第17話

その日の夜、皆が寝静まったころ、調理場でロベリアとエビネが酒を飲みながら話をしていた。

部屋には暖炉の中で燃える木が割れる音が響いていた。

2人がこうしてゆっくり酒を飲んで話をするのも久しぶりだ。


「あんた、随分あの子を気に入っているようだけど、あの子はあたし達とは違う。異国から来た奴隷なんだよ。それをわかって、あの子に接しているのかい?」


ロベリアは一口酒を飲むと、その器をテーブルに置いて話し始めた。

目の前には久方ぶりの酒を堪能するように、エビネが飲んでいる。

そして、エビネは暖炉の火を見つめながら答えた。


「わかっているさ。けど、俺らみたいな天涯孤独のおっさんが女の子を目の前にすると甘やかしてしまうのも性でね、どうしようもない話なんだよ」

「そうは言っても、これはあの子のためにもならない。今のうちから立場が違うことをしっかり知らしめておかないと――」

「エンジュは賢い子だ。自分の立場を十分に理解している。俺たちがどんなに甘やかそうと、あいつはあいつ自身を甘やかしたことなんて一度もないさ」


ロベリアはそれ以上、言い返すことはなかった。

ロベリアもエンジュが歳の割にしっかりしていて、賢い子だとわかっている。

自分の立場もわきまえているし、驕る様子も図に乗る様子もない。

それでも、これから起きる残酷な現実に今のエンジュがついて行けるか不安だった。


「あたしはあの子にこんなところにいないで、もっと別の奉公先に行った方がいいと思っているんだよ。来たばっかりの頃は、気力もなくて、手足も棒切れのようで、今にも死んじまうんじゃないかって思ったけど、今のあの子ならここでなくても働き口は見つかる。そりゃぁ、結局奴隷という立場は変わらないけど、マシな主人に雇われれば、あの子なりの幸せにありつけるさ。ここにいるのは、動いちゃいても半分屍みたいなどうしようもない大人ばかりだ。明日にだってお役目を失って、城から追い出されてもおかしくない。追い出されたらどうなる。あたしらじゃ、もう奉公に行く先もないだろう?」


エビネはロベリアの話を聞きながら、一口酒を飲んだ。

そして、器の中の酒を見つめながら答える。


「ねぇさんはまだ働けるだろう。俺たちと違ってまだまだ身体が動くし、何よりも働き者だ。俺たちのように物乞いをして生きる必要はない」

「そうは言ってもね、この年にもなるとなかなか雇ってもらえないものだよ。王都の人間はこの国の現状に気づいてすらいないのさ。この平穏で裕福な生活がずっと続くと思っている。そんな奴らに一時雇ってもらっても、また奉公先を探す羽目になるだけだろう? そんなのあたしはごめんだね」


ロベリアの話を聞いて、エビネもつい笑ってしまった。

それはロベリアらしい答えだった。


「ここで一番優しいのは間違えなくねぇさんだよ。俺たちは自分に甘いから、同じようにあの子にも甘く接してしまうんだ。けど、ねぇさんは違うだろう? あの子の今後の事も考えている。無暗に優しくしないのは、ねぇさんなりの気遣いだ。誰かが、あの子に常にこの世界の厳しさを伝え続けなきゃならない。けど、そんな憎まれ役、喜んで引き受けるやつなんていないさ。だから、ねぇさんは優しい。優しすぎるぐらいだよ」

「あたしはそんなんじゃないさ」


ロベリアは本音を隠すように器に残った酒を豪快に飲み干した。

エビネの顔は自然と穏やかになっていった。


「ねぇさんは、自分の家族の事が忘れられないんだろう? 俺たちはさ、もうここにしか働き口がねぇんだ。手足を失った兵士が出来る仕事なんて何もないからな。でも、ねぇさんがずっとここで働くのは俺たちとは違う。自分が家族を守れなかったことに対する罪滅ぼしだ。俺たちみたいな死に損ないの面倒を見て、エンジュのようないつ殺されてもおかしくない無力な子供に仕事を与える。そうすることで、家族を助けられなかった自分を戒めているんだろう?」

「――違う」

「違くないよ。ねぇさんはずっと苦しんできた。ねぇさんの夫も息子も病気でなくなったんだ。それはどうしようもないことだ。ねぇさんが頑張ったところで、救えない命だった」

「違う!!」


ロベリアは泣きそうな顔でテーブルを叩いた。

しかし、エビネは目を逸らすことなく、ロベリアを見ている。


「助けられたんだ。薬さえあれば助けられた。なのにあたしは、自分のミスで薬を手に入れることが出来なかった。これはあたしの罪だ。あたしが一生背負い続ける罪なんだ。あんたらには関係ない話だよ」

「そんなことない。薬が手に入らなかったのも、ねぇさんのせいじゃないだろう? あれは流行り病だった。薬は必然的に身分の高い奴らや金持ち連中に優先して配られる。そんな貴重な薬を一般人だったねぇさんが手に入れるのなんて、もともと無理だったんだよ」

「でも、あたしがあの時、ダサまれていなければ……」


エビネは泣きそうなロベリアの肩に手を置いた。


「どの道、薬は手に入らなかったさ。あの時は多くの人間が死んだ。特に身分の低い奴らから死んでいった。それでもこの国は何もせず、自分たちが流行り病にかからないことだけを考えていた。もし、あの出来事に責任をとらせるというなら、真っ先に立つのは現王、キャスタスだ。あいつは未だに自国を顧みず、領土を広げて己の力を誇示することしか頭にない。どうしようもない、愚王さ」


そう言って、エビネも残りの酒を飲み干す。

ここに来る人間は皆、様々な事情を持っている。

ここに厄介な竜がいなければ、明日にでも解雇されても仕方がない、役立たずばかりだ。

出来るなら、まだ若く希望の持てるエンジュにはここから抜け出して、命の危険の少ない場所で生きてほしいと思う。

けれど、彼女があの竜、ガドゥプルに入れ込めば込むほど、ロベリアの心はざわついた。

彼女はきっと自分の意思ではここから離れようとしないだろう。

しかし、ここは永遠に働ける仕事場ではない。

これから戦争がどんどん激しくなって、財政が悪化すれば、竜などあっという間に殺され武具や薬にされてしまうだろう。

そうすれば、エビネたちがここにいる理由はなくなる。

辛うじてロベリアが使用人の世話役として残ったとして、エンジュもどうなるかわからなかった。

ここの城の者が奴隷であるエンジュを気遣って、良い奉公先を見つけるとも思えなかった。

エビネたちと同じように追い出される。

それならまだいい。

もしかしたら、その場で切り殺されてもおかしくない。

それがこの国の現状なのだ。

どんなに賢いエンジュであろうと、明日自分が死ぬ羽目になることなど想像もしていないだろう。

ましてや、これだけ大事に育てている竜を無残にも殺され、戦のための道具にされるなど耐えられるとは思えない。

エンジュは賢くて、本当にいい子だ。

それがわかっているからこそ、ロベリアはエンジュから竜を引き放して、今のうちに知り合いの伝手でも使って奉公先を見つけてやりたかった。

今なら、エンジュがここで働いていることは一部の兵士と、あの王子ぐらいしか知らない。

死んだと言えば、それで簡単に処理されるような立場だ。

ロベリアは日々の食料調達で物価が上がってきていることに気が付いた。

今までのように物資を調達することは出来ない。

国の情勢が悪くなっていくのがひしひしと感じていたのだった。

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