第10話
早速、翌日からエンジュの竜の世話の仕事が始まった。
朝はいつも通り、誰よりも一番に起きる。
そして、この日から洗濯物をかき集める前にエビネたちの寝室へ向かって、起こしに行く。
エビネたちの寝室はエンジュのような奴隷と違って二段に重なったベッドになっている。
布団も薄くはあるが、エンジュのものより立派だ。
エンジュは部屋にあるへこんだ鍋とお玉を持って、部屋中に鳴り響くように叩いた。
「朝ですよ! 起きてください!!」
その声でエビネたちはもそもそと起き上がる。
まだ十分、寝足りないと言った顔だ。
中にはそれでも起き上がろうとしない者もいて、他の仲間がそんな男を蹴飛ばして起こしている。
それを確認すると、エンジュは急いで洗い場に行き、まずは顔を洗う。
エンジュに続くように軽く着替えて来た男たちも冷たいその水で顔を洗った。
しかし、エンジュの足は止まってはいられない。
急いで洗濯物を集めに行って、籠に入れる。
洗濯物でぱんぱんになった籠を今度はエビネたちが洗い場に運んでいく。
この作業をするだけで、いつもよりずっと仕事が早く進んだ。
彼らとはそこで別れて、エンジュは洗濯物に取り掛かる。
その間に、一人は調理場の火おこしの作業を始めて、残りは竜の餌の準備を始めた。
そんなことをしている間に、ロベリアが調理場に来て、そうじゃない、ああじゃないと男たちに指導を始めていた。
慣れないものだから、誰もが四苦八苦して、調理場は慌ただしく男たちが駆け回る場所となっていた。
火起こしが早いと、食事の時間も必然と早くなる。
エビネが廊下でエンジュに叫んで、朝食の準備が出来たことを知らせた。
エンジュはその声を聞いて、食堂に急いで向かった。
いつものように自分の器を持って、スープの列に並ぶ。
この日スープを注いでいたのは、あの耳の聞こえないヒースという男だった。
ヒースはエンジュにその大きくてごつい手を伸ばしてきたので、そのまま器を彼に渡した。
彼は器いっぱいにスープを注いで渡す。
今までであれば、エンジュのスープは誰よりも少なかった。
具だって殆ど入っていない。
しかし、この日は違ってみんなと同じように注いでくれた。
少し驚きつつも、いつも通り牧の上で食事をとろうとしたエンジュにエビネが声をかける。
「嬢ちゃん、今日からこいつがお前の席だ」
そう言って、古い木の椅子をテーブルの前に置いた。
さすがこれには驚きのあまり、体が固まってしまった。
周りの男たち同様、不機嫌そうにしているロベリアの顔を見る。
誰も文句は言うつもりはないらしい。
「嬢ちゃんも立派な俺たちの仲間になったんだ。この中で誰よりも働いてもらうんだから、体力はつけておけよ」
そう言って、エビネはエンジュを椅子に座らせて、自分のパンを少しちぎるとエンジュの前に置いた。
同じように、他の男たちもちぎったパンをエンジュの前に置いていく。
それを見たロベリアが呆れた表情を見せた。
「あんたたち、早速この子に甘いんじゃないのかい?」
「まぁ、俺たちからの歓迎の印ってやつだ。仲間が一人増えたんだからな」
エビネはそう言って笑う。
彼らは今までずっとエンジュに興味を持っていなかったのだと思っていた。
姿を見るとからかってくるし、今までは同じテーブルでは食事をとらせてもらえなかった。
それはエンジュがこの国の人間ではなく、奴隷だからと思ってきたが、そうではないようだ。
ここに来た者は奴隷だろうと元騎士だろうと同じ働き手なのだ。
納得いかないのはロベリアだけのようだった。
「エンジュはまず、洗濯物を済ましてしまいな。あんたたちは、やれることを先にやっておくこと。人員が1人増えたからって、手を抜くんじゃないよ!」
「相変わらず、ねぇさんはおっかねぇな」
そう小声でこぼしたのは、左腕が半分ない男、ホップだった。
ロベリアにも聞こえていたのか、ホップを睨みつけると彼は顔を隠して、急いで朝食を食べた。
エンジュも急いで朝食を終わらせて、いつも通り洗濯に取り掛かる。
そして、終わると急いであの右の奥の部屋に向かった。
その大きな扉の前に立つと勢いよく扉をノックする。
開けてくれたのは目の見えないビデンスだった。
「洗濯物は終わったので、こちらに来ました」
ビデンスは黙って頷いて、エンジュを部屋の中に入れてくれた。
そのまま、奥の扉を開け、そこからエビネを呼ぶ。
「エビネ、お嬢ちゃんが来たよ!」
その声でエビネは振り向き、2人に手を上げて手招きする。
「丁度良かった! お嬢ちゃん、ちょっとこっち来てくれ!!」
エンジュはそっと隣にいたビデンスの顔を見る。
ビデンスはエンジュの肩を掴むと優しく話しかけた。
「竜にはなるべく近づかないようにして行きな」
エンジュは深く頷くと、駆け足でエビネたちの方へ向かった。
ビデンスは目が見えないので基本、あの部屋から出られない。
走りながら、エンジュは少し寂しそうな顔をするビデンスの顔を見ていた。
そして、エビネたちの場所に向かうと、エビネは困った顔で大きな鉄製の器のようなものの中を覗いて立っていた。
エンジュを見つけると見てくれと言わんばかり、彼女を引き寄せる。
「これはあいつの餌だ。今までも食べ切ったことはなかったが、今日はいつも以上に食べ残してやがる」
エンジュもその中を覗いてみる。
中は無残な姿で、丸鶏や果物、穀物がぐちゃぐちゃな状態で入っていて、腐りかけた臭いがした。
エンジュはこれではだめだと鼻をつまむ。
きっと、あの桶の中身をそのままこの鉄の器の中に入れていたんだろう。
鉄もさび付いて、酷い匂いがした。
「動物は我々人間より遥かに優れた嗅覚を持っています。まずは、この錆びた鉄製の器を木で作った器にした方がいいと思います」
「それはそうなんだけどよぉ。木の器だとあいつの怪力で器ごと壊しちまわないかい?」
エビネの後ろにいた右腕が方からすっぽりなく、鉄製の義手を付けた男、ボリジが答えた。
確かに竜は怪力で木の入れ物なんて簡単に壊してしまう。
しかし、こんな人工物の寂れた器に入れられれば、誰だって食欲が減退してしまうだろう。
「それはそうなんですけど、野生の生き物は自然のものを好みます。このように臭いのきつい金属では、途中で食べるのを辞めてしまうと思うんです。山に行って黒檀の木を探してきてください。出来るだけ太いものがいいです。本当は、ウリンの木があればいいんですけど……」
エンジュは器を見ながら真剣に悩んでいた。
黒檀の木ならこの近くの森でも探しやすいし、加工もしやすい。
しかし、出来れば黒檀より強度があって、虫よけになるポリフェノールの含むウリンの方が最適だ。
とは言っても、ウリンの木材がこの国で簡単に手に入るとは思えない。
黒檀は強度があり使いやすく、家具などにもよく使われているが、割れるのも早いため、おそらくそう長くは持たないだろう。
そう言ったところですぐに木材が調達できるとは思えないし、器にするのにも時間がかかる。
その間まではどうしようかと悩んだ。
そして、そこから見える地上の景色が目に入る。
そこは緑が生い茂り、自然豊かな場所であった。
「ひとまず、大きな葉を集めて、それを器の代わりに使いましょう。食物も混ぜ込むのは辞めて、お肉、果物、穀物と分けて配置し、穀物には少し水分を含ませて食べやすくするといいと思います」
皆、エンジュのこの機転が回る発言に驚いていた。
彼女はまだ12歳の少女だ。
しかも、他国から連れて来た奴隷。
これほど知識を持った奴隷など今まで見たことがない。
この様子を見て、以前まで彼女の育ちが良かったことが伺えた。
エンジュはこのぐちゃぐちゃになった食料を見て、あの竜が随分やせ細って、活気がない理由が分かった。
月明かりで照らされる彼女の鱗は美しかったが、こうして日の光に当たった彼女の体はくすんだ灰色で綺麗とは思えない。
このままこの生活を続けていたら、おそらく彼女も後数年でやつれて死んでしまうだろう。
エンジュは何としてでも、彼女に生きる気力を与えたかった。
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