第11話

竜を飼育すると言うことは想像よりもずっと困難だった。

一番の問題点は、竜に限らず魔獣と呼ばれる生き物は人に懐くことはないということだ。

だから、どんなに懸命に世話をしても言うことを聞くことはなく、近づくことすら許さない。

そばに来る者を常に敵と判断する。

そして、暴れだすと誰も手に負えなかった。

今までにもそれに巻き込まれて、何人も大怪我を負っているし、死人も数人出ている。

唯一救いなのは、伝承にある竜は口から炎を出すといわれていた能力が、この竜に限ってはないということだ。

ただ、あまりに大きな鳴き声を出し、それはそばで聞いた者の鼓膜が破れるほどの威力があるという。

だから、作業をする時、エビネたちは念のために耳に綿を詰めている。

突然叫ばれて、鼓膜を傷めないためだ。

それでも酷い時は頭痛や眩暈を起こし倒れ、一日中吐き気に見舞われるということもあった。

そうなると、檻の中を掃除するだけでも命がけとなってくる。

どんなに汚さないように努めても、毎日必ず排泄物も出るし、食べこぼしもあるし、新陳代謝のようなものがあるのか、古くなった鱗が落ちていた。

竜を意図的に動かすのは難しいので、掃除をする時は彼女の嫌う水攻めをして部屋の隅に追いやる。

その間に他の者が掃除に専念するのだが、水攻めをして追いやっていても、怒り狂った彼女が尾で叩きつけたり、足で踏みつぶされたりなどして負傷、もしくは死亡するケースもある。

当然、水攻めに失敗して、掃除をしていた者が巻き込まれ怪我をすることも多かった。

彼らにとって、毎日の業務が戦争と同じなのである。

しかも、そんな彼らは体のどこかが失っていたりして、他の兵士たちのように機敏には動けない。

急に襲われたら、対処できない時も多いのだ。




水攻めをされている竜を見て、エンジュはずっと思っていたことがある。

魔獣がいくら人に懐かないと言っても毎日こう嫌がる水攻めをされれば、ここにいる者たちを自分の敵だと考えるのは極自然な事だ。

それが彼女のストレスにも繋がっているだろうし、当然、そのストレスで彼女が暴れだせば兵士の彼らも命の危険に晒される。

そして、こんな身動きの出来ない場所で、拷問のように嫌な事を繰り返されていたら、元気だって無くなる。

食欲も減退するし、生きる気力も失うだろう。

これではあんまりだと思った。

自分たち奴隷がされていることとあまり変わらない。

エンジュはいつの頃かその竜を自分と重ねるようになっていた。

そして、仕事にも少しずつ慣れ始めたころ、エンジュは仕事のエビネに相談した。


「あの、水攻めを辞めることは出来ないですか?」


エビネは小部屋で休憩しているところだった。

エンジュの言いたいことは理解できたが、困った顔で頭を掻いた。


「俺たちだってそうしたいけどよ、他に方法がねぇんだからしょうがない。あいつが言うこと聞いて、大人しく部屋の隅でもいてくれたらこんなことする必要はねぇんだがな」


エンジュは腕を組んで悩んでいた。

竜とは基本的に綺麗好きな生き物だ。

それは竜に限った話ではない。

どんな動物も清潔にしておかないと、周りに病原菌が増え、死のリスクを増やすことになる。

だから、少しでも綺麗な場所を好むのは当然のことなのだ。

そう考えると、竜の行動には一定のルールがあった。

まず、排泄物は自分の寝る場所から一番遠い、部屋の隅ですることが多い。

つまり、トイレの場所を彼女自身で決めているということになる。

たまに別の場所ですることもあるが、おおむね決まっていた。

そして、食べるところも同じだ。

エビネたちが食料を入れた器を同じところに置くので、それで定着している可能性もあるが、それがいつも違う場所に設置され、それこそ排出物の近い場所に置けば、食欲はいつもよりもずっと減るだろう。

エビネたちはあくまで竜の事を自分たちとは異物の家畜のように考えていた。

竜は大変賢い。

そんな感覚では、きっと一生この竜はエビネたちに心を許すことはないだろう。


「あ、あの、ずっと思っていたんですけど、名前。あの子には名前はないんですか?」


エンジュはずっと疑問に思っていたことを質問した。

皆、竜の事を『あいつ』や『あの竜』という呼び方をしていたからだ。


「名前なんてねぇよ。そもそも、俺らが飼っているわけじゃないんだから、本来、殿下が名前を付けるもんだろう? でも、殿下は竜なんかに興味はない。あいつは一生名無しで生きるんだろうな」

「そんなのあんまりです!!」


エンジュはエビネに向かって大声を上げた。

あまりに珍しいことなので、エビネも目を見開いて驚いていた。

それに気が付いたエンジュは慌ててエビネに頭を下げる。


「ご、ごめんなさい……」

「いや、謝んなくていい。まぁ、そうだな。いつまでもあいつ呼ばわりじゃ、言いにくいのは確かだな」


エビネは扉の向こうでいるだろう竜を思い描きながら言った。

すると横で聞いていたホップが話に割り込んでくる。


「なら、お嬢ちゃんがつけてやんなよ。俺たちじゃ、ろくな名前考えられないんだしよぉ」


今度は真面目で目の見えないビデンスが答えた。


「勝手につけてもいいのか? 殿下に知られれば、咎められるかもしれない」

「大丈夫だって。殿下はあいつの事、全然興味ないじゃん。正直、既に忘れてると思うぜ」


その話を聞いて、ますますエンジュは悲しくなった。

王様が好んで竜を捕まえて、こんな場所に閉じ込めているのに興味がないどころか、普段は忘れているなんて。

エンジュは瞳を閉じて、あの月光で輝く竜の事を思い出した。

とても美しい竜。

その時、父がエンジュに本を見せながら話していたことを思い出した。


「……カドゥプル」

「カドゥプル?」


エビネがエンジュのその呟くような小さな声を拾い、聞き返す。


「幻の白い花、別名『月下美人』といいます。とても暖かい国で育つ森林性サボテンから開花する大きな花です。とても美しく、香りも強いのですが、咲くのは一晩だけ。だから幻の花と呼ばれています。その匂いは多くの者を引き付ける魅力がありますが、あまりに魅力があるからと摘んでしまうとすぐに弱って枯れてしまうんです。そんな儚さが少しだけあの子に似ていて。それに月夜に輝くあの子の姿はまさに大輪の花の様でした」


エンジュの語る姿に誰も口出しはしなかった。

いつもはどこか自信がないのか、弱々しく見えるエンジュだったが、こういう話をさせると、あの怯えて声をどもらせる少女にとは思えない。

皆がエンジュに注目していることに気が付くと、慌てて俯いた。


「ご、ごめんなさい。勝手につけちゃって……」


しかし、皆、顔を合わせて考えていた。


「カドゥプルかぁ……」

「いいんじゃないの? あいつだってそんな大層な名前を付けてもらったら喜ぶだろうよ」


そう元気いっぱいに答えたのはホップだった。

他の仲間たちも大きく頷いている。

エビネも困ったなといつものように頭を掻いていた。


「そうだな。俺たちの中だけでもあいつのことをそう呼んでやろう。まずはそこから入らないと、あいつもいつまで経っても俺たちを敵視するだけだ。このまま弱って死んじまっても困る。俺たちの仕事はあいつを少しでも長く生き延びさせることだからよ」


そう言ってエビネはエンジュに笑って答えた。

それにつられるように、エンジュの顔からも自然に笑みがこぼれる。

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