第5話

エンジュは兵士に腕を引かれながら、城門から城内の庭に入り、そこから地下室へと向かった。

城内の地下にあるものと言えば、牢獄ぐらいだろう。

しかし、わざわざ城内の地下に収監される罪人とは貴族やそれなりの地位の人間だけであり、平民たちは皆、エンジュたちがいた官署の牢屋に入れられる。

だから、基本的には城内の牢獄に人がいることは少ない。

なら、他に何があるのかと言われれば、城内では見せたくないもの、置いておきたくないものである。

常に煌びやかで、豪華な城内に穢れなど一切受け入れてはいけない。

排泄物を処理するトイレでさえ、広く豪華絢爛なのである。

便器は常に磨かれて、汚れひとつ残してはいけなかった。

それでもあまり見栄えの良くないものは出てきてしまう。

例えば、身分の低い使用人や奴隷などは城内では働けない。

それなので地下に籠って、洗濯や家事の手伝い、物資の保管などを行う。

ごみ処理なども地下の使用人の仕事だ。

エンジュはその地下の使用人の1人の女の前に立たされた。

それは40代過ぎたぐらいの目つきの鋭い女だった。

女はエンジュをじろじろと見ながら、連れて来た兵士たちに文句を言った。


「なんだい、この汚い小娘は。奴隷でも、もっとましななりをしていたけどね」

「しかたねぇだろう。隣国の農村から連れて来た娘なんだ。ここに来る前は羊飼いをしていたって話だぜ。なんなら、の世話でもさせりゃぁいい」


エンジュは兵士の言った『あいつ』という言葉が気になった。

この地下には、使用人以外に世話の必要な者がいるのだろうか。


「馬鹿言うんじゃないよ。あいつのせいで、今月は2人も死人を出しちまった。お陰でうちはいつも人手不足だ」


そう言って、女はエンジュの腕を強く掴んで、引きずるように地下の奥へと連れていく。

エンジュはただ必死にその女について行った。


「あんた、名前はあんのかい?」


女は歩きながら、エンジュの顔も見ずに質問する。

時に奴隷は名前を持たないこともあるのだ。


「エンジュ……です」

「エンジュねぇ。奴隷の癖に大層な名前を付けてもらったもんだ」


エンジュにはわからなかったが、彼女の名前は奴隷には似つかわしくないいい名前らしい。

しかし、今更呼び方を変えるのも面倒なのか、女もエンジュの事はそう呼ぶことにした。


「あんたみたいな汚い奴隷を見たのは久々だよ。そんな姿で他の使用人たちに見られたら大変だ。裏に洗い場がある。そこで頭と体を洗って、自分に合った服を着な」


女にそう言われて、エンジュを部屋の奥の水が溜まった場所に連れて来た。

周りにたくさんの籠と中には衣服が入っているのを見るとここが洗濯場なのだとわかる。

明かりはほとんどなく、天井近くに唯一外とつながる小窓があった。

そこから微かに入る光を頼りに、エンジュは水場の前に立った。

水は非常に冷たかった。

恐らく地下水を汲んだものだろう。

これで頭や身体を洗うのは辛かったが、歯を噛みしめながら髪を水場につけ、頭を洗い流し、服を脱いで、その服を濡らして、身体中を拭いた。

その服を軽く洗い、かたく絞るとその服で今度は髪や身体の水滴をふき取った。

女には自分に合った服を着ろと言われた。

エンジュはそっと周りを見渡して、自分に着られそうな服を探す。

すると奥の方に棚があり、そこには簡素な服がいくつか畳んで置いてあった。

エンジュはそれを掴み、広げて見る。

ボロ布で作られたシンプルな上下の服だが、これなら仕事がしやすそうだった。

エンジュはその服に着替えて、再び女のところへ向かおうとした。

すると、途中で兵士のような男たちに出会う。

ただ、奇妙だったのは、今まで見て来た兵士たちとは違い、皆、体の一部分が欠落していた。

ある者は足を、ある者は腕を、ある者は杖なしでは動けない体だった。

目が見えない者、耳が聞こえない様子の男もいた。

兵士たちが言っていた使えなくなった兵士や使用人とはこの者たちのことなのだと瞬時に理解した。

男たちも新入りのエンジュの顔を見て、おかしそうに笑った。


「おいおい、お嬢ちゃん、君はどこから来たのかな? ここは子供が遊んでいい場所じゃねぇぜ?」


男たちはエンジュが新しい奴隷だとわかった上でからかっている。

エンジュはぎゅっとズボンを掴み、下を向いた。


「今度の新入りが子供とはついにここも見捨てられたもんだな」

「まぁ、あのうるさいロベリアがちょっとでも黙ってくれるなら、俺はそれだけでも大助かりだぜ!」


男たちはそんな話をしながら、またげらげら笑う。

ロベリアとは先ほどの女の事だろうか。

この地下に女性がそう多くいるようには見えない。

すると、奥の方からそのロベリアがエンジュに向かって叫び声を上げて、呼んでいる。


「エンジュ! のろまな小娘! いつまで身支度に時間をかけているんだい!?」


その声を聞いて、エンジュは慌てて女の声がする方に駆け出して行った。

そして、ロベリアは後ろでエンジュをからかっていた男たちにも怒鳴りつけた。


「あんたたちもさっさと仕事しな! ガキをからかっている暇なんてないんだよ!」


男たちもロベリアには頭が上がらないのか、いそいそと仕事を始める。

エンジュがロベリアの前に立つと、ロベリアは露骨に嫌な顔を見せる。


「本当にみすぼらしい娘だね。年はいくつだい?」

「12です」

「はぁ、それで12……」


ロベリアは驚いた顔でエンジュを見る。

それも仕方がない話だ。

エンジュは低栄養で体の成長が遅かった。

見た目だけで言えば、8、9歳ぐらいに見える。


「まあいい。あんたが何歳であろうとここの奴隷になった以上、他の大人たちと同じように働かすからね」


ロベリアはそう言って、部屋の奥から紐を二本取り出した。

一本はエンジュの上着の上から腰に巻いた。

そして、もう一本はエンジュの長い髪を後ろでひとまとめにして結ぶ。


「あんたはどうもだらしないからね。このぐらいの身だしなみは整えておくれ。それで、あんた、家事はどれくらい出来るんだい?」


ロベリアに質問されて、エンジュは慌てて答える。


「食器洗いと洗濯、部屋の掃除全般は出来ます。畑仕事の手伝いもしていました」

「食事は作れるのかい?」

「作れません……」


エンジュはカルミアの家で掃除全般、片づけや洗濯などはさせられていた。

しかし、食事の準備だけは一切手を付けさせていない。

そもそもエンジュの食事は、カルミアたちの残り物だったからだ。

ロベリアはふんと鼻を鳴らし、エンジュを見下ろす。

こんなヒョロヒョロの小娘がこんな場所で働けるのか心配であった。

また、昔のようにあっという間に病気になって死人が増えても困る。

ここではそんなこと、日常茶飯事なのだ。


「わかった。なら、ひとまず残った洗濯物を済ませてちょうだいな。あたしらが任されている洗濯物は貴族様のような高貴な方のものじゃない。使用人や兵士どもが出した小汚い服ばかりだ。だからって手を抜くんじゃないよ。あいつらの服の汚れはそう簡単には落ちないからね」


エンジュはロベリアの言葉に深く頷いた。

そして、速足で先ほどの水場まで歩いた。

まずはここで出来ることをこなしていかなければならない。

使い物にならないと思われたら、いつだって追い出される身の上だ。

ここから追い出されたら、もうエンジュには生きる素手がないだろう。

冷たい水に触れながら、エンジュは必死に使用人たちの服を洗っていた。

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