第27話
エンジュが目を覚ますとそこは見知らぬ部屋の中だった。
ベッドに寝かされ、すぐ横には窓があり、そこから日の光が差し込んでいた。
ここはいつも寝泊まりしていた地下室の寝室ではない。
なら自分は今どこにいるのかわからなかった。
身体を起こそうとしたが痛くて起こせない。
力も入らないせいか、まともに動くのは首と指先だけだった。
恐らく、身体のあちこちに包帯が巻かれている。
もし、王宮のどこかで振り落とされていたら、奴隷の自分にこんな手当などしないだろう。
エンジュはぼんやりとあの日の事を思い出していた。
建国祭の日、エンジュたちはガドゥプルを逃がすために動いていた。
花火が上がるタイミングで、ガドゥプルにつけられていた足枷と首輪のカギを外すために計画を練っていた。
カギを外す役はエンジュの仕事。
そして、それは成功した。
しかし、そこからエンジュはガドゥプルから降りることが出来なかった。
とにかく必死に振り落とされないように捕まっていた。
そのうちガドゥプルが外に出て、飛び始めて、花火と共に王宮を去った。
それ以降の記憶があいまいで思い出せなかった。
頭も打ったのかズキズキと痛んだ。
今はとにかくガドゥプルの安否が気になる。
あのまま自分が意識を失っている間に振り落とされて、無事に逃げたならいい。
けど、万が一にでも捕まっていたら、今度こそその場で殺されてしまうだろう。
自分はこんなところで寝ている場合ではないのだ。
必死に身体を動かそうと力を入れるが、その度に激痛が走り、動けなかった。
ただ、呻き声だけが部屋の中で響く。
「気が付いたんだね」
そこに立っていたのは老女だった。
知らない顔の女性だ。
水と薬の乗ったお盆を持って、入り口の前に立ってエンジュに話しかけてきた。
「……わ、私は……」
エンジュはうまくしゃべれなかった。
自分はどのぐらいこうして寝ていたのだろうか。
「狩人のスターチスが山の中であんたたちを見つけた。あいつには貸しがあるからね、動けるまであんたの世話をするって約束しちまったんだよ」
エンジュはあんたたちと言う言葉に反応した。
森で倒れていたのは自分だけではない。
ということはガドゥプルもそばにいたことになる。
「が、ガドゥプルは……、どこ……?」
エンジュは必死で声を絞り出すように老女に聞いた。
老女は言いにくそうな顔でエンジュを見つめるが、エンジュが震える腕を動かして老女の袖を掴むのを見て、仕方なく答えた。
「あの竜のことだろう? 私も竜を見るのは初めてのことでね、さすがに戸惑ったよ。あんたが腰に巻いていた縄がしっかり竜の角と繋がっていて、それを切り離してスターチスがここまで運んで来たんだよ。あの竜も怪我はしていたけどあんたよりは軽傷だよ。それに竜の治癒能力は高い。今は自分の事を心配するんだね」
「あ、あの竜は……」
「ああ、わかってる。首と足に長期間拘束されていた痕が残っていたからね、どこかで捕獲されていた竜だったんだろう? 自分じゃ、餌も獲れないみたいだから、当面の間はスターチスが何か獲ってきて食わせるとは言っていたが、警戒されているのか、まだ何も食べていない。それにあの竜はあんたを守るようにして森の中で伏せて隠れていたんだ。魔獣に助けられる人間なんて初めて見たよ」
それを聞いた瞬間、エンジュも驚き、息を吸う。
今までガドゥプルがエンジュに心を許したことはない。
エンジュが自分にしがみ付いていると気が付いたら、無理矢理でも振り落とすと思っていた。
けれど、ガドゥプルは振り落とすどころか、エンジュを守ろうとしたのだ。
カドゥプルにどんな心の変化があったのかは知らない。
大部屋から抜け出せたからと言って、その意味を彼女が理解できているとは思えなかった。
それでもガドゥプルがしてくれたことが嬉しくて、少しだけ体の力が抜けた。
しかし、ご飯を食べていないというのは気になる。
ガドゥプルだってあれだけ暴れて、逃走してきたのだ。
お腹だってすいているだろうし、体力だって落ちているはずだ。
エンジュがガドゥプルを心配しているのに気が付いたのか、老女の方からエンジュに話しかけた。
「スターチスがうまく誘導して、この近くの洞窟の中に竜を隠してくれたよ。人目に見つかるわけにはいかなかったからね。あそこにいれば、当分の間は誰にも見つからないから、安心しな」
それよりと老女はエンジュに手作りの薬を飲むように言った。
エンジュは想像以上に重症らしく、スターチスがすぐに見つからなかったら死んでいたかもしれないという話だった。
医者ではないからわからないが、おそらく肋骨がいくつか折れていると老女は話す。
手足の傷も深くて、頭もどこかに打ち付けているらしかった。
どおりで動くたびに体がきしむように痛いのかと思った。
老女が持ってきたその薬はすごく苦くて、飲み切るだけでも時間がかかったが、今はこの老女に従うしかない。
そのスターチスという男がどうしてエンジュやガドゥプルを助けてくれたのかはわからなかったが、今はその好意に甘えようと思った。
薬が効いてきたのか、痛みが若干和らいだ時に、エンジュは老女に向かって、懺悔のように話をした。
「あの竜はプラタナス城の地下で飼われていた竜なんです。本当は王族の使いとして戦に利用するつもりだったみたいなんですが、さすがに誰も魔獣を従わすことが出来なくて、それならばとガドゥプルは殺されることになったんです。それから逃れるチャンスはありました。先日の建国祭で民衆に前でお披露目が出来るまで大人しくさせたら、生かしてやると。しかし、魔獣であるガドゥプルが大人しくするどころか、多くの人に晒されて暴れないわけがない。彼女は最後まで私たちの言うことなど一度も聞いてくれることはありませんでした。だから、建国祭のごたごたに紛れて、ガドゥプルを自然に返すことにしたんです。私も彼女につけられた首輪を外したら、仲間と一緒に王宮で彼女が無事に逃げ出すところを見送る予定でした。けど、うまくいかなくて、私もその騒動に巻き込まれてそのままガドゥプルと共にこんな場所まで来てしまった。城では恐らく仲間たちが捕まって、竜を逃がした罰を受けています。王宮の宝である竜を逃がすなんて極刑に値する行為です。恐らく、彼らはもう殺されているでしょう。本当は私もその一人になるはずだったのに、私だけ逃れてしまった……」
エンジュは涙を流しながら語った。
自分だけ助かったことが、悔しかったのだ。
エビネやロベリアたちだけを残して、自分だけのうのうと生きている。
ロベリアに至っては自分の事を思って奉公先まで探し出してくれていたのに、それさえ裏切って、ガドゥプルを逃がす方を選択した。
そんなことをすれば、地下に働く者たちが全員責任を取らされて殺されることもわかっていてだ。
何となくあの時、エビネが自分にしがみ付けと叫んだ時にわかった。
エビネは最初からエンジュを逃がすつもりであったことを。
極刑は自分たちだけで受けるつもりであったことを。
それにも気が付かず、ただガドゥプルを助けたいと奮闘していた自分が情けなかった。
エンジュには何も覚悟できていなかったのだ。
仲間を見殺しにして逃げてきたことを後悔せずにいられることなんて出来なかった。
ただひたすら悔しそうに泣くエンジュの涙を老女は優しく拭ってやった。
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