着いている。
その戸塚の頭に女の子が立っていた。
裸足で黒い布を巻いただけの服。チョコにそっくりなボサボサ頭だが、髪色はブロンド。
「見つけたぁ!」
哂う顔がチョコとは違う。どこかまがまがしい。開けてはいけない箱を開けてしまったような、取り返しのつかない後悔を感じた。
戸塚は自分の頭に何かが乗っていると気付いたのか、青い顔で硬直している。俺も動けないでいた。
頭の上にバランスよく乗っているブロンドは、チョコを見つめる。
「お迎えに来てやったぜぇ!」
戸塚を蹴って、宙に飛び上がったのだ。
「チョコ、逃げるぞ!」
俺はチョコの手を引き、その場を離れようとする。
が、チョコは手を振りほどき、そいつ目がけて走っていった。
「チョコだぁ? 甘ったるい名前だなぁ! あっはは!」
目を疑う。そいつはまだ小学生並みの体つきだ。
なのに…そいつの拳でコンクリが陥没した。
チョコは身をかわして避さけ、そのまま腹を蹴る。まともに入ったのか、ひゅうと喉を鳴らすブロンド。
「殺す気かよ、お前も死ぬぞ」
できねーよな!と高笑いするそいつは、空を蹴って距離をとった。
「チョコ…そいつは一体…」
「あれは」
チョコは短く呼吸をし、ブロンドを見る。
「あれが、オルトギュウス」
「おらおら! ぶっ殺してあげるぜぇ! あっはは!」
大学の裏庭を走り抜ける。あのブロンドの狙いがこっちなら、戸塚も危ないし離れたほうがいい。夕方になれば運動部が使う校庭を目指す。
後ろから俺たちを追うそいつは、乱暴に物や木をぶっ倒しながら走ってくる。同じ人間とは思えない怪力。いや、人間なんだろうか。
あんな細腕なのに、恐竜にでも追われているみたいな気持ちだ。そんな奴を蹴りで足止めしたチョコも、なんだか人間とは思えなくなってきた。
「オルトギュウス……」
チョコはぽつぽつと思い出したように呟く。
記憶を少しずつ取り戻しているのかもしれない。
「みやびをまもるために、なんとかしなきゃ…。どうやって? …ことば?
ことば……チョコのことば…」
走るチョコは速い。尋常じゃない速さで俺の手を引いている。情けないが引っ張ってくれないと、運動不足の俺は立ち止まってしまうだろう。
次第にチョコの呟きも聞いている余裕がなくなってくる。校庭はまだなのか、校庭は…。
ざっ、とチョコの脚が止まる。急に止まられたので、一気に息があがってしまう。
その場で膝をついて、うずくまった。
「チョコの…ことば……」
荒い息のまま横目でチョコを伺えば、向かってくるブロンドに視線を向けている。
堂々と、射るように。そして浅く息を吸い、柔らかな発音で『言葉』を紡いだ。
知っている文章を、読んでいるように。
「――…はためく
来るは
果てより現る
照らされし
過ぎ去りし
二つに別たれし
空に叫ぶ
置き去りの
これなるは総て
…
我が
辺りが静かになる。チョコの言葉に空気が集中していく。しかし言葉を向けられているのは俺ではない。
俺の後ろに立つ、ブロンドの『オルトギュウス』。言い終わるとチョコは、ぱんと一度手を叩いた。
ブロンドはびくり、と反応する。
「……………ちぇ」
ブロンドの両手首に手枷が現れて、ぱきん、とはまった。
目を疑う。その手枷は宙から現れた。事の次第についていけないが、チョコは一段落ついたように息を吐いた。
「チョコ?」
「みやび、ありがと。
これでチョコのいうこと、きくよ」
なんで?と聞く前にチョコは倒れてしまった。
地に頭を打つ寸前で、その
「…弱いくせに。
おい、お前。こいつを寝かせる場所に連れてけ」
とりあえず使われてない教室を探す。それまでずっとチョコを抱えているオルトギュウス。椅子にそっと寝かせ、一息つく。
「安心しろよ。もうこいつに手は出さない。
鎖をはめられたからな」
ブロンドをぐしゃぐしゃと手で掻いて、軽く欠伸をしている。
だめだ、理解できない。
「状況が飲み込めないな…」
チョコは眠ったまま、しかし苦しそうな素振りはない。単に疲れてぶっ倒れたんだろう。
俺も突然すぎる展開についていけない。
「だろーよ。…だが俺はもうあれこれ自由には言えないし行動できない。詳しい事はお預けだ」
そういう訳らしい。幸い次の授業は出席を取らないので、そのまま家に戻った。
夕食を作っている最中も、チョコは眠っていた。オルトギュウスはずっとチョコの隣で寝そべりながら欠伸をしていて、全然俺を手伝わない。
「オルトギュウス、お前手伝えよ。腹へってるだろ」
え、と大きな声。目を見開いて驚いている。
「それ、俺の分入ってるのか?」
ため息を吐いて頷く俺。
「なんでお前だけ作らないんだよ、そんなわけないだろうが。
とにかく洗い物、片付けてくれ」
「…おう」
珍しく素直に返事をして、流しにある油物やザルを任せた。
最初こそやり方を聞いてきたが、吸収が早いのかなかなか手際も良い。チョコより使える奴だ。
「あらいものしてる……」
とか思ってたら、チョコが目を覚ましてきた。
三人で夕食を囲み、事の次第を説明してもらった。
「チョコ、まず記憶は戻ったのか?」
ふるふると首を横に振るチョコ。
「まだ。穴だらけでかんぜんじゃない。
よくわからない」
「じゃあ……とりあえず、こいつはなんなんだ?」
俺の作ったロールキャベツを旨そうに頬張っている、オルトギュウスを指差す。
「えと……うーん…」
「なぁ、俺が喋っていいか? もともと喋る機能とか疎いだろ、お前」
口の周りにトマトスープを垂らしまくりながら、オルトギュウスは言う。
頷くチョコを見た後で、オルトギュウスは話しはじめた。
「こいつと俺は一緒に生まれたけど、俺は肉体的に実験過程が長かったから。それに機能が違う。
人間だけど、人間じゃない。あんたはあんたの世界があるように、」
オルトギュウスが喋りだしたところで、急にチョコが口を尖らす。
「…あんたじゃない。みやび。チョコのみやび」
「ハイハイ。えーと、雅にも世界があるように、うちらにもある。 俺たちはこいつを主人とした兵器試作品の一つなんだよ」
口を拭って、オルトギュウスは話しはじめた。俺は口を挟まない、とにかく話を聞きたかった。
「こいつの腕にタグがあったろ?
試験段階からずっと腕にはめられてるんだ、これ。
ここに載ってるのはこいつの名前じゃなくて、俺たちの名前なんだよ。こいつが枷をはめれる人間兵器のな。
俺なんかは力のみを特化した配列パターンで、ベースはこいつと一緒。だからおつむは同じくらい。
他にも色々いるが、そいつらが試験任務段階で脱走できちまう事態になったんだよ。
……こいつの記憶喪失だ。
俺含めて他の兵器は自由に飢えてるからな。
記憶喪失になりゃ枷なんてかけらんねーから、さっさと逃げたんさ」
これが彼らの世界。
この嘘みたいな話が、彼らの真実。
「記憶が完全になってまた見つかりゃ、こいつの言霊の枷でまた元に戻っちまう。こいつ自体は人間にしちゃちょっと頑丈だが、俺からしたらただの弱っちいガキだ。
だから何も知らねーうちにぶっ殺しちまおうと思ったんだ。したら土壇場で思い出しやがって。因果なもんだよ。こーゆー経緯なワケ」
おかわり、と皿を差し出すオルトギュウス。
あまりにも現実離れしているので、なんとも納得しがたいが…。
皿を受け取り、台所に向かう。
チョコは俺をじっと見て、悲しそうで寂しそうな目をしていた。ロールキャベツをよそいながら、疑問を口にする。
「兵器ってなんのためのだ?
お前みたいなすごい力を、人間から引き出せる技術があるなら、今の医療技術とかに使えば良いのに」
人間の限界を引き延ばす技術。漫画みたいな話が現実なら、世界が変わる。
「さぁな、”兵器だから”聞かされてねぇよ。
ま、切り札はいつでもとっときたいもんじゃねーの?」
ロールキャベツのおかわりを手渡すと、オルトギュウスは嬉しそうに受け取る。見た目は普通の子供なのになぁ。
新しい物が出来たらまず武器にする。なんだか悲しい人間の本能だ。…そんなものか、ダイナマイトや核融合が、結果武器に応用されたみたいに。
「でも、なんでそんな兵器を統括してんのが、チョコみたいなひ弱な奴なんだよ」
「ばーか。主人が弱くなきゃ凡人が扱えないだろ。俺みたいな力を持った飼い犬じゃ、即殺されちまうからな」
確かに…そうだ。
「もういいだろ経緯はよ。
それより、お前どーすんの。俺は馬鹿だけど、『あいつら』はそこそこ頭いーぜ?」
オルトギュウスはチョコに向き合う。傍から見ると双子のよう。
「お前か本部をぶっ壊せば自由になれるって、とっくに気付いてるだろーよ。
本部をやられるのはいいとして、少なくともお前のとこに来る奴がいたら、雅が危ないぞ。
このままでいーのか?」
チョコはうなだれて、考え混んでいる。
ボサボサの髪、いまだに俺の貸したジャージをワンピースみたいに着ている。その姿はまだ子供。
逃げ出した兵器を統括するために枷をはめるチョコだが、そのチョコ自身も『主人』という枷をはめられている。俺から離れなかったのは、戻りたくないと思っていた本心もあったのかもしれない。
「チョコ、俺はいいぞ、ここにいても」
俺を見上げる、無垢な瞳。
「お前が帰りたくない場所なら、ここにいてもいい」
「……みやび、いっしょいたい」
嬉しそうに笑う、チョコ。
仕方ない、拾って世話した俺も責任がある。
なによりここで縁を切って、チョコは大丈夫なんだろうか。
「大丈夫だよ、この俺がいるからな」
オルトギュウスは皿を舐めながら、にやりと笑う。案外、一番チョコを心配していたのが、こいつなのかもしれない。
「
ぶっきらぼうに言うが、照れたように含み笑いをしているオルトギュウス。
こいつもそれなりに辛い事があったのかもな、と頭を撫でると真っ赤になって手を叩かれた。
居候が二人に増えた事をどうやって姉に説明したらいいか、頭を悩ませるが兄妹のように喧嘩をしている二人を見て……まぁ、なんとかなるかと笑った。
「みやび、あのね」
満腹になったのか、オルトギュウスは夕食後すぐに寝てしまった。
二人で皿を洗っていると、チョコが俺の袖をひっぱってくる。
「チョコはね、ほんとはなまえないの。オルトギュウスとはちがうから『鎖』って呼ばれてた。
だから、チョコってなまえもらったの、すごくうれしいんだ」
笑う。
チョコの記憶は少しずつ快復しているようだ。口調も幼い子供の発音だが、所々明瞭になる。
「だからチョコは、みやびのこと一番だよ」
もちろんみやびの姉ちゃんもね、と笑う。
「ありがとな」
きっとチョコが人らしく、女の子らしく笑えるのが、今なら。
それを永遠にしてやりたい、と俺は思った。
…つづきはそのうち。
チョコとオルトギュウス ワニとカエル社 @Wani-Kaeru
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