第15話

地下の調理場に冷たい緊張した空気が流れた。

エンジュも真っ青な顔になり、目の前のディルフィニウムを見つめている。


「ガドゥプル……。確か、何かの学術書で見たことがあります。熱帯雨林に生息するサボテンの一種だとか。その植物には白い大輪の花を咲かせ、その美しい姿と魅力的な香りはたった一晩で枯れてしまう、希少価値の高いものだと。そうですか。白い竜をそのように例えて、名付けていただいたのですね」


ディルフィニウムは怒っている様子はなかったが、それでもロベリアは慌てて彼の前に立ち、膝をつき謝った。

ここで殺されても仕方がないという覚悟で頭を下げていた。


「王の竜に対し、勝手に名を与えるなど許されることではありません。どうか、わたくしの命を持って償わせてください!!」

「ロベリアさん!」


エンジュもそんなロベリアに駆け寄って、同じように頭を下げた。

そう名付けたのは自分だ。

ロベリアは何も関係ないのに巻き込んでしまったと思った。

しかし、彼はロベリアたちと同じように膝をついて答えた。


「そんなことであなたたちを処分などしません。その竜を今でも懸命に育てて下さっているのでしょう? そんな方々に罰など、誰が与えられましょう。それに、とても素敵な名前を付けていただけたと思っています。ガドゥプルは別名月光美人などと言われ、この世で最も美しいとされる花の一つです。その竜もそのような高名な名前を付けてもらえて、喜んでいると思いますよ」


まさか、貴族の身分の方にそのような言葉をもらえると思わず、ロベリアもエンジュも感銘を受けていた。

それはきっとディルフィニウムだったからだとは思うが、それでも幸運だった。

その後ろで待ち遠しいのか、リリーがネリネの前で騒ぎ出した。


「兄さま、なんでもいいから、早く竜を見に行きましょうよ!」


ディルフィニウムも立ち上がってリリーに返事をする。


「わかった。けれど、リリーは絶対にネリネの側から離れないこと。守れるね?」

「わかっていますわ!」


リリーはそう言って胸を張って答えた。

リリーの後ろではネリネが相変わらず困った顔をしている。

そして、ディルフィニウムは振り返ってエンジュの顔を見た。


「君がお世話係なのかな? ぜひ、僕たちを竜のいる場所まで連れてって下さい」


エンジュは立ち上がって頷いた。

そして、3人に念のためにと耳栓の綿を渡す。

万が一でもガドゥプルが暴れだしたら、奇声を上げる可能性があったからだ。

彼女に近づかなければ怪我をすることはないが、奇声で耳を傷めることがある。

それだけは避けたかった。

そして、3人を彼女のいる部屋まで案内した。

そこは地下通路をもっと進んだ奥で木の大きな扉があった。

そこに入ると休憩所のような小部屋があって、更に奥には頑丈な扉があった。

エンジュはその扉に体重をかけて開けて、中に入る。

今までずっと薄暗い部屋の中にいたので、突然溢れて来た日の光に目が慣れず、眩しく目を萎めていると、突如舞い込んできたのは石でできた巨大な広場と高い天井、そしてそこには見慣れぬ生き物の姿があった。

甲高い声を上げ、大きな翼を羽ばたかせている。

その度に強い風が吹いて、この光景が現実なのかと疑うほどだった。


「ここは危ないので、1階に上がりましょう」


エンジュはそう言ってディルフィニウムたちを1階に上げる。

ここからなら、万が一でも彼女に踏みつぶされることもないし、襲われる心配もない。

安心して眺めることが出来るだろう。

最初、エンジュはリリーのような幼い少女が竜なんて見たら驚いて、怖がり泣きだすと思ったが、全くその様子はなく、品定めするように平然と眺めていた。

逆にディルフィニウムは驚きすぎて声が出ないようだった。


「僕はずっと竜は伝説の生き物だと思ってきました」


ディルフィニウムは感動のあまり身を乗り出してガドゥプルを観察する。

それに比べて、あんなに見たがっていたリリーが少し不満そうな顔をして見ていた。


「わたくし、もっと美しいものだと思っていましたわ。けど、あれはただの灰色の魔物じゃないですか?」


リリーにとってはがっかりだったのだろう。

彼女の描く竜の姿は鱗がキラキラと輝いて宝石のようなイメージだったのかもしれない。

しかし、エンジュは知っている。

ガドゥプルは月光の下では、正に宝石のように輝くことを。

そんな時、遠くの方からエンジュを呼ぶ声がした。

そちらに顔を向けると、エビネたちがガドゥプルの食事の準備を始めている。

そして、後ろに連なる貴族らしい2人の子供と侍女を見て、慌てた顔をした。

どうやらエビネはその少年が誰なのか知っているようだった。

周りの兵士たちに小声で声をかけ、膝をつかせる。

ディルフィニウムが彼らの前に立った時、彼らが二列に並び騎士らしく忠誠を誓っていた。


「ディルフィニウム王子、わたくしめはこちらで竜の調教師をしておりますエビネと申します。王子のようなご身分の方がなぜこのような場所に来られたのでしょうか?」


エビネたちもさすがにこの状況に理解できず戸惑っている。

しかも、竜の事を知っているのは極一部の人間で、貴族の子供たちには知られていないはずだ。


「お出迎えありがとうございます。皆さん、僕たちには気になさらず、いつものようにお仕事をなさってください。これは偵察ではなく、ただリリーと僕のわがままで竜を見に来たのです。出来れば、御父上や兄様たちには内緒にしていただきたい」

「はっ!」


エビネは力強く答え、ゆっくり体を起こした。

そして、ディルフィニウムに向かって答えた。


「今、丁度餌を与えるところでございます。もし、興味があるようなら見ていってください」

「それは楽しみです。ぜひ、見せていただきたい」


ディルフィニウムはそう言って笑った。

リリーの方はすっかり興味をなくしたのか、生肉や熟した果物を見ながら、げっそりしていた。

それを食べる魔獣の姿もリリーの想像したものとは違った。


「こんなの全くつまらないですわ。大きいだけで、家畜と変わらないのですもの。わたくし、もう部屋に帰りたいですわ」

「なら、リリーはネリネと一緒にお部屋にお帰り。今日の事はくれぐれも他の者には話さないようにね」

「わかっていますわ、そんなこと」


リリーはそう言ってもと来た道を帰っていった。

ネリネもそれに続くようについて行く。

そして、振り返ってディルフィニウムを見て頷く。

彼もネリネの意思をくみ取って頷き返す。

彼女たちを見送るとさっそくディルフィニウムはエビネに声をかけた。


「この中で一番この竜に詳しいのは誰ですか? ぜひ、話を聞いてみたい」

「それなら、そこにいる娘、エンジュですよ。世話を始めたのは最近ですが、元々生物学の知識に深く、誰よりも懸命に竜の世話をしています」


ディルフィニウムはそれを聞いて、感心した表情を見せた。

まさか、この中で一番この少女が詳しいとは。

明らかに自分より年下の娘である。

しかし、エンジュはその話を聞いて、必死で首を振った。


「わ、私のような奴隷が王子に話せることなど何もありません」


エンジュが自分の身分を気にして謙遜している様子を見て、ディルフィニウムは優しく微笑みエンジュに近づいた。


「ここでは身分などお忘れください。僕はもっとこの竜、ガドゥプルの事が知りたいのです」


その言葉に嬉しくなったのか、エンジュも表情を緩めて、頷いた。

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