第6話
エンジュの城内での暮らしは粗末なものだったが、以前いた農村での生活と大差はなかった。
カルミアたちの家で暮らしている時も、エンジュの寝床は母屋にはなく、畜舎の端で他の家畜と一緒に藁の上で寝ていた。
冬場はとても寒く、家畜の餌や作物などを保管するために使う麻の袋を布団代わりにした。
それでも寒い時は羊たちと一緒に寝る。
臭いが酷かったが、一人で寝るよりずっと暖かかった。
エンジュには基本、私物はない。
朝一番、日が上がる前に起きて、最初の仕事を始める。
朝起きると、まずは顔を洗って、家畜たちの健康状態を確認した。
餌はちゃんと食べているか、排泄物に異常は見られないか、呼吸などが荒い子はいないかなど確認した後、水とエサの入った桶を洗いに行って、新しい水と餌を入れる。
家畜たちが餌を食べている間に、畜舎の中を掃除した。
そして、一通り終わる頃には、カルミアやアキレギアが起きてきて、朝食の時間になる。
エンジュはまず火を起こす手伝いをして、水引場から水を汲んでくる。
その間にカルミアが他の家族の分の食事を作って、作り終えるとエンジュにも昨日の残り物を食べさせた。
パサパサで硬いパンに、冷え切ったスープ。
それを悠長に食べている時間はない。
カルミアは食事に着く前に昨日までに出た洗濯物を母屋の外に出すので、エンジュは桶に食べ終えた食器を入れておき、急いで羊たちの放牧を行った後、洗濯物に取り掛かった。
洗濯が終わり、全ての服やシーツを洗い終えると、次は桶に入れてある食器を片付けて、畑で仕事をしているアキレギアの元に向かった。
忙しく家事をこなしている間に目に入るのは、嬉しそうに学校に向かう、従妹のアネモネの姿だった。
エンジュとは違い、清潔で綺麗な洋服。
髪も整えられて、リボンで上げていた。
学校に向かう間に他の村の子供たちと声を掛け合い、楽しそうに学校までの道のりを歩いて行った。
エンジュはそれが羨ましくて仕方がなかった。
ほんの数年前、エンジュがまだ8歳の頃までは、アネモネと同じように学校に通い勉学に勤しんでいた。
友達もたくさんいて、勉強も楽しかった。
エンジュの父親は生物学を研究している学者で家を空けることも多かったが、エンジュに愛情をたっぷり注いでくれる優しい父親だった。
エンジュもそんな父を尊敬し、心から愛していた。
しかし、エンジュが8歳になる頃、仕事先で事故に合い、帰らぬ人となったのだ。
そこからは唯一の肉親である母の姉、カルミアに引き取られたが、奴隷同然の生活だった。
エンジュがぼぉっとアネモネたちを見ていると、横でアキレギアが怒鳴りつけてくる。
彼女は慌てて、畑仕事を手伝った。
日が沈む前には放牧した羊たちを小屋に戻して、食事を取ったら、すぐに片づけを済ませ、寝るのは家の中でもエンジュが一番遅かった。
エンジュは畜舎から見える夜空を見ながら、昔、父の書斎にあった本に書いてあった星の伝説の話を思い出していた。
星には多くの神々が眠っていて、時としてその神々は地上の人々に恩恵を与える。
神々は人々に忘れ去られないよう、毎晩こうして夜空の中で光り輝いているのだという。
エンジュは昔、よく父の書斎に潜り込んで本を読みふけっていたので、たくさんの知識が入っていた。
神話やおとぎ話はもちろん、天文学、科学、物理、生物学、そして薬学など、エンジュが読んでわかる範囲の本は読みつくしていた。
エンジュが持っているものと言えば、それだけだ。
カルミアの家に来た時、父がエンジュに買ってくれた大事な本を形見として持ってきてはいたが、邪魔だからとカルミアが暖炉にくべてしまった。
だからもう、エンジュの持っているものは、彼女の記憶の中にしかなかった。
しかし、こうして奴隷になってしまっては、どのみち持てる物などないのだから丁度良かったと思っていた。
形には残っていないが、頭の中に父が残してくれた思い出と知識が形見として存在する。
それを思い出すだけで、エンジュの冷え切った心は少しだけ温かくなるのだった。
「エンジュ、起きな!」
ロベリアの声でエンジュは目を覚ます。
ここは地下なので日の明かりが入らない。
日の光を感じない場所で目を覚ますのはなかなか鍛錬のいる事だった。
だから、ここに来てからはいつもロベリアの怒鳴り声で目を覚ました。
エンジュの寝床は幅50cmほどの板で棚のように並んだ隙間で寝ていた。
板の上には藁を束ねて作った敷物がしいてあり、上には使用人が使い古した穴の開いたシーツを掛けて寝ていた。
その声ですぐに目を覚まし、エンジュは腰と髪を紐でくくると駆け足で洗い場に向かった。
そこで顔を洗うと、上の使用人たちが出してきたシーツや洗い物などが投げ落とされる場所があり、そこから服やシーツを拾って、籠に詰めた。
それを何度か繰り返しながら、全て洗い場まで持っていくと、ロベリアが呼ぶまではそこで洗濯をする。
洗い物はカルミアの家にいたころとは比にならない。
衣服だけではなく、シーツや布巾まで一緒に入れてくるので、時間がとてもかかった。
懸命に汚れを落としながら洗っていると、ロベリアが遠くの方からエンジュを呼ぶ声がする。
これが朝食の合図だった。
駆け足で食堂に向かっても、新入りのエンジュの席はどこにもない。
釜戸で使う木を椅子にして、自分の皿と器をロベリアのところまで持っていき、朝のスープとパンをもらった。
ここでもらうパンも以前食べていたものとあまり変わらない、固くてパサパサしたパンだった。
しかし、スープには以前よりは具材が入っていた。
エンジュがゆっくり食べている時間はない。
正午までには洗いを終わらせて、外へ干しに行かなければいけないからだ。
慌てて食べているエンジュを見て、兵士の1人が彼女をからかって来た。
「お前、相変わらず棒切れみたいな手足してんなぁ。そんなんじゃ、一生男に相手されないぜ」
兵士はへらへら笑いながら言った。
すると、そんな男をロベリアは睨みつけながら、怒鳴りつけた。
「奴隷に男なんていらないんだよ! 余計なこと言ってないで、あんたたちもさっさと食べて、持場に戻んな!!」
男もロベリアには敵わないのか、それ以上エンジュをからかうことはせず、黙って食事を済ませていた。
この使い物にならなくなった兵士たちがここでどんな仕事をしているのかは知らない。
けれど、とても危険な仕事で死人もよく出ると聞く。
以前、ロベリアたちが話していた『あいつ』に関わることかもしれないと思った。
「エンジュ、洗濯物が終わったら、次は掃除が待っているんだからね。さっさと終わらせて、こっちの手伝いもするんだよ!!」
ロベリアは容赦なくエンジュに怒鳴りつけた。
エンジュは口いっぱいにパンを詰めて、残りのスープを飲み干す。
ここでは味わって食事をするような時間はない。
食べ終わった食器を洗い場に置くと、エンジュは再び走り出して洗い場に向かった。
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