第32話

朝食を済ませると農村を出て、リカステ山脈に向かって歩き出した。

目を凝らすと確かにその山脈の頂を覘き見ることが出来るが、歩けばここから後数日はかかる。

更に歩きやすい平地にある街道を辿って遠回りして行くと、目的地のリカステ山脈までは余裕をもって5日と少し、街に立ち寄っていたら6日近くかかるだろう。

しかも、物資調達のために大都市ヘイララに寄っていたら更に時間がかかりそうだ。

後ろからついてくる兵士たちもどことなくやる気もなく、普段は長距離を歩かないためか、随分進みが遅い。

その度に先頭を歩くライラックが振り向いて、兵士たちに声をかけていた。


街道を辿っていくと丁度、日が落ちる夕暮れ前には宿場町に着くことが出来た。

宿舎に着くと兵士たちは急いでそれぞれの部屋に行き、ベッドに倒れ込む。

そして、少し休憩を入れて部屋から出て来たと思うとすぐに酒場に足を運んでいた。

そこで早朝まで飲み明かしているのだから、予定の出発時間はいつも遅れ、結局大都市ヘイララにたどり着いたのは旅立ってから1週間以上経っていた。

王族を引き連れて旅をしているのだ。

しかも、いつ帰れるかもしれない長旅だ。

軍資金は王から十分にもらっているとディルフィニウムも思っていた。

しかし、旅先で兵士たちが散々飲み明かした所為か、思ったよりも手元のお金は残っていないようだった。


「困りましたね。これでは十分な物資も集められません」


ライラックは懐に仕舞っていた軍資金の入った巾着袋を見てぼやいた。

他の兵士たちは全く気にする様子はなく、初めて来る大都市ヘイララを好奇心いっぱいの目で見て回っている。

時々、露店を見ては、食べましょうとライラックに声をかけていた。

そんな資金はないというのに気楽なものである。

ディルフィニウムは飽きれながらも穏やかな表情で彼らを見ていた。

ライラックはディルフィニウムに近づいて申し訳なさそうに頭を下げる。


「許してやってください。あいつらはずっと王宮勤めだったために金の使い方がわかってないんです。ここからはちゃんと財布の紐は握っておきますので、安心してください」


ライラックもこれ以上兵士たちに好きに使われるわけにはいかないのだ。

わかっている自分だけでもしっかり管理をしなければと思っているのだろう。

そんなライラックを見て、ディルフィニウムは髪留めの金細工を徐に髪から外し、ライラックに手渡した。


「ライラック、足りない分はこちらを使ってください。これなら十分な資金を得られましょう」


その髪飾りを見て、ライラックはあたふたし始めた。

そして、その差し出す手を押し返すように彼は答える。


「それは駄目です。それは国王にもらった大事な王族の証ではないですか。それをこんな場所で失うわけにはいきません」

「いいのです。王族の証ならまだこの剣が残っています」


彼はそう言ってマントの下に隠していた鞘に美しい装飾を施された剣を見せた。

これも彼が王族である証である。

しかし、王族だと言ってもそういくつも証を賜るわけではない。

もし、彼がその剣まで失ったら王子の証はなくなることになる。

それは王位継承権のある王子にとっては一大事だ。

それにこの髪飾りは本来、王が妾にした女に与えたもの。

つまり、ディルフィニウムにとってはたった一つの母の形見なのである。

それを知っているライラックは受け取るわけにはいかなかった。


「気にしないでください。母の形見と言っても、実際に母がつけていたのは一度きりなのです。それに母との思い出は、ちゃんと僕の中に残っていますから」


彼はそう言ってそっと自分の胸に手を当てた。

それはそっとなんかを抱きしめているようなそんな優しさを感じた。

ライラックは渋々、ディルフィニウムから髪飾りを受け取る。

そして、深々と頭を下げた。


「大変申し訳ない。資金が調達できた際には必ず買い戻します」

「今は物資調達の方が大切です。何も気にせず使ってください。それにこの旅は長丁場になるでしょうし、今は少しでも手持ちが必要ですから」


彼はライラックに優しく笑って見せた。

そんなディルフィニウムを見るとライラックの胸は苦しくなった。

ディルフィニウムは本当に心優しい少年だ。

彼が王族の中でどのような立場でいるのかライラックもよく理解している。

それでも、こんな幼気な少年を裏切るようなことはしたくなかった。


「ラクスパー」


ライラックが何か彼に話しかけようとした瞬間、後ろから兵士の1人に呼び止められた。


「ライラック様、あそこに物資調達にちょうどいい店を見つけましたよ」


それを聞いて、ライラックも兵士の方へ振り向く。

ディルフィニウムもマントを翻して、兵士たちの方へ向かった。

そして、立ち止まっているライラックに話しかける。


「何をしているのですか、ライラック。さぁ、行きましょう」


ライラックも気持ちを改めて、物資調達に気持ちを切り返すことにした。



ディルフィニウムからもらった髪飾りを売りさばくと十分の物資を手配で来た。

その日の夕食後、ライラックは複雑な気持ちで樽ジョッキに入ったワインを見つめていた。

そんなライラックに兵士の1人がほろ酔い加減で近づいてきた。


「なんすかぁ、ライラック様ぁ。あなたほどの軍人がそんな怖い顔して、帰ったらカンパニュラ王子に怒られますよぉ」


兵士は軽く冗談を言ったつもりだった。

しかし、彼の機嫌を損ねたのか、ライラックはその樽ジョッキを机に叩きつける。

兵士は驚いて、身を引いた。


「そんな怒らないでくださいよぉ。冗談じゃないですか。そんなにカンパニュラ様がお怖いのですか?」

「そうじゃない! お前たちは気を抜きすぎなんじゃないか? 明日からは街を出て山脈の麓の森に入るんだぞ。こんな場所で浮かれている場合じゃないだろう」


すると兵士はくくくっと笑って、可笑しそうな顔でライラックを見た。


「何言ってるんですかぁ。もう旅は終わるんです。ライラック様が一番わかっていることじゃないですかぁ。俺たちだってそんな辛い旅ならついてきたりはしませんよ。近衛兵としてはそれなりに優秀ですが、ここにいるのは実際に戦場にも出たことがない輩ばかりです。プライベートじゃ、酒と女に溺れているダメな奴らですよ」


そして、兵士は手に持っていたジョッキを思い切り傾けてワインを飲み干し、口の周りを裾で拭いた。


「それに俺たちは魔物とすら戦ったことないんですよ? そんな俺たちが竜なんて相手が出来ると思いますか? 本当にカンパニュラ様もお人が悪い。最初から竜の討伐なんて期待していないんですよ」

「殿下を悪く言うのは辞めろ!!」


今度は更に大きな声で怒鳴った。

兵士は怖い怖いとぼやいて席を外す。

ライラックは相変わらず苦しそうな表情で一人床を見つめていた。

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