第9話
「そんなこと、あたしが認めると思ってるのかい?」
暖炉の前で椅子に座って、ふんぞり返っているロベリアが言った。
その前にエビネが自分の椅子を持ってきて、ロベリアに交渉を持ち込んでいた。
「今までだってねぇさんが一人でやってきた仕事じゃねぇか。洗濯の仕事はこれからも変わらずに嬢ちゃんにやらすからよぉ」
「あたしらの仕事はね、洗濯だけじゃないんだよ! あんたらの飯や部屋の掃除は誰がやってると思ってるんだい!? それにあいつの餌の準備や管理だって不甲斐ないあんたたちの代わりにあたしが受け持ってんだ。これ以上、あたしの仕事を増やさないでおくれよ」
ロベリアの言葉はごもっともでエビネはそれ以上何も言えなかった。
エビネたちはロベリアに多くの事を任せ切っている。
だからこそ、彼女に皆、頭が上がらないのだ。
エビネも困った顔をして頭を掻いていた。
この男は交渉事には向いていない。
そんな中で、エンジュが直接、ロベリアに話しかけた。
「朝一番の洗濯の仕事は今まで通り変わらずちゃんとします。あの子の餌の用意や物資の管理も私が責任をもってやります!」
エンジュは珍しく強気な姿勢を見せていた。
しかし、そんなことでロベリアが怯むわけがない。
「新入りの奴隷の分際で、あたしに意見が言えるとでも思ってんのかい?」
「思っていません。だから、お願いしています。今まで通り仕事もします。だから、あの子の世話もやらせてください」
そう言った瞬間、ロベリアは拳を机の上に叩きつけた。
それを見たエビネが驚き、体を跳ね上げる。
「口で言うのは簡単だ! けどね、今までの仕事だって1日がかりでやっと終わらせられる量だっただろう? そんな状態で仕事を増やして、本気であいつの世話も出来ると思ってるのかい?」
ロベリアの言っていることは正しい。
いくら仕事のコツを覚えて来たと言っても、これ以上仕事を増やすのは無理があった。
どうやったって、仕事の質は落ちる。
そこにエビネが分け入るようにエンジュの代わりに説明し始めた。
「まぁ、聞いてくれよ、ねぇさん! こいつは元羊飼い、畜産経験者なんだ」
「それは知っているよ。この前、この子を連れて来た兵士が聞いてもいないのに話してきたからね」
「それにこいつには生物学の知識がある。俺らよりずっとあいつについて詳しいんだよ!」
「だから何だって言うんだい! それであいつが暴れなくなるとでも言うのかい? 陛下に見せられるほど立派に調教できるとでも言うのかい? そうじゃないだろう? あんたたちは単にこの子を便利に使いたいだけだ。自分たちの不足している部分をこの子に肩代わりさせようとしているだけなんだよ!」
やはり、エビネではロベリアを説得できるほどの力はなかった。
見事に撃沈され、項垂れる。
そして、ロベリアは再びエンジュの方へ目線を向けた。
「餌の管理だって言ってもね、簡単な仕事じゃないんだよ。外部と交渉して少しでも安価で大量の食糧を調達せにゃならない。あいつはね、ただこの王国の格を上げるために飼われているだけなんだ。だから、陛下どころか、貴族1人魔獣なんてものに興味はない。本気であんな化け物を素人同然の役立たずどもに調教できるとでも思っているわけがないだろう。あたしらの仕事はとにかくあいつを少しでも長く生きながらせて、このプラタナス王国が竜を携えるほどの国力を持っていると知らしめることなんだよ。無茶を承知であいつらは生きる価値がないに等しいあたしらを飼い殺しにして、この仕事を押し付けているのさ。もし、竜が死ねば、あたしたちはその責任を取って殺される。これはそういう仕事なんだ」
ロベリアの顔は真剣そのものだった。
エビネもロベリアの言葉を聞いて、俯く。
ここは人ならず者たちが働く場所。
明日死んでもかまわない、王国にとって価値のない命。
竜の世話は命がけだ。
前、兵士が話していたように、世話の間にいつ死人が出てもおかしくない。
エンジュが来る前には2人ほど、エビネの仲間が死んでいる。
それだけ過酷な仕事だということだ。
そもそも、負傷し、戦えなくなった兵士は基本、故郷に帰される。
しかし、ここにエビネたちが残っているということは、彼らには帰る故郷がないのだ。
手足を失い、目や耳が使えなくなって出来る仕事なんてほとんどないだろう。
彼らは生き残るために、この過酷な仕事を受け持っている。
その重みをエンジュも深く理解しなければならない。
国にとっては彼らも奴隷のエンジュも変わらぬ、粗末な命なのだ。
そして、その大事な竜もただのお飾りにすぎず、国は竜の飼育にお金をかけない。
食べる量は馬や牛の倍以上だ。
それなのに十分な予算が与えられなければ、必要な食料も買えず、竜は衰退するだけだ。
それは陛下も望まぬことだろうが、それをどうにかしろというエビネたちへの無茶難題だった。
そのためにもロベリアの交渉力や威厳は不可欠なもので、結局、この兵士たちはロベリアに頼りきりと言ってもいい。
ロベリアもエンジュがしたいという仕事を無理に引き留めるつもりはない。
しかし、これは12歳のか細い少女が出来るような仕事ではなかった。
こんなところで無暗に命を落とすぐらいなら、ここで留めて今まで通り働かすことがエンジュのためでもあると思っていた。
ただ、エンジュのそのまっすぐな顔を見て思う。
この子はここに来た時、こんな顔をしていただろうか。
異国の兵に故郷を襲われ、奴隷として連れてこられ、商人にも買い取られず、余り者としてここにやって来た。
死んだも同然の彼女に生きる希望が出来たのだ。
それを無下に断って、彼女の希望を握りつぶすのも本意ではない。
ロベリアは2人の前で大きなため息をついた。
「なら、条件を出そう。あんたたちが言った通り、洗濯の仕事はエンジュが責任もって終わらせな。ただ、それに時間がかかって、世話が滞ってもいけない。洗濯物の回収はエビネ、あんたたちも手伝うんだよ!」
エビネは驚き、目も口も大きく開いていた。
「本気か!? 洗濯の回収は朝一番の仕事じゃねぇか!」
「そうだよ。なんか文句でもあるのかい? そもそもあんたたちが今まであたしらよりのんびり寝ている方がおかしいんだよ」
エビネはロベリアの言葉に返すことが出来ず、ぐぐっと口をすぼめた。
「他にも掃除や片づけ、料理の支度もあんたたちに手伝ってもらうよ。それぐらいは男でもやってもらわないとね。あいつの餌だって今まであたしが用意してきたんだ。餌の準備ぐらいは覚えてもらわなきゃ困る」
ロベリアはそう言って、微かに口の端を上げた。
今までエビネたちを甘やかしすぎたと思っていたから、丁度いいきっかけになったとは思っていた。
とって変わって、苦手な仕事を押し付けられたエビネは肩を落とすしかない。
仲間に報告をすれば、どんな不満の声が上がるか計り知れなかった。
「最初から餌の調達がうまくできるとは思わない。あたしだって、あんたが失敗して、竜を殺されたらたまったもんじゃないからね。慣れるまではあたしが見本を見せてやるよ。けど、基本はあんたが責任もってやりなよ。自分がしたいって言った仕事なんだからね。子供だからって甘やかすつもりはないよ」
それを聞いたエンジュは今までにない晴れやかな顔を見せる。
「ありがとうございます!」
その顔と明るい声を聞いて、ロベリアもエビネも驚いた様子だった。
エンジュにこんな一面があるとは思わなかったからだ。
2人は顔を合わせて、小さく笑った。
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