"勇者ゼイル"

 ゼイルが魔王に手を触れた。

 魔王は依然として、凍ったように固まっている。

 あまりにも巨大な身体であった。遠くから見たら城か山と見紛うほどに。


「元々、娘の成長を撮るために買ったカメラだったんだ」


 ゼイルは魔王を見上げながら語り始めた。


「何も知らない人が見たらクマのぬいぐるみにしか見えないから、犯人には気が付かれなかったんだろうね。僕も存在を忘れかけていたそれに始終が全部映ってたんだ。妻と娘が犯され、殺され、解体されるまでが。そしてそれをやった犯人の顔が。血塗れにされた僕たちの家が」


 ゼイルは息を吐き、しばし間を置いた。


「世間では僕が犯人ってことにされてたみたいだね。SNSは事実無根の情報と、それを信じる人たちで溢れかえっていた。誹謗中傷も随分されたよ。夜中にドアを叩かれることもしょっちゅうだった」


 アイラが口を押さえていた。ゼイルは右手を振った。「気にしないでくれ」のジェスチャーだ。

 ゼイルは3人の方を向いた。


「こちらの世界に来てから5年か。君たちと出会い、見たことの無い世界で、様々な困難をみんなで乗り越えた。本当に充実していた。今まで感じたことが無いくらいに」


 濃紺だった夜空が、徐々に青に近い色になっていた。


「だからこそ、罪悪感があった。妻と娘の恨みも晴らせないままなのに、どうしてのうのうと生きていられるのか」


 ジョー、アイラ、リンはゼイルの言葉を黙って聞いていた。ゼイルが自身の心中を話すことはこれが初めてであった。


「それでも、時間は残酷だ。悲しみも怒りも少しずつ風化していくのを感じていたよ。きっと、の存在を知らないままだったら、罪悪感から目を背け続けることが出来たと思う」


 ゼイルは右手の上で時空石を転がした。石はずっと淡い光を放っている。


「僕は元の世界に帰りたい。妻と娘を殺した奴を殺したい。その代償に何を失ったとしても」


 曙光が、地平線に輪郭を与え始めていた。

 ゼイルは懐中時計の蓋を閉じた。


「そろそろ時間だ。もう良いだろう」


 ゼイルが時空石を高く掲げた。瞬間、疾風が走った。ゼイルの手から時空石が消えていた。


「ジョー」


 ゼイルは表情を変えずに言った。時空石は、ジョーの手に渡っていた。


「なあ、ゼイルさん。あなたは復讐に成功したとして、その後どうするんだ」


 ゼイルは何も答えなかった。剣を、音も無く鞘から払い、切先を前に向ける。


「強い恨みがあるってのは俺にだってわかる。でも、ゼイルさんが最初から破滅するつもりなら、俺は全力で止める」


 ジョーも鞘を払った。右手に剣を持ち、左手に時空石を持っていた。

 ゼイルは正眼に構えたまま、じりじりと距離を詰める。ジョーは背中に汗がじわりと滲んでいた。


「待って」


 アイラが呼び止める。


「扉が開いた瞬間に、私たち全員で元の世界に向かって全力で魔術を放つのはどう? たぶん地球くらいなら割れると思うんだけど」


「駄目だ」


 ゼイルは短く言う。


「僕たちの魔術にそこまでの威力は無い。せいぜい関東一円を殲滅する程度だ。それにぼくが殺したい相手は海外を飛び回っている可能性がある。闇雲に撃って外したら目も当てられない」


 言いながら、ゼイルはジョーとの距離を更に詰める。時空石は変わらずに淡く輝いている。


「あのさっ」


 今度はリンが声をかけた。


「私、思いついちゃったんだけど。ゼイルの願いもみんなの願いも叶える方法を」

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