第33話

物資も調達出来たので、ライラックたちは早速リカステ山脈の麓に向かった。

大都市ヘイララからリカステ山脈の麓にある森の手前まで6時間程度で着く距離だった。

兵士たちは重たくなった荷物を必死になって担ぎ、麓まで急ぐ。

森の手前までくるとその森の深さがよくわかった。

兵士の1人がそれを見て、情けない声を上げながら地面に座り込んだ。


「ライラック様ぁ。本当にこんな森の中に入るんですかぁ」


都会育ちの彼らには入ったこともない深い森だった。

いかにも魔物が出てきそうだ。

他の兵士も真っ青な顔をして呟いた。


「しかも、山道もないじゃないですか。あるのは獣道ぐらいですよ。こんな道を本当に歩くんですか?」


信じられないと言った顔だ。

他の兵士たちも同じような想いのようだ。

ライラックはそんな兵士たちに呆れた顔で答える。


「当たり前だろう。お前たち何しに来たんだ?」

「少年の話を聞いてからもう1週間以上経つんですよ? 竜だってとっくに山脈の向こうに逃げてますよ」


兵士は山脈の先に向かって指をさした。

ここから数キロ街道を歩けば、旅人が行き来する山道がある。

兵士たちは目の前の森の探索よりも山道に向かうことを望んでいた。


「ダメだダメだ! まだここいらで竜の目撃証言は得ていないんだ。もし、あんな高い山脈を竜が越えたのなら必ず誰かが見ている」


疲れ切っている兵士たちに向かってライラックは厳しく告げた。

そうは言ってもと不審な表情を見せる兵士たち。


「夜中に移動したらわからないじゃないですかぁ。特に新月に移動したら真っ暗でいくら巨大な竜でも見えやしませんよ」

「周りが見えづらいのは竜も同じだろう。竜は魔物だが夜行性とは限らない。真っ暗闇の中で見知らぬ土地を飛び出すとは思えん。それにあの山脈を見ろ。いくら巨体を持つ竜でもあれを乗り越えるのはそう簡単じゃない」


ライラックに言われ、兵士たち全員が山頂を見上げた。

まだ夏が終わったばかりだというのに山頂には雪が残っていた。

この高さではどんな魔物でも簡単には乗り越えられないだろう。

しかも、数年間飛んでいなかった竜だ。

山頂を容易に超えるほどの高度で飛行できるとも思えない。


「竜はまだこの森の中にいる。俺はそう考えている。それにきっとここには竜以外の魔物も住んでいるだろうな。お前らもしっかり気を引き締めて動けよ」


ライラックは部下たちに喝を入れるように言った。

兵士たちも想像しながらぞっとした顔をする。


「ライラック、ここに人が通った痕跡があります。きっとこの獣道、地元の猟師も使っているのでしょう。こういう場所は比較的安心です」


ディルフィニウムは森に近づいて、その獣道を指差していった。

そうですねとライラックも同意し、後ろで座り込んでいた兵士たちに声をかけた。


「ほら行くぞ。日が暮れる前に野宿出来そうな場所も見つけないといけないからな」


そう言ってライラックは山の奥の方へ進んでいった。

兵士の1人は道に迷わない様に木の幹に印を付けながら歩いた。

ディルフィニウムはただ黙ってライラックについて行く。

そして、近くに川のある、割と見晴らしのいい場所にテントを張り、日があるうちに焚火を起こした。

兵士たちは鍋なんかを取り出し、夕食の準備を始める。

その中の1人が周りを見渡しながら、不安そうな表情を見せる。


「しっかし、中に入れば入るほど物騒な場所ですね。嫌な声で鳴く鳥もいるし、本当にこんな場所で野宿しても大丈夫なんですか?」


確かに森の中は不気味だった。

これはもう樹海と言っても間違いないだろう。

迷ったらひとたまりもない。

誰もが不安を隠せないでいた。


「夜の見張りは交代で立たせる。俺も一緒にいてやるから安心しろ」


ライラックはこの状態でも頼もしかった。

この旅にライラックがいて本当に良かったとディルフィニウムは安心する。

きっとエンジュたちは見つかる。

ディルフィニウムはそう信じていた。


その晩は何事もなく、無事に朝を迎えた。

唯一気がかりなことは雲が厚く、今にも雨が降ってきそうなことだ。

兵士たちは急いで身支度をして、次のポイントまで進んだ。

案の定、雨は降り始め、足元はぬかるみ始めた。

皆、足を取られないように必死で歩いて、竜たちを探す。

しかし、竜どころか魔物すら出る様子がない。

この森で見たものと言えば、野兎や鹿ぐらいだ。

兵士の1人が今日の晩飯にしようと銃を構えたが、ライラックがそれを止める。

こんな場所で銃声など響かせたら、どんな魔物が起きて来るかわからない。

それに竜たちが隠れているなら、自分たちの居場所を知らせるようなものだ。

ここは慎重に身を隠して移動しなければならなかった。

雨の勢いも弱まって、少し開けた場所に出た。

ディルフィニウムは一息ついて、腰につけていた水筒を口にする。

その瞬間、首筋に嫌なものを感じた。

振り返ってみると、彼の後ろにはライラックが刀をディルフィニウムの首筋に当てて立っていた。

ディルフィニウムは驚いて、ライラックに質問する。


「どういうつもりですか、ライラック」


ライラックは答えようとしない。

しかし、とても苦しそうな顔だった。

気が付けば、他の兵士たちはいなくなっていた。


「答えてください、ライラック。どうしてあなたが私に刀を向けるのです!?」

「勘弁してください、王子!」


ライラックは苦しそうな声でディルフィニウムに向かって叫んだ。

そして、彼は気が付いたのだ。

竜の討伐など茶番だったのだと。

国王にはディルフィニウムが旅に出ていることにして、密かに山奥で彼を暗殺しようとしていたのだ。

恐らく考えたのはカンパニュラだろう。

彼の命令でもなければ、王家に忠誠心が強いライラックが王族を殺そうとするわけがない。


「僕を殺すのですか?」


ディルフィニウムはライラックの方をまっすぐ向いて聞き返した。

ライラックは答えられなかった。

ただ、雨に濡れた髪からは雫がゆっくり落ちていく。


「俺は、あなたを殺したくない。けれど、これは殿下のご命令です。自分がそれに背くことは出来ません……」


ライラックには不本意なのだろう。

殺しにくいというなら、他の兵士を使えば良かったのだろうけれど、それもまた心苦しくて出来なかった。

ディルフィニウムは死を覚悟した。

ここでライラックに歯向かったところで、剣術の腕はライラックが数段上だ。

いくつもの戦場をかいくぐった彼の実力は本物。

万が一にもディルフィニウムが勝つことはない。

ライラックの手は震えていた。

そして、顔を上げて刀をディルフィニウムに向かって振り下ろした

もう死んだとディルフィニウムもその時は思った。

しかし、違った。

寸前のところで手を止め、その場で泣き崩れていたのだ。


「俺には無理です、王子。俺はあなたを殺したくない。しかし、このまま無傷であなたを王宮に返すことも出来ない。どうかこんな俺をお許しください」


ライラックはそう言ってその刀でディルフィニウムの長い髪を切り落とした。

そして、腰につけていた王族の証の剣を抜き取り奪い取った。


「これが取り上げればもう、あなたが王族である証はありません。これと切り落とした髪をあなた様が死んだ証として持ち帰ります。どうか、生きてください、王子。王宮の事はお忘れになって強く生きてください。今の俺にはこんな事しか出来ないのです」


ライラックはそう言って、ディルフィニウムの前で涙を流した。

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