第34話
腰を抜かし呆然としていたディルフィニウムにライラックは小刀と少しの金を渡した。
こんなものを渡したところで、この樹海から抜け出し、近くの村に辿りつけるとは限らない。
それにこんな場所で魔物に出くわせば、今のディルフィニウムなら簡単に殺されてしまうだろう。
ここでライラックが命を奪わなくてもこんな樹海ではディルフィニウムが生き残れる保証などどこにもないのだ。
それがどれだけ彼にとって残酷な事かと知っていても、今のライラックにはその選択しかなかった。
ライラックはその場から離れて、他の兵士たちと合流した。
兵士たちは相変わらず気が緩んだ状態で地べたに座り込み、食料の干し肉をかじっている。
「おい、お前ら……」
ライラックはそんな兵士たちに声をかけた。
兵士の1人がへらへら笑いながら、ライラックに近づいて来る。
「で、ディル坊ちゃまの生首は持って帰って来たんです?」
その兵士がやけに綺麗な装備の彼に疑問を感じながら、ライラックの手元を見る。
ライラックの手元にはディルフィニウムの髪らしきものと王族の剣のみが握られていた。
「何やってんすか。カンパニュラ様からは王子の生首を取って来いと言われたのでしょう? それに返り血もほとんどついていない。本当に殺してきたんですか?」
兵士は疑うような目でライラックを見つめた。
他の兵士たちも不思議そうな顔で二人の様子を見ていた。
「切り付けるのはさすがに忍びなくてな、後ろから締め付けて首の骨を折って来た。即死だ」
それを聞いた別の兵士がおかしそうに笑った。
まさか、あのライラックが相手に情けもかけずに、即死させるとは思わなかったからだ。
「しかし、生首は必要でしょう? それが王子暗殺の証拠品になるんですから」
「なら、その生首、お前が持って歩くか? このままのペースなら王都帰還まで1週間以上かかる。しかも、この気候ではその間に腐って、ウジが湧いてきてもおかしくない。それでも持ち歩きたいと?」
それを聞いた瞬間、兵士たちは誰もがぞっとした。
確かに生首を持って歩くなんてことは誰も望まない。
それでも王子の命令だ。
持って帰らなければどんな仕打ちが待っているかわからなかった。
「安心しろ。手を下したのは俺だ。殿下には俺から説明する。お前らには何の責任もないこともちゃんと説明するさ」
それならと周りの兵士たちも顔を見合わせながら、確認し合う。
きっとライラックの言葉ならカンパニュラも信用するだろうと思った。
「ほら、ぼさっとするな。俺たちはもと来た道を戻って、王都に帰還するぞ。日が暮れる前にこの森から出るんだ!」
ライラックは兵士たちに叫び、兵士たちも立ち上がりながら返事をした。
そして、もと来た道を歩き始める。
ライラックだけはその場に立ち止まり、ディルフィニウムのいる方向に目を向けた。
命は奪っていない。
けれど、殺したのと同じようなものだ。
もう、彼は王宮には戻れない。
恐らく王都ブーゲンビリアにさえ帰れない。
なけなしの金と小刀でこの樹海から脱出するころも不可能に近い。
それに今の王子にその気力が残っているだろうか。
彼は最後、真っ白な顔をして目が虚ろだった。
今までいろんな災難を受けて来た彼だが、ここまでの仕打ちを受けたのは初めてだろう。
しかも、実の兄に殺されそうになったのだ。
ショックでない方がおかしい。
村の人間でも足を踏み入れないこんな樹海に王宮育ちの王子を一人残して、彼に何ができるのだろう。
ライラックはただ、彼が生きる気力をより戻し、ここから生き抜きたいという強い意志を持ってほしいと願った。
その意志さえあれば、賢いディルフィニウムなら生き抜ける。
そう思いたかったのだ。
けれど、王子が生き抜けたとしても自分の罪は変わらないのだとライラックは知っていた。
ディルフィニウムはどのぐらい木の下で座り込んでいたのだろう。
あんなに激しかった雨も小雨に変わり、目の前にはライラックが残してくれた小刀とお金の入った巾着が置いてあった。
こんなものがあったところで自分に何ができるのだろうと思った。
ディルフィニウムにもこの旅が自分を殺すための口実とは思っていなかった。
王族の中でも一番力の弱い自分だ。
こんな手の込んだことをしてまで殺す理由がわからない。
カンパニュラなら、王宮内でもディルフィニウムを簡単に殺せたはずだ。
いや、違うと彼は自分の思考を否定した。
カンパニュラは兄弟の中で自分を一番嫌っていた。
妾の息子として、同じ兄弟とも思っていなかった。
彼は自分の王宮で自分のような人間の血で穢したくなかったのだ。
それに国王にも弁解が必要だ。
竜の討伐で樹海の中で魔物に襲われて死んだと言えば、護衛の兵士たちに罰を下されてもそれを提案したカンパニュラにはなんのお咎めもない。
そもそも、その可能性を加味した上で国王もディルフィニウムをこのよう旅に導入したのだ。
これで王族の死にも面目が立つ。
そう考えると彼は益々情けなくなった。
国王が自分を王宮に住まわし、王族の証を与えてくれたのは少なからず自分の血の引いた息子として認めてくれたからだと思っていた。
王位継承権がただの飾りだったとしても、息子としての情があったからこそ、王族の証を与えたのだと。
けれど、それこそカンパニュラの怒りに触れたのだ。
彼にとってディルフィニウムは王族ではない。
所詮は召使の息子、下僕に過ぎなかったのだ。
カンパニュラにどんな風に思われてもディルフィニウムは構わなかった。
しかし、王宮から追い出し、自分の部下に暗殺させようとしたことはさすがにショックだった。
国王を騙し、国の面子の為に工作までした卑怯な兄。
あの心優しいディルフィニウムの心にも憎しみという暗い影を落とそうとしていた。
絶望したのだ。
王宮にも、この国にも、この理不尽な現実にも。
ディルフィニウムは目の前にあった小刀と巾着を握りしめて、懐に仕舞った。
そして、ゆっくりと身体を起こした。
もう心には憎しみしか湧いてこない。
それでも、自分を殺そうとしたカンパニュラに直接復讐しようとは考えなかった。
まずはここから生き残り、生き続けることが彼らへの復讐なのだ。
もう、王族の立場などいらない。
王位継承権などいらない。
安心した快適な生活などいらない。
もう、王族の意思など従わない。
自分は一人の人間としてこの世界に生き延びてやる。
名前を変え、姿を変え、立場を変え、生きてやる。
もう誰にも束縛されず、自分の意思で行動する。
それをもし誰かが阻止しようとするなら、彼はその時容赦なく戦うだろう。
人を殺すことさえいとまないだろう。
ディルフィニウムは立ち上がり、森の先を睨みつけた。
兵士たちと同じ道を下るわけにはいかない。
太陽の位置はわからないが、おおよその方角は理解していた。
兵士たちは恐らくヘイララに戻り、そこから王都に帰還するだろう。
なら、自分は一度この山脈の山道に近い村に向かい、一人でもエンジュたちを探そうと思った。
捕まえる為ではない。
エンジュたちを王族たちから守るためだ。
そんな時、ディルフィニウムの目に鮮やかな色をした植物が目に入った。
それはほうずきだった。
こんな場所にもほうずきは育つのだなと感心した。
昔、王宮の植物室にもほうずきが植えられていて、母と見ていたのを覚えている。
その花言葉は、自然美、心の平安、そして偽り。
ディルフィニウムは微かに笑った。
自分はこれから何者でもない旅人、カガチとして生きようと心に誓った。
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