1-2

 頭たちの合図で、示された建物の庇へ駆け上がり、板戸を蹴倒し、荒くれ者どもは突入していく。

 しんとした月夜が一転、調度品が倒れる音であたりは騒然となる。人の悲鳴があがらないのは、元から無人なのか、早々に始末されたからなのか。

 どちらにしても盗みはスピード勝負。早々に唐櫃や二階厨子、屏風や畳などといった目につくものから運び出され、手にした男たちはそのまま右京へと逃げ込む段取りなのか宴の松原の方へ逃走する。

 出遅れた彼は、ひとりで身軽に建物へと入った。

 仕切の障子や垂布は切り裂かれ見通しが良い。役所だし、もともと簡素な部屋なのだろう、見たところ火櫃くらいしか残っていない。

 室内を物色する彼の目の前で、とくに体格の良い男たちが三人がかりで大きな木地の唐櫃を抱えて奥から出てきた。

 盗賊団の頭領白妙の今宵の目的はアレなようだ。

 が、彼には関係ない。便乗して場を荒らすのが彼のような下っ端の仕事だ。

 振り返った壁沿いの二階棹にふすま(かけぶとん)とうちきがかかったままで、両方ひったくって丸めて脇に抱える。

 さらに小走りにぐるりとめぐり、月明かりに光っている灯台を見つけた。さすがは宮城、簡素な場所でも調度は銀ピカだ。

 ついでに、厨子から転げ落ちて床に散らばったのだろう小さな銀器の壺や硯や紙を拾い集めて懐に入れ、灯台をがしっと掴んで外へと走り出た。

 左右を見回せば既にひとっこひとりいなくなっている。のんびりしすぎたようだ。衛士が今にも駆け付けてきそうだ。

 となると、来た道を戻り……逃走ルートを思い描きながら踵を返した彼はぎょっとなった。

 猫背の男が、ぶるぶると足腰を震わせながら漆塗りの唐櫃を背負って階段を下りて来た。月光で蝶の螺鈿を輝かせている唐櫃は、小振りなのに男はひどく重たそうにしている。

「おいおい、おっさん。無理するなよ」

「なんの……これほどウツクシイのだ、中にはもっとキレイな衣装が詰まってるはずだ」

「やー、経験から言わせてもらうと、そーゆーの良くねーぜ? 決めつけで無理しても後でがっかりするから」

「妻に……妻に約束した。キレイな衣を持って帰ると……」

「あー、そういう系?」

 しゃーねえなぁ、と彼は灯台を握り直す。

「こじ開けて中身だけ持ってきなよ」

 が、そんな暇はなかった。宴の松原の方からわらわらと松明を手にした衛士が姿を現した。月明かりでこちらの姿も丸見えだろう。

「おっさん!! 逃げるぞ!」

 猫背の男を急かして反対側の官衙かんが(役所)の裏へと回り込み、来たルートを戻って宮城の門を抜け、いったん堀川を目指す。

 集合場所と反対方向だと抗議する気力もないのだろう、猫背の男はぜぇぜぇと苦しそうにしながら彼の後についてきた。

 大路や小路ばかりが通り道ではない。移動といえば牛車ばかりの貴族が思いもしない経路を彼は使っている。

 いま彼らが走っているのは大内裏の近く、皇族や上級貴族の大邸宅が並ぶ高級住宅地。それぞれの敷地を囲う築地塀には抜け穴がつきものだ。

 犬猫が通り抜けるような塀の下方の穴を、彼と猫背の男は地べたを這ってくぐり抜ける。

 螺鈿の唐櫃が小振りで助かったと思ったが、手伝って持ち上げたとき重すぎるとも感じた。

 だれとも知らない貴人の屋敷の庭先をいくつも通り抜け、そうして飛び出した先は広大な空間。

 あれほど明るかった月にはいつの間にか薄雲がかかっていた。目の前の暗がりが深くなる。

「さあ、おっさん。ここからは死に物狂いで突っ走るぜ!」

「こ、ここは……夜更けには鬼やら獣やら盗賊が徘徊するという……」

 自分だって盗賊行為をしているくせに、猫背の男は顔を蒼褪めさせている。

「そうさ、見つからないようにとっとと走れ!」

 彼は愉快そうに笑いながら先に走り出す。

「置いてかんでくれぇ!」

 ぜぇぜぇと汗とよだれと涙まで流しながら猫背の男が続く。

 ここは都大路。右手には宮城の朱雀門。左手には暗がりが広がるばかり。

 小柄な少年と、漆塗りの唐櫃を背負ったやはり小柄な猫背の男は一目散に大路を突っ切りひた走る。

 とんでもない道幅の都大路を横断した先の溝を飛び越え犬走りに移り、崩れた築地塀の隙間から右京へと入り込んだ。

 左京と比べるまでもなく、通り沿いに住宅は少なく、築地塀も崩れ放題だ。

 月は薄雲に包まれたままだが、これくらいの暗がりなど彼にとっては黄昏時と変わらない。

 天子のいる宮城から遠く逃れるように通りを下っていく。

 ほどなくポォォンと、独特な甲高い音が響いた。鏑矢だ。

「おっさん、走れ!」

 再び彼は猫背の男を急かす。

「後ろを見るな、とにかく走れ」

 言っているそばから無数の矢が飛んできた。風を切る凄まじい音。

 ひえええ、と涙を流しながら猫背の男は足を早める。

 けけけと笑い、彼は後ろを振り返る。追捕の検非違使が弓を構えている。

 暗がりは彼の味方だ。この距離であたりはしない。

 走りながら踵を返し、後ろに跳ねて勢いを殺し立ち止まる。

 小脇に抱えていた袿を袴の中に突っ込み、襖は肩に巻き付けた。

 そうして自由になった両手で銀の灯台を握って太刀のように構える。もちろん、せっかくの獲物を振り回すつもりはない、気分だ、気分。

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